《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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田中久子先生をご存知ですか? (2764)
日時:2016年07月12日 (火) 14時51分
名前:相模の龍


田中久子先生は昭和40年ころ、姫路で活躍された地方講師です。
私は「今昔物語」さまが紹介された、北尾巳代次先生の著書「幸せは今ここに」に紹介されている記事で大変興味を持ちました。

ほうぼう探し回り、最近ある方から当時のカセットテープを拝借することができました。録音があまりいい状態でないことと、方言丸出しであることに苦労しましたが、文字化いたしました。
結果、こんな地方講師もいらしたのかと仰天しました。
読めばどなたもきっと驚嘆されることと思い、カセットテープをお貸しいただいた方の了解を得ましたので、ご紹介します。

第一「七つなれよ」は、北尾巳代次先生がご自分の著書で田中久子さんを紹介された部分です。キリストが、実のなっていないザクロに呪いの言葉をかけたところ、このザクロの木が枯れてしまったという逸話をほうふつとさせます。

第二は、「バスは来る」です。これは谷口雅春先生が、乗り遅れた汽車をストップさせた奇跡と同じです。

第三からは、テープを文字化した部分です。



第一 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
北尾巳代次著「幸せは今ここに」の一部

「七つなれよ」
姫路に田中久子さんという大変素晴らしい地方講師がいらっしゃいます。
私は先年その道場に寄せて頂いたら、先生は一本の鉢の柘榴(ざくろ)の植木をお持ちになって、
「先生、これ7つ結実(みの)っているでしょう。私は毎日水をやる毎に、生長の家は7つが完成の数ですから、7つ成れよ、7つなれよ、と言って世話をさせて頂いていると、沢山な花を付けた柘榴が、やがて私の想(おも)い通り7つ結実(みの)ったんです。

人間って本当に素晴らしいですね。こんな植木でも毎日言葉に出して祈っていると、その通りになるんですよ。でも今年一年では偶然ということも考えられますから、来年もまた7つ結実させて先生にお目にかけましょうね」

と言ってお笑いになりました。そうして昨年再び姫路道場に寄せて頂いたんです。すると田中さんは早速例の柘榴の植木鉢をお持ちになって「先生、これ覚えていらっしゃいますか」と聞かれるのです。
私はもう一年にもなることですから、すっかり忘れていて、「ハテ、何でしょうね」と聞き返すと、
「先生、私昨年お約束をしたでしょう。ごらんの通り立派に今年も7つ結実したでしょう。私道場で毎朝水をやる度に、7つ結実(なれ)よ、7つなれよ、と言ってやるんです。

すると夫や他の誌友さんが皆お笑いになるんです。“久子、去年はそりゃお前の言った通り7つ結実(みの)ったかも知れん、でも今年はね──”とおっしゃって、本気になさらないのですよ。

勿論夫は、私がそんな大それたことを言って、もし万一言葉通りにならなかったら私が恥をかくと心配して下さるのですが、私はそれよりも人間は何故最初から物を疑って掛るのか、その点が不満なんです。私達は神の子なんでしょう。

キリストは聖書の中で、もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあらば、この山に彼処(かしこ)に行きて海に入れと言えば入らん、とさえおっしゃっているではありませんか。

柘榴を7つ結実させることは実際にはつまらないことかも知れません。でもこんなことにでも私という女子(おなご)は生命をかけているのです。
この実証を通して神の実在し給うということを全ての人に知ってもらいたいんです。
神の子がどんなに偉大で素晴らしいものであるかを私は具体的に見せてあげたいと思うのです。愛と信念と善き言葉さえあれば、人間にとって不可能なことは無いという事実をですね」

 私は田中さんの言葉にひどく感動させられました。結実した7つの柘榴は、今後も何年か田中さんの手もとで信仰の実証として実り続けることでしょう。



第二 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
バスは来る
 これもかれこれ10年余り昔のことになるでしょうか。田中さんはある時誌友4、5人と姫路から北に50kmばかり離れた農村の婦人会に出席されたことがありました。

会が果ててからしばらく個人指導に追われている間に、「先生、終バスの時間に遅れますよ」とせきたれられて慌てて会場を飛び出して、バスの停留所に来てみましたが、一足違いで姫路行きの終バスは砂塵の中に消えて行ってしまいました。

 当時は今と違いまして、交通は極めて不便で、都市をはるかに離れたこの農村でハイヤーを求めることは到底不可能な時だったのです。

伴をしていらっしゃった誌友の奥様達は今にも泣き出しそうな顔で、暮れゆく夜空を見上げながら、どうしようかとウロウロしていらっしゃる。
恐らくお家で待っていらっしゃる御主人やお子様のことを考えて、居ても立ってもいられない気持なんでしょうね。

 気が付くと田中さんは一人で皆様から少し離れた道路の上にしゃがみこんで熱心に何かを書いていらっしゃる。誌友の一人が傍に寄って行って、

「先生、一体そこで何を書いていらっしゃるんですの」
「読めば解かりますよ」
「バスは必ず来る、神さま有難うございます──先生こうなんですか」
「そうですよ、そう言って祈っているんですよ」
 田中さんが大きくうなずくと、その奥さんは笑い出しました。

「先生、そりゃ駄目ですわよ」
「どうして」
「だって、先生がいくら神の子無限力でも、今行ったバスは最終なんでしょう。だったらまさかもう一度戻って来てくれるわけでもないじゃありませんか」こうおっしゃったんです。

これが人間の良識というものなんです。

「創世記」で言えば、さかしい蛇の知恵に当るものです。この知恵を握っている限り、私達はエデンの楽園に入ることは許されないのですね。田中さんはその時こう答えられました。

「あなた達は、平素いろいろと生長の家の深い真理を聞かせて頂いておっても、いざといえばやはり未だ現象の不完全な状態に心が引掛っちゃって、自由自在の境遇に入ることが出来ないのですね。

 実相の世界から観れば最終も最後もないじゃありませんか。私達は姫路に帰ることが神の御心に適うならば、神さまはどんなことをしても私達を姫路に帰して下さるでしょう。

私達はただ神の国の完全円満な状態を心に描いて、感謝して待てば良いのです。最終バスだからもう来ないのである、と自分で勝手に決めてしまえば、その決めた通りバスはもうやって来ないでしょう。

 汝の信ずる如く汝にまで成れ、とキリストは教えています。私にとって今最終も最後も脳裡にありません。

『バスは必ず来る。神さま、有難うございます』ただそれだけなんです。神の国の理想が既に実現せる状態を心に描いて、感謝して待てば後は神さまが必ず良いようにして下さる。
『法華経』の中に『衆生刧尽きて大火に焼くると観る時も吾が此土は安穏なり』と説かれています。

 どんな困難とみえる現象でも神様の計り知れぬ愛念が働いていてくれるのです。
 私は先程からあなた達がそこでいろいろ躁(さわ)いでいらっしゃる間に100回も200回も既に祈らせて頂きました。私は信じています。バスは必ず来ます。もう直ぐ迎えのバスがあの街道の向こうから砂煙をあげてやって来ますよ」

田中さんはそうおっしゃると立ち上がって右手を挙げ、山の端の街道のはずれを指差されました。
すると突然、その言葉の力に惹き付けられるように、神姫(しんき)バスの車体が、山合いの街道から姿を現して走って来ました。

「いやもう、誌友の皆様が飛び上がって一斉に歓声を挙げましてね。びっくりするやら喜ぶやらで一時はもう本当に大変なことだったんですよ。
偶然にしては余りに出来過ぎておりますものね。
しかし実を言えばこれは奇跡でも何でもなくて、後で車掌さんに伺ってみると、その日の午後上の方に昇っていたバスが田圃の中に車輪を煮えこませて、
それを引き上げに行ったバスが最終バスの後にたまたま戻って来たのに過ぎなかったのです。

