[146] 友の暗号 |
- 774 - 2009年01月19日 (月) 23時50分
大佐になって新しい部下を与えられたは良いものの、呼ばれて振り向けばそこにいたのは彼だった。 「ハハッ、またえらく差を付けられちまったなぁ。ムスカ大佐サマ!」 皮肉を口にしても、そのふざけた口調からして本心でないのは明白だ。細められた目には人懐こささえ感じられる笑みが浮かんでおり、憎まれ口を叩いた割には口角が上がっている。 「君こそ何故ここにいる。」 士官学校の同期が部下として配属されることは珍しくないと聞く。しかし彼は出世を目指さず、地元の警護兵を希望していた筈だった。確か老いた両親の住む地元は隣国に接した小さな村で、いつも紛争に巻き込まれては被害を受ける特別警戒地域。そのため両親を守るために帰りたいのだとか何とか。だからこそ、そんな彼がまさかここ特務にいるとは思わなかった。 「まぁ俺も軍に属する身だからな。“上官の命令は絶対”ってヤツさ。」 やれやれとばかりに肩を竦めたその姿は、士官学校時代と変わりない。 「“人事はヒトゴト”、忘れた訳でもあるまいに。」 ムスカが含み笑いを漏らした。軍のシステムと言っても所詮は人間が動かす代物。ヒトを動かして初めてコトは成る、そうやって上を動かすシステムなのだ。 「フツウにフツウにやっていたらこんなもんだっての。お前が異常な……っと。」 廊下の先に制服組の将校が見えたので、急に彼は姿勢を正して口を噤んだ。陸軍の制服組は特に上下関係が厳しいと聞く。先ほどのような会話が聞かれては自分の管轄でもないのに口を出し兼ねない。唾棄すべきまでの過干渉。軍とはかく在るべき、などという説法など耳障りなだけだ。 この仕草からもわかる。彼は決して愚鈍ではない。むしろ賢すぎる程だった。士官学校時代は愚かしい指示を繰り返す教官を共に嗤い、射撃では最高点を競り合った仲だ。好敵手といえば聞こえは良いが、性格が違いすぎて付かず離れずの関係でもあった。
部下としての彼は申し分なかった。当然だ。彼は今でこそ一兵卒の身であるが、士官学校の出身なのだ。暗号技術も諜報活動も、ムスカと同じ教育を受けている。 ムスカのように主席でこそなかったが、成績はそこそこ上位にいた筈である。彼が故郷での勤務さえ望まなければ、本部でそれなりの地位にいたことだろう。
彼は頭も良いが要領はもっと良い。人一倍仕事を早くこなすと、残業もせずにサッサと帰る。プライベートは謎だらけと噂されていたが、まさにその通りだった。詮索されるのを嫌うのは知っている。だからこそムスカは、彼を問い詰めることはしなかった。噂をする奴らとは違い、彼は仕事を完璧に終わらせた後で帰るのだ。 仕事さえ終われば、その後は自由であろう。飄々とした人柄からは想像もできないが、彼は意外にも愛国心が強い。いや、郷土愛とでも言うべきか。 だからこそ彼が、軍のマイナスになることはしない。そう、思っていた。
それなのに、“偶然”流れ弾が彼の命を奪った。 人事はヒトゴト。 彼の次の異動先は“あの世”だったということだ。 次の日には新しい部下が来て、何事も無かったように彼の席を埋めた。 人事はヒトゴト、他人事。淡々と、粛々と、仕事は進む。そういうものだ。
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