《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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N生に答える (1956)
日時:2016年06月12日 (日) 02時07分
名前:先生のお言葉を預かりましたので、ここに謹んで、掲示いたします。

今私は天界にいて世界の行く末を、日本の行く末を、そして生長の家を見守っている。私は聴いたのである。心から私を愛してやまない、私のためには命を投げ出すことをもいとわないN生の悲痛な叫びを。N生は、行動力がある男である。しかし、必ずしも文章で思いを十全に表現することが出来ない。N生はそれをもどかしく思いながらも、現状の生長の家の動きを見て矢も楯もたまらず叫びを挙げようとしている。併し筆がかなわず心は掻き乱され、思いは千々に揺れている。N生の私を思う熱き心に答え、S生を通じて私の考えを改めて伝えることにする。この言葉はS生の筆を通して語られる。これが私のものであるかどうかは、言葉の響きをもって判断されよ。かつて私が地上で文章を書き連ねていた時に伝えたことがあるであろう。或る言葉が、神の啓示か、はたまた、高級霊の伝言か、迷いの霊の言葉であるか、最終的には、その内容と響き―私は神韻といった―で判断せよと。私は昭和60年6月17日に世を去った。それ以降に世の中で起こっていることについて地上の言葉で述べることはできない。このため、生長の家の信仰熱き者も、判断に迷うことが多くなった。その挙句の果て、ついにこのたびの生長の家の方針なるものが発表され、古き信徒を含め右往左往している。私の教えを正しく捉えていても、問題点を指摘し反論をうまく表現できないものは悲痛な叫びをあげている。天界にいる私には、皆の悲痛な叫びが聞こえてくる。
私が起こした生長の家は、生前繰返しているように、何も目新しいことを述べているのではない。釈迦が、キリストが、弘法大師が、親鸞が、エマーソンが語った真理を、現代人が解るように説き直しただけである。だから私を教祖とは呼ばせず、ラッパだと言い続けてある。しかし、私はこうも言っている。私は心よりキリストを信ずるものである。キリストの精神を体得したものである。霊感によって書かれた書物は、霊感を通してのみ理解しうると。私の書物は、私が霊感で読み解いた聖書のように読み解きにくい書物ではない。にもかかわらず、生長の家の信徒と云いながら、私が驚くような解釈がなされている。私の浩澣な書物を十全に読み解けばそのようなことは起らないはずである。しかし、時は流れ人は易きに就くようになった。私の書物をつまみ食いして自分の都合のよいように後付けの解釈をするものが後を絶たない始末である。そこで私はN生の悲痛な叫び、N生の叫びを現界で受け途方に暮れているS生の呼び声に答え、ここに再度私の言葉を伝えることにする。心に眼ある者は見るべし、心に耳ある者は聴くべし。
私は、生命の實相、人生問答篇で示したが、生長の家の教えは何も目新しいものではない。私が幾十万という書物を三十年読み解き、そのエッセンスを書いたものであると。その心は、人間には神が宿っており、いやしくも古今の名著と云われるものには、神の真理が宿っていること、それであればこそ、時を紡いで読み継がれているのであると。従って、私の教えは何も神懸りにならなければわからないとか、現象は神懸りにならなければわからないとかいうものではないのである。私が教えを伝えひろめる中で、度々繰り返した言葉があるであろう。それは、聖書に出てくる、「樹の善悪はその果実を見て知れ」と云うコトバである。物事の判断をする時に、事実がどうであるかを吾々はよく見なければならないということである。私は早稲田大学で英文学を学ぶことを通していろいろ教えられた。それが後の生長の家の教えとして大きく花開く基になったと説いたであろう。「神ハ愛也」の冊子にもその事は示してある。その中でも大きな影響を与えたのが、ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズムの教えである。何を言っているかではなく、言われたことで何が起っているか、その起っていることから言われたことが正しいかどうか判断せよという教えである。だからこそ、私はあれほど体験談を重視したのである。
今の国際関係を見るがよい。かつて神示で示したことがあろう。国際連盟は中心がないから、いくらいつまで論争(ことあげ)してみたところで善きことは生れぬと。そして中心とは何かについて私は詳しく説いてきた。今の世界もその時と何も変わっていない。
先般開かれた伊勢サミットで、安倍首相は、改めてアジア地域での国際法順守を説いた。各国首脳もそれに賛意を示した。その結果何が起ったか。一昨日6月9日、中国の軍艦により尖閣海域で示威行動がとられた。かつロシアの艦艇を追尾中の出来事である。
アメリカの中国問題の第一人者マイケル・ピルズベリーはその著書China2049でこういっている。アメリカは、西欧諸国は、中国の甘言に騙され続けてきたと。いまこそ、世界覇権を目指す中国の甘言から目が覚めねばならないと。その著書の推薦文で、元CIA長官は、親中派のひとりだった著者が、中国の軍事戦略研究の第一人者となり、親中派と袂を分かち、世界の覇権を目指す中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすようになるまでの驚くべき記録であると書いている。恐らくこの書で目覚めたアメリカは、中国海軍の行動に対し即座に日本は同盟国であると宣言したと今日11日の新聞は報じている。改めて伝える。現在は「冷戦終結後」の時代ではない。冷戦が終結したように見えたのは、米ソの冷戦が一旦終結したのであって、その裏では100年計画で世界覇権を目指す中国の戦略が進行している。冷戦など終っていない。唯物論にとらわれた国家はせめぎ合いを続けているのである。かのピルズベリーによれば、お人好しな米国人もついにその事実に気付いたのである。EUを巡りイギリスが独立を目指す中で、ドイツがヨーロッパの覇権を目指す動きをしているのも同じことである。国際情勢は何も変わっていないのである。すべての国が生長の家の説く物質無の真理に目覚めるまでは状況は変わらない。生長の家の使命は大なのである。
かつて私は説いたであろう。なぜソ連がこの日本の国を狙うのかと。それは、かつて日本は東海姫氏の国と云われたように、資源豊か、人材優秀、工業力優秀、まさに素晴らしい乙女のような国であるからであるからと。このうるわしき乙女を自己のものにせんと、淡々と狙っているのであると。うるわしき乙女日本を護るには、米国との安全保障条約が欠かせないと。私は、実相世界は神の国で大調和しているが、此の世は光と闇が交錯している世界であると説いてきた。闇に対しては光をもって相対せよと教えているが、その光とは、必ずしも甘いだけの対応ではない。生命の實相道場篇で、道場破りともいうべき青年との対話を思い出すがよい。私はコトバで説き伏せた。殴りかかろうとする青年の心が痛いのだと。併し、わたしの高弟の野村義隆元陸軍大佐は、殴られる前に即座に殴り返し、自ら痛みを知れと云うコトバを返した。そして私は書いたはずである。それぞれに個性が出ていてよいのであると。野村氏のやり方が間違っているとは一言も言っていない。個人の対応でもこうである。まして国家と国家の対応は言わずもがなである。
諸君は思い出すがよい、60年安保の時を。あの時マスコミは何といったか、世の学者は何といったか。安保を締結すればとんでもないことになる。日本は軍国主義に舞い戻ると。その時、敢然と方針を貫いたのは時の首相岸信介氏であった。さすがの岸首相も、官邸、岸邸を取り巻く反対の群衆で心が折れそうになった。後日判ったことであるが、その時私が聖使命新聞に書いた安保条約に賛成するとの言葉に、百万の味方を得た思いがして安保締結を貫徹することが出来たとのことであった。これこそ真理の燈台たる生長の家なのである。
わたしは自伝の中でこう云うエピソードを残したであろう。中学時代の先生で大男だが気迫のない先生がタコとはやし立てられ顔を赤くして学生に嘗められている一方で、小男ながら気迫のある先生には、先生より大きい学生が叩かれても首をうなだれて従っていると。そして、人間関係で重要なのは気迫であると。ましては国家の関係に於いてをやである。
ある人は云うであろう。対米従属は駄目なのだと。それはその通りである。しかし、神の言葉を思い出すがよい。神の国は必ず実現する。しかし、その時が何時かは誰もわからぬと。神は絶対であり時空を超越している。併し現世は映画のフィルムがスクリーンに展開する世界である。現世は因果律の法則に沿って展開されねばならぬ。神とは超次元、異次元の存在ではないとあれほど言って聞かせたであろう。諸君が良心の判断に従って行動すること、それが神のコトバに従うことである。現世は過去の因果を解きほどく中で展開する。今の世も人類の迷い罪が解きほどかれる流れのなかにある。因果の法則、現世の法則を見極めねばならぬ
先の大戦は、大東亜戦争の名が示すとおりである。戦争目的は立場によっていかようにでも言える。大事なのは、樹の善悪は果実を見て知れ、の精神である。大東亜戦争の結果何が起ったか、それを見れば、あの戦争の意義は一目瞭然である。大東亜戦争の結果、アジア、アフリカの民が独立したのである。戦前戦後の世界地図を見比べれば、赤子にでもわかる理屈である。一切の言挙げは不要である。神示で示したように、戦争は迷いと迷いが打ち合って消える過程である。戦争である以上悲惨な事、行き過ぎたことが起こるのは当然である。迷いはないに越したことはない。しかし、現象を見れば迷いはあるのである。心が変らぬ限り、人が生き物を殺すことを止めぬ限り、その業の自壊作用として戦争は起こるのである。併し、間違えてはいけない。迷いは現れているのであって、根本的にあるのではない。さればこそ、消えて行くのである。しかし、手を拱いて消えるのを傍観せよと言ったことは一回もない。
真理青年篇での私の悲痛な叫びを思い出すがよい。誰か愛国の青年は出でざるかと。赤坂の学生道場等あらゆる手を尽くして真理宣布に行動する青年を育てんとしたのに、研究研究に没頭する学生か、自分の個人的信仰に閉じこもる青年しかいない。一方で、共産主義を信奉する青年は生命を賭した運動をしている。生命の実相を悟った青年が左翼の戦士に伍して世界平和を招来する思想を人類に広めよと悲痛な叫びを上げたのである。この叫びに起ち上がった青年が、火の玉となって活動したおかげで、紀元節が祝日となり、元号は法制化され、日の丸の国旗が実現し、天皇御在位50周年の式典も行われたのである。この動き無くして、東日本大震災での陛下によるお言葉があり得たであろうか。
生長の家が政治活動をする中で、思わず私は言ってしまったなかに、「生長の家の一つや二つつぶれてもいい。天皇国日本が残るのであれば」と云う言葉がある。あれほど言葉の力の大切さを唱え、大東亜戦争中に「海行かば」を歌うことは敗戦を招くことになるからと反対していた私がである。これは私の言葉ではない、神が言わせたのである。現実はその通りになった。当に神の予言だったのだ。生政連の運動は、窮極の目的である憲法復元、改正はならなかったが、日本国の象徴たる国旗日の丸は残り、紀元節も残った。諸君たちの働きは無駄になったのではない。大東亜戦争では、日本国が十字架にかかりアジア・アフリカの民は独立を勝ち取ったのである。特攻隊の英霊の死は無駄になったのではない。十字架のキリストであったのだ。生長の家も然りである。大東亜戦争で十字架にかかり死にかかった天皇国日本を救うために、今度は生長の家が殉死したのである。生政連の解散後の動きをめぐる中で、生長の家は確かに死んだのである。形の上で教団は残っている。しかし現世で生長の家を名乗る教団は、生長の家としては死んでいるのである。
考えて見るがよい。私は常々言っていたはずである。藤棚の家は生長の家発祥の記念となる家であるから永久に保存すべきであると。そして今長崎に保存されている。わが愛娘恵美子がわが愛する妻と一緒に吾が神殿生長の家神誌を郵便局まで運んだ乳母車が総本山に展示されているのもそのためである。
生長の家の今日の発展の基となったのは昭和9年に東京進出してからであるが、日本国の使命を受け大東亜戦争を戦うことで日本国は瀕死の状態になり、生長の家もGHQにより解体の危機に瀕した。その危機から立ち上がり、戦後の教勢拡大の原点となったのが原宿の本部建物であった。藤棚の家に相当する建物である。この建物は、信徒の献資のたまものであり、岸田日出刀東大教授と云う当時の第一人者である建築家の設計による歴史的な価値のある建造物でもある。その建物を壊すということは教えの心を損なうことである。さらに神殿たる生命の實相、その縮約たる甘露の法雨も閉じ込められてしまっている。生長の家はそこにはない。死んだのである。1昨年に生長の家の大神の化身たる住吉大神を祭神の一つに格下げしたのはその最後の象徴である。
でも、歎く必要はない。生命の實相第1巻はしがきにあらかじめ予言してあったことが実現しただけである。生長の家の本部は地上にはない、神界すなわち実相の世界にあるのである。すべては神の御心の展開である。何故かかる事が起るのか。諸君の奮起を促すためである。太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れずと云うコトバがあるであろう。眠れる信徒よ目覚めよ。
かのキリスト教の大発展は、イエス亡き後ローマ帝国の迫害を乗り越えた熱き信徒にあるのだ。仏教を見よ、御簾の奥、上座にしがみつく人々を振り払い大衆に向かって行った人々が大乗仏教を立てたのである。
諸君は改めて思い出されるがよい。なぜ私が晩年80を過ぎてから長崎の総本山を建立したかを。そしてそこに何が祭ってあるかを。私は立教当時、吾に神殿は不要である、神殿とは生命の實相であるという神示を伝えた。それがゆえに、それでも総本山を作るのは、鎮護国家のためであると伝えた。さればこそ、奉祭の対象は護国の神剣であるのである。生政連発足の際に申し上げたはずである。人間神の子を説く教えはほかにもある。現象は心の影と説く教えも他にある。それではなぜ、この時、この日本国に生長の家が生まれたのであるかと。生長の家の教えとは、真に世界平和を実現するためには、仏教でハチスに中心があると説くように、キリスト教で一つの御心が成っているのが天であると説くように、地上も中心が無ければ治まらないということである。その中心にふさわしい国は何か。それは中心がある国でなければならない。中心は変らないものでなければならない。世界で中心が変らない国はどこか。それは日本しかないのである。覇権による王権交代の国では世界は治まらないのである。天意を受けた御子が中心にあってしらしめす国であればこそ、丸く治まるのである。さればこそ、西欧の叡智アインシュタインも、伊勢神宮を参拝して理解したのである。神が闘争の世界を平和に導くために天皇国日本を残していたことを。そしてそれを神に感謝すると。伊勢神宮とはなんであるか。天照大神を祭るところである。天照大神とは、日本の大御親である。そして、天皇とは、天照大御神の御子孫である。そして吾等は大神の日子、であり、日女である。このことは伊勢神宮の大神の前で神想観をすれば誰でも感じることができるのである。この天皇を抱く日本が占領憲法下で危うくなっているから、今こそ住吉大神を直接仰いで日本国の実相顕現をせねばならぬと建立されたのが総本山である。この使命を実現をするのが生長の家の信徒の使命なのである。
天皇というのは何も日本の王と云うだけではない。万国の王である。神道の神だけではない。キリスト教の神でもある。生長の家の歴史、私が啓示をうけた経緯を顧みるがよい。私は、住吉大神、神功皇后を祭る、元住吉神社、生田神社にお参りする中で啓示受けた。啓示の発端は、キリストの流れを汲むニューソートのフェンウィック・ホルムスの本に巡り合ったことである。この本を読んで、不完全な現象は神の創造ではなく、心の現れであると教えられた。それによって、不完全な現象を見て神を否定していた私の迷いが覚めた。実相は完全、神の世界は完全という縦の真理と、現象は心の現れと云う横の真理がわかったのである。さらに、現象には実相そのものの現れである真象と、迷いの顕れである偽象があり、光を照らし闇の無を暴露して行くのが現象生活の使命と判ったのである。すべてはホルムスの本、ひいてはキリストの教えからである。
もともと私は大本教で聖書を読み込みキリスト再臨論で注目を浴びたが、ホルムスの本で啓示を受け真理の光で改めて聖書を読む中で、更に教えられたのである。聖書の最終章はヨハネの黙示録である。創世記のエロヒム神の創造で始まった完全な神の国が、エホバの神で善悪相対の世界となった。最後には再び神が降臨して新天新地が実現する。まさに、新天新地の神示にある通りである。新天新地を迎えるためには、王の王たるかたは、血に染まった衣をまとわれている。つまり血みどろの戦いをせられるということである。そのお方は、忠実また真、又の名を神の言、すなわちミコトと云われる方である。キリスト教の奥伝たる黙示録はキリスト教徒にとっても解読が難しい所である。神の啓示を受けた私が霊感で読み解いたのが、王の王は、天皇、スメラミコトということである。このことは、戦前の生命の實相にはハッキリ解いてある。古事記と日本国の世界的使命のはしがきで引用された私の言葉にあるように、戦後の生命の實相にはない。占領下の日本人を救い、日本国の復活をするために生命の實相の再刊を急ぐ中で割愛されたのである。このため多く信徒は知らないままでいる。しかし、今こそいう。私がなぜ、戦後すぐに、日本国の将来を憂い限りなく日本を愛すというような愛国の書を出したかを。割愛された部分を説くためである。教えに今も昔もない。生長の教えの本質は未来永劫不変である。そして、それは、仏教とも、キリスト教とも、矛盾しない。それは何か。世界には全て中心があること、原子に原子核があり、細胞に細胞核があり、雪の結晶に核があり、地球に核があり、太陽系に太陽があるのと同じである。この中心帰一がなければ世界は治まらぬのである。そして世界の中心になるのは、神勅に基づく天皇を中心に仰ぐ日本しかないのである。そして、それは黙示録にも予言され、さればこそアインシュタインも伊勢で実感したのである。このことを説くのが生政連発足の言葉で述べたように生長の家であるのである。
この教えを理解するものであれば、天皇を単なる象徴でかつ国民の総意に基づくというような不安な位置付けをする憲法が到底受け入れられるものでないことは判る筈である。さればこそ、憲法を改正すべし、さしあたっては明治憲法に復元すべしと私は説いたのである。冷戦が終わったから今の憲法に基づく天皇制のままでよいという議論が誤りであることは、冷戦が過ぎたという認識自体が誤りであることから言うまでもないが、それ以上に、天皇への中心帰一こそが生長の家の教えの核心であることを知らねばならないのである。これを明確にする為に憲法を改正せねばならないのである。幸いにも復刊された「久遠の實在」では中心に帰一する道という章で、中心をすめろぎとフリガナを振ってあり、その事が明確に説明してある。この章を、今の生命の實相の万教帰一篇、古典に現れたる宇宙構造の中心理念と読み比べて見れば、先ほどの古事記と日本国の世界的使命はしがきで説いた天皇と日本国に関することがどのように削除されたかを如実に感じることができるであろう。
今神界では日本国実相顕現の大きなうねりが起きている。今まで日本国を貶めていた暗黒思想を解き放つ動きが大きくなっている。生命の實相生活篇で、夜明け前が一番暗い、最後まで耐え忍べ、信仰成就には時間が必要であると説いたであろう。いよいよその動きが本格化するのである。その前には、闇がうごめくのである。キリストもサタンに誘惑された。生長の家教団が今の教えと唱えこれまでの私の教えを信奉するものを原理主義と唱える動きもそれである。人はさばくなと教えてあるが、妄説とは決して和解するなと教えてある。生長の家の教えは、天皇信仰である。日本の中心に天皇が座り、その日本が世界の中心になるとき世界に本当の平和が来るというのが根本の教えである。日本は真理国家であるが、真理国家に軍備が必要でないとは一言も言っていない。心の改善で戦争を起らせないようにするまでは、次善の策として力のバランスで日本を侵略不可能ならしめないといけない。軍備も安保も不要だという議論は現実には調和しない。人時処の三相応がなければ、どんな善も善とならないと説いてある。生長の家とは、蛇のように聡く鳩のように柔和であるところである。迷いの世界で戸締りをしないのは寧ろ迷い人を盗人に促す罪作りな行為である。
私の真の教えは、天皇国日本の実現である、之に邁進するものは、わたしの真の教えを継ぐものである。至嘱。ますます精進されんことを。

