[125] I'm home(パズ&大佐) |
- 無名 - 2008年06月09日 (月) 14時45分
「ただいまー」 重厚な玄関扉を開けて邸内に入ると、すっかり顔馴染みとなった中年のメイドが笑顔で出迎えてくれた。 「おや、お帰りなさい。あらまぁ、また随分と汚して」 本当にやんちゃなんだからと、まるで小さな子供にするようにぱたぱたと髪に付いた泥を払われて、パズーは思わず眉を寄せながらも笑ってしまう。 「今度はいったい何処を冒険してきたんだい?」 「あぁ、西の方にちょっとね。ムスカは?」 「お館さまなら書庫にいらっしゃったけどね。ほらほら泥を撒き散らすんじゃないよ」 洗っておいてあげるからと汚れた外套を脱がされ、ついでにエプロンでごしごしと顔を擦られる。 「ちょ、おばさん、痛いって!」 「何言ってんだい、男の子が情けないこと言わないの」 「も、いいってば。後でちゃんとするから!」 更にブラシ、入浴…と身嗜みに進みそうなメイドの手を擦り抜けて、パズーは屋敷の奥へと駆け出していった。
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「ただいまー」 「お、パズー。土産は?」 書庫へと入ったパズーを出迎えたのは、分厚い本を抱えた書生の青年だった。期待とはまったく違う出迎えを受けたパズーは、扉に手を置いたままがっくりと肩を落とす。 書生は整理途中だったらしい本を台に置いて、わざわざ入り口に立つパズーへと近寄り、うなだれた頭をぽんぽんと叩いた。 「どうした? 旅疲れで行き倒れるのは構わんが、俺に土産を寄越してからにしろ」 「おまえ、出迎えの第一声がそれかよ!?」 「あぁ、お帰り。今度の旅は大変だったようだな。無事でよかった。で、土産は?」 棒読みに放たれる労いの言葉を無視して、目当ての人物を探して書庫を覗き込もうとするが、薄暗い上に自分よりも背の高い書生の体が邪魔して中々奥まで目が届かない。 まるで橋を守護するトロルのように立ちふさがり、さぁ寄越せすぐ寄越せとばかりにぬっと手を差し出してくる書生にパズーは舌打ちを漏らす。 「分っててやってるだろ?」 「なにが?」 にやりと意地の悪い笑みを浮かべる書生の手に、パズーは汚れたザックを押し付ける。 書生は慣れた手つきでその口を解くと、中を探って目的の物を取り出す。最上級とまではいかないが そこそこに上等なワインだ。しっかりと通行料をせしめた書生は、満足げに頷くと道を開けた。 「お、上物…あー、そうだ、パズー」 「なんだよ?」 今まさにラピュタの宝を求めて書棚の迷宮に突入せんとしていたパズーは、背後からかけられた声に振り返りもせず半ば怒鳴るような声を返す。 「先生ならさっき出てったぜ。多分、温室じゃないかな」 「先に言えよっ!!」 訓練された兵士さながらに回れ右して一直線に温室へと向かうパズーの背に、荷物は部屋に置いておくからなーと暢気な声が投げられた。本人の耳に入ったかは定かではないが。
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「…ただいまー」 「ここは君の家ではないが?」 間髪いれずに返される返事にパズーは思わず笑いを零した。 息も白く凍る程の外の寒さとは打って変わり、温室の中は薄いセーターでも快適なほどの温度が保たれている。ガラスと梢を通して降り注ぐ冬の日差しに、ムスカの金色の髪と、カップから立ち上る紅茶の湯気が柔らかく揺れていた。 「皆はそう思ってないみたいだけどね。みんなおかえりって出迎えてくれるし」 「嘆かわしいことだ」 教育しなおさなければな、などと何処まで本気で何処まで冗談か判別つけ難いムスカの呟きに、パズーは思わず肩をすくめる。 