ゾイド系投稿小説掲示板
自らの手で暴れまくるゾイド達を書いてみましょう。
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銀河系という直径約10光年の巨大渦巻きは、約2億5千万年の周期で1回転する。その巨大な渦巻きの中に、惑星Zi=ゾイド星は、我々の住む太陽系地球とバルジ(射手座A*(エー・スター))を挟みほぼ対蹠点の恒星系に位置した。 太陽系では、ペルム紀末や白亜紀末に代表される定期的な大量絶滅イベントが存在する。原因として、エリック・レイッチとゴータム・ワシシュットは銀河系の渦の外縁に突き出たアーム≠ニ呼ばれる星間物質の濃密な部分が通過する際に恒星系が刺激され、著しい気候変動や隕石の落下が増加するのではないかと発表した。 天文学的現象を、天文学的な時間経過を越えて証明するのは、地球上の観測のみでは難しい。だが、惑星Ziで確認された宇宙規模での大災害は、上記の主張の証明の有力な証拠となった。つまり、地球同様に銀河系辺縁に位置するゾイド恒星系で発生した「惑星大異変」及び「神々の怒り」は、銀河系円盤の楯座〜十字架座アームの、ゾイド恒星系通過によるオールトの雲を刺激した結果によるものと分析されたからである。 小次郎達が過ごした承平年間は、既に「神々の怒り」より数百年を経ていた。だが、星間物質の残滓は未だにゾイド恒星系内に漂い続け、時折小惑星の軌道を外し、内惑星までその飛来を齎す。惑星Ziの人々は、宇宙から飛来する災厄の脅威に常に晒されていたのだ。そして時の為政者にとって、隕石災害は再び訪れるやもしれぬ第二、第三の「神々の怒り」と成り得るものであり、その脅威から逃れる為にも、軌道エレベーターの完成は悲願となっていた。 承平末年の惑星Ziに降り注いだ直径10m以上の隕石の数は20を越えた。 打ち続く宇宙からの天変地異に怯えた東方大陸の朝廷は、承平から天慶への改元の詔を発し、小手先の人心の安定を図る。 詔が坂東に届く頃、不吉な兆候を振り払う様に、石井の営所にて新たな命が産声を上げていた。「嫡子の名は小太郎、元服の後には良門と名乗ることとなろう」 産着に包まれた赤子を抱き、小次郎が告げる。営所に集まった民衆の間から、割れんばかりの歓声があがった。「おめでとうございます、小次郎様」「遂に御子の御誕生で御座います。これで下総も、いや、坂東は盤石」「小次郎様、万歳!」「将門様、万歳!」「我らが平小次郎将門様は、この惑星最強の勇者で在らせられるぞ!」「やめてくれ」 小次郎は静かに首を振った。途端に歓声が鎮まる。集った民衆を前にして、小次郎は穏やかに語り出した。「俺はただの、ゾイドが好きな坂東武者だ。この世界の治世を担おうなどと、大それた野望は持ち合わせておらん。無用に崇め奉られるのも性に会わぬ。 ただこれだけは約束する。無為に民を傷つけ、苦しめる輩は容赦しない。この村雨ライガーと、俺たちのゾイドと共に全力を以て追い払い、坂東の平和を守ることを」 静まり返った民衆の中に小次郎の声が朗々と響き、感極まった歓声が再び沸き上がった。呼応して、村雨ライガーとソードウルフが咆哮し、デッドリーコングもドラミングを打ち鳴らす。「ありがとうございます、将門様!」 嫡子誕生の宴は、夜を徹して催されたのだった。 翌日の早朝。仄かに地平が白んで来る頃、小次郎は愛する者達の隣に寄り添っていた。 床に就く良子は、妻としての務めをまた一つ終えた達成感を得た艶やかさを湛えている。傍らには、すやすやと寝息を立てる小太郎と、産まれたばかりの弟に身を寄せて眠る多岐の姿がある。幸せに満ちた妻の顔を、小次郎は静かに見つめていた。「あなたさま、何をお悩みですか」 夫の気配に気づき、ふと目覚めた良子が、小次郎を見上げ囁く。「悩みなどない。俺は第二子を授かり、この惑星随一の果報者と思っている」「太郎貞盛殿のことですね」 小次郎は考えを見透かされ、口を噤む。「私とて、身代わりとなって見捨てられた孝子殿の無念に報いたい。そして、従兄であり竹馬の友であった貞盛殿を、あなたさまがお許しになれないお気持ちはわかります」 気まずさを繕うように、小次郎は良子の頬にそっと触れる。「わかっている。心配するな、皆を不安にさせるようなことはせぬ」「はい」 産後の疲れからか、良子は瞳を閉じ、再び微睡の中に落ちていく。小次郎は足音を忍ばせ、寝所を後にした。 良子への答えとは裏腹に、小次郎の拘泥は拭い去れなかった。 奴との決着を付けねばならぬ。 小次郎は馬場に蹲る村雨ライガーを見上げ、貞盛の行方を思案していた。 平良正率いる大毅より、石井の営所襲撃の直後、平太郎貞盛のブラストルタイガーが密かに抜け出したということまでは突き止めていた。その後結城法城寺より分岐する間道を抜け、東山道に入ったという情報も得ている。しかしそれ以降、霞霧の如く消え失せた貞盛の行方は知れない。貞盛が向かうのは都か陸奥の地か。孰れにしても己の手の届かぬ場所に逃げ果せることが許せなかった。 坂東の覇者としての誇りを汚されるからか。しかし、もっと些末な感情であると、小次郎自身も気付いてはいた。友として山野を駆け巡った思い出と、あの川曲村での戦いにブラストルタイガーを操り出現した時の絶望感との落差。貞盛だけはわかってくれる、と信じていた事への裏切り。そして、彩(あや)のことも。 様々な思惑が心を駆け巡り続け、小次郎は己の卑小さが悔しく、思わず舌打ちをした。 村雨ライガーが目を覚ます。このゾイドは殊更に、主の心の動きを読み取るのに長けていたからだ。「すまぬ。起してしまったか」 村雨ライガーが再び蹲り、一番鶏が刻を告げる頃、小次郎の元に伊和員経が遽しく駆け寄るのであった。 鹿島灘より繋がる信太の流海の砂嘴に、巨大ゾイドが出現したという報せが届いていた。情報主は、霞ヶ浦湖賊大江弾正重房である。弾正配下のバリゲーターが伝えた状況は、浅瀬に乗り上げたホエールキングらしき巨大輸送ゾイドが、内部より黒い猩々を吐き出した後、即刻沖へと姿を消して行ったというものであった。 瞬時に信太の流海に水没したゾイドを、バリゲーターの操縦者は以下の如く伝えた。「巨大な銛を持ち、背後の槽より管を伸ばした黒と緑のアイアンコングで御座いました」 小次郎は直感した。「アクアコング。藤原純友が来たのだ」 畏敬と懐かしさを伴った邂逅に、小次郎は己が言い知れぬ仰望を抱くのを意識していた。
東山道にて落ち合う手筈であった新任の陸奥守平維扶(たいらのこれすけ)は、左馬頭離任の宴が長引き、未だ都の宇治に逗留を続けるという誤算が生じていた。無為な虚礼が己を窮地に追い込む状況に発展したことに、貞盛は歯軋りをする思いであった。「御心配召さるな。信濃の小県(ちいさがた)は我ら他田(おさだ)一族の地、必ずや貞盛様をお守りする手助けになるでしょう」「頼む。最早私には、坂東に頼る術は絶えてしまったからのう」 ブラストルタイガーとレッドホーンが、東山道に向かう碓井関を僅かに越えた山林の中に潜んでいた。貞盛の語るのは、ほぼ事実であった。 将門ライガーの猛攻を受けアイスブレーザーを失った平良正は、完全に戦意を失い仏門に入った。依然ダークホーン部隊を温存している平良兼も、石井の営所襲撃以降急速に老いを増し、家督を嫡子平公雅に譲って同じく仏門に入る。そしてその直後に、起居も儘ならず床に伏せるほどに衰えてしまったのである。源護の軍勢も、バーサークフューラー等の竜の系譜のゾイドを失って以来常陸に篭り沈黙し、妻問に通っていた彩との便りも断たれていた。更には、バイオゾイドを供与し、一時は常陸勢に力を貸すと思われた下野の豪族俵藤太さえ、坂東で名を馳せる平将門に対し譲歩の姿勢を垣間見せるまでになる。その証拠に、これまで敗走してきた山道沿いの繁みの中に、敢えて光学迷彩を施さずに並走するメガレオンの姿を何度も見留めている。俵藤太にしてみれば、平貞盛はソラから追捕官符を突き付けられた罪人であり、恩賞を賜る機会を狙い襲撃して来ることも在り得た。「小次郎よ、復讐とはいえ私から全てを奪う心算なのか」 星空の下、見上げるブラストルタイガーも所詮は都の左馬允への下賜ゾイドである。小次郎に討たれ今は亡き父国香より携えられたライガーゼロと三つのチェインジングアーマーシステムも、任官の代償にソラに献上してしまった。(もはや、陸奥に下り蝦夷を討伐し、今一度任官を目差す他ない) 清浄な大気に映え、煌々と森を照らす満月までも、敗走する平貞盛にとっては恨めしい。ブラストルタイガーとレッドホーンの僅かな放熱を、上空を飛んだザビンガの赤外線スコープアイが捕えていた事を未だ知らぬのは、太郎貞盛の心情にとっては幸いであった。 藤原純友とその息子重太丸、そして空也の一行は、既に下総を迂回し常陸の地に到着していた。アクアコングを浮上させたのは陽動である。極力下総将門の軍勢を分散させ、無用な衝突を避けての会見を行う目論であった。「もし将門殿も出陣されていたとすれば、何とします」 手練れの乞食僧は、悉く純友の戦略を見透かしてくる。忌々しくも、純友は返答せずに済ますことは出来なかった。「あの男は、正体の掴めぬ敵であれば必ず自ら出陣する。だが右京で戦を交えたアクアコングであれば、すぐ俺だと気付くだろう。将門は守りを固めた営所の正面で碧き獅子に身を委ね、俺が到着するのを首を長くして待っている筈だ」「成程なるほど」 この乞食僧の高慢な物言いは、常に純友にとって耳障りであった。「父上は、将門どのとはお友だちなのですか」 純友と手を繋ぎ歩く重太丸が、曇りのない瞳で見上げ問う。「友か。そう、友だ。同胞(はらから)と呼んでもいいかもしれぬ。そしてその絆を更に強めようと思うのだ」 純友は歩む先を真っ直ぐに見つめる。重太丸は、父の掌が心なしか強く握ることを感じる。空也は先程の高慢な物言いとは裏腹に、慈愛とも憐憫とも取れる視線を少年に投げかけるのであった。 純友の思惑通り、小次郎は石井営所の土塁外縁に沿って村雨ライガーをゆっくりと巡回させていた。常に反対側には、多治経明と平将文の乗るディバイソンを配置してある。三郎将頼のソードウルフと坂上遂高のソウルタイガーを、アクアコングが目撃されたという信太の流海と鹿島灘の接する潮来方面に急行させ、湖畔には大江弾正重房との共同の監視網を巡らせた。同時に鹿島の藤原玄明、玄茂の元に伊和員経のデッドリーコングを派遣し、共闘を以て鹿島灘方面からの海賊衆の襲撃に備えるよう通達をする。万全を以て臨んでいる思われる坂東の布陣であったが、それでも小次郎は、神出鬼没の瀬戸内の海賊が坂東に進出してきた事実に畏れを抱いていた。 奴は何を考えている……。 アクアコングという人目に付きやすい大型ゾイドでの略奪行為は効率が悪い。況してや湖賊大江弾正のバリゲーターの大毅を敵にすれば、如何に海賊であっても無傷では済まない。 ……であれば、何が目的なのだ。 目的が予測出来ないもどかしさと、アクアコング発見の報より継続してきた緊張が疲労となって小次郎の心身に積もり、その精神に僅かな綻びを生んだ。既に日常と化した村雨ライガー操縦席での揺れは、小次郎を等閑に誘っていた。兄上、ザビンガです 反射的に身体が強張る。太郎貞盛を追って東山道まで至った文屋好立が戻ったのだ。間違いなく有力な報せを得たに違いない。 小次郎は瞬時の選択を迫られた。 純友か貞盛か。「ザビンガを三郎の元に向かわせよ。Zi―ユニゾンを何時でも行えるように備えよ」 下した選択は前者であった。帰還したばかりのザビンガが、頭部センサー部分をムササビ型からモモンガ型に換装し、レッゲルを慌ただしく補給して、潮来に向かって飛び去っていく。「すまぬ」の言葉を呑み込み、小次郎は村雨ライガーの操縦桿を握り直していた。 空也もまた、葛藤を続けていた。 蔵人頭藤原師氏(もろうじ)より依頼された「平将門と藤原純友を逢わせてはならぬ」という戒めを、今しも破ろうとしている。僧として衆生の安息を願うべき身の上であるのに、敢えて戦乱を導こうとしている己自身への鬩ぎ合いを覚える。 純友と将門の袂を別つ為、叡山のサンカより託されたデッドリーコングを小次郎と桔梗に与え、互いに戦いを挑ませた。純友が行動に移るのを引き延ばすため、虚ろ船に見せかけた船で日振島に向かい、龍宮の野望を開示し海賊衆を動揺させようと目論んだ。 だが日振島に起居し、藤原純友の所作を監視する内に、この海賊衆の頭目が生育させているアーミラリア・ブルボーザが、私利私欲の為ではなく、これを用いてこの惑星を守ろうとしている真実に辿り着いてしまったのだ。 師氏の願いは尊い。だか所詮目先の平安を維持するに過ぎない。 空也は知っている。再び「神々の怒り」に匹敵する末法の世が訪れること、そして純友が将門と共にその脅威を排除しようとしていることも。「――山川の 末に流るる橡殻(とちがら)も 身を捨ててこそ 浮かむ瀬もあれ――」「何の呪(まじな)いだ」 思わず口遊んだ独白を、純友は目敏く聴き付ける。「呪いを唱える余裕があるならば問う。此処は常陸のどの辺りなのだ」 空也は鹿角を番えた錫杖を振ると、背後に広がる信太の流海と、遠望する筑波峰を仰いだ。「ここは新治郡宍倉(ししくら)、嘗て拙僧が遊行で一度訪れた地にてより、御心配召さるな。拙僧も平将門に再会するのを楽しみにしております」「紀秋茂(きのあきもち)のアクアコングによる陽動にも限界がある。将門の営所への到着を急ぎたい」「心得ております」 笑顔を湛えて振り向いていた空也の表情は、正面を向き直った途端に険しさを増す。 平小次郎将門と齢を同じくする乞食僧は、純友と、貞盛と、そして俵藤太達多くの坂東武者の命運を背負ったまま、只管に石井に向け歩み続けるのであった。
