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[6] 漁師の兄ちゃんと追っ手君×大佐/01
風と木の名無しさん - 2007年03月09日 (金) 04時07分




 舞い込む風に肌寒さを感じて意識を覚醒し、うまく働かない頭でそれでもどうにかムスカは目を開こうとした。
 だが瞼は上がらず、視界に光の欠片もない。
 驚いて身体を起こし右手で目元に触れてようやく両目を覆うように包帯が巻かれているのだと理解する。包帯の内側にはガーゼが当てられているらしく矢張り瞼は上がらなかった。
「ああ、やっと目が覚めたのか!」
 突然大声でそう言われ、ムスカは驚いて声のした方向へと顔を向ける。
「あんたこの近くの海岸に打ち上げられてもう三ヶ月も寝てたんだぜ。軽い怪我もあったけど目が覚めるまでに治っちゃったな。毎日この村の医者が診に来てくれてさ、あんた目の色素が薄いんだろ? 強い光を直視しただか何だかで失明寸前の状態らしいぜ。」
 そう言いながらこちらへ歩み寄ってくる足音と近付く若い男の声にムスカは咄嗟に自らが今まで寝そべっていた場所を手で探った。どうやらベッドの上にいるらしく、膝には掛けられていた毛布がずり落ちている。
「…誰だね、君は。」
「俺はノワールっていうんだ。この村の漁師だよ。どっか痛む所ないか?」
 ノワールと名乗る男が腰を下ろしたのか、ベッドの端が少し軋んで沈んだ。
「ここはどこだ。」
「ピノって小さい田舎の漁村でスラッグ渓谷からちょっと離れた辺り。医者に見てもらったけど先生いい年した爺さんだし見落としてんじゃねーかな。骨とか折れてないか?」
 快活な口調で一気にそう言いながら男の手がムスカの肩に乗せられ、驚いて咄嗟にその手を振り払う。
「気安く触らんでくれ!」
「あっ、びっくりしたのか? 見えてないから仕方ないよな。一応あんたの持ち物とか調べて身元確認しようとしたんだけど手掛かりなくてさ、でもやっと家に帰れるな。家族も心配してるぜ。」
 拒絶の意味を込めて悪意すら交え言った言葉にあっけらかんとそう返され、その上気に留めた風でもなく人の良さそうな口調でまた一気に喋り肩を軽く叩かれた。
 何だこいつは、と思いつつ眉根を寄せるがムスカのそんな様子に気付いているのかいないのか、ノワールは尚も明るく話を続ける。
「あんたを見つけた頃に遠くの海で軍の飛行船が襲撃されて墜落したらしくてさ、行方不明者とか結構いるらしい。あんたもその内の一人だと思って調べたんだけど解らなかったんだ。大体あんたの名前も知らないのに解る訳ないよな。」
 そう言って笑うノワールに、ムスカは知らず俯けていた顔を上げた。
 名前、である。
「で、あんたの名前は?」
 どこか嬉しそうにそう問うノワールに、ムスカは突然痛み出した頭を押さえる。
「どうした? 頭が痛いのか?」
「…私の」
 私の名前は何だ、と言いかけて口を噤んだ。
 名前だけではなく、他の何もかもが思い出せない。
 スラッグ渓谷という地名も軍の飛行船の事も、何も解らない。
「…私は誰だ…?」


