《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《いい話のお裾分け》「没後50年 河井寛次郎展」に『生命の實相』が展示されるそうです! (2639)
日時:2016年07月06日 (水) 11時11分
名前:破邪顕正


私事で恐縮ですが、河井寛次郎の大ファンです。

その遺した言葉に、とても感銘を覚えていたからです。

いくつかご紹介します。


《花を見ている。花も見ている》


《鳥が選んだ枝、枝が待っていた鳥》


《飛ぶ鳥とめる 絵にしてとめる

あの音とめる 譜にしてとめる

思い(いのち)をとめる 形にしてとめる》


《私はどんなものの中にもいる。

こんなものの中にもいたのか。あんなものの中にもいたのか。

この世は自分を探しに来たところ。この世は自分を見に来たところ》


《私は私を形でしゃべる。

土でしゃべる。

火でしゃべる。

木や石や鉄などでもしゃべる》


《私は木の中にいる石の中にいる、鉄の中や真鍮の中にもいる、人の中にもいる。

一度も見た事のない私が沢山いる。

始終こんな私は出してくれとせがむ。

私はそれを掘り出したい。

出してやりたい。

私は今自分で作ろうが人が作ろうがそんな事はどうでもよい。

新しかろうが古かろうが西で出来たものでも東で出来たものでも、

そんな事はどうでもよい、

すきなものの中には必ず私はいる。

私は習慣から身をねじる、未だ見ぬ私が見たいから。》



《どうしてこんなに ものが美しいのだ 人間万歳》


《この世 このまま大調和》


以前から、河井寛次郎の言葉の世界に、谷口雅春先生の教えを感じないではいられませんでした。

そして、とうとう、それが事実であったことを確認することができました。

やはり、河井寛次郎は『生命の實相』を愛読していたのです!

河井寛次郎に影響を与えた本ということで、没後50年展で、『生命の實相』が展示されるという話が入ってきました。

谷口雅春先生の偉大さを多くの人が知るきっかけになることを心から願っています。




「谷口雅春先生を見ている、谷口雅春先生も見ている」 (2664)
日時:2016年07月07日 (木) 16時02分
名前:破邪顕正


「谷口雅春先生を学ぶ会」の中心生命は、河井寛次郎の言葉を借りれば、この表題の言葉に尽きるように思います。

『白鳩』誌・昭和40年8月号所収の「十日の箴言 情熱と行動の必要」に、このようなご文章があります。


《どんな立派な邸宅に、その人が住んでいようとも毎日その美しい邸(やしき)の床の間に坐らされていたならば、飽きて来て、その邸宅から出て何処かへ行きたくなるに違いないのである。…

生長の家がどんな立派な宗教であっても、ただ坐って聖典聖経を読誦し、神想観を修して瞑想しておれというだけだったら、飽きて来て生長の家を出て、もっと低級な宗教であっても行動的な団体運動をしている宗教に参加したくなるかも知れないのである。…

その宗教が行動化して伝道や、救済事業や、政界の浄化などの問題などに具体的に動き出して来たとき、宗教の静的修養が動的救済運動に変って、そこに休眠火山が活火山になるように、活気と情熱とが湧いて来るのである。

情熱のない宗教は活きた宗教ではないのである。多くの既成宗教が眠ったようになっているのは伝道と救済の情熱と行動とを失っているからなのである。》


信仰には、やはり、情熱と行動とが伴わないといけないのですね。

このお言葉を肝に銘じて大いに精進していきたいと思います。





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