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(217) 「試案橋」殿へ、 ぜひ第二次「和解」案の提示を! 投稿者:三代目・水戸黄門


合掌、ありがとうございます。


<生長の家復興のための和解解決案>をご提示いただき、その御試案に対して、幾人かの方からご意見が書き込まれていました。この辺りで、これ等の他のご意見を綜合検討されまして、御貴殿の第二次試案をご提示いただけたらと思います。第二次試案を纏められるに当り、私からも、ご検討いただきたいことを申しあげさせて頂きたく存じます。


(1)この度の「和解」とは、開祖・谷口雅春先生のお孫さんに当る雅宣さんが副総裁になって、『御教え』になかった侵略戦争論の見解を発表して以来、信徒間において亀裂が生じ、今や雅宣総裁の命名した『今の教え』の是非を巡って、開祖の『御教え』に戻すべきとする「本流復活」の信徒と、雅宣総裁の『今の教え』は時代即応の教えであり、反対者は出て行って別派を作るべしとする「今の教え」信奉信徒との間の見解の相違と感情のもつれを「大調和」の精神で修復してゆくこと。同じ生長の家信徒としての「仲直り」のことを、「和解」と言う言葉で表わされていると思います。


(2)此の頃、当、掲示板その他の生長の家に関する掲示板で、皆さんが使われている「和解」というと言う言葉の内容はこの様な内容の事でありますが、中には、生長の家教義の内容も、和解しなければならない、その「和解」に当っては、本来の『御教え』と『今の教え』を比較して、本来の『御教え』にない『今の教え』の部分は教義の中に取り入れるとか、見解の相違と思われるものについては、両論併記にするとか、時代背景に合う見解を優先させるとか・・・このように教義も信徒が仲たがいしないように「仲直り」の観点から両者の立場をお互いに尊重すべきである、と考えて折られる信徒さんが仮にあるとするならば、そのお考えは、真理とは何であるかが全然分かっていない誤れる見解であります。この点は最も重要な点でありますので、明確にして置かなければならないのであります。この様な求道のお話は雅宣総裁は信徒に説いた事がないのであります。


(3) 開祖・谷口雅春先生のお悟り、これが真理であります。『生命の實相』第20巻<神示を受けるまで>に書かれてありますように、雅春先生は幾多の人生の実際的苦悩の中で究極の真理を求めて思索を続けられ、住吉大神さまのお導きによって、百尺竿頭進一歩、遂に「『無』の関門」を超えられ、絶対実在の直接認識の悟境に達せられ、数々の神示を受けられ、これが生長の家の『御教え』として世の中に説かれたものであります。この『御教え』として天降った「神示」は、開祖・谷口雅春先生にのみ啓示されたものであり、これ以外には生長の家の真理、『御教え』は存在しないのであります。信徒の中には(最近の本部講師でさえ)雅宣総裁は生長の家大神から直接に真理の啓示を受けているという人がありますが、完全な間違いであります。雅宣総裁自体、今まで一度も百尺竿頭進一歩、「『無』の関門」を超え、絶対実在の絶対認識の直接的生命体験を為したということを語ったことはないのであります。


 (4)雅宣総裁は、『今の教え』が開祖・谷口雅春先生の『御教え』の延長線上にある時代即応の教えであると、次の根拠を示しながら、『今の教え』の正当性を話しておりますが、これは『生命の實相』の読み方の間違いか、自己に有利なようにするための作為的解釈であります。雅宣総裁の主張は完全な間違いであります。

@ 「生命の實相」第33巻P.53の文章<みづから宗教改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きる>、これはあくまでも教義(真理)の説明の仕方の変化の必要性のことであるのですが、雅宣総裁は開祖・谷口雅春先生の『御教え』(真理)自体も改革して変えていかねばならないと云っているのであります。

A 雅宣総裁は、清超先生の法燈継承の時のお話の中の<開祖・谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまた繰り返しお伝えすることではない。教えの神髄の「不立文字」を継承することであります>を、<文字で表わしたものは皆、不完全なもので真理そのものではないから、聖典(註・『生命の實相』他)に書かれた一言一句を永遠に墨守して実行するという考え方を採らない>として、その時代に生きている総裁の説くことがその時代の『御教え』であると主張するのであります。

また、雅宣総裁は、<真理というものは「大同無門」であって、形にはまったものが真理ではない。真理として表現されたもには、あるときには真理に即していても、(時代が変われば)また真理から離れてくることもある>と説明して、開祖・谷口雅春先生といえども真理の全相を説かれたわけでもなく、過去に書かれた御著書も時代が変われば真理から離れたものになると、全て自己の『今の教え』の正当化と、開祖・谷口雅春先生を現在では影の薄くなった過去の人である、としているのであります。