勝手ながら、ここに投稿された、「N生に答えるNEW (1956)」の文章が長くて、読み難いので、改行させて頂き、読み易くいたしました。お許し下さい (1961)
日時:2016年06月12日 (日) 10時42分
名前:コスモス

 N生に答えるNEW (1956)
 日時:2016年06月12日 (日) 02時07分
名前:先生のお言葉を預かりましたので、ここに謹んで、掲示いたします。


 今私は天界にいて世界の行く末を、日本の行く末を、そして生長の家を見守っている。私は聴いたのである。心から私を愛してやまない、私のためには命を投げ出すことをもいとわないN生の悲痛な叫びを。N生は、行動力がある男である。しかし、必ずしも文章で思いを十全に表現することが出来ない。N生はそれをもどかしく思いながらも、現状の生長の家の動きを見て矢も楯もたまらず叫びを挙げようとしている。

 併し筆がかなわず心は掻き乱され、思いは千々に揺れている。N生の私を思う熱き心に答え、S生を通じて私の考えを改めて伝えることにする。この言葉はS生の筆を通して語られる。これが私のものであるかどうかは、言葉の響きをもって判断されよ。

 かつて私が地上で文章を書き連ねていた時に伝えたことがあるであろう。或る言葉が、神の啓示か、はたまた、高級霊の伝言か、迷いの霊の言葉であるか、最終的には、その内容と響き―私は神韻といった―で判断せよと。

 私は昭和60年6月17日に世を去った。それ以降に世の中で起こっていることについて地上の言葉で述べることはできない。このため、生長の家の信仰熱き者も、判断に迷うことが多くなった。その挙句の果て、ついにこのたびの生長の家の方針なるものが発表され、古き信徒を含め右往左往している。

