[113] 親愛なるムスカへ |
- 7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時44分
・長いです。どんだけ長いか、自分でも呆れるくらい長いですw ・再就職Ver.で、一人になった後の兄ちゃんの日記のようなものです。 ・従って、大佐はほとんど登場しません。 ・また兄ちゃん一人の視点が続くので、兄ちゃんのイメージとか、そもそもの世界観とか、こうではないと思われる方もきっとおられると思いますが、珍しい分岐の一つとして見てやって下さいませ。 ・文中の一人称は僕になっていますが、これは慣れない書き言葉を使おうとしているからで、普段の話し言葉では俺になるんだろうなと思っています。 ・階下の小説家氏が、ひそかに取材に暗躍している気配を感じますw
ーーーーーー
親愛なるムスカ
君がとつぜんいなくなってから、4カ月になったね。 そして僕はやっと今日から、君に手紙をかく準備ができたと思う。
なにから書こうかな? そう、君がいなくなったあの日から半月くらい、僕はすごくカッコ悪い生活をしていたよ。 カーテンを明けない閉め切った部屋で、朝になってもベッドから離れられなくて、一日中寝ているか、あとは座ってぼんやり壁か時計を見て過ごしていた。 時々下の階の物書きさんが、パンとか食べ物をくれたから、お腹が空くとパンと冷えて固まったシチューとかを食べて、また何もしないで時計だけ見ていた。 お酒もたくさん飲んだ気がするよ。酔って壁に物をぶつけたりもしたから、暖炉の側の壁を傷だらけにしてしまったんだ。
誰かが憎らしくて眠れないなんてこと、本当にあると知ったのも初めてだった。 あの朝。軍の迎えがきて君が出て行く時、ドアを開ける君の左右に立ちふさがるみたいにして僕を見ていたSとJの勝ち誇ったような目を思い出して、くやしくて毎晩眠れなかった。 君はもう僕には会わせないで、彼らだけが独占すると、あの目は絶対そう言っていたんだ。 僕がもう近寄れない世界に君を連れて行けるのが嬉しいのが、よくわかっていた。 すごくくやしかったのに、繰り返し思い出すのが止められなくて、毎晩歯ぎしりしながら枕をたたいたりした。 誰かを憎むのは、とても苦しいことだね。ムスカ。 胸の中に重たいドロドロの塊が出来て、息をするのも苦しいのに、忘れることは出来ないんだ。 思い出すのは君のこと、あの朝のこと、それからまた暗い気持ちがこみ上げてきて、お酒を飲んで何かにあたって…そんな風に過ごして何日くらい経っただろう。Sが訪ねてきたんだよ。 前触れもなく部屋に入ってきたSは、僕を見て笑った。 「へーえ、やっぱこんな感じなんだ」 新しい軍服を着ていたSは、冷たいイヤな笑顔で肩をすくめて、 「は、お決まり過ぎて笑うしかないね」 Sを見た瞬間、僕は何か怒鳴りながらつかみかかったと思うんだけど、軽く投げ飛ばされてしまって、気がついたら床の上に這いつくばっていた。 故郷に帰れと、頭の上でSの声が聞こえた。 「それだけ言いにきたんだよ。あんたに! こんな所でグズグズして、つまらないマネでもされたら大佐のいい迷惑なんだよな? 大佐にはあんたがとっくに故郷に帰って、幸せにやっているって伝えて置くからさ」 「ムスカを返せ!」 「お門違いだね。大佐は俺達がかどわかしたんじゃない、自分の意志でこの道を選んだんだ! あんた、わからないんだろう? どういうことだか? 教えておくけど、つまりは役不足ってこと。ここでベソをかいて待っていても、大佐は戻って来やしない。いいか、戻って来ないんだよ!」 「ムスカを返せ! 返せ! 返せ!! 