(なぜこんな単純な事を) 小次郎は、純友か貞盛かのどちらを選択するか悩んだ影響が、己の的確な判断を誤らせたことに気が付いた。 瀬戸の内海の海賊衆を束ねるほどの男が、これ程見え透いた動きはしない。 村雨ライガー操縦席より身を乗り出し、矢倉門の物見兵に向かって叫ぶ。「潮来のアクアコングは陽動だ。ソードウルフとザビンガのみを弾正の湖賊に合流させ、すぐさまデッドリーコング、ソウルタイガーを呼び戻せ。海賊衆の狙いはこの営所だ」 小次郎は土塁の外から矢継ぎ早に命令を発する。「シンカーであれば空襲も在り得る。どれほどの兵力を備えているかわからぬ以上、館全体で海賊の襲来に備えるのだ」 周囲を子飼川や鬼怒川、そして騰波ノ江などに囲まれ、守るに堅いはずの石井の営所は、水際からの襲撃には極めて脆弱であることを改めて思い知らされたのだった。 至急館に戻れとの指示を受けた伊和員経は、自機デッドリーコングに接近するゾイドを確認した。識別コード、ランスタッグブレイク。「玄明殿か」 特徴あるトゥインクルブレイカーを振り翳して信太の流海に連なる湿原を疾走するランスタッグブレイクは、遠目にもすぐ藤原玄明のゾイドと判った。員経、海賊は見つかったか「未だに。さすれば急ぎ石井に戻る途中です」俺も合流する。先行するぞ 最高速度に優る鹿型ゾイドが、デッドリーコングを追い越さんとした時であった。 デッドリーコングの双眸が妖しく光る。ゾイドコアが鳴動し、低い読経の声色を奏で始める。「これは金光明経の陀羅尼。デッドリーコングのコアが共鳴している。まさか、孝子の時のような暴走なのか」 咄嗟に、員経は操作盤の脇に供えられた桔梗色の衵の断片を凝視した。員経、何処へ行くつもりだ デッドリーコングは員経の操縦を拒み、石井の営所とは逆方向にナックルウォークを開始した。「なぜ儂の操作を受け付けぬ、止まれ、止まらぬか」 操縦席で苦悶する員経を他所に、猩々は信太の流海に突き出た半島部に向かって導かれていった。 常陸国石岡国衙から続く街道に、ゾイドの残骸が累々と重なる。「こんな田舎にまで、ウィルスは蔓延していたのか」 手を曳く重太丸の掌も心なしか汗ばんでいる。少年の目には、金属とはいえ、四肢を投げ出し横たわる生命体の亡骸の群れは凄惨であった。 純友は冷静に残骸の位置座標を記録し、鹿島灘のホエールキングに送信する。帰路に、この無数のゾイドの残骸を回収するためである。それは純友にとって、重要な目的でもあったのだ。 怛姪他。晡律儞。曼奴喇剃。独虎・独虎・独虎。耶跋蘇利瑜。阿婆婆薩底。耶跋旃達囉。調怛底。多跋達。洛叉。漫。嘽荼 鉢唎訶藍 矩嚕。莎訶 錫杖を振るいつつ、低く陀羅尼を詠唱する空也が、ふと読経を途切る。「純友殿は、ゾイドを束ねるアーミラリア・ブルボーザを、如何にする御積りか」「出し抜けに何を言う。無論、都に昇り破壊の限りを尽くす為だ。坊主に殺生は禁忌であろう。詮索せぬことが身の為だ」「殿は日振島を動かし、天からの脅威に立ち向かおうとしておられる。地上に住む我々衆生にとっても、無関係ではない」 純友が立ち止まる。「知って、いるのだな」 空也が振り返る。「龍宮が狙いをつけた時点で、サンカの草より殿の真意を探らせておりました」 空也と純友が眦を見開き、互いに不遜な笑みを浮かべる。「真意は、平将門の営所に到着してより、貴様の臨席も認めて語ってやる。それで良いな」「有り難きことでございます」 その時、重太丸は小さな指先を低木の茂る雑木林に向ける。「父上、コングが参ります。棺桶を背負ったみたいな」 純友が眉間に皺を寄せた。空也は懐かしい友人と再会したように目を細める。「あれは、俺と戦った棺桶背負いの猩々。それにランスタッグまで連れている」「先ほど申しました通り、ここの字は宍倉。元は鹿蔵とも呼ばれていた場所故、拙僧がゾイドを呼び寄せる事など造作も御座らぬ。……久しいのお、デッドリーコング。どうやら操っているのは桔梗の前ではないようだな」 空也は純友と再び視線を交わす。「迎えが到着しました。将門殿の元に参りましょう」 ザビンガ、ソードウルフ、共にアクアコングと接触。戦端は開かれず、互いに出方を探っているそうです 多治経明のディバイソン後方警戒・対空要員席より、平五郎将文が営所からの伝文を中継し小次郎に告げる。状況は既に、浮上したアクアコングと会敵した後であった。 三郎将頼と、強力なゾイドを釘付けにする策に、見事に嵌められていた。Zi―ユニゾンを遂げ、敏捷性を増したワイツタイガーイミテイトであれば、水上戦にも充分対応できる。だが稼働限界を考えると、安易にユニゾンを行うこともできない。「員経はまだ戻らぬか」それが、途中デッドリーコングと合流した藤原玄明殿より入電。『猿めが操作を振り切り、あらぬ方向に走り出した』とのことです「どういうことだ」 伝えた将文も、返答に詰まる。問い詰めた後、小次郎は一度鬢の毛を掻きむしり、深く息をつく。(無理からぬことか。乞食僧より譲り受けたあの猩々は、未だ多くの謎を秘めている。加えて海賊衆の襲撃という、未曽有の事態に、将文を含め、営所の郎党も対応しきれないのだ)「員経と玄明のことだ、心配は無かろう。我らは全力で営所の防衛を行う。多治経明にも伝えよ」わかりました、兄上「棟梁が狼狽えてどうする」と、小次郎は己に言い聞かせ、飯沼方向の営所の門前に村雨ライガーを身構えさせた。「何処から来る、海賊純友」 強めの風が、村雨ライガーの風防を開けたままの小次郎の頬を撫でていった。 怛姪他。勺訶・勺訶嚕。勺訶勺訶嚕。鞞陸枳・鞞陸枳。阿蜜栗多嗁漢儞。勃里山儞。鞞嚕勅枳。婆嚕伐底。鞞提哂枳。頻陀鞞哩儞。阿蜜哩底枳。薄虎主愈。薄虎主愈。莎訶……。 陀羅尼を唱える声が途絶え、漸く操縦を受け入れるようになった黒い猩々の操縦席で、伊和員経は足元に奇妙な旅の一行が見上げているのを知る。「デッドリーコングよ、お前を導いたのは、あの鉢叩きなのか」 嘗ての主君との再会を喜ぶが如く、デッドリーコングは空也の正面ぎりぎりまで上体を屈める。アイアンハンマーナックルの剛腕の掌が返り、蓮の花の様に空也の前に開かれる頃、デッドリーコングの双眸に点っていた妖しい光は消えていた。
信太の流海の湖畔が泡立つ。 白浪を蹴立て、ディオハリコンの燐光を纏うアクアコングの巨体が湖面に浮沈する。葦原を疾駆し、丹色の狼は湖上の影を追い続けていた。「弄ぶ魂胆か」 疾駆するソードウルフの中、三郎は歯噛みする。陸に近づくでもなく、攻撃を始めるでもなく、海賊衆はただ、湖岸を遊弋しているだけである。湖上を旋回するザビンガが続け様に打電する。乾(いぬい)、常陸国衙方面にホエールキングの着水を確認。此方への接近を停止「合流する気は無いのか。他に何の目的があるのか」図りかねます。将頼殿、後方より弾正のバリゲーターの小毅が到着した。挟撃は如何に「望む所よ。兄者ばかりに負担はかけられぬ。好立、ユニゾンを成すぞ」承知 光に包まれた剣狼は、瞬時に丹色の翼を持った虎、ワイツタイガーイミテイトへとZi―ユニゾンを完了させていた。「頭(かしら)からの連絡はまだなのか」 紀秋茂(きのあきもち)はアクアコング機内の無線機に縋りつく。 勝手の違う信太の流海での行動は分が悪い。陽動とはいえ、先刻来対峙し続けていた丹色の狼は、妖しげな術によって翼を持つ虎へと変化(へんげ)を成した。更には後方より現れたバリゲーターの群れが退路を塞ぐ。ウィルスに冒されたゾイドの骸を回収に向かったホエールキングからも分断され、正に孤軍奮闘の状況に追い込まれていたのだ。「いつまで待たせる、あの糞坊主め」 一人操縦席で毒づく最中、直上より丹色の虎が襲来した。雷光にも似たエレクトロンハイパースラッシャーの一撃が湖面を叩く。葦原を薙ぎ払い、湖水を蒸発させ、アクアコングの巨体を曝け出す。「牽制か。舐められたものだ」 アクアコングが水中銃(スピア・ガン)を構え、湖上を舞う丹色の虎に狙いをつけた。「伊予の海賊衆を見縊った事、後悔させてやる。その翼を捥ぎ取ってやるわ」 激しい上下運動を繰り返すワイツタイガーイミテイトに対し、アクアコングは緩やかに照準を定める。 秋茂も悟っていた。丹色の虎は、敵の出方を窺う為に、敢えてエレクトロンハイパースラッシャーを逸らして湖面に叩き込んだのだと。 海賊衆の誇りにかけて、侮辱とも取れる田舎の坂東武者の手加減は許せなかった。 ハイドロジェットを噴射させ、泥濘に覆われた湖底を葦の地下茎ごと吹き飛ばす。浮上と同時に左肩の防水装甲が開き、10連発自己誘導ロケット弾ランチャーが露出した。 秋茂の操作で、アクアコングを要とする弾幕が扇型に展開する。撃ち上げられた砲弾は、やがて緩やかな放物線を描き、湖上のバリゲーターと葦原のワイツタイガーイミテイトに殺到した。 焼夷弾を含む誘導ロケットは、葦原に炎の帯を生む。咄嗟に潜航し、火炎を避けるバリゲーターに対し、丹色の虎のみが残される。驚異的な機動性で、飛来した弾丸の全てを回避したものの、足場を求め跳躍する僅かな隙を、魁師紀秋茂は逃さない。「己の傲慢さを悔いよ」 水中銃の照準は、完全にワイツタイガーを捕えていた。 唐突に、アクアコングの照準画面を白い幟が遮る。双方とも、矛を収めよ『南無八幡大菩薩』の旗竿を立てたバリゲーターTSが、アクアコングとワイツタイガーの間に割って入る。無防備にTSユニットを曝したバリゲーターの出現に、葦の茎を纏った虎と猩々は動きを止めた。無線と拡声器同時に告げる声明が高らかに響く。平小次郎将門公、及び伊予の海賊大将藤原純友様よりの伝達である。伊予の海賊衆と坂東のゾイドは通達あるまで争いに及ぶ事、罷りならぬ ワイツタイガーのウィングスラッシャーが翼を閉じ、アクアコングの水中銃が銃口を下ろす。燃え上がっていた葦原の焔も程なく下火となり、信太の流海には湖面を渉る風の音が再び鳴き始めていた。 襤褸切れを纏った乞食僧と、赤銅色に焼けた肌の嘗ての武官。そしてその武官の面影を帯びた少年が、デッドリーコングを背後に石井の営所門前に身構える。向かい会う正面に、碧き獅子を背負う武者の姿があった。互いに鋭い眼光を放ち、無言で立ち尽くす。「久しいのう、平将門殿」 重苦しい空気を断ち切ろうとするかの如く、まず一歩、空也が前に出る。「上人殿。これは何の真似か」 デッドリーコングを受け取った恩ある僧都である。だがそれ以上に、一連の騒乱状況に陥った原因もまたこの僧にあった。棟梁たる小次郎にとって、所領の安堵と人心の安定は必須であり、空也の所業は嘗ての恩義を差し引いても、容易に許し難いものであった。「此方の者を御存知か」「無論です」 拱手し、僅かに不敵な笑みを浮かべる男が、他ならぬ藤原純友とも見知っていた。あの日都で、滝口の武士として出会った頃と風貌は殆ど変っていない。違っていたのは、傍らに立つ少年の存在のみであった。(息子か) 少年は精一杯気を張っているらしいが、心なしか純友の陰に隠れ気味である。小次郎が一瞥すると、坂東の覇者となった武者の視線に、少年は更に純友の背後へと隠れていく。「ねえ、どんなゾイドがすき」 涼やかな幼い少女の声が、張り詰めた空気の均衡を破った。「わたしはバンブリアンがすき。あなたは?」 無垢な少女の問い掛けに、少年は緊張が緩んだのか、恐る恐るながらしっかりと答えた。「村雨ライガーだよ」 その場にいる者達の視線が、一斉に重太丸と多岐へと注がれる。多岐が無邪気に問い直す。「どうして、むらさめライガーがすきなの?」「父上より聞いていたんだ。坂東には大きな太刀を背負った青い獅子が駆け巡っているって。ずっとずっと見てみたかったんだ。 だから、そのゾイド、やっぱりかっこいい」 そう言って少年は、憧憬の瞳で村雨ライガーを見上げる。「そう。わたし、むらさめもすき!」 いつの間にか多岐は、重太丸の手を握っていた。戸惑う大人達を尻目に、少年の手を引いて駆け出す。その先には小次郎の姿があった。「ちちうえ、この子とあそんでもいい?」 営所内での、多岐と同年輩の子どもとの接触は少ない。それ故に目の前に現れた恰好の遊び相手に興味を示し、母良子が僅かに目を離した刹那、少年に向かい一目散に駆け込んでいたのである。 無垢な瞳を輝かせ、満面の笑みを湛え見上げる娘の顔に、小次郎も、純友も、その場にいた全ての者も心が解れ、争う気持ちを無くしていく。「子どもとはいえ、豪胆さは見事なものだ、血は争えぬものよのお、将門殿」「まことに」 深く息をつくと、小次郎も一歩進み出た。「純友殿。あの時以来、語り合うことを願っておりました。石井の営所を上げて歓迎します」「忝き言葉。平将門殿、俺も貴公にお逢いしたかった」 敵意の無き事を示す為、純友は脇に挿した剣を小次郎に真横にして差し出す。小次郎は首を振る。「身一つで御出でになった客人の得物を取り上げるほど、坂東武者は無粋では御座らぬ。早速宴の準備を整えるとしよう。だが……」「……ああ、そのようだな」 二人の視線の先に、碧き獅子の足元で戯れる少女と少年の姿がある。どうしていいかわからず、村雨ライガーは戸惑いがちに、喉を低く鳴らしている。 筑波の端に、夕日が傾いている。 少女と少年の歓声は、日が沈むまで営所から響いていた。
陸奥・上野(こうずけ)・下野(しもつけ)に接する国境(くにざかい)に、土色の蜘蛛型ゾイドが雲霞の如く攻め寄せる。 八本の歩脚が刻む跫(あしおと)が山間に満ち、海嘯となって平原に殺到する。機首に具えたマクサー20ミリビーム砲二門が、点在する屋敷森を焼き払うが、疎らな人家には人気(ひとけ)が無い。既に下野国司を介した通達により、住民は退避を完了していたのが、その理由である。 蜘蛛型ゾイド、グランチュラは、遮る敵の無い平原を這い国境に迫る。無数の蟲の群れが道祖の石仏を越えた時、突如目も眩む光芒が飛来した。 絹糸の如く綽(しなやか)に緩く弧を描く線条は、徐々に直下の蟲の群れに灌がれる。連鎖的に噴き上がる炎の帯の先に遠望する唐沢山(からさわやま)に、長大な首と尾を持ち、全身針山(はりやま)の武装を備える四匹の龍が姿を現していた。 口蓋が開かれる都度に光芒が放たれ、蜘蛛の群れを焼き払う。地震竜セイスモサウルスの超集束荷電粒子砲による、超長距離砲撃である。硝煙が一斉に立ち昇り、グランチュラは成す術もなく斃れ行く。だが、立ち込める硝煙の帳から、殲滅を免れた数匹の蜘蛛が驚異的な速度で抜け出した。 劫火の主を察知し、鋼鉄の蟲が疾風の如く地震竜に襲いかかる。満開に華開く弾幕を潜り抜け、辿り着いたセイスモサウルスの本体に躍りかかろうとした瞬間、一匹の蜘蛛は雷光にも似た長大な槍に貫かれていた。 紅玉色の翼を具(そな)え、濃紅(こいくれない)の装甲に身を包んだ獅子が、頭部の長大な衝角でグランチュラの骸を突き刺している。鋼鉄の獣は角を一振りして蜘蛛の死体を投げ飛ばし、眼光を一際輝かせた。「水鬼(すいき)、金鬼(きんき)、風鬼(ふうき)はゼネバス砲の砲撃を継続。隠形鬼(いんぎょうき)はベルセルクセイスモへユニゾンし、土蜘蛛の軍勢を叩く。全軍進撃せよ」 地震竜の巨体が、隊列を成して突き進む。途中何度も襲いかかるグランチュラを、濃紅の獅子がエナジークローで打ちのめし、チャージガトリングで撃ち貫く。それでも尚且つ生き残り、グランチュラ渾身の力を振り絞り獅子に向かって放たれたマクサー砲の弾道は、濃紅の機体表面に到達する直前に緩い弧を描き、獅子の装甲を避けて受け流されて行った。