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(208) ≪国賊一川防衛相。ブータン王国を侮辱。恥を知れ。。≫ 投稿者:  これではダメな野田

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「日本の恥」一川防衛相、ブータン
    総領事館訪れ欠席を陳謝

    2011年11月22日(火)18:47

 一川防衛相は22日、都内の在日ブータン王国名誉総領事館を

訪れ、今月16日夜に開かれた同国王夫妻歓迎の宮中晩さん会を

欠席したうえに、民主党参院議員のパーティーで「こちらの方が

大事だと思って来た」などとあいさつしたことについて陳謝した。

 22日午前の参院外交防衛委員会で自民党の佐藤正久氏から

「反省をしているのなら行動を起こすものだ」と追及されたこ

とを受け、実行に移したものだ。訪問後、一川氏は記者団に、

「(ブータン側からは)『気にしなくていい』という話があり、

お土産をもらって帰ってきた」と語った。自らの引責辞任に

ついては否定した。

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重要な事なので・・
 「本流宣言」より引用します。


親日国ブータンの品格 (5393)

日時:2011年11月18日 (金) 22時20分

           名前:伝統

昭和天皇崩御の際、大喪の礼に参列した先代のブータン国王が、
下記のような逸話を残している。


1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が、
昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で数人の供を連れて来日した。

他の国の首脳の多くが日本から経済的な協力を得るために、
葬儀の前後に日本政府首脳と会談する弔問外交を行うなかで、
ブータン国王はこうした弔問外交を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。

新聞記者が理由を尋ねると、国王は、
「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」
と答えた。また、同年には1ヶ月間も喪に服した。

       <合掌 平成23年11月18日 頓首再拝>

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超親日国 (5396)

日時:2011年11月19日 (土) 04時45分

名前:伝統

ブータンは知る人ぞ知る超親日国。

その由来は、容姿が非常に似ていることもあるが、
一人の日本人の活躍がきっかけとなっている。

1964年、農業生産高が非常に少ないブータンに、国際協力事業で一人の青年が訪れた。
西岡京治氏である。

かれは文字通り“無私”の貢献を、28年間ブータンのために行った。
それによりブータンの農業生産は飛躍的に伸び、人々の生活は驚異的に改善された。

その貢献を評価したブータン国王から、
「ダジョー」(最高に優れた人)という称号を贈られたのである。

その後もブータンのために働いた西岡氏は、病に倒れブータンで息を引き取った。
文字通り、ブータンの地に骨を埋めたのである。

葬儀はブータンの農業大臣が葬儀委員長をつとめる国葬であった。

彼の業績をブータンの人々は今も忘れていないのである。

・・・

今年の東日本大震災に対しても、ブータン王国は供養祭を執り行うとともに、
義援金100万ドルを贈ってくれている。




*西岡京治氏の具体的な活動・業績については、次のWebのP56で確認できます。
 なお、このWebでは、GHN(国民総幸福量)や、ブータン国の詳細についても
 確認できます。

 http://www.waseda.jp/w-com/quotient/publications/pdf/wcom420-421_02.pdf

       <合掌 平成23年11月19日 頓首再拝>

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幸せの王国ブータンと
”ダジョー西岡京治” (5407)

日時:2011年11月20日 (日) 00時15分

名前:伝統

(1)ブータンは、インドと中国に
はさまれた世界唯一のチベット仏教国家です。

   国土の一部を、隣国の中国に
占領されたままになっております。

   国民総生産にかわる国民総幸福量
(GNH)という概念や、さまざまな環境政策、
   伝統文化保持のための民族衣装着用など、
非常に特色のある国でもあります。

(2)日本とブータンの共通性

  @どちらも、モンゴロイドであるとうこと
だけでなく、顔立ちや民族衣装が、
   日本の縄文時代のものと酷似しています。

   ブータンの民と日本人というのは、
遠い遠い親戚なのかもしれません。

  A共通的な特性

   家族、誠実さ。
   そして名誉を守り
   個人の希望よりも

   地域社会や国家の望みを優先し、
   また自己よりも公益を
   高く位置づける強い気持ち

(3)ダジョー西岡京治

  @昭和33(1958)年、大阪府立
大学農学部に、ある依頼がありました。
   「ブータンに、日本の農業専門家を
派遣してほしい」というのです。

  Aブータンという国は、ある意味、
非常に閉鎖的に伝統を重視する国家なのであって、
   そういうところで民衆に溶け込んで、農業指導をする。
   これはたいへんな仕事です。