[9] 02
風と木の名無しさん - 2007年03月11日 (日) 20時03分




「記憶がないのか? 頭を打ってるのかもしれないな。」
 自らに関する記憶の全てを失っているという事実に呆然とするムスカに対し、ノワールは驚き混じりではあったがあっけらかんとした口調でそう言う。
 そしてまた肩を掴まれ、その手を払いのける前にもう片方の手がムスカの髪をそっと撫でた。
「痛むか?」
「…私に触るなと言っている!」
「とりあえず医者を呼んでくるよ、ちょっと待ってろ。」
「人の話を」
 聞け、と言い終える前に部屋の扉が閉じられる音がし、次いで部屋の外の足音が遠ざかっていく音が耳に入る。
 何という勝手な奴だ、と自分の事を棚に上げ心中で毒づきながら、ベッドの上を手で探り床へと足を下ろした。そのまま立ち上がろうとするが、力が入らず少しよろめいてしまう。
 三ヶ月もの間意識がなかったとノワールが言っていた事を思い出し舌を打つ。予想以上に体力が低下しているらしい。
 手を伸ばして壁に触れ、慎重に歩を進めて行き扉へと行き着いた。
 ノワールが戻って来る前に早くこの家を出てしまおうと思いながらドアノブに手をかけるが、押し開く前に先に扉が開かれ体勢を崩してしまう。
 慌てて咄嗟に持ち直そうとするがそれより早く両肩を掴んで支えられてしまった。
「何やってんだよあんた、待ってろって言っただろ。喉でも渇いたのか?」
 驚いて顔を上げると同時にそう言われ、息がかかる程間近で発せられたノワールの言葉に思わず後ろへ身を引こうとする。
「お、おい、危な…」
 視界が覆われている事で平衡感覚までもが狂っているのか、今度は後ろへ転びそうになるのをノワールの腕がムスカの腰に回され阻止した。
「そそっかしい奴だなー、気を付けろよ。」
 笑うノワールにムスカは回された腕を掴んだ手に力を込め存分に眉根を寄せて言う。
「軽々しく私に触れるなと言っているだろう、私は」
 私は   なのだぞ、と言いかけて口を噤んだ。口をついて出ようとした言葉が何だったのか、声となる前に忘れてしまう。
「ほらほら、あんまり暴れんなって。先生診てやって。」
 ノワールの言葉に「うむ」と返す声、どうやらこの声の主がムスカを診ていた医師らしい。
 物を見る事さえままならぬ状態で一人外へ出る事は危険であると判断し、今の状況に甘んじる方が得策だろうとようやく冷静に考えムスカは口を噤んだまま抵抗の手を止めた。



[10] 03
風と木の名無しさん - 2007年03月12日 (月) 01時02分




 不本意ながらもノワールに手を引いて誘導され椅子に腰を下ろし、向かい側へと座った医師に診察といくつかの質問をされた。
「…うむ、怪我はもうないようだ。後は体力を回復させれば良い。ただ記憶に関しては、一時的なものかどうか…目に受けた強い光の衝撃で失ったのだろう。頭を打った訳ではなさそうだ。どうすれば戻るかは解らん。」
 結論を聞きムスカは眉を顰める。
「君は医師ではないのかね。どうにかしたまえ。」
「何だ、不遜な奴だな。ノワール、こいつをどうするんだ? 拾った場所にでも捨ててくるか?」
「偉そうだろ? どこかのお偉いさんかもなー。とりあえず捜索願でも出してみるよ、この間の飛行船墜落で行方不明者も結構いるしさ、こいつも軍の関係者かもしれないし。身元が解るまでは俺が世話する。」
 ノワールはそう言ってまたムスカの肩を叩いた。
「馴れ馴れしくせんでくれ。」
「世話になるというのに何だその態度は!」
 ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いてやると医師が憤怒し、ノワールに宥められる。
 周囲の状況を耳でしか判断できない事に苛付き、ムスカは座ったまま背筋を伸ばして腕を組み言った。
「目はどうなのだ、すぐに治るのかね?」
「ぐぬぬ…何という生意気な小僧じゃ、恩知らずな…!」
「まあまあ爺さん落ち着けよ。小僧って歳でもないだろうしさ。あんた自分がいくつかも解んないんだろ?」
「解らんし、そんな事はどうでも良い。それよりも目は」
「俺よりは年上だよな、三十歳くらい?」
「君は少し黙っていたまえ、話が進まんだろう!」
 一喝してもノワールは「また怒られたよ」と笑うだけで応えた様子はない。
 自己中心的な奴だ、とまた自身の事は棚に上げて思いながら眉根を寄せていると包帯に手がかけられる。
「まったく、感謝の気持ちを持たんか。ノワール、カーテンを閉めろ。おい小僧、包帯を取るが目は開けるなよ。」
 自分の声や思考からするとどう贔屓目に見ても「小僧」に分類されるような歳ではないだろうと思ったが、医師の少ししわがれた声から察するに医師よりは余程年下らしい。
 あまり悪態をついて治療を投げ出されても困る為ムスカはおとなしく包帯とガーゼが外されても目を閉じていた。カーテンが閉じられた為か、既に日が沈んだ時間帯なのか、光は感じられない。
「よし、ゆっくり瞼を開けろ。」
 己の目が光を感じない事に些か動揺しつつもそれを表には出さぬように平静を装い、言われるがままそっと目を開く。しかし視界には何も映らない。
「何か見えるか?」
「…見えない。」
「見えないのか!? おい爺さん、失明はしてないって言ってたじゃないか!」
「お前は黙っておれノワール!」
 医師に叱咤され、ようやくノワールは口を閉じたのかその場が静まり返った。
「視線は前に向けたままでいろ、何か見えれば言え。」
 そう言って医師は何かを操作しているのかカチカチと小さな音がする。何度かその音が鳴った時、ようやくムスカは視界に小さな光を見つけた。
「光だ。」
「解るか。色は?」
「……白、か。」
「うむ。」
 カチリと音がし、光が消える。
「強い光は認識できるようだな。色も少しは解るようだ。ノワールが発見した時は光に全く反応しておらんかったが少しは回復しているようだな。その内明瞭に見えるようになるだろう。」
「その内、とはいつだ。」
「その内としか言えんな。」
「このヤブめ、どうにかしたまえ!」
「お、おい、落ち着けよ。」
 思わず医師に掴みかかろうと立ち上がれば、背後からノワールに羽交い絞めにされた。
「乱暴な奴だ、何をそんなに苛立っておる。何か急ぎの用でもあるのか?」
 医師にそう言われ、ムスカは言葉に詰まってしまう。自分に何か用事や目的があるのか、今はそんな事すら解らないのだ。