「避来矢(ひらいし)たるエナジーライガーのビーム偏光障壁に、うぬら土蜘蛛の武器など通用せぬわ」 グングニルホーン、AZエクスブレード、エナジークロー、2連装チャージャーキャノン、チャージャーガトリングによって、グランチュラは次々と破壊されていく。 積み重なる味方の骸を前にして、土蜘蛛の群れは、遂に踵を返し撤退を開始した。 セイスモサウルスの集束荷電粒子砲の到達距離より脱しようと、峡谷になった街道に殺到した蟲を待ち構えていたのは、紫に透ける翼と、僅かに薄紫に染まった螺鈿色の身体を持つ鵺型ゾイドであった。 マグネイズスピアを一掃すると、たちどころに数匹のグランチュラが四散し舞い上がる。操縦席から蝦夷の兵が悲鳴を上げて国境の大地に投げ出される。生身の人体が虫の息でありながら、鵺型ゾイドは容赦なく踏み潰す。 血糊に染めあがった土地にそそり立つ鵺は、退却する土蜘蛛の群れを前に、関節を擦り合わせて勝鬨を上げる。チキチキチキ、という無機質な音響を放つ鵺型ゾイドの横に、濃紅の獅子が寄り添った。「桔梗の前よ、セントゲイルでの初陣は如何であった」「上々でございます、兄様」 胸部桔梗紋の真上の搭乗席を開き、射干玉(ぬばたま)色の髪を靡かせる若い女が現れる。同様に長大な槍状の角を具えた頭部装甲を開放し、内部から老練な武将が応じる。散乱するグランチュラの残骸を見渡し、武将が吐き捨てた。「上野(こうずけ)介平良兼が将門に敗れ、床に伏したという情報が伝わった途端にこの有様だ。僦馬の党が蝦夷共にダークホーン不在の噂を流したに違いない。平将門め、要らぬことをしでかしてくれたものだ」「平将門? それは何者でございますか」 透き通る程に白い頬に、掛かった解れ毛を束ね直しつつ、女は黒い瞳を見開き怪訝そうな顔で獅子の操縦席に座る武将を見つめる。武将は下総の方角を指差した。「孰れお前に詳しく伝えることになる。それまで、よく覚えておくが良い、相馬小次郎将門の名を」 指差す彼方に、女は穢れない瞳を向ける。「承知しました。相馬小次郎将門、その名を心に刻んでおきます」 口蓋から紫煙を漂わすセイスモサウルスを背にし、土蜘蛛掃討を終えた俵藤太藤原秀郷は、圧勝の余韻に浸ることなくエナジーチャージャーの出力を絞り込んでいた。 遊び疲れた子どもたちは、湯浴みを終えた後、すぐに静かな寝息をたて床に就いた。「よっぽど楽しかったのでしょうね。多岐も重太丸様も、ともにすやすやとお休みです」 寝所を覗いてきた良子が、微笑みながら食膳を小次郎の前に置く。濁酒で満たされた徳利と共に、茶器をも携えている。「上人様は、戒めがあると思いましたので」「わざわざ拙僧の為の御心遣い、感謝致します」 座の雰囲気を察した妻は、軽く会釈をすると静かに宴の場を辞して行く。敢えて上座を設けない間には、小次郎と員経、三郎と四郎、そして藤原純友と空也が会していた。「バイオゾイドを撃ち破ったとか」 出し抜けに切り出した空也の言葉に、小次郎達が口元に運ぶ盃の手が止まる。小次郎は盃を一度膳に戻す。「確かに我らはバイオゾイドを撃ち破った。だがそれはほんの数匹に過ぎない。今でも信じられぬことが、奴らは戦いの最中に突然身体が溶け出し斃れていったのだ。 四郎、詳しい説明を頼む」 促された四郎将平が、座の中ほどに身を進める。「私見ではありますが、あの現象は流体金属装甲の崩壊でした。しかし、細胞質が破壊される壊死(ネクローシス)ではなく、寿命が尽きて消滅するアポビオーシスの如き崩壊。そう、テロメアが尽きヘイフリック限界を迎えた細胞の様に」「……見事な洞察で御座います。 さすれば、四郎殿、と仰せられましたな、貴殿はバイオゾイドについてどのようにお考えか」「勿体ぶらずに語ってやれ。龍宮の事も、蒼の町の事も」 純友が眉を顰め空也を絆す。椀に注いだ茶を啜ると、空也は純友を見た。「であれば、自ずとアーミラリア・ブルボーザについても触れることとなります。 宜しいか」 視線を合わせぬまま、純友は盃を一気に飲み干した。「構わぬ。坂東に下向してまで、その程度の情報を出し惜しみなどせぬ。 其方の弟殿であれば、坊主の小難しい説教も理解できよう。将門殿、相当の覚悟をして聞かねば理解出来ぬぞ」 小次郎は苦笑いをして、軽く首を振る。「難しい事は四郎に任せる。ただ、俺も一緒に伺おう。上人殿、頼みます」「承知しました。では……」 空也は四郎と向き合い、早速経文の詠唱以上に難解な用語を語り出した。二人の間で遣り取りされる会話を、その場に会した他の者はただの一言も差し挟むことはなく、数知れない盃を黙々と口に運ぶだけであった。「将門殿に伺いたい」 半時ほど宴が進んだ頃、徐に純友が顔を上げた。 未だに語り続ける空也と四郎以外の視線が、純友に注がれる。盃を目の高さに差し出し、その鋭い眼光の先の小次郎を見据える。「貴殿に問う。龍宮とは如何なる繋がりがお在りか」「龍宮、ですか」 空也が語りを止め、亡き者の素性を知る伊和員経は、純友と小次郎の顔を代わる代わる見つめた。小次郎もいつまでも以前同様の朴訥者ではなかった。空也に純友、そして龍宮となれば自ずと問われる事由が察せられる。脳裏に都で唯一信を寄せられる、蔵人頭藤原師氏の言葉が過った。――桔梗と俵藤太は繋がりがあるとの噂もある――。 また、心変わりの理由も語らず下向した、この乞食僧の嘗て語った言葉と共に。――師氏殿からの御伝言がある。『藤原純友には近づくな』と――。 深く長い愾の後、小次郎は静かに、独り言のように呟いた。「桔梗の前は……孝子は、死にました。傷つき、抗う術を失って、戦の中で無頼の輩によって……」 問いに直には答えず、その女群盗頭目の最期を淡々と語る。言葉の重みが、単純に上兵として共に戦っただけの関係ではないことを匂わせて。 だが、純友はそんな小次郎の心中を知ってか知らずか、構わず問いを続けていた。「その桔梗の前が、龍宮の技によって、もし甦っているとすれば如何にする」 宴の座が一斉に凍り付く。控えていた伊和員経も、瞬時に色めき立つ。「詳しく、お聞かせ願いたい」 漸く小次郎の口を告いで出た言葉であった。
蒼の街、バイオゾイド、アーミラリア・ブルボーザ。アースロプレウラ、プロトタキシーテス、ラウス肉腫ウィルス。漠然とではあるが、驚嘆を禁じ得ない。だが、小次郎を絶句させたのは、桔梗の前再生という事実であった。「上人様。娘は、孝子は、土魂(つちだま)に等しいと仰られるのか」 先んじたのは、伊和員経であった。「義父として親愛の情を傾けたことは察しましょうぞ。されど員経殿、再生された桔梗の前は、器が同じでも中身は別物。疾(と)くに孝子としての記憶など失っておる。再会したところで相手は何も覚えておらぬ。藤太の妹として、躊躇いもなく戦を遂行する下僕となっておろう」 空也の視線は、会話の終わりには小次郎へ向けられた。「驚くのはまだ早い」と、その瞳は語っていた。「糞坊主、俺を嵌めたな」 だが純友の口調に怒気は無い。無頼の海賊衆の頭目は既に、この乞食僧が自分と小次郎とを仲違いさせようと画策していたことに気付いていたのだ。「坊主とて、道理あらば心変わりはするものでな」 蹲る伊和員経を前に、空也が振り向く。「純友殿が、天より飛来する災厄を取り除こうと挑んでおられること、知ってしまったからのう。将門殿、そして、将平殿。実は『神々の怒り』は、まだ収まっておらぬのだ」 最も知識に長けた四郎も名指しし、空也は表情を強張らせた。「そんなはずはございません。『神々の怒り』は数百年前に収束したはずです。菅原景行公からもそう学びました」「学問とは知ることではなく学ぶことである。 将平殿、天文学的尺度で考えた場合、数百年など無きに等しい時間に過ぎませぬ。嘗てヘリック国、ガイロス国の戦いを打ち砕き、後に繁栄した文明をも悉く根絶やしにしたほどの天変地異には至らぬものの、地上の生命を滅ぼすに容易な流星群の到来がまたやって来るのです。伸びた銀河系アームに捉われたゾイド恒星系に於ける流星雨の襲来は、常に我らゾイド人の種の上に翳され続ける断頭台の刃なのです」 一瞬、言葉を詰まらせるも、四郎は再び問い直す。「ではなぜ、ソラは対策を講じないのですか」「講じておりまする、天に向かって伸びる蜘蛛の糸≠ノて」「軌道エレベーター!」 空也と純友が同時に頷く。小次郎たちは沈鬱な空気に包まれた。「ソラは、己らのみを救う為、無数のバックミンスターフラーレンを掻き集めてケーブルを建造し、今後幾度となく襲来が予測される『神々の怒り』を回避しようとしておる。地上の衆生など見捨ててのう」 乞食僧は、この上なく残酷な表情を浮かべた。「衆生を救う手立ては二つ。軌道エレベーターを完成させ、惑星の静止軌道に設置されたジオステーションと、ケーブルの宇宙側の先端に設置されるペントハウスステーションに、限界まで人々を収容すること。だが、最大収容人数は多く見積もっても僅かに1万人足らず。残りは見殺しとなろう」「して、もう一つの方法とは如何に」 重い口を漸く開き、小次郎が問う。「純友殿がアーミラリア・ブルボーザを完成させ、天空より飛来する災厄を迎え撃つことです」 暫しの沈黙が流れる。小次郎は想いそのままの言葉を洩らす。「仰る意味が解りませぬ。アーミラリア・ブルボーザと呼ばれる巨大菌苗が、なぜ『神々の怒り』を鎮めることができるのか」 空也が口を噤ぎ、盃を煽る純友に目配せをする。「後は宜しくお願いする」とばかりに。「俺は茨城の道の口(うまらきみちくち)より生じた蝦夷佐伯部より、クリプトビオシス(休眠)化したアーミラリア・ブルボーザの菌苗を得、これにラウス肉腫ウィルスのサークゲノムを加え無限に増殖させた。遺棄されたゾイドウィルスに冒されている回収機体を逆手に取り、ゾイドウィルスをデーター転送のベクターとし、恰も一つの巨大ゾイドとして生育させるが如くに、ゾイドコアをリゾモーフで繋いだのだ」「幾つともなく大筏を数知らず集めて、筏の上に土をふせて、植木を覆し、四方山の田を作り、住み付きて、大方朧げの戦に動ずべきも無くなり往く=Bグローサーシュピーゲルに於ける大宅世継殿と夏山繁樹殿の言葉は瞞(まやか)しではなかったのですか」 思わず割り込んだ四郎の諳んじた言葉に、純友は満足したように応える。そして最後に力強く付け加えた。「これが完成の暁には、日振島の一部を巨大宇宙戦艦として切り取り、浮上させることができる」「真の事なのか。私は空也殿と純友殿に、謀られているのではないのか」 盃を干した純友が、口角を上げ唇を嘗めた。「信じられぬのも無理からぬことだ。だが将門殿、海賊衆の頭目藤原純友が、息子直澄――幼名重太丸――を伴い、息子を将門殿の人質として差し出し、互いに盟約を結ばんが為に坂東まで下向した事実を受け入れてもらいたい」 純友が息子が眠る離れの館に向け、僅かに首を振った。「人質? 御子息を、この坂東にか」「幸いにして、将門殿の娘御とはゾイドの件で意気投合したようだ。行く末には夫婦(めおと)となり、我らの盟約を盤石とさせたい。 これは俺一人の願いではない。我ら海賊衆が、日振島を浮上させる間、貴君は坂東にて大いに騒動を起し、ソラの目からアーミラリア・ブルボーザ建造の次第を逸らしてくれることを願う。遠く離れた坂東で騒擾を起し続ければ、公儀の兵は瀬戸の内海より離れ、俺たち海賊衆は更に自由となる。宇宙船完成の暁には、一息に坂東まで飛び、将門殿を受け入れよう。もしこの下総の国に仇為す敵が残っていれば、瞬殺できるほどの破壊力にて」 既に純友は盃を置いている。息子を人質に差し出してまで、偽りを言うはずもないことは判る。だが小次郎も、石井の館の郎党も、余りに荒唐無稽な純友の話に、納得はできても理解が追いついていなかったのだ。だが構わずに純友は続ける。「古くはグローバリー三世號という巨大移民宇宙船によって地球の渡来人は飛来した。その技を以てすれば、日振島を浮かせる事など容易いではないか。失われ、埋もれていた蝦夷の技を俺達が再び手にしただけのこと。今更驚く必要などない。 将門殿。貴殿はアーカディア≠ニいう幻の王国を御存知か」 唐突であった。だが聞き覚えはある。「風聞にはあるが詳しくは知りませぬ。四郎、お前はどうだ」「時の狭間に浮かんでは消える伝説の国≠ニ聞き及びます。ですが実態は未だに謎の儘に」「博学な舎弟だのう。その通りだ。 将門殿、俺はアーミラリア・ブルボーザにその国の名を冠する。 海賊船、アーカディア號と」「アーカディア號」 小次郎が復唱した。「俺たち海賊衆の自由の船。この惑星Ziを救うも滅ぼすも自由の、宇宙海賊船だ」
