《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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終戦秘話『甘露の法雨』国難を救う 『生長の家』誌昭和35年10月号 (3262)
日時:2016年08月15日 (月) 05時37分
名前:地湧の浄土

       

         終戦秘話『甘露の法雨』国難を救う



昭和乃木といはれた田中大将は神癒に起ち上つてから如何にして八月十五日の暴挙を鎮めたか


           龍野市 深 谷 林 次

 
   神 の 摂 理

 昭和十八年十月末、田中靜壹大将危篤の報天聴に達し、第一陸軍病院に勅使を差遣せられたとき、将軍は全く瀕死の重患であつた。しかしこの大病も〝昭和乃木〟といはれ、陛下が摂政殿下の頃より信任あつかつた大将をして、後に来る国難を救う大使命を果さすべき、神の一大摂理だつたのである。


 このときに到つて、かつて『生命の實相』を読まれた操夫人は、治療のサジをなげた軍医団の許可を得て生長の家を尋ねられた。谷口雅春先生はご巡錫のため、代つて理事長中嶋與一先生が大将を訪れ、枕頭で聖経『甘露の法雨』を読まれた。

そのときの中嶋先生の荘厳な声、態度は、これまで何千、何万回と聖経を読誦された先生でせうが、格別のものがあつた。それは谷口先生の御名代として、又生長の家の大神の使命を帯びてであらう、まことに聖霊天降る思ひであつた。

 かねてより信仰心あつい大将は、殆ど意識不明のうちに中嶋先生の読まれる聖経を聞いてゐたが、やがて「人間」の項に入り、

〝……人間は物質にあらず、肉体にあらず、脳髄細胞にあらず……
人間は霊なり、生命なり、不死なり〟


 と読まれたとき、それまで物も言へなかつた大将が「ううん」と返事をされ、そばにゐた操夫人や看護婦を驚かした。(看護婦は臨終かと思つてのぞいたほど)大将はそれから「ウンウン」と返事されて、非常に早く(即座に)〝人間神の子〟の真理に直入せられ、一般の人からは奇蹟とみえる神癒に起ち上られたのである。


   霊肉ともに浄化

 以来将軍の信仰は極めて固く、左のポケットには『甘露の法雨』を、右のポケットには、

一、我は陛下の信任を忝(かたじけな)ふす
一、我は神の子なり
一、我には無限力あり
一、我が判断は誤ることなし


 の四ヶ条の信念を書かれた〝銘〟を片時も離されなかつた。


 操夫人は「大将が霊肉ともに浄化させていたゞいた」と中嶋先生への礼状に書いてをられますが、五尺七寸、二十三貫、色浅黒い大将の肉体が、蠶が最後に透明に近くなるやうに、そつくり変ってしまつたといふ。

そしていよいよ日本の一大危機に際して、神は田中大将をして、最も重大な東部方面軍司令官の要職におつけになつた。


   二、二六事件以上の大暴挙

 昭和二十年八月十四日夜より十五日朝にかけて、陸軍省や近衛師団参謀将校は近衛師団を動かして宮城、放送局等の要所を占拠し、全日本の陸軍をこれに応ずるやうに蹶起せしめ、徹底的抗戦の体制をとり、聖断をひるがへさうと反乱を企てた。


 先づ第一に、この計画を許可せぬ近衛師団長森中将を射殺して偽りの師団命令を出し、師団各部隊に宮城を占拠させ、中の大官を監禁し、宮城内外の通信網を遮断してしまつた。


 この反乱は昭和十一年の二、二六事件の比ではない。一夜明けると全国に波及するだらうし、さうなると内乱と外患で日本は全く崩壊して、ドイツや朝鮮のやうに分割占領されるやうになる。

日本国を滅亡から救ふには一刻も早く鎮定しなければならない。しかしすでに一個師団、一万数千名の集団は、なほ続々増加の傾向にある。今や如何に勝れた人の力によつても、人間業ではとても短時間には絶対に鎮圧不可能なことになつてしまつた。


   神想観一時間、宮城へ

 時に十五日の黎明(三時半)日比谷の東部軍管区司令部を、黄色の三角旗(軍司令官旗)をたてたたゞ一台の自動車が宮城に向つた。二時半に反乱の報せを受け、神想観一時間の後に鎮定に出動した田中大将だつた。随行は不破参謀(大佐)と塚本副官の二人だけ。

