[174] ある冬の日に 1 |
- 774 - 2011年01月18日 (火) 22時44分
数年振りの寒波到来。 寒い日が続くと、仕事が進まないのは軍部だけではないだろう。 とはいえ、ここが平和なのはいつも通りなのかもしれない。 まるで外界から切り離されたかのような静寂。 部屋の中で音を立てているのは、ストーブの上の小さな薬缶。 ここは軍の研究所にある簡易実験室。 言わずと知れた変人、若博士にあてがわれた部屋である。 助手として雇われた老博士は若博士の扱いに長けている。 研究者として大成しなかった彼ではあるが、この研究所では重宝されていた。
もうすぐ湯が沸く。 若博士がコーヒー豆を探し始めたところで、ノックの音が響いた。 「どうぞ。」 老博士が扉を開くと、馴染みの面々が揃っていた。 ムスカと、特務の黒服が3人。そのうち一人は一番若手のJだ。 問題はムスカの足元に、珍客がいるということだった。 意外に目ざとい若博士が、ムスカの足元を指差した。 「犬を頼んだ覚えはないんだけど。」 振り向かれた老博士が微笑する。 「ワシでもないさ。」 ムスカの足元にいるのは、人懐こい顔をしたゴールデンレトリーバーの仔犬だった。
「何故かついてきちゃったんですよねー。大佐に懐いちゃって離れないんです。」 Jと呼ばれる特務の黒服が苦笑して、ムスカに睨まれた。 仔犬は雪の中で遊んできたらしく、毛にはまだ雪が付いていた。 タオルを持ってきた若博士が近づくと、仔犬はムスカの脚の影に隠れてじっと見ている。 ようやく仔犬が諦めた様に若博士に近づき、タオルでゴシゴシと拭かれた。 「こんなに冷えて…君は冬眠しないだろう。」 まるで人間に接するのと変わらない態度だ。 どこかで見たような光景に、ムスカは苦笑した。 「随分と手入れがされておるな。」 老博士が犬の毛並みに感心している。 「迷い犬なのでしょうが…。」 黒服が苦笑する。 この首輪に、この毛並み。並の家庭の犬ではないはずだ。 今頃探しているのではないだろうか。
若博士が棚からコーヒー豆を出すと、慣れた手つきでムスカが淹れる。 老博士は紅茶にウイスキーを垂らすのがお約束だ。 ちょうど皆が腰掛けた頃、再び扉をノックする音がした。 「どうぞ。」 老博士が扉を開くと、今度は制服姿の軍人と子供が立っている。 子供は清掃婦の孫なので、この研究室の常連だ。 祖母の手料理を持ってきたらしく、手には大きなカゴを提げている。 「おじさん、ありがとう!」 扉を押さえている軍人に明るく礼を言うと、笑顔で皆に挨拶した。 おじさんと言われた軍人は一瞬困った顔になったが、任務を思い出す。 「あの、こちらに犬が迷い込んでいると聞いたのですが…。」 言いかけて探している仔犬を見つけた。
軍人は思った。 上司の命で世話をしているこの犬、何かと「引き」が強い。 気のせいではない。そんな生易しいものではない。 むしろ意図的にやっているのではないかと問い詰めたいくらいだ。 この犬、絶対、狙ってやってやがる。 前にどこからともなく拾って咥えていたのはどこぞの将校のバッジだったし。 泥まみれになった身体をブルブルと振ったのは視察に来ていた大臣の前。 他にも色々あるのだが、とにかく狙ったかのように何かをやらかすのだ。 そして今も。 「この犬かね。」 仔犬は誰かの足元で寛いでおり、その視線を上にやると首の上には物騒な顔が乗っていた。 「…っ!」 犬の飼い主が毛嫌いしている筈の人物だった。 グッバイ、俺の平和な生活! 軍人は安穏とした生活に別れを告げた。 「申し訳ありません。ご迷惑をお掛けしました。今すぐ連れていきますので!」 深々と頭を下げ、それから犬を呼ぶ。 しかし仔犬は子供が運んできたカゴに目を輝かせ、それどころではない。 ああもう、どうしてこの犬は!
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