 私の教えを正しく捉えていても、問題点を指摘し反論をうまく表現できないものは悲痛な叫びをあげている。天界にいる私には、皆の悲痛な叫びが聞こえてくる。

 私が起こした生長の家は、生前繰返しているように、何も目新しいことを述べているのではない。釈迦が、キリストが、弘法大師が、親鸞が、エマーソンが語った真理を、現代人が解るように説き直しただけである。だから私を教祖とは呼ばせず、ラッパだと言い続けてある。

 しかし、私はこうも言っている。私は心よりキリストを信ずるものである。キリストの精神を体得したものである。霊感によって書かれた書物は、霊感を通してのみ理解しうると。私の書物は、私が霊感で読み解いた聖書のように読み解きにくい書物ではない。

 にもかかわらず、生長の家の信徒と云いながら、私が驚くような解釈がなされている。私の浩澣な書物を十全に読み解けばそのようなことは起らないはずである。

 しかし、時は流れ人は易きに就くようになった。私の書物をつまみ食いして自分の都合のよいように後付けの解釈をするものが後を絶たない始末である。そこで私はN生の悲痛な叫び、N生の叫びを現界で受け途方に暮れているS生の呼び声に答え、ここに再度私の言葉を伝えることにする。心に眼ある者は見るべし、心に耳ある者は聴くべし。

 私は、『生命の實相』、人生問答篇で示したが、生長の家の教えは何も目新しいものではない。私が幾十万という書物を三十年読み解き、そのエッセンスを書いたものであると。

 その心は、人間には神が宿っており、いやしくも古今の名著と云われるものには、神の真理が宿っていること、それであればこそ、時を紡いで読み継がれているのであると。従って、私の教えは何も神懸りにならなければわからないとか、現象は神懸りにならなければわからないとかいうものではないのである。

 私が教えを伝えひろめる中で、度々繰り返した言葉があるであろう。それは、聖書に出てくる、「樹の善悪はその果実を見て知れ」と云うコトバである。

 物事の判断をする時に、事実がどうであるかを吾々はよく見なければならないということである。私は早稲田大学で英文学を学ぶことを通していろいろ教えられた。それが後の生長の家の教えとして大きく花開く基になったと説いたであろう。「神ハ愛也」の冊子にもその事は示してある。

 その中でも大きな影響を与えたのが、ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズムの教えである。何を言っているかではなく、言われたことで何が起っているか、その起っていることから言われたことが正しいかどうか判断せよという教えである。だからこそ、私はあれほど体験談を重視したのである。

 今の国際関係を見るがよい。かつて神示で示したことがあろう。国際連盟は中心がないから、いくらいつまで論争(ことあげ)してみたところで善きことは生れぬと。そして中心とは何かについて私は詳しく説いてきた。今の世界もその時と何も変わっていない。

 先般開かれた伊勢サミットで、安倍首相は、改めてアジア地域での国際法順守を説いた。各国首脳もそれに賛意を示した。その結果何が起ったか。一昨日6月9日、中国の軍艦により尖閣海域で示威行動がとられた。かつロシアの艦艇を追尾中の出来事である。

 アメリカの中国問題の第一人者マイケル・ピルズベリーはその著書China2049でこういっている。アメリカは、西欧諸国は、中国の甘言に騙され続けてきたと。いまこそ、世界覇権を目指す中国の甘言から目が覚めねばならないと。

 その著書の推薦文で、元CIA長官は、親中派のひとりだった著者が、中国の軍事戦略研究の第一人者となり、親中派と袂を分かち、世界の覇権を目指す中国の長期的戦略に警鐘を鳴らすようになるまでの驚くべき記録であると書いている。

 恐らくこの書で目覚めたアメリカは、中国海軍の行動に対し即座に日本は同盟国であると宣言したと今日11日の新聞は報じている。改めて伝える。現在は「冷戦終結後」の時代ではない。

 冷戦が終結したように見えたのは、米ソの冷戦が一旦終結したのであって、その裏では100年計画で世界覇権を目指す中国の戦略が進行している。冷戦など終っていない。唯物論にとらわれた国家はせめぎ合いを続けているのである。

 かのピルズベリーによれば、お人好しな米国人もついにその事実に気付いたのである。EUを巡りイギリスが独立を目指す中で、ドイツがヨーロッパの覇権を目指す動きをしているのも同じことである。国際情勢は何も変わっていないのである。

 すべての国が生長の家の説く物質無の真理に目覚めるまでは状況は変わらない。生長の家の使命は大なのである。

 かつて私は説いたであろう。なぜソ連がこの日本の国を狙うのかと。それは、かつて日本は東海姫氏の国と云われたように、資源豊か、人材優秀、工業力優秀、まさに素晴らしい乙女のような国であるからであるからと。このうるわしき乙女を自己のものにせんと、淡々と狙っているのであると。

 うるわしき乙女日本を護るには、米国との安全保障条約が欠かせないと。私は、実相世界は神の国で大調和しているが、此の世は光と闇が交錯している世界であると説いてきた。闇に対しては光をもって相対せよと教えているが、その光とは、必ずしも甘いだけの対応ではない。

 『生命の實相』道場篇で、道場破りともいうべき青年との対話を思い出すがよい。私はコトバで説き伏せた。殴りかかろうとする青年の心が痛いのだと。併し、わたしの高弟の野村義隆元陸軍大佐は、殴られる前に即座に殴り返し、自ら痛みを知れと云うコトバを返した。そして私は書いたはずである。それぞれに個性が出ていてよいのであると。野村氏のやり方が間違っているとは一言も言っていない。個人の対応でもこうである。まして国家と国家の対応は言わずもがなである。

 諸君は思い出すがよい、60年安保の時を。あの時マスコミは何といったか、世の学者は何といったか。安保を締結すればとんでもないことになる。日本は軍国主義に舞い戻ると。

 その時、敢然と方針を貫いたのは時の首相岸信介氏であった。さすがの岸首相も、官邸、岸邸を取り巻く反対の群衆で心が折れそうになった。後日判ったことであるが、その時私が聖使命新聞に書いた安保条約に賛成するとの言葉に、百万の味方を得た思いがして安保締結を貫徹することが出来たとのことであった。これこそ真理の燈台たる生長の家なのである。

 わたしは自伝の中でこう云うエピソードを残したであろう。中学時代の先生で大男だが気迫のない先生がタコとはやし立てられ顔を赤くして学生に嘗められている一方で、小男ながら気迫のある先生には、先生より大きい学生が叩かれても首をうなだれて従っていると。そして、人間関係で重要なのは気迫であると。ましては国家の関係に於いてをやである。

 ある人は云うであろう。対米従属は駄目なのだと。それはその通りである。しかし、神の言葉を思い出すがよい。神の国は必ず実現する。しかし、その時が何時かは誰もわからぬと。神は絶対であり時空を超越している。併し現世は映画のフィルムがスクリーンに展開する世界である。現世は因果律の法則に沿って展開されねばならぬ。

 神とは超次元、異次元の存在ではないとあれほど言って聞かせたであろう。諸君が良心の判断に従って行動すること、それが神のコトバに従うことである。

 現世は過去の因果を解きほどく中で展開する。今の世も人類の迷い罪が解きほどかれる流れのなかにある。因果の法則、現世の法則を見極めねばならぬ。

 先の大戦は、大東亜戦争の名が示すとおりである。戦争目的は立場によっていかようにでも言える。大事なのは、樹の善悪は果実を見て知れ、の精神である。大東亜戦争の結果何が起ったか、それを見れば、あの戦争の意義は一目瞭然である。

 大東亜戦争の結果、アジア、アフリカの民が独立したのである。戦前戦後の世界地図を見比べれば、赤子にでもわかる理屈である。一切の言挙げは不要である。神示で示したように、戦争は迷いと迷いが打ち合って消える過程である。戦争である以上悲惨な事、行き過ぎたことが起こるのは当然である。迷いはないに越したことはない。

 しかし、現象を見れば迷いはあるのである。心が変らぬ限り、人が生き物を殺すことを止めぬ限り、その業の自壊作用として戦争は起こるのである。併し、間違えてはいけない。迷いは現れているのであって、根本的にあるのではない。さればこそ、消えて行くのである。しかし、手を拱いて消えるのを傍観せよと言ったことは一回もない。

 『真理』青年篇での私の悲痛な叫びを思い出すがよい。誰か愛国の青年は出でざるかと。赤坂の学生道場等あらゆる手を尽くして真理宣布に行動する青年を育てんとしたのに、研究研究に没頭する学生か、自分の個人的信仰に閉じこもる青年しかいない。

 一方で、共産主義を信奉する青年は生命を賭した運動をしている。生命の実相を悟った青年が左翼の戦士に伍して世界平和を招来する思想を人類に広めよと悲痛な叫びを上げたのである。

 この叫びに起ち上がった青年が、火の玉となって活動したおかげで、紀元節が祝日となり、元号は法制化され、日の丸の国旗が実現し、天皇御在位50周年の式典も行われたのである。この動き無くして、東日本大震災での陛下によるお言葉があり得たであろうか。

 生長の家が政治活動をする中で、思わず私は言ってしまったなかに、「生長の家の一つや二つつぶれてもいい。天皇国日本が残るのであれば」と云う言葉がある。あれほど言葉の力の大切さを唱え、大東亜戦争中に「海行かば」を歌うことは敗戦を招くことになるからと反対していた私がである。

 これは私の言葉ではない、神が言わせたのである。現実はその通りになった。当に神の予言だったのだ。生政連の運動は、窮極の目的である憲法復元、改正はならなかったが、日本国の象徴たる国旗日の丸は残り、紀元節も残った。

 諸君たちの働きは無駄になったのではない。大東亜戦争では、日本国が十字架にかかりアジア・アフリカの民は独立を勝ち取ったのである。特攻隊の英霊の死は無駄になったのではない。十字架のキリストであったのだ。

 生長の家も然りである。大東亜戦争で十字架にかかり死にかかった天皇国日本を救うために、今度は生長の家が殉死したのである。生政連の解散後の動きをめぐる中で、生長の家は確かに死んだのである。形の上で教団は残っている。しかし現世で生長の家を名乗る教団は、生長の家としては死んでいるのである。

 考えて見るがよい。私は常々言っていたはずである。藤棚の家は生長の家発祥の記念となる家であるから永久に保存すべきであると。そして今長崎に保存されている。わが愛娘恵美子がわが愛する妻と一緒に吾が神殿生長の家神誌を郵便局まで運んだ乳母車が総本山に展示されているのもそのためである。

 生長の家の今日の発展の基となったのは昭和9年に東京進出してからであるが、日本国の使命を受け大東亜戦争を戦うことで日本国は瀕死の状態になり、生長の家もGHQにより解体の危機に瀕した。

 その危機から立ち上がり、戦後の教勢拡大の原点となったのが原宿の本部建物であった。藤棚の家に相当する建物である。この建物は、信徒の献資のたまものであり、岸田日出刀東大教授と云う当時の第一人者である建築家の設計による歴史的な価値のある建造物でもある。

