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(1066) 外部からも・・「ヒンシュクをかっている生長の家」3代目 投稿者:   外部者

 
宗教的叡知と直観の欠如と・・
 外部からも・・「ヒンシュクをかっている生長の家」3代目



9月11日に発生した米国への同時多発テロの直後に、日本教文社の取締役であり、生長の家副総裁である谷口雅宣氏は、自己の私的なホームページ上に「愛と赦しのための祈り」を掲載しました。

「祈り」とは似つかわしくないその発言で傷付いた人々が多く生まれました。谷口雅宣氏自身、ホームページでアメリカ在住の日本人の方から「苦しんでいるアメリカに対して厳しく、愛がない」との抗議のメールを受け取ったと告白しています。

 その抗議の対象となった「愛と赦しのための祈り」は、氏の私的な意見表明のはずですが教団の新聞にすぐさま掲載されているようで、氏の発言が教団や出版社の方針決定を左右していることを白日の下にさらしています。この「愛と赦しのための祈り」への批判を、竹之内虎治郎氏が寄せて下さったので、掲載いたします。


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「愛と赦しのための祈り」への批判  竹之内虎治郎

谷口雅宣氏にはこういう「祈り」を捧げる資格はない

 謹んで九月十一日の米国でのテロ攻撃の犠牲となられた方々への哀悼を捧げる。
 しかし、谷口雅宣氏の「愛と赦しのための祈り」(同氏ホームページ)の一文を読んで、同氏にはこういう「祈り」を捧げる宗教家としての資格がないのではないかと感じ、あえて批判した。同氏がなんの責任もないただの善男善女ならばなにもいうことはない。けれど、谷口雅宣氏は責任のある宗教家である。責任のある宗教家として、同氏の「愛と赦しのための祈り」には、あまりにも多くの事実誤認と宗教的叡知と宗教的先見性が欠如しているといわざるを得ないのである。

 谷口雅宣氏はこういう「祈り」を捧げる宗教家としての資格がないという第一の理由は、同氏の「愛と赦しのための祈り」には、宗教家として最小限必要な将来を見通すという先見性が欠けているということである。

 宗教家には、ある程度の予言性、予見性、予測性がもとめられる。もちろん、こういう予測性が備わっているかどうかは宗教家の資質の問題であって、それぞれの人によって多いか少ないかという問題はある。けれど、責任のある宗教家としてまったくなくていいというわけにはいかない。


 谷口雅春先生は、この宗教家としての宗教的予見性を多分に持っておられた。どのような社会風潮のなかにも、マスコミの風潮にも流されることなく、毅然として自己の宗教的信念を堅持した。それが宗教的予見性ともなった。戦後すぐの米軍占領下の厳しい言論抑圧のもとにあっても『秘められたる神示』を発表された。それはそのこと自体がまさに驚くべき事件であった。その断乎たる毅然とした態度に「生長の家」信徒は感泣し、その宗教的信念を堅めたのである。つづいて『諸悪の因現憲法』を書き、現憲法を徹底的に批判して宗教としての「生長の家」の在り方を示された。嵐のような六〇年安保、七〇年安保の戦いを戦いぬいた。


 それは「堅信」であると同時に宗教的予見性を示していたのである。ところが、谷口雅宣氏の「祈り」には、なんの宗教的な堅信性もないばかりか宗教的予見性もみられない。それはただマスコミの論調をそのまま鵜呑みにしているだけである。後で書くが、米軍のアフガン攻撃について、それを「報復」としているのは日本のジャーナリズムだけである。世界各国の報道はみな「新しい戦争」とか「テロ根絶」と書いている。ところが、谷口雅宣氏の「祈り」は、日本の新聞やテレビの報道、とくに『朝日新聞』や『テレビ朝日』の報道を受け売りして「憎悪の攻撃」に対する「復讐の攻撃」としている。そこにはなんの宗教的見識もなく、「新しい戦争」についての宗教家としての考えもないのである。


 谷口雅宣氏の「『闇』に向かって『闇』をぶつける」という言葉は、谷口雅春先生の「迷いと迷いの衝突」という理念の焼き直しに過ぎないので、「新しい戦争」も宗教的には「闇」には違いないだろうが、それだけですませる問題なのだろうか。それは単なる「報復」ではないのである。

  宗教的叡知と直観の欠如

 谷口雅宣氏にはこれらの「祈り」の資格がない第二の理由は、宗教的叡知と直観が欠如していることである。
 谷口雅宣氏がアメリカ留学生として、アメリカの物質文明の巨大さに圧倒されたことは理解できなくもない。だからといって、アメリカ流の単純な一元的進歩史観(低開発国から中進国となり先進国となるという図式)を「生長の家」教団の中心史観に持ち込むことは許されないのである。


 谷口雅宣氏は、『憎悪の攻撃』に対する『復讐の攻撃』を仕掛けたからアメリカ文明は「闇」であるとしている。しかし、アメリカ文明はもともとこういうものとして在ったのではないだろうか。その物質的繁栄のもとで、アメリカは5Pの帝国(L・マンフォード『権力のペンタゴン』5Pは動力Power政治権力Politics生産力Productivity利潤Profit宣伝活動Publicity)ではないだろうか。


