| このような不祥事が何故起こるのか (2084) |
- 日時:2016年06月16日 (木) 07時47分
名前:美濃紋次郎
この横領事件が本当ならば大問題である。金額の大きさからして全国ニュースになってもおかしくない。インターネットで香川の地方新聞(四国新聞)のサイトを閲覧したが何も出てこなかった。
恐らく被害にあった教化部が、新聞沙汰になって「生長の家」の名前が出るとまずいと判断し、刑事告訴していないのだろう。あるいは容疑者が返済を約束したのかもしれない。
仮に返済の約束もないまま、容疑者を無罪放免にしてしまっていたらこんな非道なことはない。世間常識からしても「生長の家」は無法地帯、「犯罪の家」との謗(そし)りは免れないであろうし、真理に照らし合わせても、当然容疑者、及びその家族、そしてその子孫を救うことにはならない。(因果の法則)
ともあれ、三重の練成会中の殺人事件(容疑者は精神の疾患により供述も曖昧で不起訴処分)といい、このような不祥事が何故度々起こるのだろうか。
それは「今の教団がもう信仰集団ではなくなっている」からではないだろうか。教化部内で「真理を生きる」実践がなされ、職員相互の拝みあいがなされ、真剣な祈りがなされていれば、不祥事など起こるはずもない。
今の教団にいる人には使命感はない、夢も希望もない、あるのは義務感、疲労感、倦怠感、総裁に対する不信感。その結果純粋な信仰が失われ、ぎすぎすした人間関係が生まれ、次第に道徳観や倫理観までも失われて行く。それが今回のような不祥事にもつながっていく。そんな気がしてならない。
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