 その建物を壊すということは教えの心を損なうことである。さらに神殿たる『生命の實相』、その縮約たる『甘露の法雨』も閉じ込められてしまっている。生長の家はそこにはない。死んだのである。1昨年に生長の家の大神の化身たる住吉大神を祭神の一つに格下げしたのはその最後の象徴である。

 でも、歎く必要はない。『生命の實相』第1巻はしがきにあらかじめ予言してあったことが実現しただけである。生長の家の本部は地上にはない、神界すなわち実相の世界にあるのである。すべては神の御心の展開である。

 何故かかる事が起るのか。諸君の奮起を促すためである。太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れずと云うコトバがあるであろう。眠れる信徒よ目覚めよ。

 かのキリスト教の大発展は、イエス亡き後ローマ帝国の迫害を乗り越えた熱き信徒にあるのだ。仏教を見よ、御簾の奥、上座にしがみつく人々を振り払い大衆に向かって行った人々が大乗仏教を立てたのである。

 諸君は改めて思い出されるがよい。なぜ私が晩年80を過ぎてから長崎の総本山を建立したかを。そしてそこに何が祭ってあるかを。

 私は立教当時、吾に神殿は不要である、神殿とは『生命の實相』であるという神示を伝えた。それがゆえに、それでも総本山を作るのは、鎮護国家のためであると伝えた。

 さればこそ、奉祭の対象は護国の神剣であるのである。生政連発足の際に申し上げたはずである。人間神の子を説く教えはほかにもある。現象は心の影と説く教えも他にある。それではなぜ、この時、この日本国に生長の家が生まれたのであるかと。

 生長の家の教えとは、真に世界平和を実現するためには、仏教でハチスに中心があると説くように、キリスト教で一つの御心が成っているのが天であると説くように、地上も中心が無ければ治まらないということである。

 その中心にふさわしい国は何か。それは中心がある国でなければならない。中心は変らないものでなければならない。世界で中心が変らない国はどこか。それは日本しかないのである。

 覇権による王権交代の国では世界は治まらないのである。天意を受けた御子が中心にあってしらしめす国であればこそ、丸く治まるのである。さればこそ、西欧の叡智アインシュタインも、伊勢神宮を参拝して理解したのである。神が闘争の世界を平和に導くために天皇国日本を残していたことを。そしてそれを神に感謝すると。

 伊勢神宮とはなんであるか。天照大神を祭るところである。天照大神とは、日本の大御親である。そして、天皇とは、天照大御神の御子孫である。そして吾等は大神の日子、であり、日女である。このことは伊勢神宮の大神の前で神想観をすれば誰でも感じることができるのである。

 この天皇を抱く日本が占領憲法下で危うくなっているから、今こそ住吉大神を直接仰いで日本国の実相顕現をせねばならぬと建立されたのが総本山である。この使命を実現をするのが生長の家の信徒の使命なのである。

 天皇というのは何も日本の王と云うだけではない。万国の王である。神道の神だけではない。キリスト教の神でもある。生長の家の歴史、私が啓示をうけた経緯を顧みるがよい。私は、住吉大神、神功皇后を祭る、元住吉神社、生田神社にお参りする中で啓示受けた。

 啓示の発端は、キリストの流れを汲むニューソートのフェンウィック・ホルムスの本に巡り合ったことである。この本を読んで、不完全な現象は神の創造ではなく、心の現れであると教えられた。それによって、不完全な現象を見て神を否定していた私の迷いが覚めた。

 実相は完全、神の世界は完全という縦の真理と、現象は心の現れと云う横の真理がわかったのである。さらに、現象には実相そのものの現れである真象と、迷いの顕れである偽象があり、光を照らし闇の無を暴露して行くのが現象生活の使命と判ったのである。すべてはホルムスの本、ひいてはキリストの教えからである。

 もともと私は大本教で聖書を読み込みキリスト再臨論で注目を浴びたが、ホルムスの本で啓示を受け真理の光で改めて聖書を読む中で、更に教えられたのである。

 聖書の最終章はヨハネの黙示録である。創世記のエロヒム神の創造で始まった完全な神の国が、エホバの神で善悪相対の世界となった。最後には再び神が降臨して新天新地が実現する。まさに、新天新地の神示にある通りである。

 新天新地を迎えるためには、王の王たるかたは、血に染まった衣をまとわれている。つまり血みどろの戦いをせられるということである。そのお方は、忠実また真、又の名を神の言、すなわちミコトと云われる方である。

 キリスト教の奥伝たる黙示録はキリスト教徒にとっても解読が難しい所である。神の啓示を受けた私が霊感で読み解いたのが、王の王は、天皇、スメラミコトということである。

 このことは、戦前の『生命の實相』にはハッキリ解いてある。『古事記と日本国の世界的使命』のはしがきで引用された私の言葉にあるように、戦後の『生命の實相』にはない。

 占領下の日本人を救い、日本国の復活をするために『生命の實相』の再刊を急ぐ中で割愛されたのである。このため多く信徒は知らないままでいる。

 しかし、今こそいう。私がなぜ、戦後すぐに、日本国の将来を憂い『限りなく日本を愛す』というような愛国の書を出したかを。割愛された部分を説くためである。

 教えに今も昔もない。生長の教えの本質は未来永劫不変である。そして、それは、仏教とも、キリスト教とも、矛盾しない。

 それは何か。世界には全て中心があること、原子に原子核があり、細胞に細胞核があり、雪の結晶に核があり、地球に核があり、太陽系に太陽があるのと同じである。この中心帰一がなければ世界は治まらぬのである。

 そして世界の中心になるのは、神勅に基づく天皇を中心に仰ぐ日本しかないのである。そして、それは黙示録にも予言され、さればこそアインシュタインも伊勢で実感したのである。このことを説くのが生政連発足の言葉で述べたように生長の家であるのである。
 
 この教えを理解するものであれば、天皇を単なる象徴でかつ国民の総意に基づくというような不安な位置付けをする憲法が到底受け入れられるものでないことは判る筈である。

 さればこそ、憲法を改正すべし、さしあたっては明治憲法に復元すべしと私は説いたのである。冷戦が終わったから今の憲法に基づく天皇制のままでよいという議論が誤りであることは、冷戦が過ぎたという認識自体が誤りであることから言うまでもないが、それ以上に、天皇への中心帰一こそが生長の家の教えの核心であることを知らねばならないのである。

 これを明確にする為に憲法を改正せねばならないのである。幸いにも復刊された『久遠の實在』では中心に帰一する道という章で、中心をすめろぎとフリガナを振ってあり、その事が明確に説明してある。

 この章を、今の『生命の實相』の万教帰一篇、古典に現れたる宇宙構造の中心理念と読み比べて見れば、先ほどの『古事記と日本国の世界的使命』はしがきで説いた天皇と日本国に関することがどのように削除されたかを如実に感じることができるであろう。

 今神界では日本国実相顕現の大きなうねりが起きている。今まで日本国を貶めていた暗黒思想を解き放つ動きが大きくなっている。

 『生命の實相』生活篇で、夜明け前が一番暗い、最後まで耐え忍べ、信仰成就には時間が必要であると説いたであろう。いよいよその動きが本格化するのである。その前には、闇がうごめくのである。

 キリストもサタンに誘惑された。生長の家教団が今の教えと唱えこれまでの私の教えを信奉するものを原理主義と唱える動きもそれである。

 人はさばくなと教えてあるが、妄説とは決して和解するなと教えてある。生長の家の教えは、天皇信仰である。日本の中心に天皇が座り、その日本が世界の中心になるとき世界に本当の平和が来るというのが根本の教えである。

 日本は真理国家であるが、真理国家に軍備が必要でないとは一言も言っていない。心の改善で戦争を起らせないようにするまでは、次善の策として力のバランスで日本を侵略不可能ならしめないといけない。

 軍備も安保も不要だという議論は現実には調和しない。人時処の三相応がなければ、どんな善も善とならないと説いてある。生長の家とは、蛇のように聡く鳩のように柔和であるところである。迷いの世界で戸締りをしないのは寧ろ迷い人を盗人に促す罪作りな行為である。

 私の真の教えは、天皇国日本の実現である、之に邁進するものは、わたしの真の教えを継ぐものである。至嘱。ますます精進されんことを。

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ーーーーーーーーーー

 合掌 有難うございます。

 この文章は多くの皆さまが目を通されるであろう文章だと思われますので、読み易く改行させて頂きました。

 文章の中の、谷口雅春先生が著わされた書物には、『』を付けさせて頂きました。

 有難うございます。再拝


霊媒にはかからぬ (1966)
日時:2016年06月12日 (日) 13時42分
名前:ヨグソトース


われは霊媒には憑らぬ。神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。

『大調和の神示』より

希望を持って前に進むのみ (1968)
日時:2016年06月12日 (日) 14時46分
名前:コスモス

 これを誰方が書かれたのか、また谷口雅春先生のお言葉てあるかどうかは判りませんが、それは別としても、私はこの言葉が本当であったら有難いと思っています。それは以下の、


 「今神界では日本国実相顕現の大きなうねりが起きている。今まで日本国を貶めていた暗黒思想を解き放つ動きが大きくなっている。

 『生命の實相』生活篇で、夜明け前が一番暗い、最後まで耐え忍べ、信仰成就には時間が必要であると説いたであろう。いよいよその動きが本格化するのである。その前には、闇がうごめくのである。

 キリストもサタンに誘惑された。生長の家教団が今の教えと唱えこれまでの私の教えを信奉するものを原理主義と唱える動きもそれである。」


 もしそうであるならば、より希望を持って前に進むことが出来ます。勿論そうでないとしても、力強く前進するのは当然の事ではありますが。合掌


私は... (1969)
日時:2016年06月12日 (日) 15時12分
名前:思い出

いろんな事を言う人がいるでしょうけど、私は、この文章を読んで、気持ちが良くなりました。

出典は? (1970)
日時:2016年06月12日 (日) 15時28分
名前:紹介

出典を明示してから転載してください。

転載ではなく、ここに書かれている原初の文章について論じています。 (1971)
日時:2016年06月12日 (日) 15時41分
名前:コスモス


 出典は、1956に書かれている文章と、それを読み易くした同じ内容の1961について、私も皆さんも論じております。

受け入れるかどうかが大事だと思います。 (1972)
日時:2016年06月12日 (日) 17時21分
名前:中仙堂

人間の潜在意識には様々な霊界からのインスピレーションが共鳴し、
頭脳に反応する訳ですが、このメッセージの真偽を問う考え方もあります。
大事な事です。

もう一つは心の世界には光明思想と暗黒思想が鳴り響いている訳です。
これは明らかに光明思想によるものだと解します。

内容もさる事ながら、言葉の響きも良いと思います。
霊界の高級霊、もしくは大聖師からのメッセージであると云う事は
否めない
出典を挙げれば、そのメッセージを発した肉身のお方の人物評に展開する事は
火を見るよりも明らかであると思います。