朝露に煌めく木漏れ日が、白い素肌の水滴に輝く。 射干玉の髪を掻き上げると、無数の雫が珠となって滴り落ちる。 淡黄(たんこう)色の髪留めを結び、桔梗は裸身を露天に晒し大岩に腰かけた。 潺(せせらぎ)と、風が葉を揺らす音が木霊する。髪に残った雫が大岩を濡らし、嫋やかな肢体の形を写していた。「藤太兄様……」 桔梗はそこにいない兄の名を口遊んだ。 見上げる梢の先に、巨大な繻`と槍が聳えている。生い茂った雑木林の中に、鵺型ゾイド、セントゲイルが、泉での乙女の沐浴を周囲の視界から遮るように立ちはだかっていた。水気を拭い、セントゲイルの翼の陰で衣服を纏う桔梗の心には、滓の如くこびり付く思いがあった。 下野田原での市の場のことである。郷村の警邏を兼ねて、兄藤原秀郷と睦まじく歩んでいた桔梗の耳に、囁き声が聞こえてきたのだ。齢(よわい)卌(しじゅう)を越える兄妹など瞞(まやか)しであろうて。況してやあの二人、似ても似つかぬ藤太様もお盛んな事で。何も妹御などと語らずとも良きものを 声を潜めているものの、桔梗自身が驚くほどに明瞭に、市の見せ棚に品を並べる商人主の囁きが響いた。 同じ両親より生まれた兄と妹であれば、歳の差が四十を越えるのは確かに稀であろう。だが聞き知った事によれば、片親が違えば齢の差は広がるはず。それを何故殊更に咎められなければならないのか。下卑た笑いが心に篭り、桔梗は思わず大袈裟な仕草で耳を塞いでいた。「聴覚の調整が過敏であったか。感情の制御もまだ儘ならぬようだな。桔梗よ、不要な言葉を気にしてはならぬ、よいな」「はい」と桔梗が応えるが早いか、秀郷が睥睨した途端、忽ち市での一切の囁きが途絶えていた。兄の力強い姿に陶然としつつも、桔梗は囁かれた言葉の意味が永く胸に痞えることとなった。 衣の襟を整えつつ、己への問い掛けが繰り返し湧き上がってくる。(私は、兄の妹≠ネのだろうか) 幼い時の、そして少女の時の記憶がない。これまで疑問に感じたことはなかったが、突然疑念が生じていた。「なぜ私はここにいるのだろう」 藤原秀郷の妹として、長く武芸に励んできたはずだ。ゾイドの操縦に精通し、田原の館の上兵達とも対等に渡り合えるほどの技を持つが、なぜ己が強くなったのか、過程の記憶がない。まるで今の姿のまま、この世に産まれ出てきたような感覚だ。「ゾイドに乗って戦う。俵藤太の妹として、このセントゲイルで」 疑念を断ち切るため、無機質に佇む鵺型ゾイドの名を唱えると、不思議と落ち着きを取り戻していた。 我に返ったその時、潺と風の音に混じって、大地を揺らして突き進む鋼鉄の獣の跫が伝わってきた。(これはゾイド。それも数十から成る規模の大毅。東山道に向かっている) 操縦席にするすると攀じ登ると、即座にセントゲイルの姿勢を屈め、雑木林の中に身を隠させる。桔梗は扉を開け放った操縦席の中、駆け抜ける跫に耳を欹てていたのだった。殿、誠に宜しいのですか、海賊共が背後から襲って来ることも、或いはこのまま下総で略奪を行うことも出来るはず「案ずるな好立。三郎の剣狼と経明のディバイソン、加えて弾正達のバリゲーターも残っている。海賊衆とて迂闊に手出しはすまい。それに、あの男の言葉に嘘偽りはなかった。息子を人質に差し出してまで、俺と盟約を結ぼうとした者に」その盟約を、殿は反故にしてしまわれたではありませぬか「良いのだ。子どもを道具にするような真似は好かぬ。孰れ多岐と重太丸が成長し、気持ちを判りあえるようになっても互いに惹き合うのであれば、その時こそ姻を結べば良い。純友殿にはちと気の毒ではあったが」納得した上での哄笑であったと察します。海賊頭は実に満足そうでした「互いの自由を貴ぶ以上、強制は出来ない、と申された。敵にはしたくない相手だった。 アーカディア號、孰れ志を叶えるその時を、見届けたいものだ」成程、どうやら私の懸念は杞憂に過ぎないかもしれませぬなあ……。 間もなくブラストルタイガーとレッドホーンとの接触予定地点です、地上警戒を願います 先頭を走る碧き獅子の上空をザビンガが飛び込し、続いて薄紅の燐光を放つ白虎が、村雨ライガーの左側に並走を始めた。信濃の土豪達が貞盛援護の為に参集しているとの噂を聞き付けました「厄介だな。太郎めこのような場所にまで手勢を隠しておったか。 油断するな、信州は山国故、精強な山岳戦用ゾイドを用意しておるかもしれぬ。遂高、狙いはブラストルタイガーのみに絞る。なんとしても太郎の上洛を阻止する」 ソウルタイガーは前肢のソウルバグナウを剥き出しにし、戦闘態勢のまま村雨ライガーを追い越して行く。そして十数機のコマンドウルフ、シャドーフォックス等従類の高速型ゾイドが坂上遂高に続いていった。 ゾイドの大毅を以て国境を越えた時点で、既に国衙の禁令を犯している。それでも太郎貞盛を追わねばならないのには小次郎なりの思惑があったからだ。 先に源家三兄弟を倒した際、その査問のため召喚され上洛した結果、小次郎は脚病を患うこととなった。太郎貞盛が都入りし、再びソラに告訴されれば、追捕官符までではないが都への二度目の召喚も在り得る。貞盛自身が追捕の対象になっていながらも、公儀は常に賽の目の如く揺れ動くものと心得ている。貞盛の左馬允という官位も有利に働くに違いない。「絶対に、貴様を都には上らせぬ」 小次郎の心中に「傷つけ、例え殺してでも」という暗雲の如き想いが纏わりついていた。 間道を抜け、山野を貫き、ブラストルタイガーはひた走りに走った。常陸から上野、下野に抜ける間、小次郎の配下となった従類、伴類の土豪達が悉く進路を塞ぎ、東山道へ抜けようとする貞盛を妨げたのだ。日によっては一里さえ進むことが出来ず、一刻も早く京へ上洛を願う貞盛を坂東に封じ込めていた。それでも手練れの他田真樹の手配により窮地を脱し、漸く信濃の国境に達したのだ。 昼夜を衝いて走り通しだったブラストルタイガーとレッドホーンの装甲には、ゾイド生命体の疲労の為、薄らと錆が浮き、関節も時折悲鳴をあげていた。 あと僅かで、信濃の国衙という場所に至って、ついに小次郎の部隊に追いつかれてしまった。 谷間を越え、拓かれた盆地の地平が貞盛の目に入る。大河の煌めきが見えた。「千曲川にてございます。ここまで来れば御安心を」 真樹の安堵の声とともに、目標としてきた国分寺の伽藍が広がって行く。回廊の脇、逃避行の挙句焦点の定まらない貞盛の視界に、千曲川の水面に映る数十のゾイド群が現れた。ライトニングサイクスやメタルライモス、ハンマーロックなどの精強なゾイドが轡を並べている。「アイアンコングイエティではないか」 その中に3機、純白の装甲にマニューバスラスターを装備した猩々があった。「下野国衙の一件より、将門は国衙と事を構えるのを避けるはず。であれば我ら信州の軍は国分寺を背後にゾイドを展開し、我らの脱出路を塞ぐよう命じました。追っ手が迫っております。貞盛様、どうかお急ぎください」「忝(かたじけな)い」 脇目でブラストルタイガーの後方を睨むアイアンコングイエティを見遣り、貞盛は信濃のゾイド部隊の脇を駆け抜けた。 無事では済むまい。 貞盛は、精強な信濃のゾイド群でさえ、今の小次郎には到底太刀打ちできないことを知っていた。知っていたが、己の身を守るためには止むを得なかった。 背後で硝煙が立ち昇る。小次郎との衝突が始まったのだ。 貞盛は振り返りもせず、東山道から京に向けての街道を、他田真樹のレッドホーンと共にブラストルタイガーで疾駆していった。
鎮護国家という名目で建立された国分寺の伽藍が、紅蓮の焔に煽られる。 戦乱の劫火の前には、為政者の説く仏の功徳など無意味であった。 火箭が追っ手である下総勢に殺到する。ライトニングサイクスのパルスレーザーライフル、メタルライモスの大型電磁砲、そしてアイアンコングイエティの対ゾイド6連装ミサイルランチャー等、国分寺を背後に置き戦端を開いた信濃勢のゾイド群は、長距離火器での一斉攻撃を開始した。「戦の牒を送ろうともしないのか」 身を躱したソウルタイガーの背後で、従類のコマンドウルフが貫かれた。爆発四散する鉄の狼の焔を背に、坂上遂高は先陣を切って突入した。 遠く坂東を離れた信州の地では、平将門の威光は坂東程恐れられてはいない。そして厳しい気候に囲まれた信濃の国の兵にとっても、己のゾイドへの強い信頼があった。加えて太郎貞盛は、信濃勢に敢えて誤った情報を流していたのだ。『平小次郎将門には追捕状が出ている』 反逆者討伐に理由は必要ない。貞盛の謀略に乗せられてしまった信濃では、国衙を核とした精強ゾイドを率い、追撃する小次郎の軍勢との衝突に至ったのだった。 白虎のソウルバグナウと、白銀の犀の突撃戦用超硬度ドリルが火花を散らす。中型故に低い姿勢から繰り出すメタルライモスの突進は手強い。両者の力が拮抗した瞬間を狙い、断続的な光弾が白虎に命中した。「無粋な真似を」 ソウルタイガーは薄紅色の集光パネルを輝かせ、撃ち込まれたパルスレーザーを吸収する。光学兵器での攻撃が無駄と判断すると、ライトニングサイクスは俊足を生かし、瞬時にソウルタイガーのレーザーネスト目掛けてストライクレーザークローを翳す。 一陣の碧い風。白虎と黒豹の間に、白刃を煌めかせた碧い獅子が割って入った。「遂高、遅くなった」 ムラサメブレードが、サイクスの腹から背中のブースターパックまで突き通っていた。大刀を一振りし、どさり、と黒豹の骸を投げ落とす。 間髪を入れず、3機の白い猩々が立ち塞がった。「猿神か。厄介だな」 身構える白虎と村雨ライガーを前に、信濃のイエティコングは猛々しくドラミングを行う。だがそれに呼応し、低く詠唱する読経の音色が響いてくる。削奴の相手、我がお受け致す 棺桶を背負った死の猩々が、巨体に似合わぬ跳躍で3機の白い猩々の前に降り立った。小次郎達の高速ゾイドに追いついたデッドリーコングが、ヘルズボックス稼動肢を一斉に開放し仁王立ちする。殿は一刻も早く、貞盛を追ってくだされ「員経、遂高、頼む」 白虎と死の猩々を振り返り、小次郎は一路東山道へ抜ける間道へと向かった。今は寸暇を惜しむ。小次郎は叫んだ。「疾風ライガー」 顕現した炎の繭に包まれた碧き獅子は、瞬時に緋色の獅子、疾風ライガーへとエヴォルトを遂げていた。 人が人の心を読むことなど出来ない。だが、極限状態に置かれたヒトは、得てして真理を吐露するものである。 東山道脇の山林奥に集中する、殺気立ったゾイドの操縦席内で吐き捨てられる口汚い言葉を、桔梗の聴覚は適確に捉えていた。(何が殺し合いの理由なの?) 主君を守るため、身を挺して敵を防ごうとする武士がいる。(なぜ人は、誰かの為に命を擲つことができるの?) セントゲイルは可能な限り身を縮め、気配を消しつつ戦場に接触を続ける。(愛する者を助けて自らが命を落とすことに、どんな意味があるの?) 鵺型ゾイドの頭部に攀じ登り、山林の奥で繰り広げられる戦いを、桔梗は静観していた。 疾風ライガーがブラストルタイガーを視界に捉えた時、漆黒の虎は歩みを止めて向きを変え、追い縋る敵を見据え身構えていた。全身を覆った漆黒の装甲が展開され、紅の内装と火器が無数に露出している。赤味を増していく機体は鈩坩堝の色に似て、次第に眩しい閃光を放ち始めている。 小次郎は、ブラストルタイガーの周囲に陽炎が揺らめいている事に気付いた。直感的に危険を察知し、街道並木の陰に愛機を滑り込ませる。次の瞬間、漆黒の虎が灼熱の炎を噴き上げ、正視できないほどの高熱の光を辺り一面に放っていた。 大地が燃え、樹木が噴煙を上げて蒸発する。炭化した大木が折り重なって倒れ込み、進路を塞ぐ。局地的な高熱は大気の流動に干渉し、激しい旋風を巻き起こす。 サーミックバースト。ブラストタイガー最強にして最後の武器である。大気中の熱を漆黒の装甲から吸収し、ゾイドコアで増幅、さらに加熱させ全身の機銃から一斉に撃ち出す必殺技は、ゾイドの重装甲をも一瞬で融解させる。況や生木や岩石であれ、辺り構わず燃え上がらせ、周囲の様相を一変させる究極の武器であった。 溶岩の如く赤く焼け爛れた地表を回避しつつ、小次郎は足場を捜して疾風ライガーを後退させる。『窮鼠猫を噛む』。小次郎は追う立場だった己が、いつの間にか驕り高ぶっていたことを痛感した。坂東の覇者と呼ばれ、知らぬうちにその言葉に陶酔し油断していた。太郎貞盛とて無為に討たれる心算はない。 少年時代、山野を共に駆け巡った嘗ての友であり従兄である太郎貞盛は、今全力を出さねば倒せない。脳裏を過る思い出を振り払い、小次郎は叫ぶ。「将門ライガー!」 しかし、表示板には「無限」の文字も「将門」の文字も示されず、霰石色の輝きに包まれることもなかった。「俺の心に迷いがあるからか」 気を抜くことが許されない戦場であるにも関わらず、操縦者の意志に背き、エヴォルトを成し遂げようとしない緋色の獅子に、小次郎は思わず問いかけていた。無限なる力≠フ源は、私欲を捨て民を救う無私の心である。今自分は私怨を晴らすことのみに執着し、太郎貞盛を討とうとしている。そんな邪念を、疾風ライガーは、そして村雨ライガーは受け入れようとはせず、最終形態である将門ライガーへのエヴォルトを拒んでいるのだ。しかしここで、むざむざと太郎を逃す訳にはいかない。灼熱の炎を噴き上げる大地の向こう側で、小次郎は微動だせずに竦むブラストルタイガーの姿を目視していた。 極限兵器であるサーミックバーストの放出は、強力な破壊能力と引き換えに、短時間とはいえゾイドの活動機能を奪う両刃の剣でもあったのだ。「太郎、覚悟」 ムラサメナイフとムラサメディバイダーを展開し、ハヤテブースターの出力を限界まで高める。煮え滾る炎の大地を跳躍し、見る間に疾風ライガーはブラストルタイガーをストライクレーザークローの届く距離まで到達した。殿、疾風の右脇に敵が出現 飛行随伴してきたザビンガから、文屋好立の鋭い警告が発せられた。言葉通り、疾風ライガーとブラストルタイガーの間に、赤い動く要塞が侵入した。「まだ伏兵がいたのか」 横合いから侵入してきたのは、他田真樹の操るレッドホーンであった。 通常であれば、疾風ライガーの跳躍力を以てすれば容易に跳び越すこともできた。だがレッドホーンは、緋色の獅子の機動性をも見越した上で、サーミックバーストによって根元を焼かれ、不安定となっていた近傍の巨木に的確に突進し突き倒し、完全に間道の進路を閉塞してしまったのだ。「小賢しい真似を」 跳躍の限界を越えた巨木の幹を切り払うには、疾風ライガーの短い刀身では心許ない。さりとて将門ライガーへのエヴォルトは叶わず、大刀ムラサメブレードを持つ村雨ライガーへのエヴォルト解除も儘ならない。太郎貞盛追撃への拘泥が、全ての戦略の歯車を乱してしまっていた事にもまた、小次郎は忸怩たる思いを募らせた。 依然頭上を舞い続けていたザビンガを閃光が貫く。レッドホーンの地対空2連装ビーム砲が、ザビンガの左翼ウィングスラッシャーに命中したのだ。「好立!」 落下するザビンガを目にした小次郎は、迷わず標的をレッドホーンへと変えていた。 レッドホーンの操縦席の中で、貞盛の上兵他田真樹は腹を括っていた。 小次郎将門には勝てない。それでも主君平貞盛を救うことが己の使命であると。 雪に閉ざされる信州から温暖な常州に移り、当時の常陸大掾平国香に仕え、嫡子太郎貞盛の守役に任ぜられた。若き日に、小次郎将門とも戯れる貞盛を見守ってきた。貞盛の父国香が下総を蚕食し、いつの日か小次郎将門と衝突するであろうことも見越していたが、家臣の身分である己に、頭首の行為に意見する事などできなかった。 永年付き従い、見守ってきた嫡子貞盛は、掛け替えもなく大切な主君であり、同時にこれからの世界を築く可能性を秘めた人物であることを確信している。「惜しまず此の命、差し出します」 小次郎は彼自身の操る緋色の獅子を攻めるより、その配下の者を攻撃した方が激高する。幼き頃からの小次郎の性格を知る他田真樹にとって、ザビンガを攻撃したのは全て狙い通りであったのだ。 目前に、機体横に張り出した二振の刃が、怒涛の螺旋を描き迫り狂う。「貞盛様、生きてくだされ。生き残って、必ずや武士の希望を叶えてくだされ」 その言葉が主君に達することはなく、僅かに、桔梗紋の記されたロードゲイルの頭部で耳を澄ます少女のみが聞き取っただけであった。 旋風の如く舞う疾風ライガーの斬撃に、赤い要塞は他愛もなく切り刻まれ爆発四散した。黒く燻る残骸の奥、未だに四肢を大地に踏み締め、漆黒の装甲を開放したままのブラストルタイガーの頭部操縦席は空洞であった。既に操縦者の姿は無い。「貴様は部下もゾイドも見捨て、逃げたというのか」 その後、疾風ライガーが無人の漆黒のゾイドを無茶苦茶に切断し、執拗に破壊する姿を、落下したザビンガの操縦席から這い出した文屋好立は呆然と見つめていた。 怒りに任せた小次郎の破壊は、信濃のゾイド群を破った伊和員経、坂上遂高らが到達するまで続いていた。