 でも考へてみると神様の御業というものは実に行届いていて素晴らしいものだと思いましてた。あのことがあってから私達はお互いに“蛇の知恵”と言って戒め合うことにしているんです」





北尾巳代次先生のコメント
さすがに姫路道場を建立された方々の心境の高さに頭が下がります。私達は谷口先生から常に実相を観よ、と教えられていながら、何か事にぶつかればすぐ現象の不完全な状態に心が引っ掛かって行詰まってしまいす。

そんな時田中さんじゃないが“吾れ神と偕にある”信念を常に心の底深く想い浮べて事に処さなければなりません。
ついこの間のことですが、私もうっかりして、御所(ごぜ)の山中で終電に乗り遅れてしまいました。最初はちょっと困ったなあと思いましたが、
田中さんのことを思い出して、「そうだ困ることはないのだ、神さまが必ず良いようにして下さる」と思い直して街道に出て祈らせて頂いたら、不思議にハイヤーにめぐり合って無事帰宅させて頂いたことがありました。

小さな体験の集積ではありますが、教えを真剣に生きていらっしゃる神の子の一端を御披露させて頂いて、私達の信仰を高めたいと存じます。


この信仰が、今、必要なのですね (2771)
日時:2016年07月12日 (火) 18時45分
名前:コスモス

 相模の龍さま

 素晴らしい信仰者をご紹介頂き、有難うございます。

 私の心がパッと明るくなりました。

 この信仰こそ、今、私達に絶対必要なのですね。「正しい事は必ず成就する!」と深く信じて、邁進します。有難うございました。


有難うございます。 (2774)
日時:2016年07月13日 (水) 06時39分
名前:会員

掲示板で、こういう真理を求めていました。
生長の家の真理をもっと勉強したいです。
今後ともよろしくお願いします。

田中久子先生 第2回 (2778)
日時:2016年07月13日 (水) 10時10分
名前:相模の龍

田中久子先生 (講演会の記録)

録音状況からすると小規模の講演会と思われる。
カセットテープは90分。録音開始前、収録後の長さは不明
文中「・・」は聞き取り不能
方言はそのまま
言葉もあえて置き換えていない。(むちゃくちゃ下品なものもそのまま)



(録音は、講話の途中から)
――― 運命のケミカライゼーション、ケミカライゼーションいうたら何ていうことかいうたらね、変動ということ、転換ということですね。
今まで何でもすらすらといっていたのがいっぺん悪くなった状態になりましたときにね、その悪くなった状態を見て驚くんです、人間の方が。真理をしらないとね。それでまたえらいことになってしまう。

そういうことになるんですけどね、真理を知って生活してるとね、ここすばらしいでぇ。
何が起こってきましょうともね、ケケレッツのパーや、ハッハッハ。(笑)ほんとやがね(笑)

何事も、ほんとに真理がねえ、毎日毎日ね、悩むようなこともありますけどね、いやー私真理知らなかったらどうなんだろと。谷口先生ありがとうございます。
真理を知って知って知り抜いたおかげでね、そういうこと思うて生活できるこっちゃやね思うですよね。

みんな生長の家にお入りになるとね、神想観をみなさんやってらっしゃる。また甘露の法雨もみな誦げていらっしゃる。

だけどね・・(おざわ?)先生のおっしゃるのはそこなんですよ。汝ら天地一切のものと和解せよ。「いい、そんなこと言うことなにもない。いい、いい」。そんなこと言うてるでしょ。

それはね、汝ら天地一切のものと和解せよ、と甘露の法雨をいつでも言うていてもね、心が変わらなければ運命は変わらないと。
だからね、棒読みでタラタラと読んでるだけではね、運命は変わりっこないと。汝ら天地一切のものと和解せよと。
ますます読んでも変わらない。それを一回性格に帰るが良いと。心を変えなさいということをおっしゃるわけなんです。

あの方頭いいから説明なさらない。私はくどくど説明するわけなんですけどね。結局この世の中のね、不幸というもののすべての原因がどこにあるか言うたらね、物を取り合う心ですね。
奪いたい心。何も無理に人のもの盗むんじゃなくて、こうなんですよね。

昨日もあちらの東のほうから個人指導の方が見えて、ある方の紹介で見えてね、そして「どういうことですか」と聞いたら「私は中学校1年生と小学校なん年生の子供、二人ありました。」

「どういうことなんですか」言いましたら、どうしてもおばあちゃんと私と合わんという。「どうして合わんのですか」言うたらね、「まあ、ばあちゃんが憎たらしいこというてや。

初めは気にしなかったけど、このごろは腹が立って腹が立ってしょうがない。」という。
その方の言われたこと全部は、よう言われませんけどね、あまり品のないこと並べられたのでね。
わたしふんふんと聞いとったけど、終いにね、こめかみのここがずーとずーと痛うなってきたの。

もうね、毒に冒されたみたいに、ちょうどホウ酸ガスに冒されたみたいにね、もうガクガクしてきたですよね。
それでもね、私の立場では向こうの不足を全部聞いてあげないと個人指導になりませんのでね、言うだけ聞かせてもらったんですけどね。みんな聞かせてもらってからですけどね。

「あんたね、あなたは何もご存じないけど、人間の運命ちゅうものはみんなそこらで・・てるんだと。それだけ姑さんを、憎む人と思って生活しとられたら。
結婚して十五、六年になりますよね。それだけのこと思って生活しておられたら、あなた今何してらっしゃるか言うたらね、癌の製造してらっしゃる。」

「このままでいくとおそらく肝臓癌やね。憎んでいたら四十日入院しとったと(笑)。これはね高度に腹を立てますと肝に応える、癇に障るちゅうてね、肝臓が痛むんです。
そいでまあ憎たらしい婆と一緒に居りたくないということになると、疎開するほうがいいから病院に入る。
肝臓が悪いから入院しなさいというて、病院にいったらそれ公認で疎開しとられるでしょ?

だから心の働きがどれだけ自分の運命を左右するかいうことを、知らずに憎んでやったいうことは怖いことやと思うの。

ね、怖いことですよ。そいでね、「やっぱり嫁の立場と姑さんにお母さんいくつですか?」いうたら、六十八やとおっしゃるのね。そしたらまだオイサラでもない。ところが腹立てて一月寝とられたんや。

一月寝たらね、これはまたね後で文句言われたらいかんから、今度「おばあちゃん言うてちょうだい。なんでも立ちますから。なんでも買うてくるから言うてちょうだい。」こういうことずーっと並べられたけどね、これ私だっていらんわ。

ゴーゴーと寝とるのにね、「なんぞ食べたいものあったら言うてちょうだい。」なんでばあちゃんが言わんならん。腹たって寝とるのに(笑)。自分で買うてきてごらんよ、ほんと。

そんなこと言わんと、私だったらそんなこと絶対言わん。はあ怒らせて悪かったと思ったらね、好きなもん、ようけこしらえてね「はよ食べてえな、もう、これ食べてくれたらね、あんた食べてくれたらすっとするから食べて、あたし悪かった。その罰や、食べて」。出す?(笑)

口が悪うて寝てるのに何が食べたい思えるんやったら誰が寝るんや、あんた。(笑)
面白うて寝とるときやったらね、じーっと研究しといたらいいんや、そのときのためにね。

ほなら、その奥さんのおっしゃること、みんな聞いてたらね「あんたね、体に一生懸命いいことしてらっしゃる。だけどね、心が大いに悪いことしとる」。ね、三年にも。
こんな事務的なお役所的なやね、私らでもこういうことが・・性分やさかいね、怒ってやろう思うて、いつも知らん顔しとってんね(笑)。そんなね木で鼻くくったね、いらんわ、そんなもん。




