《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「このまま同じような生き方をしていたらきっと後悔する」と思ったら… (204)
日時:2016年01月19日 (火) 08時43分
名前:破邪顕正


心ある信徒に申し上げたいのが、この表題の言葉です。

こういう考え方があります。

自分の体が向いている方向が「宿命」。

「宿命」から抜け出たいと思ったら、まず、体の向きを変えたらいい!

それがその人の「運命」となります。

「運命」は常に自分もち。

自分の思い一つ、決意一つでどうにでも変えられる!

とは言え、「宿命」の力は強大です。

それというのも、脳はアップデート(update)が好きで、アップグレード(upgrade)が嫌いだといわれているからです。

つまり、脳はアップデート(機能のアップや性能をアップさせること)は好きでも、アップグレードのように「新しく自分の機能を拡張させていくこと」は好まない。

有体に言うならば、脳には、「いまのままで生きていけるなら変わりたくない」という機能が本能的に埋め込まれているというのです。

だから、常に、脳は、「宿命」に沿った生き方に引き戻そうとするのです。

わかりやすく言うならば、「宿命」とはいわば、人生の「わだち」と言っていいのかもしれません。

意識していないと、ついついその「わだち」に従って歩いてしまう。

なぜ、「退会」に踏み切れないのか。

その理由の一つが、この「変わりたくない」という意識にあるのではないかと私は見ています。

「変化」を嫌っているのです。

“三猿主義”が罷り通るのも、この「変化嫌い」が根底にあるからではないのかと思っています。

では、その言わば「本能」ともいうべき「変化嫌い」“三猿主義”に、私どもはどう対処したらいいのでしょうか。

この「わだち」は、いったい、どこへ信徒を連れて行こうとしているのか。

この「わだち」の先には、いったい、何が待ち受けているのか。

それを知らしめるしかないと私は思っています。

そのために、私は、これまでの「わだち」が何であったのかを事実を踏まえて、明らかにする必要があると思って、「谷口雅宣教団の30年史」を作成させていただきました。

それを見れば、自ずと、その「わだち」の先に何が待ち受けているのか、それがクッキリと浮かび上がってくると思ったからです。

もとより、「変化嫌い」の本能を変えようとするのですから、そう容易いとは思ってはいません。

しかし、いずれ、必ず理解してくださるときがくると私は信じています。

谷口雅春先生を愛する心があれば、きっとそうなります。

谷口雅春先生を愛する、信徒の心にただ期待を寄せるのみであります。

谷口雅宣総裁にしてみたら、信徒のこの尊師を恋い慕う心、それこそが一番の目に見えぬ強敵だと思っていたからこそ、この30年、谷口雅春先生を如何にして消し去るかに“腐心”してきたのです。

でも、その“腐心”こそが、却って谷口雅宣総裁への“不信”の温床となった…。

そう思わせること、そういう結果に至らしめなくてはならないという思いが、私が一貫して谷口雅宣総裁と対峙する生き方を貫かなくてはならないという決意、覚悟を支えてくれています。

生長の家創始者の思いに反した言動がうまくいくわけがないはずですから!