人間の現象的な審美眼とか、審査眼ほど当ての成らない事は無い。
人物評程当ての成らないものも無い。

ただ、この未知成る人物のメッセージの中にある、意思、至誠心、信仰心を
正しく受け入れるかどうかが大事だと思います。

混乱期に現れる現象 (1978)
日時:2016年06月12日 (日) 19時44分
名前:そういえば

かつて
大聖師がおかくれになり
生政連が活動を停止し
青年局の解体が始まりかけていた時

谷口雅春霊言集がねつ造され

こともあろうに、青年局の局員2名と生政連の職員が幸福の科学に
移っていったことを思い出す。

大聖師のお言葉と言うよりは、坂田氏門下生の様な言葉に苦笑する

コスモス様ありがとうございました。 (1981)
日時:2016年06月12日 (日) 20時16分
名前:熟田津の桃雲

3、4日暗雲が立ち込めた思いでいましたが、

確かな光明が見えました。勇気が沸々と湧き上がって来ました。

出典など問題ではありませんね。

御文章を冷静に読み解けば、答えは明らかです。

コスモス様に心より感謝申し上げます。



熟田津の桃雲さま 有難うございます (1986)
日時:2016年06月12日 (日) 21時38分
名前:コスモス


 《3、4日暗雲が立ち込めた思いでいましたが、》

 本当にそうですね。余りと言えばあんまりな宣言でしたからね。
 情けない気持ちと悲しみを味わいましたね。

 私は両親を亡くしましたが、両親は熱心な谷口雅春先生の信奉者でしたから、霊界で応援してくれいると信じています。

 神界での動きがそうであれば有難いと思っております。


N生に答えるNEW (1956) お言葉に感動! (1998)
日時:2016年06月13日 (月) 06時29分
名前:故郷

 拝読させて頂きました。どのような内容だろう?と思い拝読させて頂きましたが、教義についても運動についても、文体(語調)
・格調についても、雅春先生のお言葉そのもののような思いでした。

 どなたが書かれたにしても、人間智恵で書いたのではなく、雅春先生のお言葉を取り継がれたとしか考えようがありません。

 早速印刷して神棚に捧げさせて頂きました。家内にも読ませましたが、私と全く同じく感じたようです。

 長年の心の暗雲を祓って頂いた感じです。有り難うございました!

「天皇信仰」について書かれている聖典 (1999)
日時:2016年06月13日 (月) 06時41分
名前:故郷

 お言葉の中にある「天皇信仰」について、自分の頭では理解しているつもりですが、本当に自分のものになっているかは確信が持てません。

一体、先生はどのような想いで、どのような意味で説かれているのだろう?と、教団の方向転換以来三十三年ずっと思っていました。非常に深遠な教えなので。

 調べてみましたら、このような聖典に書かれているようです。(他にも沢山あると思いますが) ご参考まで。

私もこれから更に深く学ばせて頂きつつ、天皇国日本の実現に邁進します。

『無門關解釋』「はしがき」「無門後序」(P374-378)
『神の真義とその理解』「天皇信仰に帰一せしめる生長の家」(P120-122)「生長の家は天皇信仰の教」(P157-159)
『生長の家五十年史』「教義の大綱」(P323-324),「天皇信仰」(P324-326),P460,P481-482,P632,P646,P767,P783
『生長の家四十年史』P182-183,P214,P259,P384,P470,P473
『愛国は生と死を超えて』P140
『實相研鑽』2「生長の家は“天皇信仰』の教え」(P258-261)
『信の力』「天皇信仰と万教帰一」(P16-22)
『霊性の目覚め』P47-48
『神ハ愛也』P64(S15年9月「天皇信仰」を発表)
『人間苦の解放宣言』旧版P154

故郷さま 有難うございます (2015)
日時:2016年06月13日 (月) 15時11分
名前:コスモス


 天皇信仰について、沢山の聖典の頁まで提示して頂き、有難うございました。

 雅宜総裁はますます間違った方向へと進んでおられるようですが、信徒の怒りも激しいようですね。

 とにかく元の生長の家に戻れるまで頑張りましょう。有難うございます。合掌

雅宜総裁も参考に為されては? (2020)
日時:2016年06月13日 (月) 19時15分
名前:中仙堂

 天皇信仰について、沢山の聖典の頁まで提示して頂き、有難うございました。

アインシュタインは伊勢神宮を参拝していない⁉ (2022)
日時:2016年06月13日 (月) 19時42分
名前:ヨグソトース

N生に答える (1956)の親記事の本文中の

>西欧の叡智アインシュタインも、伊勢神宮を参拝して理解したのである。<

この部分。
実際は、来日したアインシュタインは、“伊勢神宮”に立ち寄られてなかったとのこと。
wikipedia『アインシュタインの予言』参照
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BA%88%E8%A8%80

谷口雅春先生は、高き神霊界に昇られて、すべての真偽はご存じのことと思いますが。


感動しております (2085)
日時:2016年06月16日 (木) 08時41分
名前:まごごろ

谷口雅春先生の御教えは「天皇国日本の実現である」とのお言葉は、谷口雅春先生のお心そのものが伝わってきて、ただただ感動しております。
中心帰一の実相世界を実現するために、神の御心の体現者としての神の子としての自覚を持ち、一歩一歩精進し「天皇国日本の実現」のために憲法改正をしていかなければならないと実感しました。

大正11年に、アインシュタインは、伊勢神宮へ参拝したと数々の資料に載っていますが。 (2086)
日時:2016年06月16日 (木) 09時47分
名前:志恩

ヨグソトースさんー
>>アインシュタインは伊勢神宮を参拝していない⁉ (2022)<<

あなたが貼ってくださった資料にも、アインシュタインは 伊勢神宮を参拝していない、とは、
一言も書いてありませんでしたよ。

アインシュタインは、大正11年に伊勢神宮へ参拝した、ということは、いろいろなところに
書いてありますから、
参拝は、されたのではないでしょうか?

そうではなくて、アインシュタインが、伊勢神宮に参拝した折に、講演したか、文に書いたのか、
と言われている
日本民族を讃える 有名な言葉が、ございますが、

その有名な言葉である「原文」が残っていないそうなのです。(別の原文で残っているのもあるそうですが)

また、アインシュタインは、来日された時に、東北大学でも 講演されたそうですが、
その「講演録」も 残っていないそうなのです。

だから、本当に、あの言葉は、アインシュタインが、言った言葉なのか、どうなのかの、
「原文」が 見つかっていないため、確証がない、とか、

もしかしたら、あれは、他の人が言った言葉なのかもしれない、ということが、
今頃になって、疑問視されて、ネットに書かれてあるのです。
そのように、あなたの貼られたウィキペディアには、載っていました。

ご自分でも、読んでみられたのですか?

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000066323

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%80%81+%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE+&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=appsfch2&x=wrt

志恩さま、貴重なご意見ありがとうございます。 (2087)
日時:2016年06月16日 (木) 10時13分
名前:ヨグソトース

下記のソースでご確認をお願いします。

http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity135.html

ヨグソトースさま (2088)
日時:2016年06月16日 (木) 11時48分
名前:志恩

ヨグソトースさま

アインシュタインは、伊勢神宮を参拝していない!?という、
新たなソースを貼ってくださいまして、ありがとうございます。

私も、アインシュタインが、伊勢神宮にお参りされたのかどうかに つきましては、
その時代には
生きておりませんので、資料を頼るしか、確かめる方法は、ないのですけれど...

ヨグソースさまの資料によりますと、

(大正11)1922年11月17日に、来日したアインシュタインご夫婦は、約40日間、日本に滞在され、
同年12月29日に帰国されたとあります。

ですが、この記録には、伊勢神宮へお参りしたとも、お参りしなかったとも、書いてありません。
ですから、推測するしかないのですが、

11月17日に来日された時は、その日に京都へ行き、翌日の11月18日には、京都を一回りしたのちに、
特別列車に乗り、午後7時20分には、東京駅に着いています。

なので、来日した当初には、伊勢神宮には、お参りされる時間は、なかったと思われますが、
あなたが、貼ってくださった文の終わりの方の記録によりますと、

次の文が、ございます。


>> しかし、12月6日には(東北から)東京に帰り、すぐ翌日関西へ向かい、
12月8日には名古屋で、
10日には🔵京都で、
11日には大阪で、
13日には神戸で、それぞれ一般講演を行った。<<

ここの🔵の部分です。
つまり、京都で 講演されてますでしょう。

他のネット情報によりますと、アインシュタインは、伊勢神宮へお参りし、その時に、
「記念講演」を行ったと記されているものがありまして、

あの日本民族を絶賛したアインシュタインの言葉は、その時の記念講演の折に語られたのであろう、
と載っている記事もございました。

京都で公演された12月10日前後の、京都での足取りの詳細は、記録されていません。
そこには、記録されていませんが、

もしかしたら、
伊勢神宮には、アインシュタインがお参りされたことは、記録されているのかもしれません。

どうありましょうと、
アインシュタインが、日本民族を、大変尊敬の眼差しで、見ていて下さっていたことは、
疑いのないことで、

それは、たとえ、あの言葉の「原文」は、見つかっていなくとも、

アインシュタインの日本についての数々の言葉で、
アインシュタインの日本民族に対する敬慕の精神は、理解できると思います。

志恩さま、再度お手数おかけしました (2090)
日時:2016年06月16日 (木) 13時33分
名前:ヨグソトース

アインシュタインが伊勢で公演したかどうかの
決定的な資料がないので伊勢神宮を参拝しているかどうか
分からないという結論になりました。
これはもう、各自がどれを信じるかに委ねたいと思います。

そして、
>アインシュタインが、日本民族を、大変尊敬の眼差しで、見ていて下さっていたことは、
疑いのないことで、
それは、たとえ、あの言葉の「原文」は、見つかっていなくとも、
アインシュタインの日本についての数々の言葉で、
アインシュタインの日本民族に対する敬慕の精神は、理解できると思います。<

このことは大いに賛同いたします。

ただ、警戒すべきは、
谷口雅春先生の霊言のようなスレです。

生長の家が混乱しているのに乗じて、
谷口雅春先生の皮を被って、
あたかも谷口先生が説いてるかの如く言葉を並べ
谷口先生を信奉する者を翻弄させる手口は許せないと思います。

書かれてあることがたとえ素晴らしくとも
それは谷口雅春先生の言葉ではありません。
谷口先生の言葉はただ一つ、
先生が直接お書きになった聖典のみです。

これから外れると谷口雅春先生を名乗られる方が湧いてきて本流を名乗る者が林立し混乱を来す恐れがあると思います。

大川隆法はもとより、最近はマーリエという方が谷口雅春先生の霊言本を出しております。

だから
こういう類の言葉に、讃嘆をしたり、賛同を示すと
なんの疑いもない純粋な信徒は、本物だと思い着いていってしまいコロリとだまされてしまうと思います。
(このスレッド主の方は、もちろん騙すつもりはなく、真摯に谷口先生に向き合い、日本のことを思ってこのスレッドを立てられたことと思いますので、“だます”という文言は、言葉が過ぎるかと思いますが、今後、谷口雅春先生を名乗って騙しに掛かろうとしている人を対象としておりますので、ご容赦を。)