   ブータン王国で農業指導をするためには、
ブータンの人々の生活の中に溶けこみ、
   「あの人のいうことなら間違いない」
という人としての信頼を勝
得ないといけないのです。

   ただ頭ごなしに技術を
「教えてやる」方式では、絶対にうまくいかない。

  Bブータンの首相から直接依頼を受けた
同大学の中尾佐助助教授は、たいへんな依頼を
   請けたと思うとともに、「あの男なら!」
と、すぐにピンとくる者がいました。
   それが、同学部の学生であった
「西岡京治」(当時25歳)です。

   性格が、穏やか。しかも謙虚。友誼に篤く誠実で努力家。
   根気と忍耐が予想されるブータンでの
生活に最適な男は、 西岡京治しかいない!

   彼は二つ返事でブータン行きを承諾します。

  C昭和39(1964)年2月、海外技術
協力事業団(現・国際協力事業団)から、
   西岡に、正式な派遣決定の通知が届きます。
   西岡は、新妻の里子を伴って、その年の4月に、
ブータンに飛びます。

   西岡が、妻を伴ったということは、彼自身に、
妻を愛する心と、
   ブータンに骨をうずめる覚悟があった、ということです。

  D最初は、非常に苦労したようです。

   農業局は、局長も職員もすべてインド
政府から派遣されたインド人です。
   彼らは、自分たちこそがブータンの
農業事情を一番知っている、ブータンの農民は
   遅れていて因習深く、何を言っても
始まらないと、ハナから西岡をとりあいません。

   西岡は、めげそうになる心を振り絞って
政府に働きかけ、ようやく農業試験場内で、
   60坪ほどの土地を提供してもらいます。
   そこは、ひどく水はけの悪い土地でした。

   西岡が派遣された目的は、農業指導です。
   荒れ地で、ひとりで栽培をしても、それでは意味がない。

   それでも西岡は、そこでなんとか
頑張ろうと、農業局にブータン人の実習生を要求します。
   ようやく許可が出て、西岡に実習生がつけられた。
   その実習生は、なんと12〜3歳の子供が3人!

   ここまでされたら、ふつう、怒るかあきらめるかします。
   事実、いろいろな国から派遣された
指導員は、それで怒って帰国している。

   ところが西岡は、笑顔で少年たちと
土を耕し、樹木を抜き、水利を図って、
   日本から持ち込んだ大根の栽培を開始します。

   畑の耕し方、種の蒔き方、土のかけ方、
ひとつひとつを西岡は少年たちに実演し、
   一緒になって大根を育てた。

   3ヶ月後、それまでみたこともないような、
おおきな大根が育ちます。

   野菜の栽培は、到底無理、と思われる荒れ地で、
西岡は見事に野菜の栽培に成功して
   みせたのです。

  E西岡の成功を喜んだブータン政府は、翌年
試験農場を水はけのよい高台に移して
   くれます。農業局ではなく、もっと上が動いて
くれたのです。耕作地面積も、3倍です。
   水利がよければ、野菜はますます育ちます。

   西岡の農場は、狭いけれど、青々とした
野菜が見事に育った。
   噂が噂を呼びます。
   ブータンの知事や議員たちも、西岡の
試験農場に視察に来ます。

   感動したある議員の提案で、西岡は、
ブータン国会議事堂前で、
   試験場で栽培した野菜を展示します。
これが、大評判となります。
   みたこともないほど肥えた野菜です。
しかもおいしい。みずみずしい。

