《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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4月の箴言 『女性のための智慧』 (1042)
日時:2016年04月08日 (金) 14時36分
名前:童子

『白鳩』 昭和40年4月号


■1日 『天地一切のものに感謝して』

 今日いちにちの開始を先ず感謝することから始めようではありませんか。

 先ず神に感謝し、祖先に感謝し、父母に感謝し、良人に感謝し、子供に感謝し、家庭にはたらく全ての人々に感謝し、勤め先のすべての人々に感謝し、住む家に感謝し、一切の身の廻りの品々に感謝し、これら一切のものの根源となった神の御恩、衆生の御恩に感謝することから今日一日を始めようではありませんか?


■2日 『すべて在るものの神秘を讃嘆せよ』

 感謝の次に必要なのは讃嘆である。

 感謝は受けることに対する受動的反応の要素を‘より’多く含んでいるのであるが、讃嘆は積極的にこちらから賞讃の言葉を対象に対して打ちそそぐのである。

 天を仰いで日光の燦然たる美しさを讃嘆し、俯して地を見て万物を生い育てるその逞しき生命力を讃嘆せよ。

 あなたの子供の元気溌剌たることを讃嘆せよ。

 一輪の花の美しさをも讃嘆せよ。

 人々がその日その日の仕事を滞りなく遂行しつつある神秘を讃嘆せよ。

 小鳥の啼き声の美しさを讃嘆せよ。

 今自己が生きてある、そして生かされている神秘を讃嘆せよ。

 人は一切存在の神秘に目覚めるとき本当に自己の“生き甲斐”を感ずることができるのである。


■3日 『感謝と讃嘆とは幸福の筐を開く鍵である』

 あなたは他から感謝された時、心に悦びを感ずるであろう。

 そしてその人に何かもっと善き事をしてあげたいと思うであろう。

 また人から讃められたとき心に悦びを感ずるであろう。

 そして、もっと讃められるようなことをしてあげたいと思うであろう。

 では感謝と讃嘆とは相手から「善き事」を引き出すところの鍵であることに気がつかれたに相違ないのである。

 それは神に対しても、子供に対しても同じことである。

 神の愛は無限であり、子供が親に対する愛も無限である。

 しかし、それらの愛は、或る程度以上は、こちらが感謝と讃嘆の鍵をもって開くまでは出て来ない“秘密の筐”の中に収められているのである。

 神に感謝し、神を讃嘆せよ。

 子供に感謝し、子供を讃嘆せよ。

 (1043)
日時:2016年04月08日 (金) 14時54分
名前:童子

■4日 『周囲の雑音に巻き込まれてはならない』

 外からなる雑音に耳を傾けること勿れ。

 雑音は純粋なる音楽の美しさを掻き乱してしまうように、あなたの純粋なる清き心の波を混乱状態に陥れてあなたを不幸に陥れるものである。

 あなたは“神の子”としてただ純粋に“愛”と“調和”と“美”と“感謝”と“讃嘆”との心の音楽を奏でるだけでよいのである。

 純粋に、外界の雑音に巻き込まれることなく、“神の子”として、神授の生命の音楽を奏でているか、ただひたすらにそれのみを念願して美しく、清く、愛の生活を送りつつ、すべての物と、事と、人とに感謝と讃嘆の声と想念とを送るようにするがよい。

 やがて一切の雑音は消え、周囲のすべてがあたなに感謝し讃嘆する声を聞くであろう。


■5日 『清き想念は天国を開く鍵である』

 愈々あなたの“心”が純粋となり、清らかとなり、本来の美しさが現象にまで展開してくるとき、あなたの一挙手一投足ことごとく神に導かれて間違いなく榮えの方向に動き出すことになるのである。

 清く美しき純粋なる“心”の想いというものが天国をひらく鍵であり、天国の音楽を受信して地上にそのままにその天楽を再現するためのアンテナとなり、ラジオ・セットとなるのである。

 その時、あなたの生活には、ひとつとして過ちなく、行き過ぎなく、不足なく、圓萬完全なる調和したものとなるのである。

 (1044)
日時:2016年04月08日 (金) 15時51分
名前:童子

■6日 『“迷いの心”は何処から来たか』

 人間は神の最高の自己実現であるから、本来健康であるのである。

 虚弱とか病気とかいうものは、“迷いの心”のあらわれにすぎないのである。

 ではその“迷いの心”は何処から来たのかというと、“迷いの心”という‘もの’があって、それが何処かの国から旅行して此処へやって来たというようなものではないのである。