私は、谷口雅春先生は、人間にはかからないと信じております。



まあ、あくまでもこれは個人の見解でありますから、
信じたい方は信じていただけたらいいかと思います。

言葉の響き (2091)
日時:2016年06月16日 (木) 13時54分
名前:まごころ

ーこれが私のものであるかどうかは、言葉の響きをもって判断されよ。かつて私が地上で文章を書き連ねていた時に伝えたことがあるであろう。或る言葉が、神の啓示か、はたまた、高級霊の伝言か、迷いの霊の言葉であるか、最終的には、その内容と響き―私は神韻といった―で判断せよとー

私は言葉の響きから感動しました。何度も繰り返し拝読し、雅春先生が今、ここに生きておられたら、あの様におっしゃられるのではないかと感じています。個人の信念または信仰でどう感じるかの問題だと思っています。

不都合な真実には必ず異論が出て来る (2092)
日時:2016年06月16日 (木) 13時57分
名前:鎮護国家の総本山

所謂「アインシュタインの予言」なるものの真偽について
議論がされているようですが、もしこの予言が、実際に
アインシュタインが言ったものとすれば、反日左翼にとっては、
とても「不都合な真実」ではないでしょうか。
従って、それに対する異論を真っ先に朝日新聞が報じたことは
とても判りやすい(笑)ですし、その報道を早速ブログだか
講習会だったか忘れましたが、雅宣総裁(当時副総裁)が採り上げて、鬼の首でも取ったように、「ほら雅春先生でも間違うでしょう」と言わんばかりだったのを思い出します。
いずれにしても、資料が残っていないらしいので何とでも後付けの理屈がつけられますが、アインシュタインの日記には、日本の伝統、文化を賞賛する記述もあるようですので、雅春先生もその辺りを感じられたのではないでしょうか。

このスレッドの先頭に書かれた「雅春先生のお言葉」が、本物かどうかは私も判りません。でも、大きな勇気を与えられたのは事実です。
ある元本部講師が即座に偽物と断定されたとの事ですが、元本部講師といっても沢山いらっしゃいますが、即座に偽物と断定出来る根拠を教えて頂きたいと思います。

また、神は霊媒にはかからないから偽物と言われた方もいましたが、第一義の神は霊媒にはかかりませんが、流石に雅春先生は第一義の神ではないですよね。

生長の家が非常事態の時に何らかのメッセージが天界より来ても、有り得ない事とは思いませんし、またそれを望みます。

原宿本部会館のご神像が撤去される直前に、ご神像の掌から、太陽光線とは、違う方向に光が放たれていた写真が、この掲示板(の前身)に投稿されていましたが、それとも共通する何らかのメッセージと感じました。


鎮護国家の総本山さま、ありがとうございます。 (2096)
日時:2016年06月16日 (木) 17時59分
名前:ヨグソトース

>もしこの予言が、実際に
アインシュタインが言ったものとすれば、反日左翼にとっては、
とても「不都合な真実」ではないでしょうか。<

逆に実際にアインシュタインが言ってなっかたっとするならば、
「都合の良いねつ造」は信じるんですね。よく、分かりました。

>また、神は霊媒にはかからないから偽物と言われた方もいましたが、第一義の神は霊媒にはかかりませんが、流石に雅春先生は第一義の神ではないですよね。<

『大調和の神示』の最後に

《われは霊媒にはかからぬ。神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。》

と、神様は示されております。
どこにも“われ”の定義について「第一義の神」とは示されておりません。
神示では“われ”は“愛”であると示されております。
どこに「第一義の神」と説かれているか出典をお示し下されればありがたいです。

>生長の家が非常事態の時に何らかのメッセージが天界より来ても、有り得ない事とは思いませんし、またそれを望みます。<

この非常事態に、谷口先生よりメッセージが欲しいという希望はもっとも恐ろしい事です。
新講『甘露の法雨解釋』に神様の声が聞きたいという人の所にあたかも神様であるかのように色々と命令してくるというお話がありましたが、そういう心を起こすと違う物にひっかかりやすくなります。
谷口雅春先生のものかどうかも分からない、確証のない言葉を、
「これは自分的に正しいと思うから信じます」
なんて、ご都合主義の信仰で愚の骨頂だと私は思います。

また、谷口雅春先生の最後の御講話では、
《私の言いたいことはすべて本に書きました》
と仰せられており、
すべては、谷口雅春先生の聖典に書かれてあるのです。

谷口雅春先生を外に求めるのも自由ですが、
私は、先生から直接聖典により御指導いただける方が
ありがたく思います。

《吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。『生命の實相』は吾が本体であり、無形の『生命の實相』を形にあらわしたのが『生命の實相』の本である。》

“原理主義だっていいじゃない
先生の弟子だもの”

ヨグソトースさま、ありがとうございます。 (2098)
日時:2016年06月16日 (木) 19時41分
名前:鎮護国家の総本山

第一義、第二義、三義という神様の区分けは
現象界から見た区別であると思いますので、
神示にそういう言葉が出て来るはずはないと思います。

また、谷口雅春先生の著作は、先生ご自身が、霊界の神が
自分に神がかりして書かれたものだと、自分を霊視した読者の
話を引き合いに出して述べられています。

ですから、この現象は雅春先生にだけ起こるのでは無くて、
現代に於いても、先生と波長の合う人がいれば起こっても
不思議ではないと考えるのはそんなに恐ろしい事でしょうか。
宗教において、神秘性を完全否定したら、単なる精神修養
にしかなりませんし、「甘露の法雨」だってただの
文学作品、ご神像もただの芸術作品となって、
当に現総裁の思想そのものになってしまうような気がします。

鎮護国家の総本山 (2099)
日時:2016年06月16日 (木) 21時01分
名前:ヨグソトース

早速のレス、ありがとうございました。

《神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。》

くどいようですが、大事な聖句ですので今一度、謹写いたします。
ここでの“神”は第一義や第二義などの神ということを問題にしているのではなく、
谷口先生の時代、自称霊能者が“神”と称して雨後の筍の如く湧いていた時代です。
その時代にあって霊媒師や審神者等の神の声に耳を傾けるのではなく、
自分の内にある“神”の声に耳を傾けなさない。
そこには無限の智慧、無限の愛、無限の生命があるでしょう。
そして、自分の内なる神の声を聴き、愛せよ、和解せよと仰せられているのです。

>また、谷口雅春先生の著作は、先生ご自身が、霊界の神が
自分に神がかりして書かれたものだと、自分を霊視した読者の
話を引き合いに出して述べられています。<

笠原政好さんの逸話を書かれたものと思いますが、
頭注版『生命の實相』第1巻16頁の中では
《(前略)ぜんぜん先生と異(ちが)った人になっている。口元の締った、あご髯の胸まで垂れ下がった、見るだに気高き霊人だ。あれ先生はどこにと見詰めた。ああ先生は霊人の内に融け込んでいるのだ。(後略)》
と、お書きくださっております。

谷口先生は、“神がかり”ではなく“神そのもの”なのです。
先生は、大変謙虚な方であられまして、御自身の事を“スピーカー”とか“ラッパ”と御表現されておられますが、
とうてい人間業ではない奇跡を体現されました。
まさに神でなければできないことです。

よって、そこいらにいる自称霊能者の方々と一緒にしてもらいたくない思いがあります。

>この現象は雅春先生にだけ起こるのでは無くて、
現代に於いても、先生と波長の合う人がいれば起こっても
不思議ではないと考えるのはそんなに恐ろしい事でしょうか。<

先生と波長があったら先生の御著書に行き着き、そして先生の真理によって研鑽されるはずです。
先生の言葉を預かった霊能者に惹かれるのは、
先生に波長があってるのではなく、霊能者に波長が合っているのです。

谷口雅宣総裁がそうでした。
あたかも最初は、雅春先生の真理を説いているが如く振る舞い、
そして信徒は信徒で
「雅春先生のお孫さんだから、雅春先生の真理を説いてくださる」
そう思ってついて行っていました。
しかし結果はご存知の通りまったく違う。

雅春先生の聖典から逸脱して、逸脱するだけではなく
あろうことか大事な聖典を絶版という憂き目に遭わせ、
神(雅春先生)を冒涜すること極まりなしという状況です。

それでも総裁と波長の合う人間は、
「雅春先生のお孫さんだから」
と盲目的について行っている。
波長の合わない人は、退会して去って行く。
そういうことです。

>宗教において、神秘性を完全否定したら、単なる精神修養
にしかなりませんし、「甘露の法雨」だってただの
文学作品、ご神像もただの芸術作品となって、
当に現総裁の思想そのものになってしまうような気がします。<

私は決して神秘性を否定しているのではありません。
谷口先生が現した奇跡を谷口先生の真理をもって今体現しております。まさに神秘の真っ只中にいます。

とにかく私が言いたいのは、繰り返しますが、

「私が谷口雅春です。…」

という言葉には要注意ということです。

神界からの谷口雅春先生からのメッセージは、私の場合は、信憑性が高いという気がしています。 (2103)
日時:2016年06月17日 (金) 07時36分
名前:志恩

「先生のお言葉を預かりましたので、ここに謹んで、掲示いたします。」

私は、今まで、この谷口雅春先生の神界からのメッセージというご文章を
10回ほど、読み返しておりますけれど、
これは、本物じゃないかしら.......と、私の場合は、思っております。

でも、絶対に、本物です....とも、言いきれません。
本物じゃないという人もいますけれど、人それぞれ受け取り方は自由で、いいと思っております。

「生命の實相」の霊界篇を 拝読すれば、

谷口雅春先生が、霊界通信を されることぐらいは、谷口雅春先生にとりましては、
我々が、コーヒーブレイクをするくらいに、お茶の子さいさいのことだと 私の場合は思っております。

霊界篇に、心霊科学研究者・浅野和三郎先生のことが、書いてございます。
浅野和三郎先生というお方は

和製スピリチュアリズムの父であり・心霊科学研究会 創立者であり、
明治〜大正〜昭和初期にわたって、日本のスピリチュアリズム研究の第一人者として活躍、
国内外の 心霊現象を研究した 心霊科学の分野では 世界的に有名なお方です。

谷口雅春先生は、
この浅野和三郎先生とお二人で、大本教時代に、ともに 心霊科学の研究されていらした仲で
いらしたことも書かれてます。

「生命の實相」霊界篇下(頭注版)を開きますと、扉の内側に

「霊界 が存在する この崇高な 事実 を見よ!