雅宣総裁は得意げに「不立文字」の説明をするのでありますが、肝心な点は意識的に避けているのであります。『生命の實相』第25巻には、<< この「生命の実相」というものは、今までは文字・言語のよく説くところではない。言詮不及・不立文字であると言われていた。それを文字を立て・文章を立て・言葉の力によって生命の実相を悟らせるようにさせた所が、生長の家の独特なところであります。 今までは、真理と言葉とが二つに分かれていて、言葉や文章は真理を完全に表わすものではない、と思われていた。ところが、生長の家では、言葉と真理・文章と実相とをピッタリ一致させた。古来、直接説法・以心伝心でないと悟ることも出来ない真理を、ただ文章を読むだけで悟れるように、文字の中に生命あり・生命の中に文字あり・文字と生命と一体と言うような域にまで達せしめ得たのだろうと思います。 さればこそ、本を読むだけで直接参禅しても得られないような悟りに到達する人が多勢現われて来て、その影響の及ぼすところ肉体の病気も治り、境遇・環境まで変化してくるというようになって来たのであります。生長の家では、活字が道場である。文章が教化の師である。活字の印刷した新聞紙の行くところ、活字の印刷した小冊子の行くところ、其処が道場化して人を救うということになるのであります>>。雅宣総裁はこの様な重要部分をこれまで一度も説明した事はないのであります。

B 雅宣総裁はみづから考えだした例の「真理の目玉焼き論」をこれまた得意げに説くのであります。真理には「中心部分の真理」(黄身)と「周縁部分の真理」(白身)とがあり、周縁部分の真理は時代と共に変化する真理である、開祖・谷口雅春先生の御著書の内で自分が絶版にせよと指示したのは現代と言う時代には合わない周縁部分の真理が書かれているもので、“焚書”には当らない、と抗弁しているのであります。雅春先生の「生命的国家論」も時代に合わない周縁部分の真理であるという訳であります。『神ひとに語り給ふ』所載の数々の神示も、『碧巌録解釈』も雅宣総裁には現代には合わない内容だとの見解であります。霊的真理は時代(時間空間)を超越しているからこそ絶対的真理だといえるのでありますから、真理を中心部分の真理だとか、周縁部分の真理だと時間空間面から分けて考えるること事態が如何に真理の何たるかが分かっていない証拠なのであります。絶対的な霊的真理は一つであり、時代を超越して存在していること、さらに、一つの絶対的真理が一即多に展開し、多即一に収斂する事が、唯物論者である雅宣総裁には全然分かっていないのであります。だから、「真理の目玉焼き論」は完全な間違いであるということになるのであります。


以上の(3)および(4)の理由からして、皆様方の仰っている世間常識的な「和解」すなわち“仲直り”とか、“妥協と譲歩”の範疇には、本来の『御教え』と『今の教え』との妥協という意味での「和解」は当然含まれないと云う事になります。この意味において開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』から見れば、雅宣総裁の『今の教え』は完全な“虚説”でありますから和解しようと思っても和解しようがないのであります。


 雅宣総裁が『今の教え』は間違いないと信ずるならば、「生長の家」という傘の下から出て、「生長の家」と言う看板を元の所有者、すなわち開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』を全面的に信奉する新総裁と信徒達に返却して出て行かなければならないのであります。そうすれば誰からもクレームは附かないのであります。


 この様な論理で考えますならば、「和解」案の内容は、雅宣総裁が、「生長の家」と言う看板を返却して外部で自己の信念信条に従った独自活動がスムーズに出来ることに関する話し合いの内容ということになるのであります。その条件について雅宣総裁の申し出にどこまでお互いが認め合えるか?お互いが譲歩して妥協できるかという事に内容が絞られてくるのであります。ここのところを間違えてはいけないと云うのが私の主張であります。


以上、私の考えを述べさせて頂きましたが、これもお含め頂きまして、「試案橋」 殿の第二次和解案をお示しいただけたらと思う次第でございます。 再合掌



平成23年11月26日  拝



2011年11月26日 (土) 22時42分


(224) 三代目・水戸黄門殿 投稿者:試案橋

もうしわけありません
小生はひとつの叩き台として提案したものであり自分自身で第二次和解案を提示する力がありません。

裁判の和解は水面下で行われているとの噂はありますが、真実や内容はまったくわかりません。

まず総裁追放を最重要とすることを掲げれば絶対に和解にはならないことは想像できます。ですから@を実行してそれを現総裁が行えるのか行わないのか(現状では該当しないので今のままではお退きいただくこととなりますが人間ですから悔い改められる可能性も残して考えます)、この一点にかかっていると思います。

先に示したA以降は、このぐらいの思い切った受容の態度と方針の舵取りをしなければ、おそらく和解して矛を収めることは不可能ではないかという試案です。Iは個人的な希望なので条件には入らないと思います。これには賛否が大いに分かれることでしょうから・・・

 ときみつる会の宮澤先生は、おそらく別のお考えをお持ちだと思いますので、案の中に入れたことを少し反省しています。

ただいま仕事が立て込んでおり、思考回路が仕事に集中しておりましてお返事やまた、ご提案に添えないことをお許しください。
(某空港待合室より)


2011年11月28日 (月) 14時28分




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