私も、ほっとしました。 (2779)
日時:2016年07月13日 (水) 10時30分
名前:なごみ

共産党支持になってしまった、教団の批判も今大事な時と理解できますが、

何時も、そればっかりでは心がカサカサなります。そんな時に

>北尾巳代次先生のコメント
さすがに姫路道場を建立された方々の心境の高さに頭が下がります。私達は谷口先生から常に実相を観よ、と教えられていながら、何か事にぶつかればすぐ現象の不完全な状態に心が引っ掛かって行詰まってしまいす。

そんな時田中さんじゃないが“吾れ神と偕にある”信念を常に心の底深く想い浮べて事に処さなければなりません。<

北尾巳代次先生は何度もお会いした事ありますが、穏やかな先生でした。

現象の不完全な状態に心が引っ掛かって行詰まってしまった時に、

素晴らしい真理のお言葉でした。


ありがとうございました。



第3回 (2802)
日時:2016年07月14日 (木) 10時06分
名前:相模の龍

結局ね、聞いていてもね、なるほどー。心ほどきついものはないですよ。臭うんです。どうも臭いますからね。だからね、あの奥さんの話聞いたら頭痛うなった。心の力ってエライもんやと思います。

どんなことがあってもね、なんとしても食べささないかん思て、一生懸命真心尽くしてね、真心もって作った場合はね、おなかすいてボテボテになっとっとや。

簡単やもう。これねえ、姑さんやからまた世間に言いまわすや、思うてね。そいでね、おばあちゃんが今度ね、一番末娘のところに行っとるときに、送っていったんや。

そいで二三日って言われるから、二三日たって電話かけた。そしたら妹さんがね、「運動会やからね、それまで守りしてもらわないかんから、おってもらう」と、こうおっしゃる。

そいでそのちょうど六日が一月になる。その間にご主人からも、かけてもらい、おばさんからも、かけてもらい、何べんも電話をかけたけども、そのつどそういう答えやった。

そしたらねちょうどその時妹さんが出て、十月の運動会まで下の子を守りしてもらう、おってもらう、とこう言う。それならしょうがないなあ。

そしたらその時に、おばあちゃんが向かいのおばさんのとこに電話してきて、何にも守りしとらへん。ここに来たらね、だんだんに寛容してもろてね、だいぶ気分ようなったけどまだ寝とるんや、いうて電話かかってくる。

おかしな話や。妹さんは戻ってくるよって言いよるし、本人は寝とるんやと。「ここに来たらだいぶなりよう」と言う。
そんなことで気が悪うて気が悪うてね。情けのうてしょうがなかったいうて、その話をたらたらと述べられたときには、私の方は頭・・してくれてね、
もう気の毒なね。そんでもあんたねえ、炊事もしてもろうたら、また村中言い回してや。
してもらわんでも言い回してや。そういう気ばっかり遣うて。

お釈迦様はですよ、かりそめにもこの世に生まれきてですね、「梵天より糸をたれて、コウカイに沈む日、針の溝に、なお得がたき縁である」と、こうおっしゃっている。

青空から糸を垂らして、海の底に沈んでも針の溝にその糸を通すよりも、なおもって難しいのが親子の縁だと。だからね夫婦二世、・・三世、親子一世と。

親子いうものは、いっぺん親子になった限り絶対二度と再びめぐり合うことができない。そのくらい尊い縁だとお釈迦様はおっしゃっているんですね。

それをね、生んでもらった親とか、もらわれた親とか後妻の親とかは、そんな区別する必要はない。
これはね真理と言うものは神道でも仏教でもおんなじことでしてね、理念からいくんです。

母というものの理念です。母という一字だったらね、世界各国全部通用します。どんなハイカラな時代がこようが、明治時代であろうが、母というものの一字あったらどこでも通用しますね。

だから日本でもどこでも母親というものを、母という理念だけが通用しますね。この母というものと、この子というものとどこでも通用しますね。世界中に。継母とか継子とかそういう余分なもんつけんでもいい。

次男の嫁がね、私が面白いことばっかり言うから、わたし継母やからね、3人子供あるところに行ったんやから、そいで子供にみんな言うんや。

「おかあちゃん、継母やで、継母やで」しょっちゅう言う。そしたら次男の嫁はまた明るうてね、賢い子やろ。どない言うたらね、「継母いうたらね、丁寧」なんやて。“まま”と“はは”とふたついっぺんに言うんやもん(笑)。

その来た端(はな)に言うたこと。
そしたらこんどは谷口先生のお孫さんがまた「ままはは」言うたら二つ一緒に呼ぶいうてね、本に書かれたことがありますけどね。

結局ね、そういうふうに、ものごとを取る人はね、義理も真似もありゃへんのや。ところが目に角立ててね。姑ちゅうんや、ね? 
そして嫁ちゅうんや。姑、嫁、小姑。こういう考え方をもってね、わたしもいっぱい思うわ。

私は身内にあんまり言わないんでね。ほっといて家飛び出してしまったからね。家ちゅうもんにあんまり・・ことないでしょ。だからどっちかというと他人さんのほうがよっぽどなつかしいわ。

他人さんのために尽くしてるし、他人さんに懐かしい思いしますね。だからその自分の子や、人の子やなんて、そういう考えが全然ないもんやから、そういうこと思わないけど、みんな嫁、姑、もう少しね、あっさり考えなさったらいいのにね。

第4回 (2804)
日時:2016年07月14日 (木) 10時17分
名前:相模の龍

こないだ久しぶりでそのお嫁さんのほうだったんだけど、ところがお母さんが見える、このごろね。お嫁さんに泣かされて泣かされて、泣かされる。と、こうおっしゃるんやね。

姑さんのほうにきて。そいでじーっと顔見て笑ってるんやね、その姑さんが。嫁さんに泣かされて泣かされてばっかり言うもんやから。じーっと私の顔みて、にやにや笑っとってん。

そんでそんな話になってもまだ嫁さんに泣かされるん? 子供が泣くんやないの、泣くいうたら。そんな大きうなったら泣くもんと違うんやない。と、はじめ冗談言うてるんやけどね。

わたしはそんな考え、起こしたことないから見当がつかへんの。娘がおったらこうやけど、嫁やったらこう、いうてね。そんならあんた娘や思たったらどうですか? って言うんやけどね。もう両方があるんですよ。
お嫁さんに泣かされて困っている人とお母さんと。そしてお母さんに泣かされてるお嫁さんと。
おもしろいもんやね。わたしはまだそういう経験がないんですわ。こっちが好きで・・ようさすでしょ? 

そういうのわからへんのやね。だからうちのお婆さんは厳しい仕込んでおいてくれたやろ思うてね、その娘さんが・・の方に嫁に行ってしもうたんやけど、いろんなことがあるんやでな。遠慮しないでな、うちのおばあさん言うてやね。

もうおばあさんからして「今年はおばあさんが一番大将やで」、言うてやね。「お母さんの言うこと聞かれんもんは、

今晩から外行って寝てくれよ」こない言うてお婆さんものすごい賢い人やったから、今度はお母さん大将やからお母さんの言うこと聞かん子は・・の子と違う。・・行って寝ておくれ。だからその姑さんの厳しさは知らんの。

おじいさんはまたそれに輪をかけたくらい素晴らしい人やしね。よそ行って自慢ばっかりしてね。ほんとに生き神さん見よう思うたら、うちのお母さん見とったらいいんだわ。こういうとこばっかり申し上げたからね。
また私のおじいさんはね、ただのいっぺんも言わんと死んでしまった。二十なん年間ね。八十六までお婆さん生きてくださったけどね。安心してね・・して言うてもらったからね。おばあさんもおじいさんもとっても・・なの。

ところが私は嫁にぼろくそなの。何にも言わんの。「そんなことしとったら・・やで」こういうそのものすごく悪いこというんです。喧嘩もするしね。・・もするし。
「なんや、その袋に・・詰めたような顔しやがって!(笑)」。「めんどくさい、・・きたい、お前がやっとるんやろ」(突然声音変えて)「そんなことあるし・・」(爆笑)。