一名の護衛もなく、猛虎のやうな反乱軍の中へ突入された。胸に『甘露の法雨』を秘めて。


 一方、大将が神想観してゐる間に憲兵五百人(正規軍)が集められてゐた。しかし、一万数千の近衛師団勢に対して一分の勝算もない。

歩哨は全て「大将であらうが大臣であらうが、これを止めるものは即座に刺殺、銃殺せよ」といふ命令を受け、水ももらさぬ厳戒を布いてゐる。

大将に同乗した柔道五段剣道五段の副官塚本少佐も、もとより決死の覚悟であつた。

 高島参謀長は、〝官軍の将たる田中大将の遺骸(そうなるものと思ひこんでゐたのである)を敵に渡すわけにもいかん〟と思ひ、大将の遺骸をもつてくるために、選りぬきの憲兵五人を大将の百米後から尾行さした。


 しかし神――神の子の信念の前には何者も抵抗できぬ。各部隊の集結地へ向ふのに、衛兵の前で「軍司令官田中大将」と一言いふと、刺殺の命を受けてゐる衛兵が皆「ハイ」と敬礼して大将を通した。

「連隊長をすぐ呼んでこい」

「ハイ」

……全く思ひもかけない現象が展開したのである。


 大将は近衛第一連隊から順次説得していつて、午前五時夜が明けたときには、森中将を殺した反乱軍主謀将校の一群のゐる乾門に向つた。

しかし神慮そのまゝ、紫のフクサ包みの聖経をもつ大将の前には、猛虎も猫に変り、従順に整列して大将の訓示を聞いた。

随行の参謀も副官も訳が分らない。〝奇蹟〟が起きたのである。


 田中大将は元来非常に口の重い人で決して雄弁ではない。しかしこの日の訓示は、塚本副官が「あんな名演説は聞いたことがない」と激賞する雄弁だつた。それは非常に小さな声で、雄弁といふより〝神の声〟だつた。


 この赤誠あふるゝ神の言葉をきく中に、将校たちは嗚咽し、或ひは声を立てて泣きだした。中にも畑中少佐はその場で非を悔いてピストル自決した。更に二人は、〝皇居を血で汚しては相済まぬ〟と皇居外へ走りでて自決、近衛師団参謀(東條大将女婿)は森師団長の遺骸の前で自決した。(計四人)


 かうしてさしもの大反乱も、わづか数時間の間に、即ち午前八時には兵は皆もとの兵舎に帰り、完全に鎮定し、玉音放送も無事に行はわれて宸襟を安んじ奉つつたのであります。


   君 臣 一 如

 陛下は、御前に参上したこの至誠あふれる老将軍の最敬礼を慈愛深い御眼差しで会釈を以て迎へられた。

大将も聖上の御心労多い玉顔を咫尺(しせき)に拝し、すでに涙は両眼にあふれた。



「今朝の軍司令官の処置は誠に適切で深く感謝す。……

  田中よく頼む。しつかりやつてくれ」


 
 陛下は最後の御言葉を述べ給ふやハラハラと御落涙遊ばされ、ハンカチを以て玉顔を拭ひ給うた。

大将も涙にぬれた顔を上げ、震へる声で御奉答した。


「誓つて聖旨に副ひ奉ります」


 君臣一如、御側の侍従もハンカチを顔にあてた。(今大将宅にある御言葉写しの最後に「声涙ともに下らせ給ふ」と附記されてあり)


 かくて大将は、八月二十四日夜、軍司令官室のテーブルに白布をかけ、明治大帝の尊像と恩賜の軍刀、恩賜品の数々、その横に『甘露の法雨』を読誦後お供へになつた。


やがて北向して皇居を、西向して伊勢神宮を拝され、皇国の悠久を祈念されて後、心臓にピストルを放たれた。時正に午後十一時十五分。見事な最期であつた。


 七生報国を誓はれた大楠公は、昭和の国難を救ふべく田中靜壹の名で再来せられたが、また櫻井駅の遺訓の如く尊い遺訓を残された。その一節には

「……将兵一同に代り闕下にお詫び申上げ、皇恩の万一に報ずべく候。将兵一同断じて自決の如き軽挙を慎み(我れ一人で、軍を代表する意味)祖国再建に邁進せられたく……」とある。


 それはマッカーサー上陸の前日、即ち軍旗返還の前日であり、〝その際に自決しようとする者がないやうに〟と切々と訴へ、高島参謀長に〝早くこれを各将校に配るやう〟にと、死して日本再建を希(こいねが)はれた遺書であつた。