   噂が噂を呼び、ついには国王陛下から、
もっと広い農場用地を提供するという申し出を
   いただきます。

   後に西岡は、このときの模様を
「ブータンに来て、これほど嬉しいことはなかった」と
   語っています。

   国王から提供された農場は「バロ農場」と名付けられます。
   「バロ」というのは地名で、ここには、
ブータンに仏教を伝えたパドマサンババが
   空飛ぶ虎の背から降りてきたという
伝説が残っているところです。

   ただし、ここは標高2200メートルの高地です。

   そして西岡のバロ農場は、その後の
ブータンの農業近代化を一気に加速することになる。
   まさに、空飛ぶ虎の背(飛行機)
から降りてきたバドマサンババ(西岡)が、
   ブータンの人々の生活を一変させる
事業が行われることになります。

  F昭和46(1971)年、西岡は、
この高地で、米作りに挑戦します。
   日本では田植えというと、縦と横を
一定間隔で植える並木植えがあたりまえの習慣ですが、
   当時のブータンでは、勝手気ままな植え方をしていました。

   西岡は、村人たちと再三、
並木植えについて相談を持ちかけ、何とか「やってみよう!」
   といってくれる農家が現れたのだけれど、
もし、並木植えで収穫量が上がらなければ、
   西岡の信頼は一気に失われます。

   西岡は祈るような気持ちで、稲の生育を見守りました。

   結果、並木植えの田は、
従来型の雑多な植え方の田と
比べて、なんと40%もの増産!!

   村人達は、驚き、喜び、
バロ盆地では、数年のうちに約半数が、西岡が持ち込んだ
   並木植え栽培をはじめます。

   この農法はいまではブータンに広く普及し、
ブータン王国の8割の田が、
   並木植えになっている。

  G1970年、西岡は、国王の命によって、
シェムガン県の開発に従事します。
   この地は、貧しいブータンの中でも
最貧地区・・・というより極貧地区です。

   しかし、いきなり「よそ」から
やってきた西岡の言うことなど、誰も聴きません。
   ただでさえ貧しい。ようやっと食べている。

   先祖伝来の農法を変えることで、万一、収穫が落ちたら、
   村人たちは飢え死にしてしまうのです。

   西岡の村人たちとの話し合いは、
なんと800回に及びます。
   西岡は根気強く村人たちを説得した。

   西岡はこのとき、無理に近代化を行うのではなく、
   あくまで彼らの「身の丈にあった開発」を進めます。

   そして村人たちと共同で、
60ヘクタールもの広大な水田を作った。
   西岡が来る前までの水田は1〜2ヘクタールです。
50倍の規模です。

   同じ人数、同じ労働力、同じ土地で、
焼畑農業で農地を転々とさせるのではなく、
   水路を引き、道を作り、橋を架け、
広大な定置農地を確保したのです。

   その広大な農地に、満面の稲が稔ります。
   ものすごい収穫高です。

   極貧地区は、またたく間に
生活が安定します。子どもたちが喜ぶ学校もできます。
   診療所もできた。村人たちは、
定住することができるようになり、生活も安定します。

   西岡たちが村を去る日、集まった全員の村人たちは、
   「はじめに西岡さんが言ってくれた通りになった」と、
   涙を流しながら西岡たち一行を見送ったといいます。

  H昭和55(1980)年、西岡は
長年のブータン農業への貢献を評価され、
   国王から「ダショー」の称号を受けました。

   「ダショー」というのは、
ブータン語で「最高に優れた人」という意味です。
   この位は、最高裁の判事クラスしかもらえない称号です。
   ブータンでは最も栄誉ある顕彰です。