そんなことずっとやりました。だけどね今、「あのお母さんに、言うてもろとったこっちゃ」言うてね。「今になったらお母さん、ほんまにようわかる」言うてね、ほんとにそんなに言うて喜んでくれますよ。
憎たらしいとか、そんな意味で言うとるのと違うからね。

子供の義務は親のいうこと聞く、親の真似するからね。親がだらしない生活したりするとね、子供はそれに右へ倣えするからね。

子供が悪うなったいうて、後で泣かんように。親孝行せい言うのに、親孝行するもんや。だから私は、いつも爺さんと婆さんとその生活ができたけれどもね、何をいただいても子供に先やったことないんです、お婆さんとこいるとき。

帰ってきたら上げます。はじめは戻ってきたらなんぼくれると、なんぼやるかわからん。行ってきた時間によって余計あげるし。しまいに子供のほうが泣いてしもうてね、よそからなんでも送ってきたりすると、さき荷物開けるときにね。

さき持ってきて「わたしどこ行くん?わたしどこ行くん?」
ご先祖様に一番最初に供えたら、あとずーっと持っていくことになっているから、もう荷物さげたら、みんなずーと裏いって、三人ともめいめいに米もって、家出しよりましたがね。

そういう生活してますからね、結局親孝行ですよ。そういう、自然な生活を家庭でしなかったらね、自分の親の悪口ばっかり言うてね、おばあさんやおじいさんの不足ばっかり言うて、
そして今度お爺さんやおばあさんが亡くなった時分に、自分が親になったときに、親孝行せいよなんて言うたってね、子供はよう覚えてますもんね。



第5回 (2812)
日時:2016年07月14日 (木) 18時43分
名前:相模の龍

この前のドラマじゃないけど、あるおうちに、坊やが一人と若夫婦とおじいさんと、四人の生活。ご飯食べてるところが放送されてるんよね。

「おーおーおじいさん、またこぼして」とこういう母さんの声。おじいさんは、半身不随かしらんが、「おじいさん目ヤニだして、よだれくって、いややわ」。きたなげに言うのね。お母さんが。
そのお父さんが、自分の親やからなんにも言わない。

息子の坊やがそれを黙って見とる。そしたらね、ある時、皿を落とすんよね。落としたら「じいさんだめねー、もうじいさんと一緒にご飯は食べられん」。

あくる日は一生懸命、町中歩いて気をそらそうとでも。それも見ると汚いからというて、・・の・・スペースへ、そこへおじいさん一人腰かけて食べて。
すると坊やは、おじいさんは一人ご飯食べながら、三人の方を見ながら、坊やに言うんよね。それは、自分はみんなと一緒に食べたい、そういう目をしてる、ちっちゃい子が言うんですよ。

そういうことがずーと続いた生活してるとね、ある日のことね、ごはんできましたって、坊や、ご飯だよ、坊やご飯だよ。お母さんは、坊やがかわいいんよね。
「坊や、坊や、ご飯だよ」。坊やいない。どこ行ったんやろ探してたら、縁の下から小そうなって、出てくるのね。「坊やどこ行ってたの」いうたら「ぼくね、この、おとうさんおかあさんが、木ひろうてきたんや。」(笑)。

それ聞いた先妻のお母さんが、びっくりしてしもうてね、それからおじいちゃんにね「・・食べましょうおじいちゃん、こっちでいただきましょう」言うてね、木の皿にして、自分たちとおんなじとこで一緒にご飯を食べてね。そして、むしりにくい魚は、母さんがむしってあげる、いうふうに家庭が変わってくる。

その坊やがね、おじいさんが木の皿落としたら・・言うたら木の皿買うて、自分とこで食べよるの見るとね、お年寄りになったら、木の皿で食べさすもんやあと、思うとるからね、自分のかわいい息子がやね、小さい子がやね、縁の下から木屑拾ってきてね、
「そんなものどうするの」言うたら「お母さんとお父さんが、年いったときに皿作るんや」(笑)。その坊やのおかげでね、お母さんがふっと我に返って、そしておじいさんを大切にするところで終わりだったですけど、そのときお爺さんは、嬉しそうやったと坊やは言うんやね。(男性「そらそうや」の声。聴衆笑)。

「おじいさん今日は嬉しそうね」て、それで終わりだったですけど、それ坊やが神様やね。
今日も明石の方から見えた方がね、その一年前からの楽しみにしてたんだものね。ところがまだ娘の縁談が決まらない。

それで一年経ったけれどもね、「もう一年も経ったんやから、もういいんだろう」と、主人には言いますとおっしゃるからね、「一年経ったからいい、思うたら止めなさいとね。

そんなことは、「一年誦げとるからどうする、二年誦げとるからどうする、ではなくって、私たちはそんな一年やから二年やから、そんな年々来やしません。」
だからわたしも関係のないことやでね「あんた、止めよう思たらいつでも止めなさい。私に義理たてる必要ないですよ」言うたらね、結局一年、甘露の法雨誦げたけども、娘の縁談がまだ実現せんと。

そしたらね、ご主人のね、「甘露の法雨、なんで誦げとったか」とね、「縁談、実現せえへんから、もうええことないか」とこう言われたんだって。

「やめよう、もう続きは、もう私に関係ない、あんたの自由やからね。だから、いい思われたら、そらあんたの思われることは間違いないだろうから、お止めになったらいいでしょう。私の方は関係ないんですよ。そやけど私の考えはね、私は一生しようと思ってます。

結局私がなんぼ言ったって、信仰しても、他人は私の代におかげは出てこないかもわからん。そいでもいいよ、私は。」
必ずそれはよそへ行かないよね。必ずそれは・・を流れるんやから。積んだ徳というものは・・の続きであっても、あそこの続きであっても。

自分の代でええ目が見れへんからいうて、信仰止めて、そしてご先祖に世話するの止めて、そいで何するんやろと、ね。結局あなたは生命の實相を読まない生長の家だから、報われん。だから生命の實相を読んでください。
昨日の奥さんのね、「私が白鳩という本を、知った人から四冊もらって読んで、なるほどいいことやと思いました」とおっしゃる。

そいで見えたんやけどね。そんなもん・・の時やからね。生命の實相読みなさい。生命の實相読むとね、どういうことが書いてあるかいうたらね、生命の實相というものは、私たちがこの世に何しに生まれてきたか、ということから書いてある。



第6回 (2826)
日時:2016年07月15日 (金) 17時55分
名前:相模の龍

(朗読交えながら)
人間は魂の向上、進歩のために生まれてきたのである。
ね? 魂が永遠不滅であると死なないもの、死なないものですからね、
魂は、肉体は死んでも魂は死なない。ところがね、

肉体は結果が現れるだけで、原因はないのである、
死なないもの、ね。死なないものですからね、魂は、魂は、肉体は死んでも魂は死なない。ところが肉体は結果であるだけで、原因はないのである。肉体は結果なんだ、ね。

普通の医者は脈拍だの、呼吸だの、血圧だの、舌だのというものを調べてみて、肉体の状態が、どんなふうになっているかということを、発見しようとするのであります。

しかし肉体は心の影でありますから、いくら調べても肉体には結果があるだけで、原因はない。そうして患者の肉体状態は、患者の心に何があるかを示しているに過ぎないのであります。

病気に関する論文、医術の参考書、治療法の解説書、家庭医学の本などを素人が読むことは、暗闇の中で子供が幽霊の話をして聞かせたのと、同様の効果を与えるのであります。

何も見えない真っ暗な中で、子供に怪談をしてやると、子供はおびえて想像の幽霊が、今にも実際に出てくるかと思って、キャッキャッと泣き叫ぶのであります。

それと同じく真理の光の差し込んでいない人の心に病気の話をすれば、この話が種になって想像で病気を栽培して、だんだんとその想像病を成長させ、ついには物質的にも明らかに認められる病気になってしまうのであります。人間の心は光が欠乏して来れば恐怖心を起こすのであります。
(朗読交えた部分終わり)