本書に見るように、高級霊からの 通信には、人間の 究極の 真理 が述べられ、

それが そのまま 現実生活の法則 に活きてくる 驚くべき 事実 があります。」

と書かれています。

ただ、高級霊からの霊界通信を受信できる人というのは、受信する側も、
それなりの、かなりの霊格の高い、欲のない、純真な魂の人でないと、高級霊とは、
波長が合いませんから、正しくは、受信できません。

ですから、このメッセージが、本物だとすれば、どなたが、受信されたかは、存じませんが、
日本に、そういうお方が、まだ存在していること自体、奇跡に近い 嬉しいことだと
思いました。

新教連の亡・野木清司先生は、伊勢神宮の宮司さんと仲良しでいらして、しばらくの間
伊勢神宮の離れのところにお住まいでいらっしゃいましたが、伊勢神宮内での朝の神想観のおりに、
よく谷口雅春先生と霊界通信をされていらしたこと、
谷口雅春先生は、今の、生長の家のことを心を痛め、それについて
語られていらしたことも、野木先生と親交のあったあるお方から、もれ伺ったこともございます。

(野木先生は、平成24年12月に84歳で他界されてます。で、この霊界通信は、最近の時事のことも 
 書かれていますので、野木先生が受信されたものではないです。)


実は、私は、実母とともに 生長の家に入信する前は、もう50年以上前の話なんですが、
浅野和三郎先生の直弟子である弁護士のお方が、引き継いで、
ボランテイアで、されていた
浅野和三郎先生が創設された 心霊科学研究所 に所属しておりまして、そこで
数々の奇跡の霊的体験をいただいていた者です。

浅野和三郎先生の著書は、トキさまのご紹介で、以前、「新樹の通信」「小桜姫物語」を
読みました。

最近では、浅野和三郎著「読みやすい現代語訳 心霊講座」(571頁)も読み終えたばかりですから、

神は 霊媒には かかりませんが、
高級霊(低級霊もですが)は、霊媒にかかることがあることは、確信致しております。













志恩さま (2105)
日時:2016年06月17日 (金) 08時04分
名前:ヨグソトース

谷口雅春先生の膝下に集う人間とし、
霊界通信の否定は一切いたしませんし、
志恩さまの意見にも反論もいたしません。

ただ教えていただきたいのは、
N生とかS生という言葉です。
勉強不足ゆえ、意味が分かりません。

志恩さまに尋ねず、
スレ主に尋ねずた方がいいかも知れませんが…

まあ、この度の霊界通信
「信じるか信じないかはあなた次第」
ということです。

ヨグソトースさま (2107)
日時:2016年06月17日 (金) 08時24分
名前:志恩

>>N生とかS生という言葉です。
勉強不足ゆえ、意味が分かりません。<<

この言葉遣いは、私にも、わかりません。

この方たちの間で通用している言葉を、そのまま
書かれたのかもしれません。

浅野和三郎先生の著書にも、そのような言葉遣いをした箇所は
どこにも ありません。

ヨグソトースさまの言われるように
この度の霊界通信は、
「信じるか 信じないかは あなた次第」
ということで、私も いいと思っております。

この掲示板の役割 (2108)
日時:2016年06月17日 (金) 08時35分
名前:一読者

今回の霊言について

この掲示板には、ふさわしくないと思います。内容が本物か偽物か以前の問題です。

今、この掲示板は信徒だけでなく、学ぶ会に近い掲示板として、マスコミにも注目されています。

いらぬ誤解を与えかねません。

この掲示板とは全く関係のない、新たな掲示板で公開したほうがいいと思います。

管理人さんの采配を期待しています。




志恩さま (2112)
日時:2016年06月17日 (金) 10時00分
名前:ヨグソトース

早速のレスありがとうございました。

2ちゃんねるの『生長の家こんちには』というスレッドには

> s生の筆先にかかった谷口雅春霊界通信を見る限り、生長の家(₌谷口雅春)は健在だよ。<

というレスが付いております。

何かの暗号でしょうかね?

ヨグソトースさま (2113)
日時:2016年06月17日 (金) 10時53分
名前:志恩

私は2ちゃんねるは、まだ見ていませんし、
なんの暗号かもわかりません。

ここのスレッドを丸ごと削除したほうがいいというご意見も出ていますが、
この霊界通信は、信憑性は高いとは思いますが、
本物だとは、誰も 断定して 言っていませんし、

かといって、まるっきり、インチキくさくもありませんし、
読んでいて、勇気を与えられるというお方の感想もありますから、

私は、別に、悪い内容ではないし、丸ごと、スレッドを 
削除しなくてもいいのではないかしら、と思っております。

これを読んで、本物だと、都合が悪いと思われる方々は、
削除した方がいいと希望されるのではないかな?と思ったりもしています。

先に、ヨグソトースさまの言われるように
この度の霊界通信は、
「信じるか 信じないかは あなた次第」
ということで、私は いいと思っております。

おふざけは、よくありませんが、真面目で、
バラエティに富んだ掲示板にした方が、閲覧者も増えるのでは
ないでしょうか。

言うまでもありませんが、
あとは、管理人さまの ご判断に お任せ致します。

「ヨグソトース」というハンドルネームの意味について (2114)
日時:2016年06月17日 (金) 13時06分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。

 不勉強のため、「ヨグソトース」さまのお名前の意味が、全く解りませんでしたので、少し調べてみました。それによりますと色々ありました。

 ヨグ=ソトースとは、クトゥルフ神話にて言及される外なる神のうちの一柱。

 とありまして、

 クトゥルフ神話とは、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの描いた小説世界をもとに、ラヴクラフトの友人である作家オーガスト・ダーレスらの間で設定の共有を図り、作り上げられた架空の神話体系のことだそうです。要するに物語の中の神様なのですね。

 で、どのサイトにも、ヨグ=ソトースと記述されていました。

 外なる神の一柱。『時空そのもの』ともされる存在。
「門にして鍵」「全にして一、一にして全なる者」「原初の言葉の外的表れ」「外なる知性」「混沌の媒介」などの異名を持つ。

 と記されていて、このほかにも色々と書いてありました。強い力を持つ邪神と書いてあるものもありました。

 なぜわざわざここに取り上げたかと言いますと、このハンドルネームに何か特別の意味があって、使用されているのかなと思いましたので、それを知りたかったのです。お時間を取りまして申し訳ありませんでした。


コスモスさま (2119)
日時:2016年06月17日 (金) 18時23分
名前:ヨグソトース

ヌァハハハハハ…

ばれたらしょうがねぇなぁ。

私は、かのラブクラフトが創造したクトゥルフ神話の神、ヨグ=ソトース。

この掲示板をダークなカオスの世界に引きずり降ろすために
ここに舞い降りた。

お前たちを喰ってやろうか!






なぁ〜んてね(笑)

中二病から抜けれないアラフォーですよ。

ラブクラフトの著作を昔に読んで、それをハンドルネームにしました。

他意はありません。

てか、誰かが調べてつっこんで来ると思ってました。
でも、放置状態が少し淋しかったです。

コスモスさま、つっこんでくださってありがとうございます。

不興をかってたら申し訳ございません。


有難うございました (2121)
日時:2016年06月17日 (金) 19時26分
名前:コスモス


 ご回答有難うございました。

 これで懸案が一つ、解決いたしました。

 どうせ舞い降りるのなら、八ヶ岳あたり如何ですか。

 

閲覧されている皆々様へのお願い (2334)
日時:2016年06月25日 (土) 04時29分
名前:伝統

閲覧されている皆様へのお願いがあります。

このご文章の中で、谷口雅春先生が、アインシュタインに関して触れられております。

それに関してのお願いです。

特に、「理想世界」誌 昭和41年10月号をお持ちになっている方へのお願いです。


「理想世界」誌 昭和41年10月号に、谷口雅春先生の「日本への回帰」という記事が
あるようなので、その謹写(可能であれば、全文をそのまま)をお願いできないか、

というお願いです。


もし、この掲示板では、少し仰々しくなり過ぎるなと、躊躇される場合は、
次の掲示板のスレッドに投稿していただければ幸いです。

(伝統板・第二への訪問・閲覧者は限られておりますので、
 仰々しくなることはないと考えております)

 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6910755
   (伝統板・第二)


「理想世界」誌 昭和41年10月号の「日本への回帰」には、
何かいろいろのヒントがあるのでは感じております。

この「理想世界」誌をお持ちの方への限定したお願いで恐縮ですが、
どうか、よろしくお願い申し上げます。

          <感謝合掌 平成28年6月25日 頓首再拝> 

谷口雅春の霊言 (2335)
日時:2016年06月25日 (土) 07時04分
名前:会員


これは、幸福の科学が生長の家が自民党を支持しないと発表してから出した

谷口雅春の霊言だよ。今、二週間限定で全国のこ科学の支部で

大川りゅうほーが、ビデオで話しをしています。

ちなみに、大川りゅうほーさんは、
元妻をアフロディーゼとかナイチンゲールの生まれ変わりと霊言しました。で、離婚後、前の霊言は間違いで、元妻は、悪魔でユダでした。
と。訂正を行っていました。笑笑

離婚後、年下の美人妻が教団に入り
女性トップ地位に着任しています。

みなさん、気持ちの良い言葉には、ご注意下さい。

N生・S生。 (2337)
日時:2016年06月25日 (土) 08時15分
名前:そーれ!!

私も一体これは誰のことか考えましたが、

磁石の N極 S極 なのかなと、ふと思いました。

転じて、北極 南極。

転じて、陰  陽。

ま、考え過ぎでしょうかね。

大川さんの霊言? (2338)
日時:2016年06月25日 (土) 08時38分
名前:アクエリアン

>>これは、幸福の科学が生長の家が自民党を支持しないと発表してから出した

谷口雅春の霊言だよ。今、二週間限定で全国のこ科学の支部で

大川りゅうほーが、ビデオで話しをしています。<<

やっぱり、大川さんでしたか。

以前、大川さんは、谷口雅春先生の霊言集を出されて、生長の家の信徒の方々の中には、これは本物だと勘違いされて、大川さんの方へ移っていかれた人がいたようです。

もし、大川さんの霊言だとしら、さすが大川さん、よく勉強しておられますね、このぐらい勉強しておかないとなかなか人は騙せないということでしょう。



「N生に答える」 (2344)
日時:2016年06月25日 (土) 11時16分
名前:故郷

「会員」様「アクエリアン」様、流れ去りかけていた「N生に答える」にいのちを与えてくださり、有り難うございます!


 大川隆法の「霊言」なるものと、「N生に答える」と、言葉の響き・内容ともに、全く次元の異なるものがあります。

 谷口雅春先生の御文章を読み込み、テープを聞き込んでいる者には、直ぐに分かります。生長の家の真の信徒であれば、明らかです。

 たぶん、「会員」様「アクエリアン」様は、この文章が、心ある信徒を目覚めさせる「危険」があるために、読ませたくなくて発言されたのでしょう。

が、結果的に、再びブログの先頭に出て来ました。有り難うございました!