       附  記

 大将の家には恩賜の軍刀(陸大卒業時)が三振(みふり)ある。これは日本でも他に例がないと思ふが、一振(ひとふり)はもちろん大将であり、(親友の山下奉文大将と二人一緒に拝受)他は長男、次男が戴いたもの。

四人の子息は龍野中学以来どこでも抜群の最優等生で、四男まで陸大に進んでをれば〝五振(いつふり)の恩賜〟が揃つたらうと言はれた。

子息達も大将の神癒以後、熱心に生長の家を信奉してゐる。
 
 その後郷里に帰られた操未亡人は一所懸命に精進され、自宅で誌友会を開いてをられるが、夫人の感化力により誌友が相当ふえてゐる。夫人は龍野白鳩会の顧問でもある。


…………………………………………………………………

深谷氏は故大将と共に龍野中学に学び、高等師範より母校に奉職すること三十一年(終戦直後に退職)大将の子息四人をも保証人となつて母校で訓育した(軍籍に入つた深谷氏の二児の保証人には大将がなる)親しい間柄。地方講師。七十三歳。兵庫県龍野市龍野町富永。
 これは大将最後の副官塚本氏、未亡人、四人の子息の話による事件の真相と大将の人格である。

感激です! (3267)
日時:2016年08月15日 (月) 20時09分
名前:伝統


”地湧の浄土 さま” いつもありがとうございます。

終戦の日にあたり、”終戦秘話『甘露の法雨』国難を救う”を
紹介していただき、感謝申し上げます。

拝読して、あらためて、
田中大将のご功績と生長の家大神の神慮に感激いたしております。

(合掌、御礼)

田中静壹大将の大なる使命 〈Great mission〉 (3269)
日時:2016年08月16日 (火) 10時44分
名前:童子

 「終戦無血夜話  ― 田中静壹大将と『甘露の法雨』」 
                中 嶋  與 一


 サテ田中大将の使命は何であったらうか? この瞬間は容易にとけなかった。 

 終戦前後私は東北地方巡講中であったので新聞を見るヒマも余りなく、田中大将自決のことも余程日数を経過した後で耳にしたので、あの時復活は自決の為であったのであらうか。 単なる自決ならばそれは個人感情の最後の清算でしかない。 そのための復活? と考えた時聊か寂しさを感じたのであったが、それ以外に考え直す資料がなかったので、その侭にして置いたのだった。

 従って瀕死の容体、医学上は絶対駄目だった肉体が、復活という言葉がふさわしいが如くに全く奇蹟的に恢復せられた事にも、大した意義を発見し得なかったし興味も薄らいだので、今日まで文章で発表しなかったのであったが、丁度フト新聞雑誌で、八・一五事件の真相の記事を読んで初めて一切の神秘的意義が判然したので、ここに書きつらねて神の御心の深遠にして宏大なることを知って頂く便りとしたいと念願して筆をとることにしたのである。


 『八・一五事件』 とは何か?  

 簡単にいえば昭和20年8月15日ポツダム宣言受諾に反対し飽くまで戦うという一部青年将校達が、血気に逸り常識を失い団結して聖断を翻えしめんと企て遂に暴動化し、時の近衛師団長森赳を射殺したのをはじめ、あらゆる暴逆行動に出で一時的痛快感を味わんとした暴挙をいうのである。

 この行動が押し拡められ、深刻化したならば、天皇の身辺も危殆に瀕し、日本の国を全く崩壊せしめる力となったに違いないのであったのを、即発寸前に食い止めて、天皇陛下を安泰におき、日本国を滅亡から救いとったのが、東部軍管区司令官田中静壹大将であった。

 大将の大なる使命 〈Great mission〉 なるものは実にそれであったのである。 偉なる哉偉なる哉田中大将の功績。 どんなに称賛しても到底たたえ切れないほどなのである。 

 その日の田中大将の行動は神慮そのままが現われたようであった。 先ず近衛第一連隊営庭にては、渡辺連隊長に対し。 「オオ渡辺 ・・・ 君のうけた師団命令は師団参謀の作った偽命令だ ・・・ 森師団長は殺害された。 自今此の田中が近衛師団の指揮をとる ・・・ 部隊は速に解散せよ」 と、この命令によって二千余名の兵によってつくられた隊は解散することになった。