井伏鱒二 山椒魚 より (205)
日時:2016年01月19日 (火) 09時37分
名前:中仙堂

谷川の岩屋をねぐらにしていた山椒魚は、あるとき自分が岩屋の外に出られなくなっていることに気がつく。二年の間岩屋で過ごしているうちに体が大きくなり、頭が出入り口に「コロップの栓」のようにつかえるようになってしまったのである。ろくに動き回ることもできない狭い岩屋のなかで山椒魚は虚勢を張るが、外に出て行くための方途は何もない。彼は出入り口から外の谷川を眺め、目高の群れが先頭の動きにあわせてよろめいているのを見て嘲笑し、渦に巻き込まれて沈んでいく白い花弁をみて「目がくらみそうだ」とつぶやく。
ある夜、岩屋のなかに小海老がまぎれこみ、山椒魚の横っ腹にしがみつく。山椒魚を岩石と勘違いして卵をうみつけているらしい。しきりに物思いにふけっているらしい小蝦の様子をみて山椒魚は、屈託したり物思いに耽ったりするやつは莫迦だと言う。しかし山椒魚がふたたび出入り口に突進し、栓のようにはまり込んだりといった騒ぎをはじめると、はじめは狼狽していた小蝦も失笑する。
その後、山椒魚は外へ出ることを再度試みるが徒労に終わり、涙を流して神にむかって窮状を訴える。彼は岩屋の外で自由に動き回っている水すましや蛙の姿を感動の目で眺めるが、そうしたものからはむしろ目をそむけたほうがよいと考え目蓋を閉じる。彼は自分が唯一自由にできる目蓋のなかの暗闇に没頭し、寒いほど独りぽっちだ、と言ってすすり泣く。
悲嘆にくれるあまり「悪党」となった山椒魚は、ある日、岩屋に飛び込んできた蛙を閉じ込め、外に出られないようにした。蛙は安全な窪みのなかに逃げ込んで虚勢を張り、二匹の生物は激しい口論を始める。二匹のどちらも外に出られず、互いに反目しあったまま1年が過ぎ、2年が過ぎた。蛙は岩屋内の杉苔が花粉を散らす光景を見て思わず深い嘆息を漏らし、それを聞きとめた山椒魚はもう降りてきてもいいと呼びかける。しかし蛙は空腹で動けず、もう死ぬばかりになっていた。お前は今何を考えているようなのだろうか、と聞く山椒魚に対して蛙は、今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ、と答える。

“人間には「旬」というものが必ずあって、これを逃すわけにはいかない” (324)
日時:2016年01月31日 (日) 11時10分
名前:破邪顕正


表題は、伊藤四朗さんの言葉です。

人生はドラマ。

運命を左右する、ここぞという正念場が誰にでもあります。

私にとっての正念場は、〝SNI教団〟を退会するかどうかであったと思います。

自分自身の「旬」を意識して、今が辞め時と判断しました。

その判断が良かったかどうか。

それは、棺桶に足を入れるまで分かりません。

しかし、その決断が間違いなかったと胸を張って言えるよう、後悔しないよう、人生を全うしたいと思っております。

今のところですか?

後悔どころか、本当に、その選択をして良かった、間違いなかったと確信しております。

〝SNI教団〟にいて、悶々としている信徒の苦悩を知れば知るほど、そう思います。

それもまた、「谷口雅春先生を学ぶ会」があったればこそであります。

その感謝の思いを力に変えて、更に精進してまいりたいと思っております。



「トキ」さん、フェスタをどう思います? (383)
日時:2016年02月05日 (金) 19時58分
名前:破邪顕正


所謂「トキ」掲示板の「組織」版で「トキ」さんが、こんな投稿をしています。

>2980 : トキ 2016/02/05(金) 11:44:06

(前略)

本部の人がこぼしていましたが、谷口雅春先生や谷口清超先生の時代は、職員が失敗をしても、上司がかばってくれることが多かったが、最近は、上司が逆に責任転嫁をしてくる、という風潮が出てきたみたいです。

ご指摘の通り、教団が分裂したことで、組織の力が落ちたのに、数字だけを維持しようとするから、完全な無理が通っています。

過去はある程度、経験を積んだ、信仰、人格、見識ともに優れた人が多かったですが、最近は上に忠実なだけの人も多く、こういう人が思いやりのない言動をすることは残念ながら事実です。

会員としては、できないことは、できないとはっきりと言われるのがいいです。

団体参拝練成会も、会員しか参拝できない、などと資格制限をしている以上、人数が減るのは仕方がないことです。

そういうことをいう人は、結構、自分も勝手なことをいうことが多いです。

また、支部の変更なども、はっきりと連合会長や教化部長に抗議しましょう。

聞き入れてくれるかどうかは別ですが、考慮には入れてくれるはずです。

今は混乱期ですので、真面目な信徒の方々は悩むことが多いですが、こういう時期だからこそ、じっくりと谷口雅春先生の教えを勉強しましょう。

頑張ってください。<

最後の「頑張ってください」がうつろに響きますね。

頑張らなくていいのです。

フェスタに興ずるようなところに、義理立てして残る必要などないと私は思いますがね。

谷口雅春先生の御教えを勉強するのに、どうして「組織」に残る必要がありますか。

「組織」をやめてはいけない、と思うからこそ、みんな自由にモノが言えないのです。

こんなフェスタに興ずるために信仰しているのではない!