蒼空に浮上する巨鯨の胎内、気圧が軽く鼓膜を圧迫する感覚を受け、純友は鼻を摘まみ耳抜きをした。「頭、将門との盟約が結べなかった割には、豪く機嫌が良いようですな」「貴様こそ妙に陽気ではないか。坂東でいい女と懇(ねんご)ろにでもなったのか」 ホエールキングの舵輪を操りつつ、紀秋茂(きのあきもち)は軽く首を振る。「色恋沙汰は瀬戸でも都でもできるが、坂東武者には坂東でしか逢えませぬ。猛者は平将門のみに非ず、弟御厨(みくりや)三郎将頼も、見事なまでの武士でした」「丹色(にいろ)の狼、死の猩々、白虎、そして碧き獅子。無限の原野の広がる坂東は素晴らしい場所だった。再び訪れたいものだ」「その時は私も一緒に。今度は村雨ライガーのエヴォルトする姿が見とうございます」 安全帯で小さな身体を固定された重太丸が瞳を輝かせながら告げている。純友は無言で肯く。「時に父上、聖(ひじり)様は大丈夫でしょうか」「あの坊主ならば、殺されても死なぬよ。地獄の鬼に説教を埀れて追い出されるわ」 豪胆に笑う純友の姿に、旅路を共にした僧の無事を願う少年の無垢な瞳が安堵の光を宿す。 紀秋茂が純友同様に耳抜きをし、巨鯨の進路を遥か彼方の瀬戸日振島へと向ける。その遥か眼下には、磁力線が巻き上げる砂鉄の砂塵を見守る、鹿角の錫杖を持った乞食僧が佇んでいた。「心に所縁(しょえん)なければ、日の暮るるに随って止(とどめ)り。 身に住所(すみか)なければ、夜の暁くるに随って去る。 忍辱(にんにく)の衣(ころも)厚ければ、杖木瓦石(じょうもくがしゃく)をも痛しとせず。 慈悲の室(むろ)深ければ、罵詈(めり)誹謗をも聞かず。 口称(くしょう)に任せたる三昧(ざんまい)なれば、市中もこれ道場。 声に順(そ)っての見仏なれば、息精(いき)は即ち念珠。 夜夜(やや)に来迎を待ち、朝朝(ちょうちょう)に最後の近づくを喜ぶ。 三業(さんごう)を天運に任せ、四儀(しぎ)を菩薩に譲る」 地上に残った僧が、巨鯨の旅路の無事を願い韻々とした咒(まじない)を口遊む。吟じ終えると、坤(ひつじさる)の方位に振り返る。「武蔵の方角に不穏な動きを感じる。蝦夷への遊行の前に赴くとするか。 将門殿、増長することなく己を貫けば、自ずと道は拓かれる。そして純友殿、己が信じたものに向かい突き進むが良い。それまでは双方共達者で過ごされよ。 命あらば再び相見えん」 地平の霞にけぶる坂東の野を、名残を惜しむかの如く、空也は錫杖を響かせ後にするのであった。 氷川の鳥居を望む足立の郡司館に、猛り狂う暴竜、ゴジュラスギガが侵攻していた。 語り継がれてきた最強の竜の咆哮が、武蔵野の丘に轟く。ギガクラッシャーファングを剥き出しにした顎門(あぎと)が辺り構わず喰らい付く。ハイパープレスマニュピレーターの剛腕が矢倉門を引き倒し、ロケットブースター加速式クラッシャーテイルが屋敷の柱を跡形もなく吹き飛ばす。 怒りを収め切れないギガが、突如前傾姿勢となり、クラッシャーテイル用脚部補助アンカーを展開し地表に突き刺した。眼光が緑から赤に変わる。次の瞬間、最も小さい背鰭の二枚が眩い閃光を放っていた。 出力を絞って発射された二門のゾイドコア砲は、瞬時に足立郡司館の土塀と車宿を消滅させ、更に館西側に密集していた縁辺の民家数十軒を一斉に燃え上がらせる。 足立の里に囂々(ごうごう)たる紅蓮の火柱が立ち上がり、照り返す炎に、家を焼かれ呆然と立ち尽くす市井の者達の姿が浮かび上がっていた。 炎の壁の向こう側から、ギガとは別の重々しい足音が響いてくる。燃え盛る瓦礫の木片を、鼻先に装備されたストライクアイアンクローで器用に取り除きつつ、鋼鉄の象が現れた。ちとやり過ぎではないか、経基殿。これでは館の蓄財まで灰塵と化すぞ「興世王殿、これではまだまだ生温い。我ら下向した官吏に盾突くのがどのような事態を招くか思い知らせねばならぬ」 言うが早いか、源経基は再びギガのクラッシャーテイルを唸らせ、館の一画を削ぎ取り破壊する。主(あるじ)の狂気に呼応するかの如く、最強の暴竜は高らかな咆哮を上げた。蹂躙され、贖う術を持たない者共は、徒(いたずら)に拳を握り締め、悔し涙を噛み締めるほかなかったのだった。 事件の発端は他愛もないものであった。新たに武蔵権守(むさしのごんのかみ)として赴任してきた興世王(おきよおう)、そして武蔵介(むさしのすけ)の六孫王(りくそんおう)源経基(みなもとのつねもと)が、足立郡の郡司にして在庁官人の役職である判官代(ほうがんだい)を兼任し、事実上の武蔵国の受領(ずりょう)国司を務めていた武蔵武芝(むさしのたけしば)と衝突したのだ。正任国司の赴任を前にして、少しでも便宜を図っておきたい興世王達は、普段より奉納される官物の期限を急かさせず、徴収期間を緩やかにするなど温和な統治により庶民より慕われていた郡司武芝の策と対立したのだった。 武蔵国司の正式な赴任を待って徴収を行おうという、武芝の永年に亘って培ってきた方策の提案に酷く面子を穢されたと感じた興世王達は、有無を言わさず実力行使に移った。 源経基は、清和帝より下賜されたと称する暴竜、ゴジュラスギガを真っ先に足立郡の武蔵武芝館に向かわせこれを襲撃、徹底破壊を行う(この際、ギガの余りの凶暴ぶりから、このゾイドが清和帝の物ではなく、粗暴な振舞いの多かった陽成帝の機体ではなかったか、との憶測もある)。更には、新たにエレファンダーを与えられた興世王も郡司館に向かったが、猛り狂うゴジュラスギガを圧し留めることが出来ず、成り行きを見つめる他なかった。 武蔵国での騒擾は、直ちに坂東に知れ渡った。これは、争いを避け、比企(ひき)郡狭服(さふく)山に立て篭もる武蔵武芝を慕う庶民と、随伴した書生(しょしょう)の匿名による批判文書が幅広く拡散したことによるものである。そしてその内の一通が、下総石井(いわい)で営所を構える平将門の元に達したのだった。「興世王殿も、厄介な揉め事に関わってしまったようだな」 平貞盛を討ち逃した痛手も癒え、黙々と知行地を守る小次郎は、嘗て都で何度も知恩を得た人物の名を称えていた。「思えば右も左も判らぬ坂東育ちの私に、初めて宿を貸してくれたのも興世王殿であった」「そのような経緯(いきさつ)が御座いましたか」 頻りに頷く伊和員経(いわのかずつね)を前に、小次郎は敢えて、その直前に都の群盗桔梗の前≠ノよる対決があった事までは語らずにいた。「出張っていかねばなるまい」「武蔵国への調停ですか」 小次郎が肯く。「坂東の平和を守るならば、武蔵もまた坂東。不要な衝突を鎮め、平穏を取り戻してやらねばならぬ。 員経、すぐに出立の準備をせよ。そして良い機会だ、此度は良子と多岐、小太郎も連れて行く。レインボージャークを含め、各ゾイドへの補給を開始せよ」 それは、心の何処かに蟠っている貞盛討伐失敗への無念を拭うために奮起した、小次郎の未練であったのかもしれない。 しかしこの英断が、やがて平将門の運命を大きく歪めてしまう事件になろうとは、彼自身も未だ知る由もない。
光学迷彩で身を隠したセントゲイルの機内、桔梗は不思議な既視感(デジャヴュ)に苛まれていた。(武蔵の地。懐かしい、初めて訪れた場所なのに) 平将門という目障りな坂東武者を退けるため、兄藤太の指示とは別に、独断で武蔵に潜入していた。ところが当初の目的とは異なり、心騒がす郷愁が込み上げてくる。(この気持は何だろう) 自分の中に自分の知らない人格が潜む感覚。まるで自分が引き裂かれているような心象である。やがてセントゲイルが潜む雑木林の脇に、二本の旗幟を掲げた隊列が差し掛かった。天孫降臨火雷天神 旗竿に記された文字が風に翻る。 先頭の碧い獅子の操縦席で、娘らしき少女を抱いて座る武士を目にしたときである。(こじろうさま!) 感情が電撃のように迸(ほとばし)った。完全に、本来の自分とは異なった衝動であった。 胸が苦しい。鼓動が激しくなる。武蔵国の事と、平将門の事と、三つの異なった感情が三つ巴の流紋を描いて鬩ぎ合うように。意識される無意識の操作で、セントゲイルの光学迷彩機能を解除しそうになっている自分に気づく。乙女の透き通る白い肌に爪を突き立て、血が滲む程に抓(つね)る。痛みに意識が呼び戻され、解除直前で操作を止めていた。 鼓動は未だに激しく波打っている。(先回りして、武蔵国衙に行ってみよう。行けば何か判るかもしれない) 混濁する意識を治めるため、桔梗は隊列が充分通り過ぎた後、鵺型ゾイドの翼を武蔵野丘陵の蒼穹に舞い上がらせるのであった。 旗幟の下、村雨ライガーを陣頭に下総石井のゾイドの大毅が街道を悠然と進んで行く。丹色の狼ソードウルフ。白虎ソウルタイガー。死の猩々デッドリーコング。続くグスタフの牽引車には、菫色の孔雀レインボージャークとモモンガヘッドに換装されたザビンガ、知を司るという梟ナイトワイズが搭載されている。更には樹木が林立する如く角を突き立てたランスタックが十数機続き、後方に従類のコマンドウルフ、シャドーフォックス、スピノサパーが随伴する。 小次郎は敵意が無い事を示すため、全てのゾイドの風防を開放し進軍することを命じていた。小次郎の膝には、愛らしい瞳を輝かせる少女が座っている。「お父さま、わたくしもむらさめライガーをあやつってみたいです」 父の顔になっている小次郎は、娘の艶やかな黒髪を撫でながら笑う。「多岐が五郎将文と同じ歳になれば、ゾイドの操り方を教えてやろう。だがその前に、母よりたんと学ばねばならぬことがある。よいな」「はいっ!」 愛らしく応える愛娘に、父は思わず顔を綻ばせる。進む村雨ライガーも、健気な少女の声を聞き、さも嬉しげに低く喉を鳴らした。振り向けば、レインボージャークの載る牽引車の上に設けられた簡易式の庵(いおり)の中、御簾(みす)を巻き上げ微笑む妻良子の姿がある。母の腕(かいな)には、すやすやと眠る乳飲み子が抱かれており、その行軍の目的が殺戮とは縁遠いことを顕示していた。 統率の取れた堂々たる隊列は、街道周辺の人々の耳目を惹きつけ、武蔵へ向かう道中先々で、熱狂的な歓迎と感激を呼び込んだ。 風防を開き、路行く人々に時折手を振る小次郎の姿を目にした或る者は感涙を流し、また或る者は旗竿の文字を見て手を合わせる。「将門様は、真の坂東の勇者様だ。これまで虐げられてきた、我ら坂東の解放者となられるお方だ」「お美しい奥方様だ。そして愛らしき女(め)の子と男(お)の子。我らと同じく子を持つ親としても、将門様は素晴らしいお方に違いない」 不満を抱える大衆は常に無責任に、時の為政者と異なった指導者を求める。小次郎は己が知らぬ間に、神威を具えた英雄と見做されるようになっていたのだ。 デッドリーコングが村雨ライガーの傍らに追いつき、伊和員経が合図を送る。「殿、多治経明殿と藤原玄明殿との連名での伝文です。読みます。『留守居はつまらぬ』 以上です」 街道を吹き渡る風が、小次郎の顔を穏やかに撫でて行く。小次郎は苦笑した。「さては玄明め、石井で暇を託っている経明と連(つる)んで俺の悪口を言っているな。道理で先程より鼻がむず痒いわ」「気の毒なことをしましたかな」「良いのだ員経。短気な玄明を連れて来ては、武蔵で纏まる話も纏まらぬ。だからこそ、兄の玄茂殿のランスタック部隊に同行を願ったのだ。精々石井営所の酒蔵で酒盛りでもしてもらおう」 二人が悪態を吐きながら酒を煽る姿を思い描きつつ、小次郎は村雨ライガーの先にある武蔵国衙の方角を見つめた。 先頭に翻る旗幟は、四郎将平の師である菅原景行の筆による物である。 小次郎は意図せずに為政者として必要な策を見定められるようになっていた。 菅原道真の三男景行の書であれば、自ずと御霊の権威となる。見せかけであっても、小次郎の軍に神威があると思わせれば、無駄な衝突も避けられる。 翻る文字を見ながら、小次郎は考えていた。――あの時マッドサンダーに乗り、無限なる力を授けて呉れたのは、やはり道真公だったに違いない――汝に命じる。無限の力を以て、この世界を救え 魂に響いた言葉は未だに心に刻まれている。 その時多岐が不意に顔を上げた。「あれ、孝子さま?」 娘が唐突に放った一言に、坂東で名を轟かす小次郎が震えた。眼前に横たわる武蔵野丘陵の叢林に目を凝らしても、捉える人影もゾイドもない。だが藤原純友と空也が齎した報せが、俵藤太の妹として蘇った桔梗の前の存在を告げている。身を潜め、我が身の一挙手一投足を探っているかもしれぬ。少女の無垢な感覚はその時、確かに路傍の雑木林奥に光学迷彩で潜むセントゲイルの気配を捉えていたのだ。だがそんな多岐の感覚は、幼子の戯言としか受け取られなかった。 小次郎も僅かに殺気を感じてはいたが、大毅の長として動揺を見せたくなかった。不穏な気配が杞憂であることを信じ、無邪気に燥ぐ娘を抱いたまま、ゾイドの行軍を続けるのであった。 初めて目にする筈の、武蔵大國魂の社さえ懐かしい。セントゲイルを鎮守森に潜ませ、国衙が隣接する門前に降り立った桔梗は、聳え立つ大鳥居を見上げていた。市井が騒がしい。何人もの郎党が慌ただしく奔走し、何かを嘴っている。平将門が出張って来る。無礼があっては武蔵まで侵されるぞ 遠雷の如く、大地が震動している。重量級ゾイドの跫に違いない。権守は将門と顔見知りとか。興世王様直々にエレファンダーで御出迎えされるそうだ 乙女の人並外れた聴覚は、極超短波のパッシブレーダー波を放つ装置の存在さえ気取った。源経基様のゴジュラスギガはまだ到着せぬのか。狭服山から武芝が動く気配があるというのに 桔梗は、将門が石井勢のゾイドを進めた故に、武蔵国衙周辺が蜂の巣を突いたような混乱に陥っていたことを知る。(これでは、この騒ぐ心の理由を求める事など出来はしない) 壺装束に長い髪を束ね垂らした桔梗が踵を返した時だった。「孝子殿ではないか」(孝子――だれ?――でも、なぜ私は自分が呼ばれていると思うの?) 反射的に振り向く。エレファンダーを急停止させ、操縦席から動転しながら煌びやかな短甲を身に付けた武官が降り立った。武官の脇に一斉に郎党が跪き、桔梗に向かって一筋の道を開いた。「都でお会いして以来だが、相変わらずお美しい。察するところ、平小次郎将門殿の忍びの使者として御出でになられたのだな。 最初小次郎殿より仲裁の提案を受け取った時は、案内(あない)を知らぬ坂東の地でどれ程心強く思ったか。この興世王、心の底から感激しましたぞ。介の基経殿は堅物故、ゴジュラスギガと共に未だ自陣に引き籠って国衙にも出仕せず、こうして私だけ出迎えに参ったのだ。 ささ、孝子殿も早速国衙に参られ、小次郎殿の親書など御渡しくだされ。 なあに、便りなら任せてくれればよい。早速下総の進撃部隊に連絡を取らせまする。 黙っておらず、坂東での戦の武勇をお聞かせ願いたい。小次郎将門の名は、未だに京で轟いているのでな。 時に孝子殿、心做(こころな)しかお若くなられましたかな?」 興世王と名乗った武官は一方的に捲し立て、急き立てる様に桔梗を国衙の館に招き入れた。敵意が無い為抗(あらが)う切っ掛けも掴めず、当惑したまま導かれるに任せていた。 武蔵の国境を越え、国衙まで僅かと迫った場所で、小次郎は興世王のエレファンダーより伝文を受け取り、驚愕した。御使者孝子殿、確かにお迎え申した。武蔵国衙を挙げて、平小次郎将門殿の到着をお待ちして居ります