[11] 04
風と木の名無しさん - 2007年03月12日 (月) 02時48分


「とにかく暫くはノワールの好意に甘えて厄介になっておれ、お前の身元も調べておいてやる。ワシも一日に一度は診察に来るつもりじゃ。体力も戻っておらんのだぞ、ゆっくり休め。お前は目の色素が極端に薄いからな、回復するまではあまり太陽の下に出るな。」
 そう言って医師は帰って行き、残されたムスカは未だ己を羽交い絞めにしたままのノワールの両腕に気付き身を捩った。
「離したまえ!」
「あ、悪い悪い。」
 ノワールが腕を解いてようやく解放される。自分の力だけでは振り解けなかった事が悔しく、体力を失っているのだと再認識しまた苛立った。
 腹立ち紛れに舌打ちをするが、ノワールはやはり気に留める事無く快活な口調で言う。
「カーテン開けるぞ? ああ、レースカーテンはしておいた方が良いかな。この家どの部屋も日当たりが良いから眩しいんだ。」
 ノワールが離れて行く足音が聞こえ、カーテンを開く音と共に視界が明るくなる。
 およそ三ヶ月ぶりに目に入る陽の光に少し目を細めているとノワールがこちらへと向かってくる足音がした。
 また肩でも叩かれるのだろうかと少し身構えるが、ノワールはムスカの前で立ち止まる。
「眩しいのか?」
「…構わん。それより、私が身につけていた物はどこにあるのかね?」
「ああ、取ってくるから待ってろ。」
 そう言ってノワールに手を取られ、油断していたムスカは咄嗟に身を引こうとするが予想済みだったのか強く握られた手を引かれ強制的にベッドまで連れて行かれてしまった。
「君は人の話を聞けんのか? そうでなければ余程の馬鹿だ。」
「触るな触るなって言うけど俺あんたを見つけた時に人工呼吸までしてるんだぜ? 今更手の一つ握ったくらいで怒られてもな。」
 ベッドに腰を下ろした所でノワールの手を振り払い悪意を込めて言うが、あっさりとそう返されてしまいムスカは思ってもみなかった事実を聞かされ閉口する。
「はは、大丈夫大丈夫、俺はそんな趣味持ってないから。」
 ばんばんと肩を叩かれ、ムスカは閉じた口をへの字に曲げて顔を逸らした。
「目、大丈夫か? 少しは見えてるんだろ?」
「見えていないようなものだ。」
 そこに何かがある、とは解るが輪郭はぼやけており色もはっきりとは解らない。今目の前にノワールがいる事だけは解るが部屋の装飾も解らず、もう少し日が沈んで暗くなれば殆ど見えなくなってしまうだろう。
「今は何時なのかね?」
「昼過ぎだ。な、あんた綺麗な目の色してるな。」
 言葉と同時に両頬を包むように手が添えられ、そっぽを向けていた顔をノワールと正面から向き直るように引かれた。
「なっ」
「金色の目だ、すごいな。」
「よせ」
 ノワールの腕を掴み引き剥がす。自分の眼が何色か、それすら解らない。ただ、至近距離にあるノワールの見えない顔にひどく動揺した。
「本当に目の色素がないんだな、俺は黒に近い青だからさ。でも瞳の色が薄い奴は光が人より多く見えるから俺達より世界が綺麗に見えるらしいんだ。あんたが見てた世界もきっとすごく綺麗だったんだろうな。」
 嬉しそうに言うノワールにムスカは失った記憶の中でただ少し、自分が見ていた世界は綺麗ではなかったと感じる。
 そして瞳の色一つで嬉々としているノワールを「変わった奴だ」とだけ思った。