ここやねえ。人間の心から光が消えていると、真っ暗になって恐怖心が起こるですね。私はね、「玉の緒」という植木をね、一鉢を二鉢に分けたんですよね。一つは二階の物干しに置いといて、一つは下の棚においてね。

そしたらね、どういうふうに結果がでてきたかとね、二階の物置は朝から晩まで光が照るから見事にふさふさ花が咲いた。おんなじ株分けしたのを、下に置いとったのは蕾が付かない。これを私はよくやって分けるんですよね。

そらもう植木なんかよう、正直に答だします。朝顔でもおんなじふうに鉢に植えて、○○さんにいただいた、つるの朝顔、こんなに花が咲いてる。

それはおんなじ日に蒔いて一つは・・、ひとつは下に置いとくとね、物干しに蒔いた方は、今年で来た種を今年蒔いてみたよね。もう十五も蕾できてる。下はまだできてへん。これをね、朝顔と人間と何の関係があるの、植物と人間。離したらそれでお終い。

ところがね、植物も動物も、鉱物も人間もね、命は一つなんです。ただ職分が違う。職分が違うから位が違う、ね。そして考えというものがない。考えがあっても感情がない。理性というものがない、はっきりしてない。

命は同じにもらっているけど、神様の愛と知恵と生命と無限の供給と喜びと調和、この六つの、おん徳を全部もらっているのは人間だけ。だから万物の霊長。万物の霊長と、植物と鉱物は命だけは一緒だけどね、愛と知恵とがないんです。

ね、ここでね、愛と知恵とが欠けているから、植物と人間が何の関係があるかー、というようなもんですけど、そうじゃない。

昨日の朝の放送ですか、谷口先生の。放送でたぶん、おっしゃったと思うんですけど、人間が炭酸ガスを吐き出して、植物に与える。植物はまた酸素を吐き出して人間に与える。

お互いが交換しているからこそ生きていられる。ところがね、植物がなぜ日の当たるところに置いといたら、蕾が早よつくかいうこと、人間に結び付くんです。

人間に太陽をもってきたらどうなるか、言うたら明るさってことです、ね。人間に明るさというものがなかったら花も実もない、ね、一生の間に花も実もないちゅうことです。
なんぼ賢こうて学校が秀才でも、その人に明るさがなかったらね、花咲かへん、ね。

だからね、そういうのを植物見ては真理を悟る、動物見ては真理を悟り、月を見てもねえ、月が真理を教えてくれる。そいで私は次から次とみんな植木鉢にしとくんですね。

今年の三月ね、東京から河口湖に行きましてね、河口湖で一晩泊まって、そいで静岡に出るのにね、富士五湖をずっと通るわけですが、静岡県に入ってから白糸の滝てのがある。

あの白糸の滝で降りてずーっと先を回って、二十分か三十分の間バス待ってくれるわけですよ。そして見たところがね、水が流れているところにセリがいっぱい生えとるの。いい結構な服を着とって、セリをいっぱい袋に入れて。

箱に入れて物置に置いとるの(笑)。お吸い物のところに、ちょっとセリを足したら、その買に行ったらわずかやけど、買いに行くのがかなわんのです。そんな格好で行かれへんしね。ちょこっとお汁にセリを、「これ白糸の滝のセリや」言うて。



第7回 爆笑 ハイライト編 (2899)
日時:2016年07月19日 (火) 11時05分
名前:相模の龍

(テープB面へ)

あのね、青年委員長しとった嘉納君がね、去年の今月二十五日に結婚してね、そして今年の七月に、子供ができたんです。男の子ができた。ところがね、その男の子が、男の子が安産でできたんです。ところがお嫁さんの兄嫁のほうも、それからちょっと一月遅れて子供ができた。

ところがね、嘉納君が喜ぶんやね。お嫁さんがひろ子、言うん。
ひろ子のお母さんは「お産なんてウンコするようなもんや。ポトンとできるわ」とこう言うとやってね。鹿児島の人やてね。お産なんてポトンとできるもんやて、こう言うとやね。ひろ子さんは、ひとつも嫌がらん。

ところがひろ子ちゃんの兄さんの、お嫁さんの、お母さんの方はね、「お産は大役や、気をつけな。ひとつ、命取りや気をつけな」。そしたら姉さんが、妊娠したら体がえろうてえろうてしょうがないという。おんなじ妊娠しとってもね、うちのひろ子は、えらいともなんとも言わん。そしてぽこんとできて。これほど違うんですよ皆さんね。

娘が妊娠した時に気をつけないかんで。「足むくんどるで、顔もむくんどるで、気をつけなよ、危ないで」なんて親が言うたら娘は親の言うこと聞いて、そうかいな、そうかいな思う。

えらいことやったら、信じるから怠けるでしょ? 怠けるというより、お産が重うなる。ところが片っ方のお母さんの方は「お産なんてな、だれでも産むこっちゃ。あんなもんぽつんとできるもんで、あんなもん、ぽつんとできるもんや」。

そしたらね四月の十三日の日にね、誌友会に行くのに、わたしを積んで行ってくれた。そいで「いつできるやろな」いうて。十日が予定日、もう三日遅れている。「いつできるやろな、どっちできるやろな」。そや、感謝の一番よくできる日や、言うて冗談いうて。

「ひょっとしたら、今日あたりできるかわからへんわ。せやけどタマオ君、いちばんいい時に、神の子生まれてくるで、見とってみい」、言いよったんやね。

そしたらねその晩に、私を送っといてそれから出勤したんやね。二時から出て、十時に帰ってきた、嘉納君ね、晩の十時に帰ってきた。その晩に昼から二時から出勤して、十時に帰ってきたら、「ちょっとお腹が痛うなった」、言うて。

ほんなら行こか、いうてその車に乗せて、産婦人科に連れて行ったらね、まだ明日の昼間や、言うてまた連れて帰ってきた。それ、連れて帰ってきてね、そして家、寝させた。そしたらいよいよもってね、お腹がおかしなってきたんや。
ほんなら行こか、言うてまた病院連れていったらね、三時に男の子が産まれてもうたんや。痛い・・ない(笑)。その時にはやっぱりその子は真剣に甘露の法雨誦げとった(爆笑、「そうでしょう」の声)。ねえ。

それが面白いんや。今年の二月ころやったと思う。私が帰ってきたら、主人もテルちゃんも来ないんです。嘉納君がね−−−−という車に乗っている。
もう車の経費が高うつくからね、車売ってね、単車買おうかいいよる。「先生に聞いとって、言いよったぞ」主人に言う。その人もおんなじこと言う。「へなちょこが」言うてたん。二三日したらね「止めた」。「ありがとうございます」言う。

「嘉納君、あんた単車買う言うてた、車売って」「あ、どうしようか」
「なんでえな」「いや、車、経費が高こつくから、そうしようか思うんです。どうせ僕たちもね、積み立てしといて家建てる。車、単車に替えよう思う。」

「ふーん、あんた、たったそんだけの男って、あきれてもた。もっともっと素晴らしい男でねえ、お嫁さんもろて、子供ができたらちょっと、もうちょっとひと回り大きい新車でも買うんか、思うて期待しとったのに(笑)、は〜ふ〜ん、たったそんだけの男、へ〜、あきれてもた。

私またな、せっかく自家用車のある所に見込んで生まれてくる、神の子さんのために、責任もって大きい新車でも買うんか思とった。わ〜単車にする、この赤ん坊産まれたら雨の日にでも嫁さんが・・されて、単車いろうて、どっか行く、へ〜ほ〜」(爆笑)。

そしたらね、○○子ね、苦しそうやね、頭抱えて。
「あんた、たったそんだけの男やったん。見損のうた。今ごろな、寝台でも倒せるのがあるから、なんぼでも寝させてな。お乳持ったりおむつ持ったりして、単車に乗って・・して、ほ〜〜ほわ〜〜(爆笑)。