下野(しもつけ)の南西に位置する三毳山(みかもやま)の麓に、全体を御簾で覆われたような、一つの村落を呑み込む程の巨大構造物が出現していた。茅(かや)、若しくは棕櫚(しゅろ)を束ねた簾(すだれ)状の遮蔽幕の向こう側で、時折アーク溶接の青白い閃光が放たれる。だが、昼夜を問わず鳴動を続ける不可解な構造物の内部で行われている作業が何なのか、周囲の民が窺うことは許されなかった。『三毳山を見る事、相成らぬ』 高札場に文言が掲げられていた。民は三毳の山麓を見つめることを禁じられ、僅かでも怪しい素振りを見せた途端、何処からともなく現れるメガレオンによって捕縛され拘引された。数週間程経過すると解放され自宅に戻ってきたが、その間何があったかを語る者は皆無であり、「見ちゃなんねえ」と周囲の者に震えながら語るのみだった。 唯一つ、民に知るを許されたことは、その構造物に俵藤太が関わっているという事実だけであった。 簾状の遮蔽幕に覆われた構造体の内部に、濃紅の獅子が進入して来る。エナジーライガーの操縦席へ乗降用の移動階段が横付けされると、降り立った俵藤太秀郷が簾の隙間から零れる縞模様の陽射しを見上げていた。「暫く不在にしていた。改修計画は如何様になっている」「ほぼ順調に進行しております。ですが父上、やはり龍宮の造兵師どもにアースロプラウネ艤装作業をさせるのは納得し兼ねます」 秀郷の次子藤原千晴は、背後の職能集団を意識しつつ声を潜め応じる。 「怪しげなバイオゾイドとやらを、常陸勢に試みに貸与してみれば、未だ流体金属装甲の調整が整わない不良品でありました。奴等は坂東を兵器実験場と考えております」「それがどうした」 厳格な武士の棟梁としての秀郷に、鋭く睨まれた千晴は口を噤んだ。「避来矢エナジーライガーとて龍宮が寄越したゾイド、地震竜セイスモサウルスも土蜘蛛駆除に欠かせぬものだ。よいか千晴、名よりも実を取れ。利用できるものは全て利用するのだ」「承知……致しました」 父子の間に暫しの沈黙が流れた。 頃合いを見て、千晴が秀郷の様子を伺う様に告げる。「時に父上、桔梗の前が独断で武蔵に入ったとの伝文を受け取りました。現在武蔵国衙には、郡司武蔵武芝と権守興世王との仲裁の為、平将門が参内するのと報せも届いております。桔梗と将門を接触させて宜しいのですか」「良い。これも謀(はかりごと)の内だ。再生した桔梗の有機記憶素子に、以前の桔梗の収集した情報が遺されている。彼奴が将門に惹かれるのも予測済みだ。草どものメガレオンを尾行させておいた。『窮鳥懐に入れば猟師も殺さず』というが、さて将門、桔梗をどの様に処遇するか。見ものだな」 父の言葉に、千晴は再び問い直すことはない。 二人が見上げる簾の先、数十の歩脚を装備し、腹節に内部構造を剥き出しにした、鋼鉄の蜈蚣(むかで)要塞アースロプラウネ≠フ巨体が延々と拡がっていた。 武蔵国衙に到着した小次郎と、エレファンダーを背後に狼狽する権守(ごんのかみ)興世王との間に、玻璃(はり)の如く危うげな、そして陽炎(かげろう)の如く儚(はかな)げな少女が佇(たたず)む。「其方(そなた)に問う。名を名乗られよ」 碧い獅子より降り立った坂東武者を見つめ、幾分俯き加減となるが、少女は気丈に言い放った。「下野唐沢山、桔梗の前。兄俵藤太秀郷に仇為す者、平小次郎将門を討つため参った」「桔梗の前ですと」 状況の呑み込めない興世王が、素っ頓狂な声を上げる。「孝子殿に非ず、都で跳梁跋扈していた、あの女群盗桔梗の前なのか!」「興世王殿、眼前の桔梗の前は以前の群盗とは異なる者です。員経、興世王殿と共に下がり説明を頼む」「何ゆえに私をこの場から引き離そうとなさる」 意外にも、主君の言葉に従い続けてきた忠臣は、この時初めて抗った。だが小次郎も、諭す様に伊和員経に応じた。「左様に、冷静さを失っているからだ」 再生された桔梗を目の前にして、僅かながらも養父として娘との間柄を育んだ員経が、明らかに動揺している様子を機敏に感じ取っていた。今は距離を置くべきであると、小次郎は棟梁として瞬時に判断を下したのだ。「今は退け。不測の事が起こった時に備えよ。俺を信じろ」「……承知仕りました。権守殿、こちらへ」 デッドリーコングがエレファンダーを後衛に導きつつ引き下がり、代わってソードウルフ、ソウルタイガー、そしてグスタフに牽引されたままのレインボージャークとナイトワイズが前衛に出た。庵の中から良子と多岐が小次郎を見遣る。「孝子殿、ではないのですね」「違う」 小次郎は言下に否定した。 見せかけは、亡き孝子に瓜二つである。異なるのは、その容姿が明らかに若年化していた事だった。良子と同じ位であった背丈は若干低くなり、未成熟な青い果実を思わせる肢体と、垂らしたまま切り揃えられていない射干玉色の髪が幼さを一層際立たせる。少女の容貌でありながらしかし、瞳の底には冷徹な光が灯されていた。「今度は、私が平小次郎将門に問う。お前はなぜ坂東に覇を唱え、徒に混乱を齎そうとする。それは兄秀郷が望むものではない」「私は藤太殿を蔑(ないがしろ)にした覚えはない。同じ坂東に住む武士として尊敬していたくらいだ。我らは坂東に混乱を引き起こす気などさらさらない。言い掛かりは止めて貰いたい。 寧ろ藤太殿は、水守の平良正叔父達にバイオゾイドを貸与し、坂東の和を乱したではないか。斯かる事に対し、何と返答されるか」「水守にバイオゾイド……それは何?」 妹である自分が、絶対的正義と盲信していた兄秀郷が、自分に明かしていない事実があることを知り、桔梗は忽ち戸惑った。小次郎が畳み掛ける為に言い放った。「桔梗の前。我らは其方を知っている。其方は嘗て、我らと共に戦い、そして散った孝子という女の生まれ変わりなのだ」 その直後、落雷の如き衝撃が武蔵国衙周囲に轟いた。小次郎の言葉が桔梗の心に与えた衝撃を覆い隠すかの様に。その場にいた者達が轟音の方向へ一斉に振り向く視線の先、黒煙を昇らせる大國魂の鎮守の森があった。森の中で何かが燃えている。桔梗が悲鳴を上げた。「セントゲイルが!」 桔梗は、漸く乗り慣れて来たばかりの愛機セントゲイルが、金属製生命体独自の悲痛な叫びを上げているのを、優れた聴覚で聞き取っていた。 小次郎は間髪入れず村雨ライガーに搭乗する。風防を降ろす直前、後方待機するデッドリーコングに腕を振って行動の指示を与え、黒煙の方向に走らせる。ソウルタイガー、ソードウルフが碧き獅子に続く。「セントゲイルが、私のセントゲイルが……」「参られよ」 振り返った桔梗の背後で、黒い猩々型ゾイドに乗る初老の武士が、頭部操縦席の装甲を開き招いていた。 小次郎達が到着した時、既にセントゲイルは紅蓮の焔に覆われていた。辛うじて、両方の翼の先端と胸部に描かれた桔梗紋しか確認できないほど、強烈な劫火であった。これは大量の爆薬を一斉に点火したが如き燃え方です。動けぬゾイドの周囲に爆薬を並べ、焼き殺した様に ソウルタイガーに搭乗したまま一瞥して、坂上遂高が状況を読み取り報告する。「誰がこの様な酷い事を」 断末魔を上げて崩れ落ちるゾイドの四肢を目の前にし、小次郎は眉間に皺を寄せる。気付けば、後続のデッドリーコングの肩から小さな人影が降り立ち、炎上するゾイドに駆け寄る。そして呆然として、膝を着いた。「セントゲイル……ごめんなさい……」 白い素肌に炎が照り返し、怒りと悔しさで紅潮する。幼子の様に号泣し、涙が止め処なく流れ落ちる姿を、言葉もなく小次郎達は見詰める。 その時、炎の奥に、輪郭が揺らめきながら浮かび上がった。陽炎ではない。やがて輪郭は形を成し、正体を現す。 屈曲した四肢と眼窩に装備された電探装置、螺旋状の尾部が特徴的な爬虫類型ゾイドである。炎の色に染め上げられ次第に鎮守の森の木々と同化していく。 桔梗が泣きながら絶叫した。「メガレオン!」「知っているのか」 炎に飛びこまんばかりの少女を抑え、小次郎が問う。「兄の、下野の草(=間者)が操るゾイドです。でも、なぜ……」 少女は愕然として、暫し言葉を失う。光学迷彩に秀でた小型隠密ゾイドは、追撃が不可能なことを知ってか、嘲笑う様に姿を消していく。探知出来ません。あのゾイドは隠密性能が高すぎます。火器を使用せぬ以上、熱源探知も不能です「如何やら我らを襲う気はなさそうだが。桔梗、其方のゾイドを味方がなぜ襲撃したのか」「わからない……何もわからない」 桔梗はその場にしゃがみ込み、無茶苦茶に泣きじゃくっていた。「千晴よ。信じた者に裏切られ、見捨てられ、乗機を奪われ帰還する術も失い絶望の淵に叩き落された桔梗の前を、平将門は見捨てる事など出来ぬ。必ずや己の元に残す。それが己の頸に突き付けられた刃であることも知らずにな」 三毳山アースロプラウネ艤装所で、俵藤太秀郷の低く篭った声を聞いたのは、対峙していた息子千晴のみであった。
碧き獅子村雨ライガーと、濃紺の巨象エレファンダーが、篝火に朧(おぼろ)に照らし出されている。二匹の獣に挟まれた間、鋼鉄の蟲に牽かれた荷台上の庵より、仄(ほの)かな灯りが零(こぼ)れていた。 武蔵国衙に夜の帳(とばり)が降りる頃、身体を寄せ合った二人の少女が静かな眠りについていた。同じ様に寝息を立てる嬰児を抱いた良子が、庵に足を忍ばせ渡り来る。御簾を引き上げ、中で待つ夫と客人に軽く礼をする。几帳(きちょう)の向こうに小太郎良門を寝かせると、奥より出された追加の膳を整えつつ微笑む。「多岐も気付いたのですね。あの方が、孝子殿と同じ心を持っているという事に」 燃え上がるセントゲイルの骸の前で、途方に暮れる桔梗に「泣かないで」と最初に声をかけたのは、他ならぬ多岐であった。孝子の死を充分に理解できなかった幼き少女は、目の前に現れた瓜二つの人物を、身を挺して母子を守った家族として戸惑う事無く受け入れたのだ。 小次郎達も知らぬ事だが、一足飛びに多感な年頃へと成長を促進された桔梗より、多岐の方が長き生を歩んでいる。多岐は姉と同時に妹として桔梗を受け入れ、桔梗も多岐の優しさを受け入れる。そしてこの時、良子は姉妹の母親となっていた。 泣きじゃくる桔梗を多岐と共に慰め、グスタフの荷台に設けられた庵に招き入れると、泣き疲れた桔梗は庵の中で身を横たえていた。傍らには桔梗を気遣う多岐が寄り添い、姉妹二人が互いの温もりに安堵し、いつしか眠りについていったのだった。 小次郎と共に酒を交わす興世王が、頻りと唸り声を上げている。「旅装の壺装束であったがために、顔を充分に確認せなんだのは我の不徳。されど群盗桔梗の前の正体が、美しくも淑やかだった孝子殿であり、更にはあの娘が桔梗の生まれ変わりにして、孝子殿ではなく、下野(しもつけ)俵藤太秀郷の妹であるとな。どうにも我には納得がいかぬことよ」 一通りの説明をしたところで、誰でも容易に納得できないことは予想済みである。小次郎は話題には触れず、本来の目的を果たす為の会話を切り出した。「興世王殿。既に私がここに参った理由は御承知かと」 良子が注ぐ酒を、軽く会釈しつつ受ける興世王が肯く。「郡司武蔵武芝との和議を成す為であったのう。無論、平将門殿が仲裁されるのだ、異論など御座らぬ。源経基殿にも我より使者を送り、和睦への手筈を整えよう」「御配慮、感謝致します。小次郎将門の体面が立ち申す」「お気に召さるな、知らぬ仲ではないではないか」 酒が入って上機嫌となった興世王が陽気に笑う。言葉に嘘は無い。 小次郎も坂東に戦火が拡がるのを防げる事に安堵した。民を救い、ゾイドを救うのが彼の望みであったからだ。(今宵の星は美しい) 深々と更けて行く武蔵の夜の帳に、小次郎は無言で酒を傾けていた。 翌朝、村雨ライガーとエレファンダーが轡(くつわ)を並べ国衙の門を出立した。向かうは武芝の篭る狭服山である。神兵降臨≠ニ火雷天神≠フ幟が雄々しく翻り、周囲を圧して進んで行く。それを目にした誰もが、小次郎の威に従い、和睦は成し遂げられると信じていた。 桔梗の脳裏に、詠み人知らずの歌が降って湧く。 紫の 一本(ひともと)ゆゑに 武蔵野の 草はみながら あはれとぞ見る この歌を知っている。『我らは其方を知っている。其方は嘗て、我らと共に戦い、そして散った孝子という女の生まれ変わりなのだ』 グスタフの庵から、流れる風景を漠然と眺めつつ、桔梗もまた気付いていた。 自分の心は、今の自分だけの物ではない、私は私の知らない記憶を持っている、と。「孝子どの、元気になりましたか?」 背後から快活な少女の声がする。振り返れば良子と手を繋いだ多岐が、輝かんばかりの笑顔で告げていた。続けて慈母の如く良子が静かに問う。「御加減は如何ですか。何かあれば気兼ねなく言ってくださいね」 返す言葉に戸惑う。敵として単身討ち入った心算が、乗機セントゲイルを失い施しを受けている自分。そして目の前の幼い少女でさえ、本人より自分の過去を知っている現実に。(孝子とは、嘗ての私の名前。そして胸を締め付けるような想い。こじろうさま?) ふと、巻き上げた御簾の間からグスタフ前方を進む棺桶の隻眼が覘いた。(デッドリーコング……伊和員経……おとうさま) 記憶が次々と湧き上がる。予感は確信に変わっていく。 紛れもなく、自分はこの人々と共に過ごしていたのだ。 だが解せぬ事がまだ残っている。武蔵の国での記憶、孝子とは別の記憶も、先刻来無数に去来する。「孝子どのはわすれちゃったんでしょ? わたしがゾイドの名前を教えてあげるから、いっしょに外へでましょう」 無邪気な少女は桔梗の手を引き、流れる景色の中の鋼鉄の獣達を指差す。「あれが父上のむらさめライガー。ソウルタイガー、ソードウルフにデッドリーコング。あのね、わたしが大好きなゾイドはバンブリアン。