   このとき西岡、47歳。
   そしてその後も12年、西岡はブータンにとどまります。

  I平成4(1992)年3月21日、西岡はブータンにて逝去。

   ダショー・西岡の葬儀は、
妻と娘の到着を待って、同月26日に行われました。
   それは、農業大臣が葬儀委員長を務める国葬でした。

   ラマの僧侶の読経が山々にこだまします。
   葬儀には、西岡を慕う5千人
もの人々が、ブータン全土から集まりました。

   ブータンは、国をあげて西岡に
感謝の心を捧げてくれたのです。

(4)西岡京治が、ブータンで成功したのは、
   彼が性格が穏やかで、謙虚で、
友誼に篤く誠実で努力家だからです。

   世界ではどこの国でも、そういう人が尊敬されるのです。

   西岡京治をはじめ、かつて日本人は
礼儀正しく、人にやさしく、
   高次元の国家観と正義感、道徳心を
持っており、高い教育によって築かれていたのです。

   *以下のWebから抜粋・要約いたしました。

    ダショー西岡の貢献 
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1374.html
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-916.html

       <合掌 平成23年11月20日 頓首再拝>

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ブータン国王 演説(抜粋要約版) (5416)
日時:2011年11月20日 (日) 19時38分
名前:伝統


(1)演説の機会を与えていただき、感謝いたします。

(2)ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、
   何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。

(3)3月の壊滅的な地震と津波のあと、大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、
   日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、
   ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。

   そのときからずっと、大災害から復興しなければならない日本国民に対する
   私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。

(4)いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。
   しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、
   それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。

(5)皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。
   我々の物質的支援はつましいものですが、
   我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。

   ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると
   考えてまいりました。

(6)2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。
   ブータン国民は、何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを
   誇らしく見ていたのを知っています。

   日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、
   以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。

   日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

   このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、
   強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。

(7)世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、
   歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、
   そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。

   知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると
   認識してまいりました。

   それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

   皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。

   他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう
   事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを
   持って対処されました。

   文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、
   我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。

(8)その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。
   卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。

   偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。
   他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。

(9)ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。
   言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人で
   あり続けます。

   日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。
   それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた
   日本人の方々の、ブータン国民へのゆるぎない支援と善意に対し、
   感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。

(10)改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。

   ご列席の皆様。簡単ではありますが、
   (英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。

   「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

   ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。

   小さな祈りですけれど、

   『日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験し
   そしてこれからも繁栄を享受されますように』

   という祈りです。

   ありがとうございました。

   <参考Web:日本は歴史を通じてあらゆる逆境から繰り返し立ち直った>
      http://yoshiro.tea-nifty.com/yoshiroteaniftycom/2011/11/post-5cbb.html

       <合掌 平成23年11月20日 頓首再拝>



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プータン国王のメッセージ (5428)
日時:2011年11月21日 (月) 20時08分
名前:伝統

プータン国王ご夫妻は、日本全国を爽やかな旋風を巻き起こして
昨日、6日間の滞在日程をこなし、離日いたしました。

おそらく、日本国民お一人お一人が、プータン国への愛着を持たれたことと思います。
また、心ある日本国民の中には複雑な思いを心深く刻まれた人もおられると推察しております。


以下に、6日間滞在時で、印象に残る部分をまとめておきたいと思います。

(1)慶應義塾大学での講演では

   「あなたが人生を振り返ったときに、後悔なく満たされていて幸せであることを祈ります」

   「多様で変化の激しい世界で明らかに感じるのは、個人一人ひとりが孤立しつつあると
   いうことです。携帯電話のようなコミュニケーションツールが発達する一方で、
   自然で親密な人間の絆は失われています」

   <参考Web:ブータン国王夫妻、大忙しの一日>
          http://www.youtube.com/watch?v=yTsBSwjPl8M&feature=related

(2)国会での演説

   「(ゾンカ語での祈り)

   天皇陛下と皇后陛下が健康と幸福を享受されますように。
   美しい日本そして日本国民の上に平和と安定、繁栄の太陽が永遠に降り注ぎますように」

   <参考Web:ブータン国王陛下>
   http://sanjoutei.blogspot.com/2011/11/1-3-201125-3-70-httpthanks2happiness.html