だが、以前はそれこそ部屋に入った瞬間に既に銃を向けられているような状態だったのだから、それから考えれば随分と馴染んで来たよな…などとパズーは自分を慰めていた。が、同時に、銃を向けるってどれだけ警戒してるんだよ…などと友好的とはほぼ間逆のベクトルに改めて思い至り少し落ち込んだりもしていたが。 無遠慮に足音を立てて近寄り、紅茶に添えられたビスケットを一枚摘んでみるがそれでもムスカの視線は書物から上げられることすらない。 「…で? 空腹を満たしたいのならば厨房へ行くことをお勧めするが」 「お土産持ってきたんだよ。面白いもの手に入れたから、ちょっと見てもらおうかと思って」 視線を向けようともせず、まるで犬を追い払うようにひらひらと振られるムスカの左手を掴む。反射的に振りほどきかけた指先は逆にしっかりと固定され、ひやりとした金属の感触が指へ伝わった。 ようやく顔を上げて己を見るムスカに、思わずパズーは頬を緩める。 「西の遺跡で見つけたんだ」 自身の指に飾られた花飾りの指輪に、ムスカは手を振り払うのも忘れて目を瞬かせた。 柔らかな光沢を放つ飴色の石は五辺の花弁の形に刻まれ、楕円に磨きあげられた深い緑色の石が葉のように添えられている。少女が好みそうな可愛らしいデザインではあるが、その輪の大きさはどう見ても男物だ。先にムスカの指に填めてられていた指輪を覆い隠して、更に回るほどの余裕がある。 「ほら、文字みたいなのが刻まれてるんだけど、僕には読めなくて」 パズーは両手でムスカの手を包み込むように握り、指ごと指輪を撫でる。倣うようにムスカも空いた手を伸ばして、指輪に触れた。冷たい金属の感触と、パズーの体温が指先に伝わる。 「エルダールーンに近いようだが…」 「読める?」 「いや、近いが、違う。詳しいことは調べてみないと」 「そっか」 すっと手を上げて、指輪を光に翳す。花を形作る宝石と同じ色をした瞳が、光を反射して輝いた。 まるで恋人にもらった指輪を眺める少女のような仕草だ。喜びにその頬は薔薇色に染まり、うっとりと細められた瞳には感激のあまりかうっすらと涙が浮かぶ。 そのふっくらした唇にはこの上ない笑みが浮かび、感謝の言葉と、愛の囁きが零れるのだろう。そしてふたりは唇を重ね……… 「…石は琥珀に血玉髄か。資産的価値は高くないが、研究資料としては面白そうだな。宿代として預かっておこう」 「…それだけ?」 妄想とは逆に、そっけなく言い放たれる言葉にパズーの眉根が僅かに下がる。 「他に何か必要なのかね?」 「せめて、ありがとう、とか一言無いわけ?」 「…私としては、今すぐ屋根裏部屋のガラクタごと君を山に放り出しても一向に構わんのだが」 これぞ『上流階級で生まれ育ったものが浮かべる穏やかな微笑』と舞台役者の教本にでも載せておきたくなるほどの完璧な作り笑顔を向けられ、パズーは改めて肩を落とした。 「用は済んだのだろう。さっさと出て行って、入浴…の前に、荷物の片づけと薪割りと煙突の煤払いを済ませ給え」 どうせ汚れているのだからな、などと合理的な命令を下すムスカにパズーは、わざとらしく大きな溜息をつく。再び書物へと目を落としたムスカは、それを気にすることも無くさっさと出て行けとばかりにひらひらと手を振った。 命令に従うのは業腹だが、居候身分というのは間違いない事実ではある。働かざるもの食うべからず、というのも納得している。 取り合えずは先に言いつけられた仕事は済ませるか、と温室を出ようとしたパズーの背中に、ふと思い出したようにムスカの声が投げられる。 「あぁ、そうだ、パズー」 「なに?」 振り向いた先には、欲しかったもの。 「おかえり」
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