ここにはいないけど、とってもかわいいの。石井(いわい)ではいっぱい遊んだんだ……」 桔梗は多岐の姿を見ながら、土蜘蛛との血塗れの激戦を顧みていた。 無防備過ぎる。これが坂東の覇者の妻子なのか。それでいて、この母子達を討つことなどできない。この母子は、夫と夫の信じた者への絶対の信頼を抱いている。 エレファンダーが一際高く叫んだ。目標の地は近い。 なだらかに連なる武蔵野丘陵の一つ、狭服山の峰が、下総勢の進路上に広がっていた。 ゴジュラスギガのギガクラッシャーファングが小刻みに軋む。人で云う処の歯軋りにも似た仕草である。 操縦席での源経基は、武蔵武芝との仲裁に割って入って来た相馬小次郎将門という者と、その人物に追従し単独で和睦に向かった興世王とに激しい苛立ちを感じていた。「俺を蔑ろにするつもりか」 どす黒い猜疑心が鎌首を擡げ、基経の心情を著しく苛んだ。 興世王の書状に従い、渋々後衛から部隊を引き連れて狭服山に向かっているものの、猜疑心の大きさが、興世王及び小次郎との大毅からの実際の間合いの長さとなって顕れていた。「なぜ介である俺が、権守より後に付かねばならぬ」 事例によっては充分在り得るが、今の基経にとって、人の為す全ての行動が欺瞞の対象となっている。「謀を巡らし、興世王も将門も武芝も、俺を討とうとしているのかもしれぬ」 ハイパープレスマニュピレーターが気忙しく爪を開閉させる。「小癪なのは平将門だ。たかが田舎の易姓貴族に、六孫王たる俺がなぜ従わねばならぬ。聞けば興世王も遠く桓武帝を祖とする一族の末裔。将門と口裏を合わせ、俺を嵌(おとし)めようとしていると充分考えられるではないか」 猜疑心は汚泥の如く溜まって行く。いつしかギガは、格闘形態から前傾姿勢の追撃形態に変化し、緑の双眸も赤い血の色に変わっていたのを源経基自身も気づかぬままであった。 武蔵武芝は、嘗て聖武帝の時代に遡る頃に名を馳せた名手武蔵宿祢不破麻呂(むさしすくねふわまろ)の子孫である。大社氷川神社の祭祀を管掌する在地名族であり、足立郡の外、判官代として国衙の在庁官人を兼任した族長的豪族でもあった。俗称竹芝寺≠ニ呼ばれる氏寺を持ち、充分な私兵も有している。 にも関わらず、ゴジュラスギガとエレファンダーとの対決に至らなかったのは、偏(ひとえ)に地元足立郡の庶民に被害が広がるのを避けたからである。従って狭服山には充分な戦闘ゾイドが温存されていると想定され、更には庶民に被害の及ばない深山の地であればこそ、小次郎達は武芝との衝突も考慮する必要があった。 先行する村雨ライガーの中で、小次郎は接近する鋼鉄の獣の気配を察知していた。「来たか。数は……3匹か」 狭服山の麓(ふもと)に広がる孟宗竹の林の中、陰影に紛れる擬態塗装を施されたらしきゾイドが出現した。側面にゾイド確認。右1、左2。中型です 村雨ライガーに並走するソウルタイガーの坂上遂高より、機影確認の報が届く。中型ゾイドは敢えて跫を響かせ竹林を疾駆する。奇襲する意志の無い事を示すと同時、諸手を挙げて歓待している訳でもないということである。 緩々(ゆるゆる)と進む小次郎の大毅の前に、白と黒とに彩られた中型ゾイドが竹林を抜けて姿を現した。「バンブリアンだ!」 多岐が歓喜の声を上げていた。背負った無数のバンブーミサイルを翳(かざ)し、3機のバンブリアンが村雨ライガーの進路の左側に列を成し停止する。ゾイドの仕種から、小次郎は通信回線の開放を要求している事を察し調整をする。操作盤に誘導箇所を示す信号と音声通信が送信されてきた。我らは郡司様の使いとして参った。平将門殿との会談を望みたい。村雨ライガーのみで御出で願いたいが、如何に「承知した」 小次郎が躊躇うことはなかった。村雨ライガーは短く咆哮すると、先行する一匹のバンブリアンを追い、単機狭服山の竹林の奥に呑まれていく。それに追従して、残った二匹のバンブリアンも竹林に向かう。 主君の豪胆な行動を前に、伊和員経達は唯只管に無事を願うのみである。 多岐が頻りにバンブリアンに向かい手を振っている。それを良子と桔梗が、それぞれに異なる想いを抱き見つめていた。
小次郎は、村雨ライガーの機体が奇妙に揺れるのを感じた。竹林を先行するバンブリアンも、後続の2機も、そして村雨ライガーも異常を覚え立ち止まる。不死(フジ)の噴火による空振です。時折起こることにて、お気になさらずに「不死山(フジやま)の空振? 駿河は武蔵より大分遠い。それに音も聞こえぬではないか」音は届かず、低き揺れのみ届くのだとか。それが証しに、あちらの空を御覧なされ バンブリアンの頭が振られた先の空を見て、小次郎は息を呑んだ。夕焼けや朝焼けとは異なる赤黒い輝きの空が、遠く駿河の方角に広がっていた。「あれも不死の仕業に因るものなのか」左様です。さあ、先を急ぎましょう 事も無げに進むバンブリアンの後を、小次郎は今は無言で追い続けるしかなかった。燃え上がる空に一抹の不安を抱きながら。 十二機のバンブリアンが、格闘形態の二足直立状態で整列している姿は壮観であった。中央に設けられた陣屋の中、村雨ライガーを降りた小次郎が通された先に、数人の郎党と共に温和な表情の老人が立ち上がり頭を垂れている。老齢な郎党頭と思い、小次郎はそのまま前を通り過ぎようとした時、付き添ってきたバンブリアンの操縦者が間近に寄って囁いた。「此方が武芝様です」 慌てて立ち止まり、改めて老人の姿を見直す。自分が腰に太刀を帯び、背後の村雨ライガーを操ればたちどころに踏み潰せる場所にありながら、この武蔵足立郡の郡司は恐れず出迎えに立っていた。軽く会釈をすると、貌に刻まれた皺を緩ませ出迎えの言葉を告げた。「坂東の覇者たる平将門様を早々に拝顔したく、急ぎお迎えに上がりました。此度はわざわざこの様な場所まで御出で頂き、御足労をかけます」 言の端々に温厚な人柄な滲み出る。武芝を慕って狭服山に立て篭もった人々が数多いというのも納得できた。小次郎は太刀を先程のバンブリアン操縦者に手渡し、早速話を切り出す。「知らぬとは言え、御無礼お許しください。 手短に申し上げる。これ以上坂東の民を悩ます事見捨てておけぬ故、権守興世王殿、介源経基殿との紛議を治めたく推参仕った」 皺(しわ)の中に埋もれた瞼(まぶた)が、微かに見開かれた。「……坂東の民を思ってとな」 視線を小次郎越しで村雨ライガーに向け、武芝は浅く息をついた。「その言葉、為政者の口より告げられるのを幾度となく聞いて参りました。されど真意は、己の知行を維持し、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)に民を搾取する為の言い訳で御座いました」 小次郎の脳内に怒りが瞬時に込み上げる。視界に残る村雨ライガーが低く慟哭する。主君の怒りを感じ取ったからだ。『言い訳』。その様なものではない。俺は純粋に、坂東の平和を願う者だ。「聞き捨てなりません。では武芝殿にお尋ね申す。なぜあなたは武蔵足立の郡司として、長く権力の座に就かれている。見れば勇壮なるバンブリアンの大毅を備えておられるが、これとて民より徴収したレッゲルその他多くの調庸により成すゾイドではないか。あなたはいらぬ争いにより、国衙周辺の家屋を灰燼と帰し、訊けばゴジュラスギガなる凶悪なゾイドを跋扈(ばっこ)させたという。民を守るという郡司の立場からすれば、是だけの兵を構える以上、堂々と暴竜と戦い、敵を排除すべきだったのではないか」 武芝の瞳が細く弧を描く。「府中でゾイドを戦わせれば大きな被害を及ぼすものと思い兵を退いた事が、反って介と権守の怒りを買ってしまったのは否めません。しかし直接戦闘を避けた事に依り、被害は最小限に収められたものと自負しております。それにこうして平将門様ともお逢いできました。お噂通りの人物と知り、恐悦至極に御座います。 先程は将門様の真意を測るため、敢えて無礼な物言いを致しました。お気を悪くさせたこと、平に御容赦下さい」 小次郎は咄嗟に、怒りの感情を収めなければならないと判断した。 この老練な在郷官人は、自分の器量を推し量っている。 単に温和な好々爺と油断していると、相手の術中に嵌ってしまう。 今は本来の目的のみに拘るべきである。 小次郎はもう、若き日の小次郎ではなかった。「後衛に興世王殿が控えており、更には直に源経基殿も到着するであろう。平小次郎将門の命により、断じてエレファンダーとゴジュラスギガに勝手をさせない事を約束する。話し合いの座に着き、和睦の議を進める事を承認願いたい。如何に」「将門様が御出で頂いた時点で決心はついております。謹んで申し出をお受け致します」 武芝は深々と頭を垂れた。「これより我らは布陣を解き狭服山の麓(ふもと)まで下山します。宴(うたげ)の用意をさせましょう。興世王殿、源経基殿も交える宴として」 息を呑んで小次郎と武芝との遣り取りを見守っていた武蔵の家人達が、小次郎による和睦の手筈を受け入れたと知ったと同時、輪の中より安堵の声が湧き上がった。声を制して一際高く武芝が告げる。「布陣を解く。皆の者、狭服山を下りるぞ」 その声に、部隊が一斉に動き出した。坂東の覇者として名高い平将門が仲裁する以上、興世王にせよ源経基にせよ、迂闊に乱行に訴えることは出来ない。「府中に戻れる」。人々の口々に喜びの言葉が溢れていった。バンブリアンが四足歩行形態に変形し、資材の移動を開始する。突然の喧騒に、竹林の木漏れ日の中で緊張していた村雨ライガーが、金色の鬣(たてがみ)を不規則に輝かせる。ナニガアッタノダ? 頻りに頸を捻る碧き獅子の姿は、滑稽であり長閑(のどか)でもあった。 到着して以来立ち尽くしたままだった小次郎は、一つの課題を成し遂げたことに心弛(こころほころ)び、快い身体の疲れを覚えていた。未だ成すべき事は幾つも残っている。それでも戦に明け暮れていた自分が、戦を収めることができた充実感に浸りたかった。 適宜ゾイドの配置を解き、下山指示する武芝を眺めつつ、しかし小次郎は、心に閊えるものを抱いていた。 武芝から投げかけられた問いに、己自身が答えられなかった疑問が含まれていた。声をかけるのも躊躇われ、ただ無言で今は老練な郡司の姿を見つめるしかない。蹲(うずくま)って主の帰りを待つ村雨ライガーの元へ歩み出した時、山野を含めた竹林が再び揺れるのを覚えた。 先の空振か。いや、地震の如く、尚且つ地鳴りの如き振動だ。 だが直ぐに収まっていた。村雨ライガーが憤(むずか)る。「置き去りにしたこと悪く思うな。バンブリアンに取り囲まれた事、そんなに心細かったか」 鋼鉄の獣は大きく緩慢に尾を振る。無邪気な仕草に貌が綻ぶ。小次郎は再びバンブリアン1機を引き連れ、遠く前衛に陣を構えるデッドリーコングやソードウルフの機影に向け、村雨ライガーを走らせて行った。「深部低周波地震、それにあの空は火映現象。さては不死(フジ)の奈落にて、再び死竜が蠢き出したか。将門殿、せめて四郎殿に、一刻も早く伝えねば」 襤褸切れを纏った乞食僧が、錫杖を翳(かざ)し武蔵の空を睨み付けていた。 日頃より舞飛ぶ鳶色のシュトルヒの姿が、今は一羽も視止められなかった。
篝火の下、華やかな宴が開かれていた。隊列を崩し、思い思いの姿勢で寛ぐゾイドの群れを掻い潜り、幼い少女が息を弾ませ駆けて来る。宴の中央で歓談する小次郎と、それに寄り添う良子に、瞳を輝かせ歌う様に告げた。「ははうえ、ちちうえ。バンブリアンにのりました。いっぱいのりました。たのしかったです」 守役の五郎将文が息も絶え絶えに、少し遅れて到着する。差し出された柄杓(ひしゃく)の水で喉を潤すものの、激しく咳き込み声も出ない。活気溢れる幼子の前では、元服成り立ての若武者であっても、充分に追いつけないほど元気であったようだ。「五郎殿もお疲れでしょう。お食事など召し上がりお休みください。 郡司様、娘の願いをお聞き頂き本当にありがとうございます。さあ、お礼を言いましょうか」「うん、おじいちゃん、ありがとう!」 ゼンマイ仕掛けの玩具の如く、ぴょん、と頭を下げ、再び上げた少女の顔には満面の笑みを湛えられていた。太陽の様な微笑みは、自然に酒宴の場を和やかな空気で包んでいく。蟠(わだかま)りを捨てた興世王が、やおら立ち上がった。「郡司殿、我も一献傾けたい」「お受け致します」 武芝の盃に白濁の酒を注がれ、穏やかに口元に運んでいく。互いに歓談を続ける最中、中央に座した小次郎の膝に、多岐がちょこりと座り込む。「この様な酒臭き場所にいては良くない。あれだけ遊んだのだ、子供はもう床に就かねばならぬ」「父上は皆様と大事なお話中ですよ。また後で遊んでもらいなさい。誰か、多岐を庵まで」「やだ! ちちうえのおひざがいいの!」 むずかる多岐の頭を撫でつつ、小次郎は娘を抱き上げる。「止むを得まい、少しだけだぞ」「あなた様はいつもそうやって……あまり甘やかさないでください。小太郎の様子を見たら戻りますから、それまでですよ」 並べた膳の料理を小皿に載せて、小次郎は多岐の口に運んで行く。温かい家族の幸せな姿は、小次郎自身が思い描いていた坂東の平和そのものを映すようであった。「それにしても、ギガは未だ到着せぬのかのう。これでは基経殿の分の酒がなくなってしまうわ」「興世王殿、何分程々に願います」 和睦を成した新任の権守は、「わかっておる」と陽気に二度繰り返し、また盃を仰ぐように口元に運んで行った。その場に居合わせた三郎将頼や、坂上遂高、文屋好立など誰彼構わず酒を注ぎ回り、如何にも気分良く酔い痴れて行く。その様子を見守る小次郎の膝で、先程まで燥いでいた少女の瞼が半分ほど閉じて、うつらうつらと不規則に揺れ始めていた。「こら多岐、こんな所で眠ってはいかん。誰か連れて行ってはくれぬか」 生憎良子は未だ小太郎良門の世話のため庵に下がったままで、五郎も酒宴の場を離れている。員経は郎党衆の無用の衝突を未然に防ぐため、デッドリーコングを以て陣内を巡回している。好立にせよ遂高にせよ、ザビンガやソウルタイガーの扱いに慣れていても幼子の世話には慣れていない。三郎も普段から多岐の世話を五郎に任せきりで、四郎は書面整理の為不在であり、その場に多岐を世話をする適任者を欠いてしまっていた。「おお、来てくれたか。多岐を頼む、眠ってしまったのだ」 奥の間より、桔梗が静かに酒宴の場に現れ、無言で会釈をすると、小次郎の膝の上で転寝をする多岐を優しくかかえた。瞼を閉じた幼子は、夢の世界に居ながら姉のような乙女に抱き着き身を委ねる。再び無言で会釈をしてその場を去ろうとする桔梗に、酔った勢いでの興世王の言葉が突き刺さった。「やはりお美しいのう。