そう、ハッキリと言えばいいのです。

「トキ」さん、今は頑張る時代ではないのです。

ただ、オカシイと思ったらオカシイという、その“言う気”だけが求められていると私は思うものであります。



破邪顕正様 (401)
日時:2016年02月08日 (月) 18時15分
名前:志恩

〝「トキ」さん、フェスタをどう思います? 〝 (383)という

破邪顕正様からトキ様への問いかけに対して、別の掲示板のほうへ
トキ様が フェスタについて、書かれておられますので、転載させていただきます。
_____________________________________________________________

生長の家「本流復活」について考える掲示板(したらば版・続したらば版)より

フェスタに関連して

日時:2016年02月08日 (月) 13時58分

名前:トキ

 フェスタに関して、破邪顕正さんからコメントを頂戴しました。

http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=62

 私は、教団が フェスタを 開催すること自体は 問題と思いません。

また 業務以外の時間に 文化活動や体育活動をすることも 問題だとは 思いません。

 問題は、宗教法人本来の目的である、伝道や 研鑽を 放棄して、
こういう行為をすることが

宗教法人の 社会的な使命を 放棄した点にある と考えます。
 
 先日も、単位相愛会の会長をしている友人から 電話がありました。

友人は 仕事が忙しくて、誌友会は しているが、なかなか 教化部へ 行く時間がないのですが、
久しぶりに 教化部へ 行ったそうです。その時に、教化部の事務員さんから、

「先生は自転車で通勤されていますね?」

と尋ねられたので、「そうです」と返答をしたそうです。

続いて、「家庭菜園もされていますね?」と尋ねられたので、「そうです」と返事をしたそうです。

すると、事務員さんが「では、本部への報告に書いておきますね。」と言われるので、驚いて理由を尋ねると、

事務員さんが、
「本部からの運動目標に、会員に 自転車通勤を勧奨するとか、家庭菜園を 呼びかけるというものがあり、
会員で 自転車通勤をしている人や 家庭菜園をしている人の数を 報告することになっているのです。」と説明をされたそうです。

 友人は私宛の電話で、

 「私は、別に、便利だから自転車で通勤しているのだし、趣味で家庭菜園をしているだけで、信仰とは関係がない。
それを、こんなことを運動の目標にするのは、おかしい。 教団はもっと本来の目標にまい進すべきだ。」


と憤激していました。

 友人自身、自転車で通勤をしているし、家庭菜園もしていますが、
それを運動の目標にすることはおかしいと言っています。

第2、第3にすべきものを 第1にしているのが、今日の教団の間違いだとも言っていました。

これが  大半の信徒の 感想ではないか、と思います。


「志恩」様へ (402)
日時:2016年02月08日 (月) 19時12分
名前:破邪顕正


“天皇信仰の原点に帰る掲示板 <愛国本流掲示板>”にあるこの投稿に心から共感します。

一人でも多くの方に読んでもらいたいとの思いで、こちらにも貼り付けさせていただきます。

勝手に貼り付けることをご寛恕ください。

>(教団は)30年後には。。。とは? (11794)
日時:2016年02月08日 (月) 07時36分
名前:志恩

(前略)

だんだん 私にも わかってきましたよ。

雅宣総裁率いる森のオフィス教団の皆様の生活ぶりが...、

谷口雅春先生の教えは継承せず、宗教の布教活動、救済活動は怠け放題で、課外活動であるべき 「菜園、自転車遊び、クラフト作成」の享楽三昧の優雅なくらしを  高給をもらって 森のオフィスの皆様や、選ばれた幹部が されていることを....