[12] 05
風と木の名無しさん - 2007年03月13日 (火) 02時14分



 ノワールが保管していた服を受け取り、ムスカはベッドの端に腰掛けたままそれを両手で広げ不明瞭な視界で眺めた。
「あんたが最初に着てた服だよ。悪いけど中身見たぜ。手帳と銃が入ってた。」
 隣に座ったノワールに話しかけられる言葉を聞いてはいるものの返答はせず、ムスカはスーツのポケットを探り中の物を出す。
 ノワールの言う通り一冊の手帳と小型の銃が入っていた。他には何もない。
「何が書いてある?」
 手帳を少し持ち上げ問うとノワールは「さあ。」と短く言って続ける。
「全く見た事ない文字が並んでる。どこの国の文字かは知らないけど昔の言葉みたいだな。あんた考古学者か何かだったんじゃないか? 英語で少し翻訳もしてあるし。」
「何と翻訳してあるのかね。」
「おとぎ話みたいな事。空を飛ぶ国とか王家がどうとかって。」
 ムスカの手から手帳を取り、ノワールはぺらぺらとページを捲りながら言った。
「あ、最後のページに何か一言だけ書いてある。」
「何と書いてある?」
「ん。」
 身を乗り出して尋ねるとノワールの手がムスカの手を拾い、手の平を差し出すようにして開かれる。
 何度言っても聞かずに触れてくる事には少し慣れ始めていたのだが、そのまま手の平を人差し指でなぞられ思わず肩を揺らした。
「くすぐったい?」
「いや…構わん、続けたまえ。」
「ははっ、あんたその口調どうにかならないのか?」
 暗にまた「偉そう」だと言われた気がし、ムスカは眉を顰める。ノワールはそんな意思があるのかないのか、ムスカの手の平に指で一つずつ文字を書き始めた。
 手の平になぞられていく文字を頭の中に並べて行き、ムスカは英語ではないその文字に目を伏せる。
「何か解ったか?」
「ああ…読める、これは私の名前だ。」
「名前か! 何て名前なんだ?」
 喜ぶノワールに、ムスカは呟くように言った。
「ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ。」
「長い名前だな。ロムスカがファーストネーム?」
 嬉々としながら立ち上がり、ノワールは何かを持って戻って来る。
「それは?」
「この間墜落した軍用機の行方不明者名簿。一応貰ってあったんだ。」
 ロムスカロムスカ、と復唱しながら名簿に目を通しているノワールを横目に見つつ、ムスカは小型銃を手に取った。
 よく手に馴染むそれを巧く扱う方法も、いつも弾を服のどこに入れていたのかも思い出せる。
 記憶はないに等しかったが、身体が覚えている事だけは失っていないらしかった。
「ないぜ、あんたの名前。軍の関係者じゃないんだな。」
「この銃に何か書いていないか? 製造した会社の名前でも構わん。」
 銃を渡し、受け取ったそれをノワールが調べる。
「何も書いてないな。」
「製造番号すら書いていないのか。」
「書いてないなー。」
「馬鹿な。」
 そう言ってから、もしや、と思い至った。
 ムスカが身につけていた物の中に、この国の人間であると証明するものは何もない。果ては、どこの国の人間であるのかも見当がつかないのだ。その上手帳には解読できない言葉が綴られている。
 ――――特務機関の人間である可能性が示唆された。どの国の、はともかくとしても。