 それは自己が“神の子”であり、“神の最高の自己実現”であるという霊的実相を自覚しない‘あらわれ’である。

 それは心が半覚半睡の状態に於いて夢を見るようなものである。

 その夢の中に於いて“病気”を現実として見、不幸を現実として見。災害を現実として見る。

 そして夢が醒めない限り、夢中の人にとってはたしかに病気その他の一切の悪も不幸も現実であって、いくら非存在だといわれても、非存在だとわかる筈はないのである。

 『無門關』の第九則に 「大智勝如来は十劫の間道場に坐禅して尚悟りをひらかなかったのは何故であるか」 の公案があり、「‘彼が’悟りをひらかざるなり」ということがその公案の解決となっているが、人間は全能全智〈大通智勝〉の“本源仏”または、“神の”自己顕現であっても、みずからがその瞼を開かないで実在を見ないでいる間は、非存在の“夢中事実”を実在だと見るほかはないのである。

          〈※参照 谷口雅春先生著 『無門關解釋』〉


■7日 『今、あなたの想念次第で一切が一変する』

 すべての人に与えられた仕事は自己内部の完全なる実相を外部に表現するための“魂の研磨修練”である。

 それを他から課せられたる重圧だと考えるときは、それは重圧としてその人の生活に‘のし’かかる。

 それを自己を一層美しき姿に研き上げるための“恵み”として受けとれば、それは“恵み”に変貌するのである。

 それは想念は一切を変貌する力をもっているからである。

 人生を支配する秘訣は、今まで自己が単に受動的に受けていたものを、自己を能動的に働かして、自己が積極的に能作者となることである。

 自分が自分の主人公となることである。

 (1046)
日時:2016年04月09日 (土) 09時18分
名前:童子

■8日 『あなたの家庭を天国に致しましょう』

 自己が自己の絶対的主人公となるためには、自分自身を“肉体”と称する物質的存在ではないと知り、自己の生命の実相を、一切のものの上に君臨する“神”の生命が、今自己に天降って顕現しているのだと知ることが必要である。 

 あらゆる“場”又は境遇又は環境は、自己の実相なる完全さを、より一層明らかに開顕するための道場であると信ずるがよい。

 何物もあなたを害する者はないのである。

 若し何らかの摩擦が、周囲の人々との間に起るならば、金鉱の荒鉱を精錬して純粋の“金”として光を放たらしめるための手続きが行われつつあるのである。

 父母・舅姑・兄弟姉妹。小姑・その他すべての家族は悉く自己の魂にとって先生であり、色々の教訓を与え給うているのである。

 このようにみずからが、自分の自由意志で想いを旋らし、一変するとき其処がその侭天国となるのである。


■9日 『この世界は想念の展開である』

 私たちの見渡すところ、一切の家、家具、什器、衣服、食卓にある食物、自動車、電車、飛行機等ことごとく、想念によって現在の形になっているのである。

 人間の想念の通りに、物質が形をかえて人間に利用される姿となっているのである。

 想念は万物を変貌する驚くべき力をもっているのである。

 戦争も平和も、破壊する力も、建設する力も悉く想念の顕現ならざるものはないのである。

 現代の人間社会の生活状態は、その社会の棲むすべての人々の想念の集結であるということができるのである。

 時代により、人種によって、文化が異り、生活様式が異るのは、その時代又は人種一般の想念の相異によるのであって、形の世界は、単に其の想念の状態の影に過ぎないのである。

 あなたの生活が現在不幸であるならば、それはあなたの過去の想念の投影が現在の時間空間面に映っているからに過ぎない。

 あなたの未来を幸福にしようと思うならば、今直ぐあなたの想念に「幸福」を描くことにすべきである。

 そしてその「幸福」の想を持ち続けなければならない。

 (1089)
日時:2016年04月12日 (火) 13時42分
名前:童子

■10日 『あなたは自己の運命の創造者である』

 あなたは今何を考えていますか。

 一日のうち明るい事を考える時間が多いですか、暗い事を考える時間が多いですか。

 人を憎みとがめる想いを起す時間が多いですか。

 感謝し、讃嘆する想いを起す時間が多いですか。

 そのあなたの想念があなたの性格を決定し、あなたの人生の在り方を決定しつつあるのです。

 運命は、決して他の人又は神に支配されているのではないのです。

 自分自身が刻一刻、自己の想念によって自己の“運命”と名づける自分自身の肖像を彫刻しつつあるのである。


■11日 『あなたを神の最高の自己実現なりと想念せよ』

 劣等感を棄てなさい。

 自己を「劣等のもの」だと想念すれば、自己が“劣等の者”となり、自分の子供を「劣等のもの」だと想念しつつづけるならば、あなたの子供は、その想念の表現として“劣等のもの”となるのである。

