[143] わんこくんいぢめ@朗読プレイ |
- 無名 - 2008年09月04日 (木) 14時26分
麗らかな春の日の午後。 開け放たれた窓では緩やかな風にレースのカーテンが揺れ、新緑を通して降ってくる陽が暖かく室内を照らしている。目の前のテーブルにはさまざまな種類の軽食や茶菓子が並べられ、繊細な細工を施した茶器からは紅茶の香りが漂っている。それは正しく由緒正しい大英帝国式のアフタヌーンティーの舞台だ(多分)。 久々に身内が揃ったしお茶会とでも洒落込みましょうか、などと提案したのは、常々甘いものは苦手だと公言している制服組と呼ばれる男だった。 珍しいこともあるものだと思ったが俺自身は特に反対する理由もなく、そして甘味をこよなく愛す黒服組と呼ばれる男が勢いよく賛成し、深く物事を考えていないだろう男がムスカの淹れたお茶が飲みたいなぁと呟き、そして恋人のためなら何でもやるだろう大佐の頷きによってお茶会開催決定と相成ったものだが。 茶よりも酒を、菓子より煙草を愛する男がそんなことを言い出した時点で警戒すべきだったんだよなぁ…などと今更ながらに思い知っていた。
『…薄いカーテンを通して降り注ぐ月の光は、元々白いフィルの肌を一層と白く見せている。血の気を失ったその姿は、顔の半分を覆う包帯とあいまって酷く痛々しく感じられた。 夜半の湿気を含んだ生温い風が部屋へと吹き込み、鼻につく消毒液の匂いを一瞬ではあるが薄れさせる。 薄っすらと汗ばむ程の陽気であるというのに、麻酔の影響で体温を失ったフィルの体は細かく震え続けている。』
大佐達が、自身の故郷のことを語ることはあまりない。自身にとっても元々交流の薄い国でもある。 それでも、漏れ聞こえてくる噂などはあるわけで、彼の国の人たちが『お茶会』とやらを好むことくらいは知っている。 しかし、その『お茶会』とはどんな内容なのかまでは生憎と詳しくなく、言葉の響きから、恐らく『茶や菓子、軽食などを喫しながら他愛もない談話を繰り広げる』ことであろうと推測していた。 …が、当然推測は推測でしかなく。 例えばその談話の内容について、『政治や経済などの堅苦しい話題、著名人のゴシップなどの低俗な話題、仕事関係の話題などは避け、音楽や詩の鑑賞、文学についてなど知的な娯楽としての話題を楽しむものだ』などと説明されれば、はぁそうなのですかと納得するしかなく。 そして、『知り合いの小説家が出版した最新作』というものはその内容の如何はともかくとして、体裁としては『知的な娯楽』としては申し分なく。 今ここにいる面々の中では一番年下で、そして立場的にも一番下っ端で、更にはその小説が書かれた言語に一番慣れ親しんでいる俺に朗読役が押し付けられたのもまたある意味『自然な流れ』であろうと言えた。
『重ねた毛布では補いきれない凍えを少しでも癒したくて、毛布から出された手をそっと握った。それは氷のように冷え切っていて、月の光に青白く浮かび上がりさながら職人が丹精をしたビスクドールのようでもあった。肘の内側や手の甲に青黒く残った無数の注射針の痕には薄っすらと血が滲み、僅かに彼が人間であることを知らしめる。』
犬…そう、いっそ犬になりたい。 動物は苦手だと言っている大佐は、その実動物に懐かれる。 耳を垂らし尻尾も丸めて、上目に見上げながら哀れっぽい声でキューンと鳴けば、きっと呆れた様子で溜息を付きながらも撫でてくれるだろう。寝転がって腹を見せて降参のポーズを取れば、もういいと許してくれるに違いない。 残念ながら今の俺には垂らす耳も丸める尻尾も付いていないのだが。 犬だったら、こんな目には遭わずにすむ。 流石に紅茶は淹れて貰えないだろうが、代わりに温めた牛乳を供してくれるだろう。行儀が悪いと叱られるが、ミルク瓶の縁にこびりついたクリームを掬って舐めるのも好きだったりする。犬だったら、それだって叱られることはないだろう。 ブランデーを利かせたチョコレートケーキを賞味できないのは残念だが、ドライフルーツとナッツを山ほど混ぜ込んだパウンドケーキの方ならきっと食べられるはず。もしかしたら、ざっくりとしたライ麦のパンに冷たく仕立てた鶏胸肉のハムとちぎったレタスを挟んだサンドイッチも分けてもらえるかもしれない。クリームチーズと甘酸っぱいルバープのジャムをたっぷり塗った柔らかい白パンも美味かった。
『どんな苦痛にその身を晒そうとも、どんな孤独にその身を浸そうとも、フィルは眉一つ動かすことすら無かた。辛いとも痛いとも寂しいとも、一切の感情を表に出すことは無く、何も感じない人形であるかのように振舞う。 その姿を目の当たりにする度に、ヴァルガはいつも叫び出したい気分に駆られた。貴方は人形ではない、人間だと。』
半ば現実逃避しつつ朗読していた声を遮るように、ぶはっ、と大きな笑いが部屋に響いた。 声に驚いて顔を上げると、笑いの勢いにソファから転がり落ちる黒服組の姿が見えた。床の上で蹲り、さっきまでケーキを頬張っていた口元を押さえて瀕死のゴキブリのようにヒクヒク震えている。どの辺が奴のツボを突いたのかは分らないが、笑いが止まらずに呼吸困難に陥りかけているようだ。 いっそそのまま息の根が止まってくれたらどんなに嬉しいか…… 「おい」 止まってしまった朗読に、制服組が煙草を持った手を振って先を促す。 改めて本を構えつつも、助けを求めるように大佐の顔をうかがう。 『フィル』のモデルとなった大佐は、怒りの為か羞恥の為か、しっかりと組まれた指は指先が白くなるほどに力が篭りここから見ても分るほどに震えているのが分かった。