九〇年代に「経済の自由化」という名のもとにアメリカが日本に強要した要求は、「公正」というにはほど遠いおごり高ぶった傲慢なものだった。


 こういうアメリカ文明の本質について、経済的繁栄に惑わされることなく、宗教的直感というか宗教的叡知というか、鋭ぎすまされた智恵でみ抜くことが宗教家にはもとめられるのではないだろうか。

日本文明の特殊性

 日本は儒教文明圏に属する文明である。しかも、大陸アジア(朝鮮半島や中国)の儒教文明とは異質な文明である。またアメリカや西欧の西欧キリスト教文明とも異質である。中東のイスラム文明とも異質である。

 谷口雅宣氏は、「テロリストの刃」は「物質的豊かさの中で同胞の苦しみを忘れた者に対する警告」で、また「復讐の攻撃」によって「別の国の同胞の命が奪われている」とし、「同胞を『敵』と『味方』に分け」てはならないという。戦後民主主義があたえたこういう「もの分りのよさ」が日本文化をかぎりなく堕落させてきたのである。


 そうではない。テロはアメリカをはじめとする西欧キリスト教文明に対する敵であるとともに、中国・韓国・北朝鮮などの儒教文明に対する敵であり、特殊な儒教文明としての日本文明の敵でもある。とくにイスラム文明に対する敵で、イスラム文明の反逆者だということである。


 谷口雅宣氏は、世界のすべての「同胞を『敵』と『味方』に分ける我らの心が、敵と味方を実際に生み出す」という。だが、敵と味方の意識を最初に持ったのはテロリストグループであり、テロリストが米国を攻撃して一般市民を五千人も殺さなかったならば、どこにも「敵と味方」の意識も生まれなかっただろう。


 ドイツのシュレーダー首相が語ったように「テロは全世界市民社会に対する攻撃」なのであり、全文明が攻撃の目標となり、アメリカがテロの標的となっているように、西欧諸国も、中国・韓国も、日本も、イスラム諸国もテロの標的となっているのである。アメリカで起きたことが日本で起きないという保証はない。とくにこんなに無警戒で、無準備で、最低限の危機意識さえもない日本は、テロ攻撃の絶好の目標となるだろう。世界中がテロに狙われているのである。谷口雅宣氏は日本がテロ攻撃を受ける危険性はないとでもいうのだろうか。それは『朝日新聞』『テレビ朝日』が中心となってつくり上げている「朝日文化人」の幻想なのである。あえていえばテロに対する日本の防衛は、日米安保条約の「集団的自衛権」の問題ではなく、「個別的自衛権」の発動なのである。もはや政治的中立などはありえないのだし、日本国憲法が保証している「一国平和主義」も成り立たなくなっているのである。

反戦・平和運動の深刻化

 アフガニスタンでの対テロ戦争がもし長期化するような場合には、日本のマスコミの論調や社会風潮からみて、「朝日文化人」を先頭とした反戦・平和運動が激化するのはほとんど避けられないと推測できる。


 すでに『テロ対策特別措置法』をめぐる国会審議をみても、共産党と社民党は「武力行使には国会決議が必要なこと」「ビンラーディンの特定には明らかな証拠が公開されなければならない」という二点を強調している。この二点は中国共産党政府が米国への「全面協力」の前提としているもので、日本の共産党と社民党は中国政府の先導ないし指揮下で動いているとも見える。この共産主義の国際的連帯のもとに日本の左翼運動は過激化しているので、その先頭にいるのが「朝日文化人」である。


 このような日本の社会風潮に対して「生長の家」はどういう態度をとるのか、蔡焜燦氏の『台湾人と日本精神』を出版停止にしたように、「政治にはかかわらない」といってアイマイな態度をとるのか、「生長の家」の存在意義が問われようとしているのである。「生長の家」教団としていえることは、今回のテロ事件は、米国が中心となって進めてきた世界経済・技術のグローバリゼィションの限界をしめしたということである。アメリカは世界ではない。米国以外にも世界にはさまざまな文明があり、皮膚の色や言語の異なる民族がそれぞれの宗教をもって生活している。米国式のグローバリゼィションはその底辺にさまざまな文明や民族・宗教をかかえているのだから、それらの諸文明を機械的に一元化し、アメリカ化しようとすることは、前述した『5P』の文明では困難である。とくにアメリカは西欧キリスト教文明の一神教の国であり、イスラムも一神教の文明であって、互いに相手の異質性を認めることができない。


 ところが、日本は多神教の文明であり、日本国民はイスラムの神を尊崇するし、イスラム教徒も容認する。日本はこの多神教の文明という特質のもとに、世界のさまざまな文明・宗教の共生をもとめる。世界の『神々の和解』による地球全体の『大和』のグローバリズムが今後の地球文明である、ということが現在なによりも説得力をもつのではないだろうか。


2012年07月01日 (日) 22時07分




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