返せ返せ返せ返せ返せ返せッッ」 僕がわめくとSの軍靴がふってきた。 「まったく…あんたみたいな甘ちゃんに、なんで大佐が情をかけたのか…」 「ムスカは…どうしてるッ…」 「大佐は元気だよ。嘘なんか言っていない…たとえ、その先に何が待っていようと、あの人は承知で駒を進めるんだ。部屋に閉じこもって泣き言を言っているあんたじゃ、お話にならないんだよ。だから…」 その先の言葉はよく聞かなかったから覚えていない。僕は暴れて…わめいて…Sに蹴り飛ばされて、またつかみかかって。Sは机の上に放り出してあった旅券と金貨を、僕に投げつけてこれが最後だと僕に言った。 「故郷へ帰れよ。帰って、早くぜんぶ忘れちまうことだな! 俺が次にここに来た時、まだあんたがグズグズしているようなら、その時は始末する。死体どころか、影も残らないように綺麗に消してやるよ」 ドアから出ていったSを追って、僕も路上に飛び出した。 見つけたら何をするか自分でもわからなかったけど、Sはとっくに人の中にまぎれ込んでわからなくなっていた。出てこいとか、卑怯者とか叫ぶ僕を、歩いている人が気味悪そうに見て通り過ぎていったけど、どうしても部屋には戻れなくて怒鳴りながらSを探して歩きまわった。 海育ちの僕は力だってけっこう強いし、頑丈だし殴られたくらいじゃひるまないから、普段だったらSなんかに簡単に負けるはずはないんだ。ただあの時は、ずっと閉じこもって食事もあまりしていなかったから、力が出なかったんだと思う。歩いていてもすぐに息があがってきて、ほとんど寝間着のままで飛び出したから、歯もガタガタいいだして…1ブロック先でとうとうお腹が減って動けなくなってしまったんだ。 街灯をつかんでへたりこんでいた僕に手を貸してくれたのは、肉屋のおじさんだったよ。 通りかかったおじさんは、何も言わずに僕に肩をかして近くの食堂まで連れて行くと、パンとスープ付きの定食を注文すると僕の前に黙って置いたよ。 暖かい湯気のたつスープを前にしたのは、そういえば久しぶりで、気がつくと僕はボロボロ泣きながらおじさんの勧めるスープを飲んでいた。 「くわしいことは知らないが、男はどんな時でも腹はいっぱいに出来なきゃ駄目だ」 僕はバカみたいにうなずきながら、空っぽになるまでスープを飲んだんだ。 「あんた、これからどうするんだい?」 軍のこととかもちろん知らないけれど、おじさんは君がいなくなってしまったのはもう知っているみたいだった。 みんな心配しているぞと、おじさんは言った。特に果物屋台の老夫婦がって。 君も知っている通り、駅で果物を売っている屋台のおじいさんとおばあさんたちの仕事を、ずっと僕は手伝っていたからね。 何も言わずにずっと仕事を休んでしまったことに気づいて、僕はすごく恥ずかしくなった。二人とも、もう年をとって重い荷箱を持つのは辛いから、僕は朝の市場で二人がリンゴとかオレンジをたくさん買えるよう、手伝って運ぶ約束をしていたのに。 「二人とも、またあんたが手伝いにくれば喜ぶぞ…どうする?」 僕はうつむいたまま、まだ答えられなかった。頭の中がごちゃごちゃになった感じで…自分がどうするのかが浮かばなかった。 Sを捕まえて殴って、君が無事かどうかを確かめたかったよ。 君の手をもう一度掴んで、もう一度、軍なんか関係ない場所までつれ戻すことさえ出来れば…。 それなのに言葉にしようとすると、口の中で空気のようになって消えていく。 怖いわけじゃない、ただ冷たい風みたいに言葉が逃げていくんだ。 僕はこまって…あたりをうろうろ見回した。そして、急に気づいたんだよ。
いつの間に、街はこんなに灰色になってしまったんだろう?