 その他暴動派の青年将校達に対しては、或はさとし或は命令し、さしも猛り立っていた彼等に、道義を分らしめ、抗戦継続の非を納得せしめて夫々処分を完了したのであった。

 この事については武官長蓮沼大尉より、陛下に対して、先ず御安泰を祝したる末、 「昨夜来の暴動を鎮圧したのは田中軍司令官の処置よろしきを得大事に至らざりし」 意味を申上げた。

 8月15日正午玉音放送が無事に行われたのは、実にこの田中大将の処置宜しきを得て暴動を鎮めたためであるということが出来るのである。

 午後5時15分には、田中軍司令官はあらためて宮中御文庫に参上し蓮沼侍従武官長侍立拝謁をたまわり

 『今朝ノ軍司令官ノ処置ハ誠ニ適切デ深ク感謝スル。 今日ノ時局ハ真ニ重大デ色々ノ事件ノ起コルコトハ固ヨリ覚悟シテウヰル。 非常ノ困難ノアルコトハヨク知ツテヰル。 シカシ斯クセネバナラヌノデアル。 田中ヨ、コノ上トモシツカリヤツテクレ』

 かくも優渥なるお言葉を頂いたことによって田中大将の偉績の渾ては想像が出来るのである。 大将は

 「誓ツテ聖旨ニ副ヒ奉リマス」 と申上げ、感激にあふれて嗚咽しつつ御前を引下った。

 
 続いて、軍旗奉焼の問題を大将ただ一人の責任とする扱い方を了し、24日の埼玉県川口の放送所を占領した予科士官学校の生徒に対し峻烈極まる訓示をして、これらを鎮めた。

 この歴史的大変革に際して、以上の大仕事をなし遂げ得る者は田中大将を措いて他に求め得ないので医者で分らない病気になり、ヒリッピンから東京へ帰ったことが第一の摂理であった。 操夫人が生長の家本部を訪れる摂理は第二であり、私が 『甘露の法雨』 の講義を11月いっぱに亘って聴いて貰ったのが第三の摂理であった。 そして奇蹟的に健康を恢復せしめたのと高級霊の指導であったことが分って大変嬉しくなったのである。
 
 操夫人にもこのことが分ったらしく前記した近信中にも 「あんなに立派な霊、体共に浄化させて頂きましたのもあの日の為にお残し頂いたのだと誠に一家一同感激いたして居ました」 と認めて居られるのである。 あの日のため、あの日のため誰かこれを予知し得るか。 ただ神慮あるのみ、尊い極みであった。


 自決の意義は、現世に於ける肉体的使命を完了したので、もはや霊界に昇天すべきだと大悟せられたためではあるけれども、自決を選んだ理由は遺書の一節に 「将兵一同に代り陛下に御詫び申上げ皇恩の万分の一に報ずべく候閣下並に将兵各位は厳に自重自愛断じて軽挙を慎まん以て祖国の再建に邁進せられん事を」 とある。 即ちイエスキリストが十字架にかかったと同様多くの人達の身代りであった。 

 今や高級の霊界より平和日本、民主日本の建設のために善良なる霊波を放送されつつあることが分るのであり、その霊波が時間空間の枠を通して必ず実現することも一点の疑いを挿む余地なくことも分るのである。


 以上を書き終って振り返って見れば田中大将の霊の眼醒めを促した摂理は甘露の法雨の中のコトバであったことが分るのである。

 若しこれなかりせば大将の肉体は遅くとも18年11月中には北亡一片の煙と化して了った筈であったことを思う時、春秋のひっぱうを借りるまでもなく 『甘露の法雨』 克く田中静壹大将をしてこの偉業を完成せしめた。 といっても決して過言ではないと、私は固く信じているのである。

     『生長する青年』  昭和24年11月号

    ・・・・・

 ※ 『生長の家四十年史』 
   『「甘露の法雨」 解釋』
   『神の真義とその理解』  等もお読みになればいいかと

感服いたしております。 (3274)
日時:2016年08月18日 (木) 08時40分
名前:伝統

”童子 さま” いつもいつもありがとうございます。

さすがに、”童子 さま”です。

ドラエモンのように、魔法の引き出しから、
またまた、素晴らしい資料を掲載していただき、
まことにありがとうございます。

いつもながらの、”童子 さま”の筆の冴えには感服いたしております。

(合掌、御礼)

田中静壹大将と甘露の法雨 (3294)
日時:2016年08月22日 (月) 18時50分
名前:伝統

本流宣言掲示板において、
”山ちゃん1952 さま”が投稿している資料があります。

「田中静壹大将と甘露の法雨」について、さらに詳しく
理解することができます。

 → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=980



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