先の前編では
飲酒運転罰則強化(2007年)、駐車監視員制度(2006年)、裁判員制度(2009年)、
モンスターピアレント問題、嫌煙運動、メタボという言葉の流行、
児童ポルノ規制法強化、etc…、
という項目を羅列した上で、飲酒運転罰則強化への疑問を提起した。
ここではその他の項目について批判してみる。
裁判員制度については一部で憲法違反の疑いすら指摘されている。
国民の三大義務以外に国民に義務を課すことが国家に許されるのか、
という批判である。
そんな批判が出ることも、もっともな話で、私は宮崎哲弥が書いた
「民主絶対党の選挙公約」というジョークを思い出す。
これは、元々は裁判員制度の「さ」の字も出ていなかった時代、
当時大学在学中だった宮崎哲弥が思考実験として書いたもので、
後に市販された彼の著書にも収録されている。
(conf.「民主原理主義考」2001 PHP研究所『憂国の方程式』p71)
何でも、民主的な原理を透徹させると著しく反民主主義的になるという
皮肉だそうな。架空の政党「民主絶対党」の「綱領」として
以下のように書かれている。
「絶対民主主義政党綱領(抜粋)」
・第一項「強制選挙の実施」
・第七項「国民皆兵、義務兵役制の復活」
選挙は「健全な民主体制を創出する神聖な義務」であるという主張に始まり、
「職業軍人や高級官吏に独占されている状況こそ非民主的」と、軍事の民営化
は民主化に不可欠だそうな。
この第三項にズバリ「陪審員制度の導入」が掲げられている。
同書において宮崎哲弥は
「手遊びに草した絶対民主主義政党綱領が
大真面目に受け取られ
採用されかねない世情になってきた。」
と書いている。
宮崎さん、的中してるじゃん!なぜもっと自慢しない!?
もとい、なぜもっと批判しない!?
これも全くもって<前編>で書いた通りである。
エセ・エコロジストの環境活動に対して感じる
「その目的に対してその手段かい!?」という違和感と同じ感覚である。
エセ識者の司法制度改革に対しても
「その目的に対してその手段かい!?」と、もっと突っ込まれて良い。
メタボにしてもそうだ。メタボという名詞が市民権を得て
肥満防止への関心は高まり、ちょうど私個人もダイエットに成功しつつある最中
ではあるが、同時に加速している「不寛容化」。
これは主観的に思うだけであるが、明らかに肥満への「差別的意識」は増して
いないだろうか。少なくとも私は度を越した肥満体の人を見たとき、
以前は「スゲー!わっはっは!」という反応だったが、
最近はどうも「ぅゎぁ…、ぁーぁ…」と反応してしまっている。
この表現で読者に伝わっただろうか。
自分自身の中にも差別的軽蔑意識がいつのまにか植え付けられているのを感じる。
もっとも、私はダイエットには成功しつつあるし、元々酒も滅多に飲まないし、
路上駐車も2006年以前だって遠慮していた者であって、ここまでの
「不寛容化、厳罰化」には、実のところ、言うほど反感も無かったりする。
が、タバコはやめられぬ。
タスポ導入にも批判は多いが、私など大人しく早々にタスポを入手済みである。
本日以降も不自由なくタバコを購入出来る次第。
しかしまあ、タバコ一つ購入するにもこうまで不寛容な世情になったか。
タバコにしてもね。例えば加護亜衣ちゃん。
コンプライアンスという横文字が市民権を得た今日、法律違反は致命的であるが、
犯した罪に対して受けた制裁は果たして釣り合うのか。
と、話が散らかってきたところで…。
ここまで、前編、中編と
ここ10年ほどの顕著な「不寛容化、厳罰化」について指摘した。
最後に後編では「不寛容化、厳罰化」の原因について考察する。