[122] 航路、空への電信1 |
- 774 - 2008年05月29日 (木) 00時09分
ティディス要塞を出て、数時間。 ゴリアテでラピュタへ向かう航行の途中、ドッキングした小型飛空艇から数人が乗り込んできた。
「大佐ぁ、二人のセンセイ連れてきましたけど――本当に、間違いありません?」 “J”とコードネームで呼ばれている特務所属の若い部下が、黒いコートを翻しながら訝しげに尋ねる。 その背後では、ムスカと同じ年頃の男が風に白衣を煽られてよろめいた。 「おっと、大丈夫ですか?」 ドッキングの応援に来た制服姿の軍人がそれを支えた。支えられた男は礼を言うでもなく、何やらフンフンと頷いている。 「どうした、高さに怖気づいたかね?」 折り畳んだ白衣を小脇に抱えてた老齢の男が冗談めかして尋ねると、声を掛けられた男がニコリと笑う。 「これでは歩き難いね。」 ぞんざいな言葉遣いを咎めるでもなく、老齢の男は微笑んだ。 「風速80m/sで接続しても壊れないように計算したんだけれどなぁ。今の高度なら25m/s程度だろうから、と。うん。」 連絡橋とは人間が歩いて渡るものだということをすっかり忘れていたらしい。随分頑丈に作ったようだが、そんな猛烈な風の中、連絡橋に出ようなどという人間はいない……と思いたい。 いや、そもそもそんな強風の中でドッキングを試みる度胸と腕を持つ操縦士などいないだろう。
「ようこそ。」 ムスカが笑みを湛えながら二人を迎える背後で、Jは黒服の先輩達に尋ねた。 「ガドリン博士はわかるんですけどね、もう一人のヒト、本当に博士なんです?」 二人は顔を見合わせると、困ったように苦笑した。制服軍人に支えられて歩く若い博士とやらは、ムスカの挨拶にも応えずゴリアテの外皮や連絡橋ばかりに夢中のようだった。まるで飛空艇を初めて見る田舎者かのような落ち着きの無さである。 「本当だ。マイスナー博士は――。」 このゴリアテの設計には博士の提案が多数採用されているし、大佐よりも階級が上だ。そうは見えないけれども。二人がそれを説明しようとした時、博士の後ろにいたもう一人の人物が、これまた不審な行動をとっていた。 「うわぁ!さっきまでの飛空艇も凄かったけどさ!これはまた、えらく大きいなあ!」 興奮してあたりを見回し、その都度大声を上げては騒いでいる。高度があるため気温が低く風も強い。体感温度は零下の筈だ。にもかかわらず、袖の無い下着のような服からは筋肉質な腕がはみ出していた。 「あれは、何だ?」 黒服の二人が呆れた様にJを見た。Jは肩を竦めて首を振った。 明らかに民間人である。そしてこちらは本当の田舎者らしい。ムスカもそれに気づいたようで、明らかに警戒した表情で睨み付けた。 「君は誰だ。何故ここにいる。」 「あー、えっとですね。マイスナー博士に付いてきちゃったといいますか、その、ですね…。」 事情が分かっていない民間人の代わりに、Jが諦め顔で説明を始めた。元帥府へ行っていた博士が今度は海へ出ていて、彼の船に乗せてもらっていたのだという。鉱山の次に海とは単純な様だが、なんでも元帥府で聞いた新種のイカが発光するときに出す成分を実験に使いたいのだとか何とか。博士を迎えに来た飛空艇を見て、彼が乗りたいと言ったところ、マイスナー博士が気軽にいいよと返事してしまったものだからこういうことになったらしい。 「あの。俺は漁師やってる――。」 名前を名乗ろうとして慌てて姿勢を正したらしいが、軍人並みなのは体格だけだ。足の揃え方も手の位置も、指摘しようとすればキリがない。ムスカからの刺すような視線にいたたまれなくなったのか、彼はこそこそとヴァルターの隣へ移動した。 「なぁ博士、アンタいつもこういう所で働いてるのか?」 男がヴァルターの白衣の裾を摘んで軽く引っ張っている。 「僕は動いている飛空艇に乗るのは初めてだ。」 答えながらもその視線は飛空艇に釘付けである。ヴァルターは飛空艇に深く関わってはいるものの、搭乗は初めてだった。むしろ人攫い…ではなく、優秀児引き抜きに行っていたガドリン博士の方が搭乗回数は多い。 「飛空艇なら、学校から軍へ引き抜かれた時に乗せられたのではなかったかね?」 ムスカがヴァルターに尋ねたが、それに答えたのはガドリンだ。 「ああそうか、君はそうだったな。しかし彼の故郷は首都内なのだよ。」 故郷から本部まで、歩いて行ける距離なのだという。ムスカはそれを初めて知った。 「都会生まれだからな。君には、山も海も楽しかっただろう?」 まるで子供の夏休みだ。ガドリンに微笑まれ、ヴァルターがニコリと笑って頷いた。 「そっか、それで海を見てあんなに喜んでいたのかぁ。」 漁師もニッコリと笑うと、ヴァルターの頭を撫でた。 恐らく彼はヴァルターよりも若いのだろうが、そういう事を気にする人間はここにいないらしい。
ムスカが状況を持て余し気味なことに気付いた黒服二人が、話題を変えようと焦る。 「例の優秀児プロジェクトでガドリン博士が大佐を引き抜かれたって話ですけれど。」 「見出したのは学校だ。しかしこれほどの人材に恵まれた年もなかったよ。」 ムスカとヴァルター、同い年の二人を引き抜いたのは他でもないガドリン博士だ。大佐と少将に比べれば、彼の地位は伍長止まりと低過ぎる。しかし、優秀児制度とはそういうものだ。 「それにしてもだ。まさかここに、ワシまで呼んで貰えるとは思わなかったよ。」 ムスカは初めガドリンが心中複雑なのではないかと思った。尊敬する師がとうとう出せなかった答えを、ヴァルターがいとも簡単に出してしまったのだから。しかし、ガドリンは答えが出たことそのものを純粋に喜んでいる様子だった。そういう意味では、彼も純粋な研究者なのだろう。 「先生がいらっしゃらなければ、こんなにも早くラピュタへ辿り着くことはできませんでしたよ。」 世辞など無用とばかりにガドリンは手を振った。しかし、降ってきたロボットの話、ラピュタを探す特務機関の話、ゴンドアに住む王族の情報と、ガドリン自身が思う以上に功績は多い。ムスカは本心からそう思っていた。
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