《特報・悲報!》今年(平成28年)の秋季大祭で聖経「甘露の法雨」読誦が完全に消されました! (4320) |
- 日時:2016年12月31日 (土) 15時08分
名前:破邪顕正
今年一年も、大変、お世話になりました。
拙稿をお読みくださった皆さまに心から感謝申し上げます。
今年は、背教総裁≠フ本性が露わとなり、教団の変質ぶりがいよいよ明らかになった年でありましたが、今年最後の投稿も、それを象徴するような事実の発覚であります。
表題にありますように、今年の秋季大祭では、聖経「甘露の法雨」が一度も読誦されなかったというのです。
こういうことは、今まで、絶対に有り得ないことでした。
谷口雅春先生の畢生の大事業が総本山のご造営でした。
だからこそ、総本山には、谷口雅春先生の説法が鳴り響いているとも言われてきたのです。
その説法の中核こそが、聖経「甘露の法雨」の読誦にほかならないと私は思っています。
だから、いつも、総本山では聖経「甘露の法雨」が読誦されてきたのです。
ところが、その絶対に有り得ないと言われてきたことが、今年の秋季大祭でついにおきたのです。
ご存じのように、背教総裁≠ヘ、聖経を“補強”する意図をもって「讃歌」を創作しました。
発表するときには、わざわざ、「聖経」に取って代わるものではないとまでいいました。
ところが、どんどん、それは「聖経」に取って代わるところとなり、次第に、「聖経」を押しのけて、その「讃歌」の読誦が幅をきかすようにもなりました。
それでも、聖経「甘露の法雨」の読誦が秋季大祭から外されることはありませんでした。
ところが、背教総裁≠ヘ、今年の秋季大祭で、完全に聖経「甘露の法雨」の読誦を外したのです。
これで、はっきりしました。
今後、背教総裁≠ヘ、さまざまなところで、聖経「甘露の法雨」の読誦に代わって、「讃歌」読誦を強行してくるであろうと。
考えてみたら、「聖経」を“補強”して「讃歌」をつくったわけですから、「聖経」より「讃歌」が上だと背教総裁≠ヘ思っているのです。
なぜ、自分のつくったものを読誦しないのか?!
“補強”したものだけで充分ではないか?!
そう思っていたはずなのです。
その本音が、とうとう、今年の秋季大祭において如実に表れた、そういうことではないでしょうか。
今後、教団では、「讃歌」ばかりがどんどん読誦されていくでしょう。
それにますます拍車がかかることでしょう。
その全国への指令が、今年の秋季大祭であった、私はそう見ます。
総本山では、「住吉大神」が外され、そして遂に聖経「甘露の法雨」の読誦までが外されました。
もはや、総本山には、谷口雅春先生の説法は鳴り響かない?!
その結果が、団参の参加者の著しい減少であり、淋しい淋しい秋季大祭となって表れているのだと私は見ます。
ことことに到っては、もはや、今の教団には何も期待できない。
「谷口雅春先生の生長の家」を新たにつくりあげていくしかないのではないのか。
そう思うにいたりました。
平成29年からは、そういう大いなる展望を描いて、前進していきたいと思う次第です。
平成29年が、「谷口雅春先生を学ぶ会」にとって明るい希望に満ちた、飛躍発展の年でありますよう、心から念願して、今年最後のご挨拶とさせていただきます。
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