それにしてもいまだに信じられぬわ、其方があの群盗桔梗の前と同じとは」 小次郎も、そして桔梗も身を硬くする。 しかしそれ以上に、武芝の瞳が大きく見開かれていた。幾分逃げる様に去って行く桔梗の後ろ姿を追いながら、老郡司はその場にいた誰もが聞こえるほどの声で呟いていた。「紫(むらさき)……」 独白とも、驚嘆とも聞こえる声だった。「将門様、不躾ながらお尋ね申す。あの女人は、何処(いずこ)の方か」 是迄一度として狼狽しなかった老郡司の口調が上ずっていた。桔梗の複雑な素性を晒すのを躊躇う小次郎は、咄嗟に言葉を詰まらす。頼りの伊和員経はこの場にいない。流石に雰囲気の重さを悟った興世王も口を噤んだ。 和やかな酒宴に、緊張が奔る。座の雰囲気を察した武芝は、貌の皺を無理矢理歪ませ嗤いを繕う。「お見苦しき振舞い、御容赦くだされ。遠き昔に見知った者に、あの方があまりに似ていたので取り乱しました」 しかし、並大抵ではなく狼狽した姿を見せてしまった手前、武芝は話題を変えることができなくなっていた。視線の先に、五郎が使った柄杓が無造作に揺れている。「若き日の酸い想い出で御座います。年寄りの昔語りに、お付き合い願えますか」 揺れる柄杓から、桔梗の去って行った庵に視線を移し、武芝は遠き記憶を遡り語り出したのだった。「武蔵宿禰(むさしのすくね)の姓(かばね)は、元は丈部直不破麻呂(はせつかさべあたいふわまろ)が氷川の社の祭祀を賜り、坂東に下向した国造(くにのみやつこ)に御座います。丈部は代々バンブリアンを操り、元はソラへと繋がる一族でありました」「成程、それで岡崎村の駆使、丈部(はせつかさべ)子春丸もバンブリアンを操っていたわけか」「坂東には早くから多くの分家が点在し、子春丸殿とやらも恐らくは我らの一族かと。金物加工に優れ、ゾイドの修理などに携わっていたことかと思います」 小次郎の脳裏に、今は亡き子春丸の人懐こい笑顔が過る。「あれは私が元服を終えたばかりの若き日、ソラに衛士として昇っていた時であります。未だ軌道エレベーターのケーブルは地上に届かず、静止衛星軌道を回るジオステーションより次第次第に垂らされるケーブルの先端を待ち、清涼殿付近にアースポートの建造を始めた頃で御座いました。 後に云う菅公(=菅原道真)の雷撃に焼かれる以前の内裏清涼殿にて、私は虚しき心を慰める為、唱(うた)を口遊んでおりました。 七つ三つ つくり据ゑたる 酒壺に さし渡したるひたえの瓢(ひさご)の 南風吹けば 北に靡(なび)き 北風吹けば 南に靡き 西風吹けば 東に靡き 東風吹けば 西に靡き 遠く武蔵を離れ、友も無く孤独に日々を過ごす私には、風に揺れる柄杓がそれはそれは楽しそうに見えたのです。 その時です。内裏館奥より涼やかな声が掛かりました。『その唱を、もう一度歌ってはくれまいか』と。 御簾を引き上げ覗いていたのは、身なりも高貴な美しき女人でした。辺りには得も言われぬ香しき香りがたち込めていた事、今でも昨日のように覚えております。 女人は申されました。『先程の唱、楽しげにして哀しげな調べで、忽ちにして虜となりました。また此処に来て、歌ってはくれまいか』と。命じられるままに私は、務めの合間を見つけては、女人の元に通い歌ったので御座います。 逢瀬を重ねるうちに、その方がソラの姫君であり、名を紫≠ニいうことも知りました。遠き古(いにしえ)に出会った乙女であったのに、顔貌、立居振舞全てが、先程の方――桔梗様――とあまりに瓜二つで、驚いてしまったので御座います」桔梗の前は一人にして一人に非ず≠ニ、藤原純友より語られた真実を、小次郎は思い返した。別の入れ物に魂を移し替えた≠ニも語った言葉が、武芝の昔語りと重なる。孝子と名乗る以前の、更には桔梗の前と名乗る以前の桔梗の姿が、漠然と浮かび上がった。 「若き私は、無垢にして眩しいほどのソラの女人を見たのは初めてで、忽ちに心惹かれました。身の程違いの想い為れど、激しき恋慕の情は抑え難く、いつしかその方に熱き恋心を寄せる様になっておりました……」 すやすやと眠る多岐の傍らで添い寝する桔梗も、不可解な感覚に苛まれていた。――あの老人を知っている。今の私とは異なる、もっと昔の私が―― 深々と更けて行く天空を、不気味に覆う不死山の火映現象は、武蔵の篝火に紛れ、心に留める者はない。「間に合うのか」 遊行の乞食僧の姿を視止めた者もまたいなかった。
空也が不死山の頂を仰ぎ見ていた同日同刻。 武蔵国を遠く離れた都の左馬寮に、乞食僧然とした風体の人物が転がり込んでいた。浮浪の民が迷い込んだものと、寮の者が早々に退散させようとすると、その人物は掠れ声で己の名を名乗った。「左馬允(さまのじょう)の平貞盛である。三条大臣(おとど)、藤原定方様に御目通りを」 よくよく目を凝らして見れば、確かにそれは、窶(やつ)れ果てた平太郎貞盛であった。 千曲川での戦いで愛機ブラストルタイガーを失って以来、朝に夕に小次郎の追撃を恐れ、同時に僦馬(しゅうま)の党やはぐれ蝦夷の襲撃を憂い、野に伏し草を食み、昼夜を通して歩み続け、満身創痍で漸く都に辿りついた姿であったのだ。「太政大臣藤原忠平様に、平将門への追捕官符を請う」 貞盛はそのまま、気を失う様に深い眠りに陥っていった。 篝火の下、武芝の昔語りは続いていた。「紫(むらさき)の君は『瓢が靡く景色が見たい。瓢が靡く大地に立ちたい』と仰せられました。最初の内は姫君の戯れとして聞き流し、身分違いの想い故、叶わぬ願いと諦めておりました。しかし逢瀬を重ねる末に、姫の願いが真摯であり、本気で田舎者の衛士である私を好いておられることを確信しました。 若さは無謀を承知で人を突き動かすもの。私は姫の願いを叶える為に一計を案じました。朝議の儀仗に際し衛士の立場を利用し、大きな葛篭(つづら)を抱えてジオステーションの宮掖(きゅうえき=正門傍の小門)を密かに潜ったのです。門外に待たせておいたバンブリアンに乗ると、衛星軌道より地上に伸びるケーブルを七日七晩走り通し、大気圏に達し地表が見える場所まで到達。ジャイアントホイールを滑車代わりにケーブルを滑り降り、最後に落下傘を展開して勇躍地上へと降下し、一路故郷武蔵へと向かったのです。抱えた葛篭に姫が潜んでいたのは、申すまでも御座いません。 狭い機内の中で手を取り合って、無限の希望を描き坂東へと向かったので御座います」 源家の降嫁を強いられていた良子を、叔父良兼の館から略奪同然に娶った小次郎にしてみれば、武芝の行動に己の過去が重なる。あの日レインボージャークより放たれたパラクライズの光芒が脳裏に過ぎっていた。「惚れた女人との逃避行とは剛胆な。益々武芝殿を見直しましたぞ」 再びほろ酔い加減となった興世王が酒徳利を傾ける。盃を受けると濁酒を飲み干し喉を潤す武芝の顔には、一向に酔いの紅潮を見せていない。「ソラより程なく追っ手が迫るのは承知の上のこと。バンブリアンが如何に俊敏なるゾイドとはいえ、デカルトドラゴンやら天空レドラーやらに速さで到底敵う訳は御座いません。追っ手を振り切りたい一心で、止む無く禁断の一手を打ったので御座います。 近淡海(ちかうおうみ:琵琶湖)に掛かる瀬田の唐橋の一間(橋桁と橋桁の間)を破壊し、要塞型巨大蜈蚣(むかで)ゾイドの封印を解く事によってソラを惹きつけ混乱に乗じる。その隙に、武蔵国まで逃げようとしたので御座います」 小次郎の盃を運ぶ手が止まり、下総勢の家人一同も同様の仕種となった。空也と、そして純友より語られたゾイドの名が口を告いでいた。「……アースロプラウネのことか」「御存知で御座いましたか。終いには田原郷の藤太様、つまり藤原秀郷様に退治されてはしまいますが、私共が逃げ仰せるには充分な時間を稼いでくれました」 小次郎の中で、多くの謎が次々と数珠繋ぎとなって円環を成していく。欠けた珠(たま)を補う為、小次郎は問う。「何故に、瀬田の唐橋を破壊することが、アースロプラウネを解放つこととなるのか」「橋とは端(はし)≠ノ繋がる異界への封印を示します。瀬田の唐橋は元来、龍宮が来るべき事態に備え、数々の金属生命体たる巨大ゾイドをスタトブラスト化(休眠状態)にするための封印施設でありました。現在を以ても、ホエールキングやらタートルシップやらが眠っておるはず。必要に応じてスタトブラスト化を解除し、押領使やら追捕使やらに配備されます。近年では追捕凶賊使の小野好古様に、ドラグーンネストが下賜されたと伺っております。 デルポイより渡来した天上人達は、当時龍宮を配下に治めており、地上の管理とアースポート建造を委任させていましたが、龍宮は更に部曲民(かきべのたみ)に作業を孫請けさせていたのです。 我ら丈部は代々造兵司に仕える部曲(かきべ)故、スタトブラスト化を解除するなど造作もない事。ジオステーションへの参内に備え、予(あらかじ)めアースロプラウネのゾイドコアに火入れをしておき、我らの降下と共に目覚めるよう段取りを踏んでおきました。 再起動したアースロプラウネは、制御する者の居ないまま彷徨し、思惑通り建造途中のアースポートを混乱させました。俵藤太様がアースロプラウネを鎮撫する頃、我らは追っ手の届かぬ武蔵郷に到着して居りました。一世一代の逃避行は成功したので御座います」 過去の佳き追憶を恍惚と語る武芝の貌は、暫し老いを忘れ去っている様であった。「万事が上手く運んだと思われたのです。思われたのですが……」 老郡司は深く長い溜息をつくのであった。 武芝と興世王、そして小次郎が待つ宴の篝火を目前に捉えた地点に、赤い眼をした暴竜の機影が現れる。 追撃体勢にありながら、ゆるゆると進むゴジュラスギガの頭部操縦席の風防を、雨垂れの如く降り注ぐ何かが激しく叩いた。「雨、いや、雹か」 風防を僅かに開き、飛来する雹の欠片を掴もうと、漆黒の虚空に掌を伸ばす。「なんだこれは! 雹ではないぞ」 源経基は掌に火箸を差し込まれるような痛みを感じ、雹と思われた欠片を振り払った。遠き駿河の火映が怪しい輝きを一層強めている。経基に随伴して来た郎党衆が口々に悲鳴をあげ、降り注ぐ高熱の礫片を避けようと逃げ惑う。「さては武芝、そして興世王に平将門め。我を亡き者にせんと、卑怯千万な策を弄したな」 降り注ぐ熱き細片が、猜疑心に凝り固まっていた経基を激怒させるのは容易であった。「ソラに訴えてやる。平将門は、興世王、武蔵武芝と共に武蔵介である私に謀反を起したと」 林立する孟宗竹が炎を上げて破裂する光景を尻目に、ゴジュラスギガは和睦の議を投げ打ち去って行く。 格闘戦に於いて最強と称される暴竜ゴジュラスギガを以てすれば、村雨ライガーは元より将門ライガーにも充分匹敵した筈である。源経基は紛れも無く、平将門を恐れていた。折しも降り注いだ灼熱の礫片を、都合よく小次郎達の攻撃と解釈し、懐かしの都への逃走理由としたのである。 飛来した高熱の礫片の正体は、不死山より噴出した火山礫(スコリア)であった。摂氏にして四百から五百℃に達する高熱を放つ噴石であり、短い休眠期間を終え、再び奈落の底の死竜が目覚めようとする前触れでもあった。礫片は次第に噴出量を増し、駿河、相模、武蔵、そして下総や常陸にまで降り注ぎ、坂東全域に大きな被害を齎す。 だが天変地異の騒動が小次郎達の元に伝わる迄、暫しの間があった。「紫と私は武蔵で夫婦の契りを結び、日々安寧に過すことになりました。姫はソラ育ちでありながら、私の身の回りを甲斐甲斐しく焼き、それはそれは睦まじい暮らしを送りました。 夫婦として幾年か過ごしたものの、子を成すことはありませんでした。いえ、それは最初の夜から薄々感じていたこと。姫は――紫は――子を宿すことが出来ない身体でありました」「まことでございますか。女人の身体は女人にしか判らぬものです」 小太郎を寝かしつけ、新たな酒徳利を運んで来た良子が矢庭(やにわ)に話に割り込んだ。小次郎に同じく、嘗ての二人の馴初めの記憶と重ねて逃避行の末の幸せを願って傾聴していたに違いない。 武芝は静かに首を横に振る。「武蔵の取り上げ婆(=助産婦)にも調べてもらいましたので、間違いのない事で御座います。それでも私は紫が傍(そば)にいてくれるだけで幸せでした。ただ、傍にいてくれるだけで良かった。 やがて恐ろしき事が起こりました。紫の若き嫋やかな身体が、急激に老い始めたのです。最初は節々の痛みを訴え出したかと思うと、次第に床に就く時間が長くなり、やがて起き上がることも稀になって、肌艶も老人の如く潤いを失っていきました。 悪しき病と察し、私は紫を助けたい一心で坂東中を巡り、必死で療法を探りました。ある時はデルポイより渡来したヘリック国の医術を学んだと称する医者にも掛かりました。 ですが下された診断は残酷なものでした。紫の君の寿命は、もはや尽きようとして居ったので御座います」「お待ちください。姫の、紫の君の歳(よわい)は幾つだったのですか」 悲恋の行く末を憂い、良子が食い下がる。「歳の頃なら桔梗様と同じ位、まだ二十歳を越えぬ筈でした。但し歳を問うと、紫は不思議なことを申されました。『歳は知らぬ。まだ生まれて間もない』と。 程なくして紫は、私の前から姿を消しました。ほぼ寝たきりとなっていたのですが、ある日忽然と、蛻(もぬけ)の殻の床を残して。 急激に老いさらばえて行く身を晒すのが辛かったのでしょう。 淵に身を投じたか、それとも人の手の届かぬ深山に分け入り命を断ったか、未だ骸を見つけることはできぬままで御座います。 紫が去った枕元には、力が入らぬ指で記した文(ふみ)が乗っておりました。『有難(ありがと)う。幸せでした』とだけ書き残して」 武蔵の静寂を、天変地異が切り裂くのは、長い昔語りが丁度終わった頃である。間もなく武芝の陣にも、不死山の灼熱の火山礫が降り注ぎ、遂にゴジュラスギガと六孫王源経基の到着を見ないまま、和睦の宴は散会する。 小次郎の坂東の平和を守ろうとする意図は、不死山の噴火によって破砕された。そして平将門は、平貞盛と源経基の両名によって訴えられる事態となった。「極楽(アーカディア)。現世が既に末法の世と言うならば、我らは死ぬことによってのみ救われるのか」厭離穢土 欣求浄土≠フ文字が、空也の足元の地面に刻まれている。小次郎達に天災発生を知らせることの出来なかった苛立ちを込めて。 不死は西側の峰の側火口より側噴火を起こし、著しい噴煙と噴石を撒き散らした。激しい火山性地震と共に山体崩壊(セクターコラプス)を生じ、爆風(ブラスト)が山麓を音の速さで駆け降り樹海を焼き尽くしていく。 延々と伸びる軌道エレベーターのケーブルが、惨状を尻目に無慈悲な輝きを放っていた。