[13] 06
風と木の名無しさん - 2007年03月13日 (火) 03時49分


「捜索願は出さんでくれ。視力が回復し次第出て行く、それまでは厄介になるぞ。」
 公に捜索を頼む事は得策ではないと判断し、そう言う。
「ああ、構わんよ。」
 そう言ってノワールは楽しそうに笑った。
 自分の口調を真似ているのだと解り、ムスカはむっつりと口を閉じて目を細める。
「点滴ばっかで腹減ってるだろ? 何か作ってくるよ。」
「……ああ。」
 何故人の怒りに気付かないのだろうか、と怒りより先に率先して疑問が湧いた。それから「能天気な奴だ」と結論付ける。
 食事を作ると言ってノワールが部屋を出て行き、ムスカは足音を立てぬようにそっと壁伝いに部屋の中を一周し物の位置を確認した。あまり装飾をされているようではなく、貧相な家だ、と思う。
 ムスカの意に反して巧く動かない足に苛々としながら元居た場所へと戻りベッドへ腰掛けると数分もしない内にノワールが扉を開けて食事を片手に戻ってきた。想像したよりも美味しそうな香りのする皿の中身に、ムスカは尋ねる。
「君は一人で暮らしているのかね?」
「ああ。だから気を使わなくて良いんだぜ。」
 でも人に気を使うタイプじゃないよな、と言われムスカは確かにその通りだと思いつつもむっとした。
「ほら。」
 そう言われ、皿を取ろうと手を差し出す。
「何やってんだよ、自分で食べれないだろ? 口開けろ。」
 ノワールの言葉と、眼前に差し出された何か―――その黒い影がスプーンだと解り、ムスカは今自分が何をされようとしているのかを知り身を引いた。
「食事など自分で摂れる!」
 どうやら食べさせてやろうとしているらしい事に気付き思わずうろたえそう言えばノワールは「ふーん」と言ってムスカの手を取り、左手に皿を置き右手にスプーンを握らせる。
「はい。こぼすなよ。」
 素っ気無くそう言ってノワールは手を離し、ムスカは手の中に残された皿を落とさないように掴んだ。思ったよりも器が熱く驚いたのだが、それを知られるのも癪なので平静を装う。
「……………。」
 さて困った、と思った。
 一人で食べろと言われても困る。目を閉じて食事をするのと変わらぬ状態なのだ。
 しかし一度断った手前、というより男にわざわざ食べさせて貰うというのも気が引ける。そもそもムスカのどの山よりも高いプライドが許さない。
 スプーンでスープをひとすくいしてみるが、それを口元に運ぶには難があった。
 スープをすくったままそれをどうする事も出来ずに静止していると突然ノワールが笑い出す。
「はははは、馬鹿だなーあんた。だから食べさせてやるって言ってんだよ。」
「…君の手は借りん、食事の邪魔だ出て行きたまえ。」
「何でそう意地っ張りなんだよ。出来ない事を一人でする必要はないだろ? 今くらい甘えてれば良いんだから。」
 笑いながらそう言いまた皿を取り返すノワールに、ムスカは今はない記憶の中で「その言葉を昔誰かから聞いた覚えがある」と感じ何故だか無性に辛い気持ちになった。



[14] 07/次でやっと「ぽんぽん」
風と木の名無しさん - 2007年03月15日 (木) 03時42分



 結局食事はノワールに食べさせて貰い、不本意ながらもそれを受け入れていると今度は風呂に入れてやろうかと言われた。
 さすがにそこまでは、と遠慮より先にプライドが立って断り、入浴を済ませ一通りノワールに家の中を案内される。
 然程広くはない家の中で部屋の位置を確認し、最初に居た部屋まで手を引いて案内されベッドの中に入った所でムスカは自分が相当にふらついている事を知り内心項垂れた。
 たかだか二室しか部屋のない狭い家を一周しただけでこれ程体力を消耗するものなのか、と己の現状での不甲斐なさに落ち込んでしまう。
 それから少し眠り、夕飯の時間だと起こされて食事を口に運んでもらった。
 食べさせて貰っている、のではなく食事を摂る為に利用しているのだ、と考えれば少し気が楽にはなったのだが、楽しそうに話しかけてくるノワールが癪に障り自分に向けられた言葉を全て無視する。
 それでもノワールは何が楽しいのかほぼ一方的なお喋りを続け、どう前向きな捉え方をしたのかは不明だが、黙り込んでいるムスカを「疲れている」と判断したらしく食事を終えるや否やすぐさま洗面所へと連れて行かれた。
 そこでもまた「歯を磨いてやろうか」というムスカにとって余計な親切を言い出されるのだがそれも無視をして隣で立って見守っているらしいノワールの手を借りずに部屋へと戻る。
「すごいな、もう一人で歩けるんだな。」
 まるで初めて立った赤ん坊でも褒めるように言うノワールに一言おやすみを言い扉を閉めた。
 目で周囲を判断できないが故余計に神経を張り詰め過ぎ疲労してしまうのだろうか、と思いベッドへ横たわり目を伏せるとすぐさままどろみ始めてしまう。
 床の中で少し「あまり邪険にするのも世話になっている身としては失礼か」と思った。態度が悪い、と家を追い出されては困る。
 だが、ノワールはムスカにとって苦手な人間なのだ。性質が根本的に違いすぎる。
 ノワールの話によれば彼は既に両親を亡くしているらしく他に身内もいない為一人で暮らしているらしい。今日は波が高い為たまたま漁が休みだったようだが、いつもは毎日海に出るそうだ。
 特に日中は家に帰れないから、と言っていたノワールの言葉を思い出し、ムスカは心中で「その方が有難い」と呟く。
 面倒な男だ、と思いながらまどろんでいると次第に意識が薄れ始め、夢の中へと落ちていった。