 それゆえにあなた自身を、そしてあなたの良人を、あなたの子供を、優秀にして卓越せる立派な者だと想念することによって其の通りになるのである。

 そしてこの世界で「最も優秀にして卓越せる立派なもの」とは「神」であるから、その神の子又は「神の最高の自己実現」だと想念することによってあなた自身も、あなたの良人も、あなたの子供も、素晴らしく立派なものになることは当然なのである。


 (1096)
日時:2016年04月12日 (火) 22時06分
名前:童子

■12日 『朗報は常に内から来るのである』

 あなたの容貌もあなたの想念なのである。

 毎時、毎分、刻々思う感情があなたの表情に鋭敏にあらわれる事はご存じの通りであります。

 常に晴れやかな精神をもっておれば、その明るい精神があなたの容貌に刻まれて、あなたの容貌を魅力ある晴やかなものにします。

 表情だけではありません。

 此の世界には 『類を以て集る』 という法則がありまして、あなたの身辺に“明るい内容”をもった出来事が呼び寄せられてあなたの運命を明るいものにしてくれます。

 結局、外界は内界〈心〉の投影であって、朗報は外から来るように見えても実は内から来るのである。


■13日 『毎朝このように念じて幸福になりましょう』

 あなたは毎朝 「私は神の子だから、今日は必ずよい事が来る」 と2.30遍念じてから、朝食をとるなり仕事にかかるようにするならば、あなたの運命は屹度幸福にならざるを得ません。

 その反対に、 「今日も亦何か悪い事がくるかも知れない」 と眼が醒めた瞬間から考えて、毎日を始める婦人が多いのは、「想念は力であり、想うことはあらわれる」という心の法則を知らないからであります。

 次の如く朝の出発〈起床直後、又は食前の祈り〉に念じましょう。


   『わたしの家庭は神の子の家庭であります。

   常に青天の太陽の光が照り輝いている如く、

   神の愛が照り輝き、すべての人が神の智慧に導かれています。

   各人の幸福と希望との成就は

   神によって導かれている私達の決定的運命であります。

   毎日の神の護りと神の導きとに感謝いたします』

 (1128)
日時:2016年04月15日 (金) 15時32分
名前:童子

■14日 『信仰には中断は禁物である』

 あなたの家庭は、毎日一層幸福となり、家族は毎日一層健康に元気となり、家業は益々一層繁栄するように決定されているのです。

 何故なら、あなたの明るい言葉の祈りが毎日行われるとき、その1日ごとには明瞭ではなくとも、片栗粉に湯をそそぐように、その祈りの“明るい想念”が蓄積せられて、やがて必ず片栗粉が透明になるように、あなたの運命は目に見えぬうちに既に好転しつつあるのだからである。

 しかし片栗粉に湯をそそいでも、最初の数滴の湯では透明にならないというので、途中で湯を注ぐことを中断しては、最初に注がれた湯は無駄になる。

 信仰と祈りは中断せず、毎日持続(つづけ)するところに効果を発揮するのである。


■15日 『祈りの持続の目的は人間の魂の向上にある』

 祈りをつづけることは単に家族の健康がよくなり、成績が上昇し、家業が繁昌するというだけではなく、人間自身の実相の完全さがあらわれて来て人格が向上し、祈る人その人自身の魂の“神らしさ”があらわれて、毎日一層「人間そのもの」が輝いてくることになるのである。

 これこそが祈りの本当の効果であり、目的であって、現象的な利益などは、本当は単なる随伴的功徳に過ぎないのである。


■16日 『“神らしくなる”ということ』

 人間が“神らしくなる”ということは、物質的なもの、時間空間的なものに支配されなくなり、必要に応じて超時空的能力を発揮し得るということであり、罪の観念に縛られて自己を自縄自縛しなくなることであり、自己処罰しなくなることである。

 その人は物質的なものに縛られなくなるために、経済的の変動で、一時、株が暴落するようなことがあっても、必ずそれは反騰するものであることを知って心が動揺しないことであり、また大いに儲かっても、それは神の愛の実現であるとして私的利用に浪費することなく、公けなることに悦んで献げ得る心境であるということであり、時間に束縛せられないから、愈々多忙にして疲れることなく、不平なく、忙中なお閑を蔵して悠々神想観をなし、愛行を重ね得ることである。

 自己処罰をしなくなるということは、自然に災害の起るところに近寄らなくなり、みずから不幸をもとめて自虐状態に立ち到らなくなることである。



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