(断っておきますが、もちろん私は「……答える」の著者ではありません)

故郷さまに同感です。 (2352)
日時:2016年06月26日 (日) 01時26分
名前:鎮護国家の総本山

故郷さまに同感です。

K教団のO氏がビデオで話しているらしいですが、そのビデオは会員登録をしないと見れないようなので私は見るつもりはありませんが、このお言葉と同じ内容を話されているのでしょうか。
もしそうでも、このお言葉の当掲示板での公開は6月12日で、それから10日も経ってビデオが公開されているなら、この掲示板からパクったのではないですか(笑)
もしK教団の創作であって、先にこの掲示板に公開するならば、これを読んでK教団に入会したいと思わせるような内容にすると思いますが、全くその気にはなりません。(笑)
また、K教団の教義は、天皇軽視と聞いていますが、このお言葉は
天皇国日本の実現で締めくくられています。
とてもK教団の創作とは思えませんが。

私がこのお言葉にこだわる理由は、3年前の下記投稿が気になっていたからです。
やはり、天界からのメッセージはあるのだなと思った次第。
聖典を読むと、生長の家の草創期には、霊界通信、霊媒実験のオンパレードだったような気がしますが、現代でそれをやると、「神は霊媒にはかからぬ」を印籠のように持ち出されてタブーとなります。だから、霊媒宗教に走る人が出るのではないかと思います。
雅春先生は、「神のラッパ」であって本源の神様そのものではないと思いますので、天界へ行かれたら、地上界のある人を通じてメッセージを送られても不思議ではないと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
日時:2013年06月05日 (水) 18時17分
名前:「靖国見真会」参加者


巡り巡って、こんな「ご神像」の写真が私の手元に届きました。

これを撮影した方がどなたかは知りませんが、何でも、あるとき、その方に「ご神像」を写すように、そしてその際、「ご神像」の手に注目するようにという声が聞こえた。

で、急に思い立って「ご神像」を撮影したら、このような写真が撮れたということなのだそうです。

確かに、「ご神像」の手から光が発せられている!

見れば見るほど、「ご神像」が神々しい!

それが去る5月30日、ご案内にありますように、無残にも撤去されてしまったわけです。

何か、この一連の流れを見ると、「ご神像」が自らの運命を見越して、私どもに重大なメッセージを届けているような気がしてなりません。

そういう思いで、ここに掲載させていただく次第です。




教えてください。 (2784)
日時:2016年07月13日 (水) 12時48分
名前:伝統

親記事の中に、次のご文章があります。

「なぜソ連がこの日本の国を狙うのかと。それは、かつて日本は東海姫氏の国と云われたように、資源豊か、人材優秀、工業力優秀、まさに素晴らしい乙女のような国であるからであるからと。このうるわしき乙女を自己のものにせんと、淡々と狙っているのであると。うるわしき乙女日本を護るには、米国との安全保障条約が欠かせないと」


上のご文章の中で、「日本は東海姫氏の国と云われた」とあります。

そこで、お願いなのですが、谷口雅春先生が「東海姫氏の国」という言葉を
お使いになっている「聖典等」の名称と該当頁をお分かりの方がおられば
お教えいただきますようお願いいたします。

伝統様、それは『古事記と日本国の世界的使命 甦る『生命の實相』神道篇』に書かれています (2786)
日時:2016年07月13日 (水) 13時40分
名前:志恩

伝統様

光明思想社発行の「古事記と日本国の世界的使命」

        (蘇る『生命の實相』神道篇)の

151頁の7行目に、載っています。

【 日本の国は昔から  東海姫氏(とうかいきし)の国と云われておりまして、

 美人国だとして 知られている。】と。

大感謝! です。 (2790)
日時:2016年07月13日 (水) 19時16分
名前:伝統

”志恩 さま” ありがとうございます。

いつも、たくさんの有益なご投稿いただき感謝申し上げます。

そして、小生からの恥ずかしながらの問いかけに応じて、
具体的にお教えいただき、心よりお礼申し上げます。


感謝!感謝!大感謝・・・

伝統様、勿体無いお言葉、こちらこそ 大感謝です。 (2807)
日時:2016年07月14日 (木) 11時18分
名前:志恩

伝統さま

前々から、私は、

伝統 様は、生長の家の宝でいらっしゃると思っております。

いつも、伝統様のご投稿文に、励まされ、きよめられている、私もその一人です。

ほんのちょっとしたことなのに、そのように 大感謝して くださるなんて、
ビビりました。

今後とも ご指導を よろしくお願い致します。

お礼。 (2828)
日時:2016年07月15日 (金) 19時15分
名前:伝統

”志恩 さま” 本当に、ありがとうございます。

そして、お褒めいただき、恐縮いたしておりますが、
「神の子」として、有難く頂戴させていただきます。


”志恩 さま”による各掲示板での投稿に、
多くの方が、勇気を頂いているように感じております。


さて、お陰様で、
一昨日、”志恩 さま”に教えていただいたことにより、

伝統板・第二「神界の谷口雅春先生からの叱咤激励か 」の
スレッドを前に進めることができました。
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6910755

心より、お礼申し上げます。

(合掌)

伝統さま (2831)
日時:2016年07月15日 (金) 22時55分
名前:志恩

伝統さま

ささやかながら伝統さまのお役に立てて、嬉しく光栄に存じております。

それで、早速、

>>伝統板・第二「神界の谷口雅春先生からの叱咤激励か 」の
スレッド
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6910755)<<

を拝見しました。いつもながらですが、とても読みやすく、
上手に纏められていらっしゃいますので、
大変ありがたく存じました。

そして、谷口雅春先生の予言の著であるような、
⭕ユダヤ人、⭕ユダヤ民族のお話に、改めて驚いております。

 実は、白鳩会総裁・谷口純子先生が、
ご自分のブログ「恵味な日々」で、
この度、信徒の皆さまに推薦されている著書「1945年のクリスマス」の
著者である

ベアテ・シロタ・ゴードン(1923年10月25日 - 2012年12月30日)とは、

ウクライナ系 ⭕ ユダヤ人(ロシア統治時代)の父母を持つ、
つまり、彼女自身も、
⭕ユダヤ人であり、フェミニスト(=マルクス主義者)だったからです。

ベアテは、
1946年の 日本国憲法制定に 関わった人物なのですが...

22歳で GHQ民政局に所属し、
GHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草で

日本国憲法 第24条(男女平等)草案を
執筆した事実が1990年代になって知られ、著名となった人です。

このように日本国憲法の第24条は、⭕ユダヤ人の22歳の女性が、
⭕ソ連憲法の「男女平等」の箇所をパクって、加えたものだと、分かりまして、

私は、その点を、どう考えていいやらと?????と、
ただいま、頭の中が、モヤモヤ中です。

ベアテが、GHQ民政局に入りまして、「男女平等」の草案を 
作る前に与えられた
最初の仕事は、
「公職追放」をするための核当者のリストの製作でした。

つまりベアテは、(あちらが思った)軍国主義時代に要職についていた
人物を追放するという、いわゆる
「公職追放」をする ロウスト中佐の、手先の仕事をやった人でした。


(本日届いた、ベアテ・シロタ・ゴードン著「1945のクリスマス」を、途中まで
  私は読んだところです。)

______________________________________________________
伝統さま板、第二より

(志恩:注:ユダヤ民族と、ユダヤ人、ソ連に、分かりやすいように⭕をしました)

東海姫氏の国 - 伝統
2016/07/15 (Fri) 19:12:53

「N生に答える」の中に、次のご文章があります。


すべての国が生長の家の説く物質無の真理に目覚めるまでは状況は変わらない。
生長の家の使命は大なのである。

かつて私は説いたであろう。なぜ⭕ソ連がこの日本の国を狙うのかと。
それは、かつて日本は東海姫氏の国と云われたように、資源豊か、人材優秀、工業力優秀、
まさに素晴らしい乙女のような国であるからであるからと。

 このうるわしき乙女を自己のものにせんと、淡々と狙っているのであると。

 うるわしき乙女日本を護るには、米国との安全保障条約が欠かせないと。




以下は、「古事記と日本国の世界的使命」からの紹介です。


          *「古事記と日本国の世界的使命」より

(1)『日を着たる女』というのは日本国のことであります。

 日は天照大御神で、
『日を着たる』は天照大御神を御皇室の御祖先に頂いているということであります。

『女』というのは、日本の国は昔から東海姫氏の国(編註・漢時代の漢詩「野間台詩」
などに見られ、古代中国が日本に使った呼称の一つ) と云われておりまして、
 美人国だとして知られている。

   それで『日を着たる女』という言葉によって
   日本国を象徴(あらわ)しているのであります。

                             (P151)

(2)その試練の最大のものは、⭕ユダヤ民族の世界統一運動なのであります。
   凡そ、全世界を一つの支配の下に制覇しようという野望を抱いている民族は
   ⭕ユダヤ民族であります。

   (中略)

   支那を扇動し、武器を供給して抗日運動を起こしているのは⭕ソビエット・ロシアであり、
   その中心人物はその殆どが⭕ユダヤ人であります。

   この⭕ユダヤ民族は世界各国に分散していますが、いずれも霊界より、この黙示録に
   書いてある『赤き龍(たつ)』の放送する思想念波によって暗黙のうちに一致の行動を
   とり、全世界を⭕ユダヤ人を主宰者とする⭕ソビエット・ユニオンという
  「赤」の一色に ぬりつぶそうとしているのであります。

                             (P153)

(3)これこそ全世界を「赤」一色にて取り巻こうという八俣遠呂智(やまたのおろち)の
   遠大の謀計(はかりごと)なのであります。
   この遠大なる謀計(はかりごと)は先ず世界を唯物論で塗りつぶすということでありました。

   此の赤き龍(たつ)というのは、天爾惟神(てんにかんながら)の神国(しんこく)をも
   自分の掌中に掌握しようという謀計(はかりごと)をめぐらすほどの者ですから、
   実に大きな働きであって、中々普通の人間等よりもよほど強い能力を持っておるので
   あります。

                             (P155)

(4)資本主義組織を計画したのも⭕ユダヤの守護神であり、
   これを破壊に導いているのも⭕ユダヤの守護神であり、
   その変転の過程が彼らの乗ずる処であります。

   資本主義制度というものは、皆さん御存知の通りの通り唯物論に出発している。
   総て物を蓄積して、物の力によって一切を支配して行こうという働であります。

   その反動として起こっているかのごとく見えているところの『赤』色運動というのも
   唯物論であります。本源は一つであるということがお判りになりましょう。

                             (P156)

(5)吾等にとって刻下最も必要なのは、日本国の使命(実相)を信ずるということと、
   その信念に全国民が一致団結するということであります。

   その目的のために国民思想を作興すべく生まれたのが『生長の家』であります。

                             (P159)

<関連Web:生長の家「今昔物語」(2015年07月10日)
       → http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/article/1443/ >

・・・

<参考:野間台詩>

梁の武帝(在位502-549)の尊信を受けた禅僧・宝志(418-514)が
日本のことを予言したとされる「野馬台詩」。

 (http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn59.htm


          <感謝合掌 平成28年7月15日 頓首再拝>



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