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愛国復活・掲示板

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(392) サンケイ新聞を支持する「愛国信徒」と、お嫌いな3代目・総裁。 投稿者:aikoku 報道







生長の家総裁 谷口雅宣総裁は、谷口雅春先生が支持されたサンケイがお嫌い。でも、いい記事が多いので今も多くの信徒が愛読しています。


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[サンケイより引用]



『金正日総書記には「功」が見当たらない。』



国家指導者の死に際して人物評には「功罪相半ばする」との形容句がよく付くが、故金正日総書記には「功」が見当たらない。

 48年の建国以来、最大の国家目標であり国民への約束だった「米のごはんと肉のスープ」を最後まで国民に提供できなかった。国民を飢えさせたのでは、他にどんな成果があったとしても指導者としては失格である。

 国民の多くがひもじく疲弊するなか、金正日父子だけが肥満体というその姿が、金正日体制の悲劇を象徴している。

 金正日総書記は国民に対し自らを父に似せ「将軍さま」と呼ばせた。「偉大な領導者(指導者)」「21世紀の太陽」などと崇拝させ国民を服従させた。残ったのは父以上の超独裁体制であり、金総書記は「出来の悪い2代目」に終わった。

 「息子・金正日」の最大の失敗は父の死後、父の失敗を批判、否定できないまま“変化”を拒否したことにある。

 北朝鮮の閉鎖的な社会主義独裁体制は金日成時代にすでに行き詰まっていた。国民に自由を許さない極端な計画経済で経済は破綻し、国民はヤル気をなくしていた。金正日体制スタート後の大量飢餓はそのツケだった。

 90年代に入り、それまで北朝鮮を支えてくれたソ連・共産圏が“変化”を目指して崩壊し、東西冷戦体制が無くなったにもかかわらず、金総書記はその「歴史の流れ」に一人背を向けた。

 彼にとって94年の父の死は、父の時代を“失敗”として総括し、それまでの閉鎖的な社会主義独裁体制を手直しするチャンスだった。国民に希望を与え新しい「金正日時代」に踏み切ることも可能だった。すでに改革・開放で経済的に成功しつつあった中国のお手本も、すぐそばにあった。

 しかし彼は「変化より守り」を選択した。父の死を、“過去”を否定した新たな発展のきっかけになるとは判断せず、逆に「偉大な父」の不在による体制の危機と思った。危機感からは「守り」の姿勢しか出てこない。

 企業でもカリスマ(神格性)のない2代目社長の場合、不安感から新しいことや変化には踏み切れず、ひたすら守りに入って企業を衰退させ、つぶすことがよくある。北朝鮮の場合、先代は負債だけを残し亡くなったため、2代目はなおさら苦しく不安が強かった。

 その一つの突破口は中国式の変化だったが、中国式の改革・開放では外から「自由の風」が吹き込み、自らの独裁体制が揺らぐと恐れた。逆に父の誕生日を「太陽節」とたたえ、その誕生年を「主体元年」として年号を制定するなど、父親崇拝で父と一体化することで自らと体制を守ろうとした。

 カリスマ不足で父親コンプレックスの金総書記は「守り」を選択することで失敗を繰り返したが、“父・金正日”は3代目にどんな“帝王学”を授けたのか気になるところだ。(ソウル 黒田勝弘)

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2011年12月20日 (火) 14時27分


(394) 「生長の家3代目は新左翼!?」 投稿者:徳太郎

(393) 「生長の家3代目は新左翼!?」
        (産経新聞愛読者倶楽部より)

         投稿者:徳太郎


  ≪産経新聞愛読者倶楽部より。。。。。≫

     「生長の家3代目は新左翼」

宗教法人・生長の家(公称信者数71万人)は、創始者・谷口雅春師の下、自主憲法制定、靖国神社国家護持、元号法制化、優生保護法改正反対などに取り組んできた愛国的宗教団体として知られていた。

 

しかし昭和50年代半ばに娘婿の谷口清超副総裁が実権を握ると、玉置和郎や村上正邦を国会に送り出してきた生長の家政治連合の活動を停止するなど政治運動から撤退した。

 

60年に雅春師が死去し、清超が総裁に就任。平成2年に清超の次男・谷口雅宣が副総裁に就任すると、左傾化路線を進めた。雅宣は平成3年から4年にかけて教団機関誌「理想世界」で「大東亜戦争は侵略戦争だった」との見解を表明し、多くの信者を戸惑わせた。教団の出版部門「日本教文社」も平成13年に蔡焜燦著『台湾人と日本精神』を出版停止にするなど、左旋回・脱「谷口雅春」化を進めた。

 

平成20年に清超が死去すると、雅宣が総裁に就任した。雅宣はブログで民主党政権誕生を歓迎するなど、谷口雅春師の教えに反する教団運営を続けている。谷口雅春師の教えに基づく愛国主義的な運動は「日本青年協議会」「日本会議」「日本政策研究センター」などに受け継がれている。信者や元信者からは雅宣総裁を公然と批判し、生長の家を本流に戻せとの声が上がっている。代表的なサイトは下記である。

 

 生長の家 本流復活掲示板

 生長の家「今昔物語」

 愛国「本流☆生長の家」掲示板

生長の家を左傾化させた3代目の谷口雅宣は昭和26年生まれ。青山学院大学を卒業後、米コロンビア大学に留学し、帰国後、昭和54年にサンケイ新聞に入社し、横浜支局(当時は地域会社の「神奈川サンケイ新聞社」)に勤務、3年で退社した経験がある。

 

産経にいた人間が愛国的宗教団体を左傾化させたのである。産経は彼に何を教えたのか。彼は産経に何を教えたのか。

 

生長の家も産経新聞も正常化してほしい。しかし、生長の家は「谷口雅春師」という戻るべき道があるが、産経新聞はどこに戻ればいいのか、正常だった時期はいつだろうか…。そう考えると、産経のほうが大変である。






2011年12月20日 (火) 14時40分


(396) 愛国心のない生長の家総裁など認めるわけにはいぬ。 投稿者:マルコムX




愛国心のない生長の家総裁など、「自称」法燈継承者でも、認めるわけにはいかんよ。日本に帰化しない「在日朝鮮人」に、「天皇制の是非」「君が代の是非」を問うて、「無くす」か「存続」か決めるようなものだ。ナンセンス。ナンセンス。ナンセンスだ。


2011年12月20日 (火) 15時08分


(397) 賛成。 投稿者:おりひめ

マルコムXさんのいう通りです。
「尊皇愛国」は、「人間神の子」の真理と『一体不離』です。


2011年12月20日 (火) 15時13分


(398) 光は、「ない」ものを「ない」と、破邪顕正せよ。 投稿者:やまだ




いくら「中心帰一」といっても、「おかしいものを」素晴らしいというのは、「追従(ついしょう)」であって、オウム真理教のような「傀儡(かいらい)」の信仰であり、谷口雅春先生が最も戒められた「神の子」の自覚がない、ない闇に隷属する信仰態度である。

あなたたち光は、「ない」ものを「ない」と、破邪顕正せよ。


2011年12月20日 (火) 15時33分




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