[15] 遅くなった08
風と木の名無しさん - 2007年03月22日 (木) 02時18分




 とても、自分自身にとって辛い事があった。
 それを自分の倫理観から「大した事はない」と思い、ある夢の達成の為に我が身を犠牲にする事が出来ていたのである。
 だが、ムスカはその夢が足元から崩壊する瞬間を知ってしまった。
 何もかもが失われる瞬間である。
 夢も記憶も目に見えるもの全ての物と見えていたはずの大きな物みんなが消えていく刹那を知ってしまった。
 足元から崩れていく感覚をだ。
 身体が宙に浮くその瞬間を思い出し、まるで現実のようなその刹那の時にびくりと身体を震わせて反射的に身体を起こす。
 目を開けてもまだ視界に映るものは無に近い暗闇で、それにどうしようもなく混乱しこの場から逃れようと、とにかく立ち上がろうと床に手をついた。
 しかし現実には自分はベッドの上で眠りから覚めた所で、腕を伸ばした先に床はなく、ムスカにとっては予想外にも身体が傾き一段下の床へと落ちてしまう。
 体格の良い大の大人がベッドから転がり落ちてしまい威勢良く騒音がしたのだが、夢から覚めたばかりのムスカにとってはそんな事はどうでも良い。
 目に映らぬ何かから逃れようと立ち上がりかけ、どうやら打ち付けてしまったらしい身体と力の入らぬ膝にまた地に手をつけてしまう。
 それでも再度しっかりと床に片手をつけて立ち上がろうとすれば、それより先に両手首を掴まれてしまった。
 突然自分の行動を制止した暖かな感触と力強い手の感覚に驚いて身を竦める。
「どうしたんだよ、あんた!」
 頭の上から振った声にまた肩を震わせ、男の声に反応して萎縮する身体でどうにか逃れようと暴れた。
「離せ、」
「お、おい、何が…」
 身体を引き倒して床の上に組み敷かれ、仰向けにされて更に嫌悪感が背筋を這い上がる。
 両足の間に滑り込まれた身体を膝で蹴りもがけば、自分よりも強い力で尚押さえ付けられてしまった。
「よせ、」
「ムスカ。」
 上体を抱き上げられ、力強さはそのままで腕の中に収められてしまう。
 一瞬その感覚に気付かず暴れようとしたムスカは、自分が今抱き締められているのだと解り口を噤んだ。
 それと同時に全身の力が抜けてしまう。
「どうした? 怖い夢でも見たのか?」
 頭上からの声は先ほどまでの圧迫感を含んではおらず、優しく耳に入ってきた。まるで大人が子供をあやすような話し方である。
「ここは俺の家だ、怖い事は何も無い。」
 そう言って緩い力で背中をさするように叩かれ、ひどく激昂していた気持ちが落ち着いていった。
「ムスカ?」
 全身の緊張を解き力を抜けば訝しげにそう名を呼ばれ、同じくして男の声も更に優しくなっていく。
「何でもない…」
 取り乱した自分自身に恥じる余裕などなく、少し落ち着いた心を一層鎮めながら呟いた。
 苦笑いをする音が聞こえ、それから頭を撫でられる。
 そんな歳ではないと思いつつもそれを心地よく感じ、目を瞑るとうとうととし始めた。
「寝て良いんだ。おやすみ、ムスカ。」
 自分に向けられた声の主は誰だったのか、夢心地で考え言う。
「おやすみ、ノワール…。」
 初めて名前を呼んだ事に男は―――ノワールは驚き、そしてそれを嬉しく思うのだが再度、今度は心地よい夢の中に沈んでいくムスカには知る由も無かった。






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