| 田中静壹大将の大なる使命 〈Great mission〉 (3269) |
- 日時:2016年08月16日 (火) 10時44分
名前:童子
「終戦無血夜話 ― 田中静壹大将と『甘露の法雨』」 中 嶋 與 一
サテ田中大将の使命は何であったらうか? この瞬間は容易にとけなかった。
終戦前後私は東北地方巡講中であったので新聞を見るヒマも余りなく、田中大将自決のことも余程日数を経過した後で耳にしたので、あの時復活は自決の為であったのであらうか。 単なる自決ならばそれは個人感情の最後の清算でしかない。 そのための復活? と考えた時聊か寂しさを感じたのであったが、それ以外に考え直す資料がなかったので、その侭にして置いたのだった。
従って瀕死の容体、医学上は絶対駄目だった肉体が、復活という言葉がふさわしいが如くに全く奇蹟的に恢復せられた事にも、大した意義を発見し得なかったし興味も薄らいだので、今日まで文章で発表しなかったのであったが、丁度フト新聞雑誌で、八・一五事件の真相の記事を読んで初めて一切の神秘的意義が判然したので、ここに書きつらねて神の御心の深遠にして宏大なることを知って頂く便りとしたいと念願して筆をとることにしたのである。
『八・一五事件』 とは何か?
簡単にいえば昭和20年8月15日ポツダム宣言受諾に反対し飽くまで戦うという一部青年将校達が、血気に逸り常識を失い団結して聖断を翻えしめんと企て遂に暴動化し、時の近衛師団長森赳を射殺したのをはじめ、あらゆる暴逆行動に出で一時的痛快感を味わんとした暴挙をいうのである。
この行動が押し拡められ、深刻化したならば、天皇の身辺も危殆に瀕し、日本の国を全く崩壊せしめる力となったに違いないのであったのを、即発寸前に食い止めて、天皇陛下を安泰におき、日本国を滅亡から救いとったのが、東部軍管区司令官田中静壹大将であった。
大将の大なる使命 〈Great mission〉 なるものは実にそれであったのである。 偉なる哉偉なる哉田中大将の功績。 どんなに称賛しても到底たたえ切れないほどなのである。
その日の田中大将の行動は神慮そのままが現われたようであった。 先ず近衛第一連隊営庭にては、渡辺連隊長に対し。 「オオ渡辺 ・・・ 君のうけた師団命令は師団参謀の作った偽命令だ ・・・ 森師団長は殺害された。 自今此の田中が近衛師団の指揮をとる ・・・ 部隊は速に解散せよ」 と、この命令によって二千余名の兵によってつくられた隊は解散することになった。
その他暴動派の青年将校達に対しては、或はさとし或は命令し、さしも猛り立っていた彼等に、道義を分らしめ、抗戦継続の非を納得せしめて夫々処分を完了したのであった。
この事については武官長蓮沼大尉より、陛下に対して、先ず御安泰を祝したる末、 「昨夜来の暴動を鎮圧したのは田中軍司令官の処置よろしきを得大事に至らざりし」 意味を申上げた。
8月15日正午玉音放送が無事に行われたのは、実にこの田中大将の処置宜しきを得て暴動を鎮めたためであるということが出来るのである。
午後5時15分には、田中軍司令官はあらためて宮中御文庫に参上し蓮沼侍従武官長侍立拝謁をたまわり
『今朝ノ軍司令官ノ処置ハ誠ニ適切デ深ク感謝スル。 今日ノ時局ハ真ニ重大デ色々ノ事件ノ起コルコトハ固ヨリ覚悟シテウヰル。 非常ノ困難ノアルコトハヨク知ツテヰル。 シカシ斯クセネバナラヌノデアル。 田中ヨ、コノ上トモシツカリヤツテクレ』
かくも優渥なるお言葉を頂いたことによって田中大将の偉績の渾ては想像が出来るのである。 大将は
「誓ツテ聖旨ニ副ヒ奉リマス」 と申上げ、感激にあふれて嗚咽しつつ御前を引下った。
続いて、軍旗奉焼の問題を大将ただ一人の責任とする扱い方を了し、24日の埼玉県川口の放送所を占領した予科士官学校の生徒に対し峻烈極まる訓示をして、これらを鎮めた。
この歴史的大変革に際して、以上の大仕事をなし遂げ得る者は田中大将を措いて他に求め得ないので医者で分らない病気になり、ヒリッピンから東京へ帰ったことが第一の摂理であった。 操夫人が生長の家本部を訪れる摂理は第二であり、私が 『甘露の法雨』 の講義を11月いっぱに亘って聴いて貰ったのが第三の摂理であった。 そして奇蹟的に健康を恢復せしめたのと高級霊の指導であったことが分って大変嬉しくなったのである。 操夫人にもこのことが分ったらしく前記した近信中にも 「あんなに立派な霊、体共に浄化させて頂きましたのもあの日の為にお残し頂いたのだと誠に一家一同感激いたして居ました」 と認めて居られるのである。 あの日のため、あの日のため誰かこれを予知し得るか。 ただ神慮あるのみ、尊い極みであった。
自決の意義は、現世に於ける肉体的使命を完了したので、もはや霊界に昇天すべきだと大悟せられたためではあるけれども、自決を選んだ理由は遺書の一節に 「将兵一同に代り陛下に御詫び申上げ皇恩の万分の一に報ずべく候閣下並に将兵各位は厳に自重自愛断じて軽挙を慎まん以て祖国の再建に邁進せられん事を」 とある。 即ちイエスキリストが十字架にかかったと同様多くの人達の身代りであった。
今や高級の霊界より平和日本、民主日本の建設のために善良なる霊波を放送されつつあることが分るのであり、その霊波が時間空間の枠を通して必ず実現することも一点の疑いを挿む余地なくことも分るのである。
以上を書き終って振り返って見れば田中大将の霊の眼醒めを促した摂理は甘露の法雨の中のコトバであったことが分るのである。
若しこれなかりせば大将の肉体は遅くとも18年11月中には北亡一片の煙と化して了った筈であったことを思う時、春秋のひっぱうを借りるまでもなく 『甘露の法雨』 克く田中静壹大将をしてこの偉業を完成せしめた。 といっても決して過言ではないと、私は固く信じているのである。
『生長する青年』 昭和24年11月号
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※ 『生長の家四十年史』 『「甘露の法雨」 解釋』 『神の真義とその理解』 等もお読みになればいいかと

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