そんな言うたらね、
「決めます」
「あのな、嘉納君、あんた三人・・思たんやろ。大阪の港区の飛馬ちゅうとこにね、・・きたらね、嫁に来たけど・・のうて、・・婿さんと別れて、そして一生懸命に金貯めて、そしてタバコ代も止めて、タバコ代もみな貯金してな、それで行ったときに最初の終わりでね、銀行がつぶれるいうときやね。

自分が長い間苦労した金やから、出しとこう思うてね、出してきて、さあどこ置こう、新聞に包んでね、もう寝られへん。そしたらね、一生懸命考えた結果、おくどさんの中へ、その包みを入れといて、そいでおとうさんぐっすり寝てもて、ふっと目覚めたら火が出て。ああ!、思てね、裏出てみたら、ご飯炊いとる。その金みんな燃やしてしもうとる。

そしたらその・・さんがね「ふーん、やっぱりふーん、金かー」言うたきり気が違うて、病院入っとんやね。
あんた自動車のために、一万円なら一万円貯金しといて買うやろ。走って回る(大爆笑)。
走ってな、ずっと走ってる。地震やら大火事のときポーンと走ってまうで。」

「はー、・・やった」
「いや、かめへんで、強制してへんけど、あなたが幸せになるんやったら、私はそんなことせえへん。買わんのやったら最初から買わへん。

買うんやったね、あんた長年の間、自動車買うて、人類光明化のために自動車やったら雨にも濡れへんし、走り回って思う存分できるからいうて、あんたが自動車買うて、ちょうど高校生、中学生乗せて選挙運動からなにからしたやろ。

ほんなら今度ね、結婚する相手が見つかったときに、その兄さんがですね、「嘉納君、お互いに、島根県と鹿児島県が夫婦になるんだから、結納ももらわいでよろしいとね。何にももらわんでいいから、指輪いっぽんで結婚しなさいと。

いるもんは二人で貯金集めて、二人揃うて結婚してから買いなさいと、こういうことなんよね。それ結納いうたってね、このごろやっぱり一人前の顔しよう思うたら二十万もってこんならん。ほんならあんた十四万か五万で買うてね、
人乗せなかったけど、自動車はとっくに売るそうやないか言うとん。結納いらんことによってね。やっぱりただと違うやろ、お嫁さんもらうときに喜んで。

そしてそれもそうしゃ、ハクボクじゃ言うたらね、高こつくしするから言うんで、結局仲人も私、神主も私で、返してもろうてへん。いろいろ、黒い袴に白い着物着て、そして祝詞誦げというて。そして最低で終わるようにしてね。
結婚式もそいで、郷の方から歩いてこられて、親たちも泣いて喜んでくださるし、こんな素晴らしい結婚式していただいて。
生長の家の結婚式はね、祝詞のすんだあとでね、「汝ら天地一切のものと和解せよ」、の和解の神示を読むんでね、両方の親戚の人、そしてしまう。

でね両方がね、おじさんからおばさんからみんな喜ばれてね、こいで出発したんでしょ。そしたらね、新婚旅行の間に妊娠しとったんやね(笑)。「作ろう思わん」(爆笑)。

ところがね、それをね、言われたもんやからね、「あのな嘉納君、あんたが考え直すいうんなら教えてあげるけど、今あんたアパート借りてね、そして十万の敷金と六千円の家賃でもってあんた生活しとるんだろ。

もう直にね、あんた社宅が当たるんだろ。社宅に当たったら、そしたら二千円か千五百円になる。そしたらそこに四千円の差ができてくる。この四千円を積立貯金に永久にかけるん。これが家のお金やねん。そしたら突っ走られるやない。

「ありがとうございます。ようわかりました。僕早速車買います。」言うて、四月の三十日に車買うて。五月の一日に私の車に初下し乗って、講演に行って、そいで送り迎えして、一緒におって。

それが今度の選挙のためにどのくらい役立ったやろか、新車やから。選挙のためにどのくらい役に立ったやろか。そしたらそのお嫁さんにね、お嫁さんが、気が付いたからって二へんも往復するんかって、そんな夜中に来てくれへんやろ(笑)。

「先生のいう通りにしとったらほんま楽や」。いうんやね。つくづく思うたと。いっぺん連れていったけど、明日のお昼頃や言われたから、連れて帰ってきたけれども、まだ「お腹痛い」よりは、二時ころに連れて行ったけど、そら夜中にあらへんのに買いに走ったり。

ところが自分の車やから、しかも新車やから故障もおこらへんし、経費も安いし、もうね四月の三十日に買うて、五月の一日に乗せてもらって、そしたらね八月のね、何日かに社宅が当たった。家賃なんぼや、言うたら八百円。家賃八百円。(会場「へえ」の声)

そしたら六千円のとこから八百円やから、五千二百円貯金ができてる。ねえ、そしたら今度お風呂が付いてる。せやからね、結局蒔かん種は生えんでね、そう思って蒔いて蒔いて、でも高校生が練成する言うたって、あの子の車がどのくらい役に立ってるか。

その骨折り賃もガソリン代も神さん、ちゃーんと支払ってくれてるんやないの。ねえ、ちゃーんと支払ろうてくれてる。目に見えんとこで、家賃が五千二百円ちがう。そいで今度また大津アパートの方行ったら、も少ないしいいところでね、お風呂もついてるし素晴らしいですよ。

今度は自動車があるからね、今度アルバイトに、時間がようけあるからね、アルバイトに東芝の電気のなんかしらん、集金とかサービスカーなんかに行くことにしたんやいうてね。お嫁さんも子供連れてるから、働かさんと。自動車があるおかげで、そういうこともできるでしょう。

でちょこっとやってくるでしょう。でやってきたんつかまえては、どっか送ってもろたら家賃の分だけが私貯金しといてやるん、みんな。そんなら知らんところで、一万円くらい貯まってますでしょ。だからねえ、考えずにねえ、ちょっとの考えで目先の勘定ばっかりして、後のこと勘定せんと法則知らんと、だんだん、だんだん沈んでいく。
腹の痛い嫁さんを単車にも乗せられへんし、退院する言うても、単車にも乗せられへんのにね。

その時お嫁さんが、いっぺん行って戻ってきたときに、しみじみ思た言うんよね。「やっぱ車買うといてよかったよ。」「そんなこと言わんと、単車に乗って歩きゃよかったのに。」(笑)。
始末が始末にならへんのですよね。そんなみみちい、蚤の金玉ヤツワリみたいなことせんよ、みたいなこと言いよったんや。(会場騒然、キャッハッハの声)

わたし、あれが一番かなわんのんや。(また“蚤の金玉”で会場盛り上がり)
そんな四角四面な人と考えなくってもね、整然と生活していたらね、神様がいいようにしてくださる。
(会場は一気に砕けてお祭り状態。録音聞き取り困難)




第8回 (2908)
日時:2016年07月19日 (火) 18時22分
名前:相模の龍


私ら、よりよく楽しむためにね、そして霊界に行ってからでもね、ほんとに大勢の人を救わないかん。霊界から“霊引き”で。
そやからこの世で、おおそれ磨いとかなかったらねえ、霊界行って、人のお世話になるようなこっちゃかなわんでね。霊界行ったら、私はもう特等席の蓮の背の豪華なところに悠揚と座ってね、そしてコブン堂の・・先着順で取っといてあるんや(笑)。
そんなにね、蓮の・・があるそうやで。(爆笑)
あんまりケチケチしとったら(大爆笑)。そんなこまい・・大きな花びらんとこ、行かんならんさかいに、そんなケチケチしたこと、言わへんのや。

そやけど、ケチなようなことを言うようなこともあるんです。それはね、どういうことか言うたら、水道の水出しっぱなしでジャージャー、手を洗うのにびちゃびちゃ飛ばして、ちょっとくらい、手洗うのにビチャビチャビチャビチャ飛ばしたらね「コラー、自分の金やない思うて、ようけ水使いやがって。」こういう言い方するんやね。