森のオフィスでは、昼食は300円出せば、食堂でいただけますし、立派な 一戸建ての 社員住宅も 与えられてますし、暖炉で使う薪も 格安で 教団から供給されてますでしょうし、仕事の終了時間は、5時ですが、その後の人類光明化運動は地元では禁止されてますので、全くやらないですし、やるのは、冬は、雪かきの援助くらいでしょうか。

ラクして、いっぱい お給料もらって、仕事といえば、多少は、組織のお仕事、その他は、ほとんどが 各々趣味に打ち込むことが仕事のようなものですから、その上、何もノルマもないのですものね、

今の総裁職は、昔と 全然違って、教団の お金が尽きるまでは、やめてたまるか、というくらいにからだもラクで、美味しい職業にしたのだと推察されます。

総裁はじめ、森のオフィスの皆様は、天国だってことですよね。

ですが、全国の教区の皆様は、その分、しわ寄せがきますから、大変でしょうね。

うちの親戚のものが、昔からの熱心な 生長の家信徒で 地方におりますが、親戚のものが電話で言ってましたよ。

こないだも。教化部へ行っても、みなさん、最近、顔が 暗い。

顔色が みなさん すごく 悪いのよね。

どうしちゃったんだろう。って。

そして、とにかく、人間が 集会に集まらなくなったって、幹部の皆さんが人集めに困ってるということでした。

男なのに、男でもいいですから、白鳩の集まりに来てくださいと、再三、誘いがくる。

聖使命会費も 昔のようには、集まらないって。それも 幹部の人が困ってるって。

言ってみれば、昔の 悪代官みたいなものですかね、教団は。

自分たちだけ、教団のお金をたっぷりもらって、いい思いして。

口だけは、偉そうなこと言ってるけど、裏じゃ本業そっちのけで、菜園、自転車遊び、クラフト作成。

全国の教区からは、教区の皆様を働かせた 何割ものお金を巻き上げ。。。

自分たちだけは、優雅な暮らし。

時代劇によくある筋書き...、思い出します。

それでも、お人よしの庶民は、何も知らずに、昔の恩を感じて、お金を奉納し続けるのです。

最後の結末は、悪代官は、旗本退屈男にやられるんでした、映画はですが。

気がついた信徒さんたちは、教団を、どんどん辞めているのは、自然のことです。

それに対して、本流は、つぶれないで、いよいよ栄えて活気付くと思います。<


さて、「トキ」さんの回答、読ませていただきました。

「トキ」さんは、律儀にも私の質問に答えてくださいました。

この場を借りて、心から感謝御礼を申し上げます。

「トキ」さんの今回の回答に、私はとても納得しております。

それというのも、「トキ」さんの次の指摘こそが、今回のフェスタの一番の問題点であると思うからです。

>問題は、宗教法人本来の目的である、伝道や 研鑽を 放棄して、こういう行為をすることが 宗教法人の 社会的な使命を 放棄した点にある と考えます。

こういうことがどうして、運動方針の中核に来るのか。

すべてはそこです。

ただ、何が「トキ」さんと違うのか。

私は、一貫して谷口雅宣総裁は確信犯であると見ています。

しかし、「トキ」さんは過失犯だと言う。

フェスタに興じ、それを全世界に発信するのが、果たして、過失でしょうか。

私は、そこに明らかな総裁なりの意図、意志、目的があると見ます。

「組織」に残って、果たして、こういうことを画策する谷口雅宣総裁に対峙していけるのか、それで〝SNI教団〟を正すことができるのか。

「トキ」さんからは、その展望、方向性が見えて来ない。

少なくとも私にはそう見えて仕方がありません。

そこが根本的に違う、生き方が違うということです。

「トキ」さんには、一応の敬意を表しつつも、「立ち位置」の違いは依然としてあるということを申し上げさせていただきます。





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