   <参考Web:多くの日本人が心を打たれ思わず涙 ブ−タン国王(全21min)国会11/17 >
          http://www.youtube.com/watch?v=-h5CzvtJky8&feature=related

(3)皇居での歓迎式典

   <参考Web:皇居でブータン国王夫妻の歓迎式典 >
          http://www.youtube.com/watch?v=d7YRKiMUwhs&feature=related

   <参考Web:ブータン国王夫妻を招いて宮中晩餐 >
          http://www.youtube.com/watch?v=FEgyslher-U&feature=related

(4)被災地での福島の子どもたちへの励まし

   「皆さんは竜を見たことがありますか?
   私はあります。

   みなさんの中に人格という竜がいます。
   竜は『経験』を食べて大きくなります。
   年を取って経験を積むほど竜は大きく強くなります。

   だから、竜は日増しに強くなるのです。

   皆さん、自分の中の竜を大切にし、その竜を養ってください。」

   <参考Web:ブータン国王、福島の子どもたち励ます>
          http://www.youtube.com/watch?v=NsfN13SfsyY&feature=related

   <参考Web:ブータン国王夫妻、被災児童と交流>
          http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111121/dst11112109240006-n1.htm

(5)京都への訪問

   <参考Web:2011/11/19 ブータン国王夫妻 京都 >
          http://www.youtube.com/watch?v=Cr-nz0AECnQ&feature=related

   <参考Web:ブータン国王夫妻京都へ 和傘さし金閣寺を訪問(11/11/19)>
          http://www.youtube.com/watch?v=ei5i7mCxO-c&feature=related

(6)11月20日、ブータン国王夫妻、離日

   「ブータンの人は以前から日本を愛しているが、今回の訪問でそれが10倍になった」
   と応えた。


(7)全体を通して

  @宮内庁によると、国王は「今回訪日した主な目的は、被災者と心を一つにすること」と
   応じたという。

  Aブータンというのは英語での国名で、現地の言葉では「ドゥク ユル」、
   電龍の国という意味を持つのだそう。
   (今回の王妃陛下の民族衣装にも白い龍が描かれておりました)

  B来年は「辰年」。
   龍のように力強いメッセージで日本の復興を応援してくれるブータンは、
   これからもブームが続きそうです。


  <参考Web:つれづれなるままに >
         http://plaza.rakuten.co.jp/pinkladylove/diary/201111210000/

  <参考Web:ブータン国王夫妻帰国の途 >
         http://zara1.seesaa.net/article/236125248.html

            <合掌 平成23年
11月21日 頓首再拝>
.........................................................

「日本の恥」一川防衛相、ブータン
    総領事館訪れ欠席を陳謝

    2011年11月22日(火)18:47

 一川防衛相は22日、都内の在日ブータン王国名誉総領事館を

訪れ、今月16日夜に開かれた同国王夫妻歓迎の宮中晩さん会を

欠席したうえに、民主党参院議員のパーティーで「こちらの方が

大事だと思って来た」などとあいさつしたことについて陳謝した。

 22日午前の参院外交防衛委員会で自民党の佐藤正久氏から

「反省をしているのなら行動を起こすものだ」と追及されたこ

とを受け、実行に移したものだ。訪問後、一川氏は記者団に、

「(ブータン側からは)『気にしなくていい』という話があり、

お土産をもらって帰ってきた」と語った。自らの引責辞任に

ついては否定した。


 
  ≪一川防衛相。 国賊め。日本人を名乗るな。恥を知れ。。≫

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2011年11月23日 (水) 15時08分


(211) 民主党は、恥を知れ。 投稿者:   あいこ28歳

民主党は、恥を知れ。

 一国の防衛大臣が、この美談を知らないとは・・。

 民主党の代表者たちは、残念な政治家ばかりですね・・。


2011年11月24日 (木) 22時09分




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