それはね、親の恩は忘れても水の恩は忘られんちゅうことや。だから大事にせにゃいかん。それを洗面器を出てから、ここにも飛ばへんし、どこかへも飛ばへんし、水も、あと打ち水にでもなんでも使えるでしょ。ケチやなしに、物を生かすということですね。

生かすいうことせなかったら、自分が生きられない。
この文章のさっき読んだとこにね、「他を生かせば自分が生きる」と書いてありますよ。他とは自分以外のものを他、自分以外のものを生かすんやね、木でも水でもなんでも。そうするとはじめて自分が生きてくる。「動」「反動」の法則。自分がこっちを生かしてると、その生きてる力がこっち来て、これが往復こうなっているからね。

私はうちの嫁さんなんかに一番最初に、水と火とを大切に使うことを教育するわけですけどね、それを毎日ね、「ほれ、茶瓶よろこんどるで、茶瓶よろこんどるで」そう言うてもって。そんであんた茶瓶の、くらくらひっくり返って、火花カチカチいうとるの、知らん顔して作業ようしとるから「テル代さん茶瓶よろこんどるで」言うとね、あっ、思うて気が付いて、それを毎日毎日毎日言うのやね。

三度三度もミタサン言うのや。そしたらね二年、一年七か月か、ぐらい経ったときにね、朝・・拭きようのね。「茶瓶よろこんどるで」言うたらすっとこっち来ん。

そしたらその後ね、嫁がね「いや私の親はね、二十二まで、生まれて育ててもらったけど、こんなことひとっつも教えてくれなかった。」やっぱり私んとこきてね、親がこんなこと教えてくれとったら、わたしここ来てこんな苦労せえへんよ。

やっぱり、ここのお母さん日本一親切な人や。返事もせえへん、覚えもせえへんのに、一年何ヶ月毎日毎日こんなして注意してくれてるうちのお母さん、なかなか親切やあ」思ったって。その思ったその教えにね、一年半か七か月か、教えてもらったこと一日でわかったと。それまですぐ忘れよった、いつの間にか忘れんようになった。

私がご飯たべよるとき「おかあさん、いいこと教えてあげようか?」「おー、教えてくれ、なに?」「そんなな、おかあさん『またふくれやがって、ぼそぼそサンドブクロに・・詰めたみたいな顔しやがって』みたいに言いよったでしょ? 

「私が、こんなババんとこ来なんだらよかった、思いはっとるやろ」言うたら「いえ思っていませんて私言いよったけど、ほんまは思いよったんや」(大笑)。
「だけど今になったらね、ようここにもろうてもろたこっちゃ思うわ。かあさんそれちょっとちがうで、ほんまやで。」(田中講師おどけて)ヒョオーヒョオー(笑)。

そんなにね、水大事にしなさい、火大事にしなさい。火と水いうもんはね、谷口先生のこの金婆羅華の神想観でもね、「火よ水よ 暖かみよ 冷たさよ ありがとうございます」てね、「天地一切のすべてのもの、みな神の現れであると。私たちは、力で火も水もでやしません。それをね、火ぐらい水ぐらいと思とったらね、それが全部自分の貧乏製造。

いま一年くらいすると、だいぶね、水を生かすことが分かってくる。そいでまあきれいな水がね、よぶんなものはみんな雑巾バケツにとってね、そして・・使えるものは使うというふうになってきますけどね、初めのあいだ、いらん水ジャージャージャージャー使って。

お隣の今井さんところはね、親子五人の生活やった。いま四人やけどね。で当番でね、水道の集金に回ってきなさる。わたしとこは毎晩もろうた。毎晩どころじゃない朝も。そいで向こう、今井さんとこはお風呂がない。

そいで今井さんとこの水道代が千なんぼ。うちのは七百なんぼ。そうするとあんたとこの水道機械・・しとるのと違うか言うて「なんで」言うたら「でもあんたとこ風呂あるんやろ」言うから「ある」言う。

「私とこお風呂もないのにね、なんでこんなに千なんぼもあるんや」「そんなこと知るかいな(笑)」
「そんな・・とこの水道機械、値切っとるんや」言うて(笑)

「そんな十年も値切りっぱなしで、いいんかいな」言うて(笑)
ほんまにそう思いますよ。ちょっとそれ言うと、みんなにそれやかましゅう言うでしょう。そしたらね、ガス代全部ね、私ね、ものすごくケチなところあるんですよ。

お米二升量って、二升炊こう思ってこう量るでしょう。そしてバケツからチョイっとひとつかみつかんで、ビンの中にぽいっと入れるんやね、あの海苔のビンの中に。そいでそのまんま洗ってご飯にする。三度炊いたら三度目はこれやるのね。
そうするとね、一年間に七人分の家族で三人ぐらい、でますわ、米を。

ウソや思たらやってごらん。いまはそういうわけいかんかもしれんけど、昔の所帯やったら年末に○○の米浮いてきたらね、三人の子供に一枚ずつ・・。
そいで主人に言わんと、だまって子供にオーバー毎年12月に買うんや。残したやつは、これからは、ひとつかみこっちへのけても、のけんでも、みんな食べられますんやね。

そやからその、そういうこと私ね、何十年とやり続けてきた、このごろ、しいしませんけど。それを皆にしてもらおう思うけど頭痛なるからもうしないけど、私がやってる間はずっとそれを続けてきました。

それを続けてもね、こっち、のけた分は古くなってきたらね、今度さらの米が来た時にこれとこれと移し替えんならん。それまた三回に移し、これがまめでなかったらできしませんのやね。

・・ように年末まで貯めとってん。いっつもさらのんが残ってるようにね。そいで今度お米もってきてもらおう思う時には、こっちに一応のいといた、さらの持ってきてもらわんと、貯金しとくんやね。
そいういうふうにして、年末に三人の子供のオーバーが、いっつも米代で足りる。いやーお金なんて、なんぼでもどないしてでも、できるもんやなと思うて。

ま、そういうことから仏壇のとこへ箱おいといて、三度の・・さんあげたら十円、いっつも十円入れといてね。それがね、わたしやったら、数ようしてあげるからね、一か月に八千なんぼ。ようけ数あげるから。そしたらね、たまには五十円も入ってる時もある。たまにはめんどくそうて、十円がなかったら百円入れるときもある。

だから八千円か九千円必ず入ってますねん、毎月。
それはそれで別に積み立てといて。こういうふうにしといたら、神戸の教化部建てましょ言われてもね、五万でも十万でもね、ハイッと出せますねん。

それ、当てにしてない金、使うた金やね。お賽銭した金やからね。そいでそっちにいかさんと、大きなタナガキもね、東京の本部が建つときも、私ひとっとも腹痛めんとね、財布痛めんと、みんなそのお金でさしてもろた。

お墓の五十二万もそれ、お仏壇の三十五万もそれ。みんなそれですのんやで。
そやからね、それをお話しして、皆さん真似してくださる方と、ええ話やな、いうて終わる人と、そんなケチなことせんかて貯金出してしまえばいい人と、三通りある。

金持ちと違う。人間の力持ってるけど、金のなる木は持ってない。だからね、毎日こつこつこつこついくってのはね、なぜか言うたらね、わたしら疲れた、いうちゃ昼寝するときもある。夜もぐっすり寝るけども、神さん一秒間も休んでないんやのにと思うとね、もったいのうて、信心することくらい休まれしませんのや。



感動の大泣き (2929)
日時:2016年07月20日 (水) 10時47分
名前:相模の龍

田中先生が、大泣き。
感動して、おかしゅうて、最終回です。


そのもう、泣くんですよいつでも。いやあ神さん寝てない。私ら寒かったらね、“コタツ寝”するけど、神さんコタツ寝してない。
雨が降ったってな、ほんま神さん屋根もないのに思いよったらわたし泣けてくる。もうすべてね、あのお地蔵さんなんかね、あの・・前からね、岩のてっぺんにね、あの一番のお地蔵さんが、お大師さんが、こないしていらっしゃる。