『ヴァルガの分ける体温によって、フィルの手にはほんの少しではあるが人間らしい温もりが戻ってくる。両手に包み込むようにして何度か擦ってやると、ぴくりと指先が動き、何かを求めるようにヴァルガの手を握り返してきた。呼吸に僅かに開いた唇が震え、声にならない声が漏れる。 「大佐?」 押さえた声で呼びかけ、握った手に少し力を込める。蒼褪めた瞼が持ち上げられ、金色の瞳がヴァルガの姿を映した。 気がつきましたかと笑いかけようとするものの、それはフィルの唇から零れた声によって遮られる。 「………ス…」』
自分の記憶が確かなら。 そしてその記憶通りに物語が進んでいくとしたら。 この先は少なくとも声に出して朗読できるような内容ではないはずだ。 それは例えば、消灯後のベッドにこっそりとランプを持ち込みながらとか、しっかり鍵の掛かったトイレなんかで読みたくなるような、そんな内容のはずだ。 とは言え、あれが文章で書き表せるとは到底思えない。 荒れてかさついた唇の薄い皮膚を通して伝わる少し低めの体温とか、人工的な薬品の匂いと合わさって頭の芯まで痺れさせるような彼自身の香りとか、薄赤く乾いた舌先を蠢かせて水を強請るかすれた声の響きだとか、重ねた唇から流し込む水を求めて絡められた舌先の感触だとか――― 記憶を反芻するだけでダイレクトに下半身を刺激しそうになる諸々―――
『愛しげな、縋る様な響きにヴァルガは一瞬目を見開く。思わず泣き出しそうになるのを耐え、必死に笑みを浮かべる。 「……ドラ、ス…」 フィルの金色の瞳は真っ直ぐにヴァルガへと向けられ…そして、別の人間を写していた。まるで幼子のような瞳に耐え切れず、ヴァルガはそっと瞼へと唇を押し付けた』
「ねぇ、ちょっと聞いていい?」 手の汗で本のページが濡れる程、あらゆる意味で緊張していた俺は、天の助けとばかりに朗読を止めて顔を上げる。 が、その口から飛び出たのは、天の助けなんかではなく、強いて言えば…なんだろう? スズメバチの巣に投げ込んだ石というか、狼の巣にスズメバチの巣を放り込むような…まぁ、上手く表現できないのだが、ともかく、そういう言葉だった。 「『フィル』のモデルって、ムスカなんだよね?」
―――――このボンクラ――――ッッッ!!!
声に出して叫ばなかったことに、自分で自分を褒めたい気分だった。 ようやく笑いのツボを抜け出してソファに座りなおそうとしていた黒服組は、どこから出しているのかガラスを引っかくような奇声を発して再び床に蹲って握り締めた拳で床を叩いて身悶え(階下の住人はさぞかし迷惑だろう)、 にやにやとタバコを燻らせつつ俺と大佐の様子を観察していた制服組は、噴出した拍子に長く伸びたタバコの灰を膝に落としてしまい、慌てて立ち上がって服を払っていた。(一瞬、ザマミロ、などと思ったことは秘密だ。) 「…だとしたら、何だね?」 氷点下を通り越して、絶対零度の音声で大佐が答える。 「で、『ドラス』は俺なんだよねぇ?」 「………恐らく」 「そっかぁー………」 何を考えているのか(もっとも、奴は普段から物事を深く考えるような性質ではないが)、男はむぅっと眉を寄せて溜息をつく。何か言葉を捜すようにもごもごと唇を尖らせた。 「………どうした?言いたいことがあるのならハッキリ言いたまえ」 珍しく歯切れの悪い男に、大佐はピクリと片眉を引きつらせる。 男は促す声にぱっと顔を上げ、改めて大佐の顔をまっすぐに見るものの、そのまま、んー、とか、あー、とか意味にならない声を上げている。苛立ちを隠しきれない様子でまた大佐が口を開こうとした瞬間、男が動いた。すっと腕を伸ばして、テーブルを挟んだ正面に座っていた大佐を手招きする。 「ムスカ。こっち」 「何なんだね、一体―――うわっ!」 訝しげにしながらも、大佐は素直に腰を上げてテーブルを回り、伸ばされた手を取る。俺や他の人間ではこうはいかない。きっとそれは、惚れた弱みというヤツなのだろうなと少し悔しく…… 、訂正、少しどころじゃない。 握った手を引っ張られた大佐は、その勢いに男の胸に抱き込まれていた。 「な、いきなり何を…離したまえ」 「やだ」 きっぱりと言い切り、男は腕の中の体温を確かめるようにしっかりと腕を回して背中を撫でている。 離せなどと言いつつも、抵抗する素振りどころか、大人しく相手の腕にすがりつく姿勢を取っている辺り、大佐の方も同意している、というかむしろ喜んでいるとしか見えない。 「…ぇ……ぅ、ぁ…………」 突如目の前で繰り広げられる、所謂ラブシーン。 初めてではないが慣れることはない光景を目の当たりにして固まってしまっていた俺の意識は、いつの間にかに復活していた黒服組の声によって引き戻される。 「おい、行くぞ」 慌てて声をした方へと顔を向けると、既に部屋から出ようとしている二人の背中が見えた。半ば閉じられた扉の隙間から見える顔は、あからさまに楽しげに笑っている。置き去りにされかけていたと気付いた俺は慌てて立ち上があがった。
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