床の間に座って般若心経とね、観音経と一生懸命唱えよったら、わたしね、うわーって泣いたやね。そしたら二十何人ぜんぶう、“おおー”言うて泣いてしもうた。

「なんであんたら、泣いたん」言うた、セミが鳴いたみたいや(笑)。

真剣に考え、ああ、お大師さん有難うございます。雨降り日照り、岸壁に立って衆生済度のためにね、“コタツ寝”せんと毛布も着んと、信用してくれてる思うたらね、なにしても涙こぼれてくる。もったいない。これ石や、思うから皆さんどないもないんやけど、お性根が入っとるですよ、お性根が。石も拝んだら、性根も入りますわね。

ああもったいない、私ら好きなこと言うとるけど、もったいない。ねえ、日本の国のために人類のために、こないして雨降り日照り昼夜指導してくださる思うたらね。それが証拠に・・こと思うてごらん、信用してもらって。
そいでそれがもったいのうて、私が「わーっ」と泣いたら全部が「わーッ」と泣いた。それ済んでから「あんたらなんで泣いた」「なんでや知らんけども、クセで泣いた。」(「なんかわからんけど伝わるんやね」の声)
そう、そう、そう。そういうこと真剣に考えたらね、自分の感情をぐらぐら動かすでしょ。そしたらね、潜在意識の中に恩恵というものが、ちゃーんと入ってます。ただね、恩を忘れていませんね。絶えず・・からね。
生長の家入ってから、参ってからですよ、生長の家入るまでは、小豆島はそんなこと感じなかった。生長の家入ってから二回泣いた。

小豆島回っているときにね、あれ六十何番の前にね、軍人墓地がある。軍人さんばっかりのね、墓がある。
ここにね、地蔵さんがようけある。その地蔵さんがね、・・先が、くれっと、こっち曲がっとるのもあるし・・のもあるし、手が取れとるのもあるし、首が落ちそうのもある。

そこをね、マカハンニャハラミタシンギョウ カンジザイボサツ キキ感念をもって、こう回るんやね。回とったらさ、私おかしなってきたんですよ。こいつ、いつへたばって、ケラケラケラケラ、もう笑いが止まらへんの。

みんながもう般若心経止めてしもうて「どないした、どないした」言うけれども説明でけへんの、もうおかしゅうて、おかしゅうて・・たたいて笑うた。そいでもう、笑いが止まってからね、「あんたなんで・・みたいに笑ろたん。」言うてやからね。

「あんた、この地蔵さん、ふと見てみい」と。「私たちの信仰、いかにアホみたいに信仰してるか、ね。首が取れても、己の首修理なさらん地蔵さんの前座って、どうぞ直してくれやす(笑)。

ねえ、人の目の前置くくらいやったら・・やがな(笑)。首は取れても、胴はこっちにも回してこっちにも回してないような、・・さんの前ね、私の目、治しておくれ、この病気治しておくれ。」あまりにも頼りない思うたら、私もうおかしゅうておかしゅうて、笑いが止まらへんのやいうたら、みんなもまた説明聞いてから笑い出した。もう涙こぼして笑うたんですよね。

しかしね、お地蔵さんやらお大師さんやらの姿を、バカにしとるのと違うんですよ。それはね、私たちの信仰の角度が間違ごうてるというよ。

首のとれたお地蔵さまでもね、ヒラカミの信心からやから、ハンシンはっといて、そこでマカハンニャ言うとっても、そこに後光が射してくる。結局、おのれっちゅうことを忘れてね、相手からお金もらおう思うてナムダイセンギョウコウゴウナムダイジン 〜〜 やっとやん。なにナムダイシや。オモリ・・しといたら良かったね。

こらほんとにね、対象物がないと、たとえ便所の外でこんなことして拝んどったて、ありがとうないのと同じように、たとい首が飛んでいようとも、ここに地蔵菩薩がいらっしゃったとこで般若心経唱えたらね、自分の心が仏の前、菩薩の前だと思う心が、自分を引き出してくるんやからね、なんと言うたってね、人は・・踏みしめて小豆島回るんやということやね。

それからみな喜んでしまってね、「あんた急に素晴らしいこと言いだした」って。そらウチ生長の家入っとった、生命の實相読んでから参ったん。生命の實相読む前に参っとたときには、私は、この首の飛んだ地蔵さんでも・・思うてやりよった。それをやっとったから、今度参ったときに、自分が滑稽になってきたんですけどね。

結局、わたしたちは相手が何様でありましょうとも、結局自分なんですよね。自分というものが世界であってね。よくこないだからも電話かかってきたり、今日も見えとったようですけどね、いや誰やしらんに、名前が悪いとかどうとか、おっしゃるけれどもね、結局わたしは名前、姓名学の大家やから、名前くらいよう変えてあげるけどもね。

甘露の法雨、誦げ続けられないような人の名前変えたって、名前が使えるはずがない。使いおおせなかったらね、イッセキあげんのやからね。絶対に名前変えたら、使いおおせるんだったら、甘露の法雨も、毎日誦げられるはずや。

わたしらね、タサキの時にね、私の旧姓、本名きらいになって、二十歳の時、前から嫌いやったけど二十歳の時思い切って、そのハンということの付けられん名前ね、仮にエミやったらエミさんと言うでしょ。

あばずれみたいな感じするでしょ、エミさんとかライさんとか。急に、なんだら言われん名前つけてやれ、思うてヒサコ。ヒサさん言うたら言い難いやろ。そいでヒサちゃん言わなしょうがないでしょう。そいで久子に変えた。
絶対それから旧姓で手紙きたら、郵便の下がわを50銭銀貨でグーとこすって中身だけ見といて、また糊そろって貼っといてね、そこに付箋つけといてね、送り返しとった。そいで挨拶状が行ってるんよ。「このたび、いささか感ずるところがありまして、名前を久子に変えましたから、今後お手紙くださるときには久子を願います。」

挨拶状を出してあるにもかかわらず、旧姓で来たらね、受取人不明。おらんよ、そういうの。そんなにしてね、二十歳から五十まで使いました。そしてそれで商売して、それで生命保険も入ってね、そいで全部、ま、手紙も税金の受け取りも、全部田中久子なんです。

でもあのー、米穀通帳でもね、旧姓を変えたからね、通帳、久子、大きく書いとく。徹底的に使ったの。そしてね、五十になったときに裁判所に申請書出した。名前変えてください。戸籍から変えてください。

「理由を持ってこい」おっしゃるからね、いろんなものもっていった。「これじゃ正確と違う。」とおっしゃるから「そんなら、くそっ思うて・・税金も・・領収書もろてた。」「はい、わかりました。」いうてその日に変わった。
そして戸籍まで久子になってる。このくらい、ゴンダクレのことせなんだら、運命なんて変わらしまへんで。今まで悪かったもんがね、・・・・
(ここでテープ終了)



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あとがき

たくさんの方から反響をいただき、有難うございました。
私は以前、谷口雅春先生の最終講話を同じようにテープ起こしし、この掲示板に投稿いたしました。
これも拝借したものでした。

いずれもカセットテープから一度CDに移し、それを文字化したものです。
終了しましたらCDならびに文字データ(ワード)をつけて拝借したご本人にお返ししています。

皆さん方の中で、未公開のカセットテープ(またはCD)をお持ちの方がありましたら、拝借できませんか?
光明化運動の一助にいたしましょう。
なごみ様 北尾巳代次先生のカセットなど、おもちじゃありませんか?

音源が悪いものでも今回と同じような、略式で作業いたします。
当方への連絡は、スレッドの最初にメールアドレスを表示しています。




合掌 有難うございます。






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