冬の空のせいじゃない、灰色の軍の制服を着た男達が、食堂の中にもあたりまえのようにたくさんいた。向かいのお店の壁には、灰色の軍の旗が大きく広げて飾ってあった。こんな光景、前には無かったはずなんだ。僕はこの街で育ったわけじゃないけど、それでも…。たまたま、隣の席に置いてあった新聞の記事が目に飛び込んできた。広げたって読めるわけじゃないよ? だけど写真が…写真がついていれば何の記事かはわかる。軍の記事だよ。どこも戦車や勲章や地図の記事ばかりだった。 夏の終わり頃、そんな記事は真ん中の…下の方とかにすこし載っているくらいだったのに、いつのまにかページが何枚にも増えて、今では大きな記事はみんな軍の写真がついている。 毎日誰かが必ず軍隊の話をしていたっけ。この国の軍隊だけじゃない、隣の国や、同盟国や、もっと北や南の軍の話だ。 今、どこの国も軍隊の用意をしている。 この国だって前より大きな軍隊を作って、たくさんの武器を作って買って、国境のあたりではもう何回か銃撃戦もあったって話だった。 誰かが言っていたけど、この国の軍は大きいけれどあまり強くなくて、国境とかもジリジリと押されてきそうだって。 大きくて、大砲や戦車もたくさんあって、それでも強くない軍隊は勝つ為にどうすればいいのか…思いついて、僕は手の平が冷たくなるようだった。 そうだ、彼らは君のような人を見つければいい! 君は頭がすごく良くて、殺したり、戦争を指揮したりするのがすごく上手なんだよね。僕はおぼえているよ、SとJとまだ毎日逃げ続けていた頃。どうしても追いつめられると、SとJは君を起こしてどうすればいいか聞いていたよね。身体中傷だらけで、熱があってうなされている君を無理に目覚めさせて、明日、何をすればいいか指示を聞く。彼らだってやりたくてやっているんじゃなかった、そうしないと逃げ道が見つからないから仕方なくするんだ。 途切れ途切れの息で、君がささやく作戦を聞き取って、メモをして…その通りにすると、追手を振り切れた。 頭のいい人は他にもいると思うけど、君のような頭の良さを持つ人が世の中にあと何人いるだろう? 戦争に勝ちたい国なら、君のような人はきっと喉から手がでるほど手に入れたいだろうな。 君のような人を…つまり…君を。
ムスカ、僕にも灰色の世界が見えてきたんだ。
それまで僕は、君が追われているのは君の国の軍隊からだと思っていた。ラピュタで君が死なせたたくさんの人の仇をとるために、それは仕方のないことだけど、でも…君はもうそれが間違ったことだとわかっているのだから、僕の願いは違う。君はもう誰も傷つけず、これからはきれいなものだけを見て、優しい人とだけ触れ合っていれば良いと思っていた。そうやって心を取り戻すのだって、つぐないになるはずだからと。 でもこの灰色の世界で、それは可能なことなんだろうか? 君を見つけたら、追ってくるのは君のいた軍隊ばかりじゃなかったんだろうか? 二度と殺したくない、戦争はしたくないからと言えば、彼らは君を家に帰してくれるだろうか? 違うだろう。きっと違う。君が嫌だと言えば、嫌だって言えなくなるまで、彼らはまた爪を剥いで、火で焼いて、薬を使って…。 ムスカ、もしかすると君は君だというだけで…それだけで誰かを殺さなければ身を守ることさえ出来ないのが、この世界なのかい? だったらそんな世界で、僕の願いなんて初めからかないっこない…かなうわけがない。目の前が、灰色に塗りつぶされていく感じにボウっとしていると、頭の中に切れ切れにSの声が入ってきた。
『たとえその先に何が待っていようが、あの人は承知して駒を進める…』 『…まともできれいな人達から見れば、大佐は完全な失敗作さ。だが世界はとっくに地獄なんだ…大佐は血まみれで冷血で最悪の淫売だけど、やってくる嵐を恐れたことは一度もない』
「違うっ…違うッ!」 机をたたいて僕は叫んでいた。 「大丈夫かい、おい」 心配するおじさんの声が耳に入ってきたよ。僕はうなずいて、それから初めて言葉がでてきた。 僕には、やらなければいけないことが出来たからだ。 握りつぶしてクシャクシャになった新聞を広げて、これを読めるようになりたいと、口に出して言った。 「字を読みたいっていうのかい?」 僕はもう一度うなずいた。 僕は字が読めない。故郷の村で子供の頃に教わったのは、名前の書き方くらいだった。この国の言葉は、僕の国とほとんど一緒だと前に君が言っていたけど、それでも新聞の字なんて、読めるはずないと思っていたよ。 だけど、僕は読めなきゃいけない。 今まで見たこともなかった、灰色で残酷な世界。 君が戻って行こうとしている冷たい世界…だけどムスカ、そんな世界は間違っているよ。 ムスカ、僕は君を取り戻したい! だけど、そのためには…知らなければ駄目だって気がするんだ。今まで僕が何も知らなかったことも全部! おじさんの知り合いで、街で子供たちに字を教えている教室があって、僕は頼んでそこに入れてもらえることになった。 それから毎日、朝、夜明けに市場へ行って果物を運んでから、学校で字の勉強をして、午後から夕方までは駅にいって屋台の手伝いをして、家に帰って書き取りと読み方の練習を寝るまで続けた。4か月間、ずっとそれしかしなかった。教本はもう何百回もおさらいしておぼえてしまったよ。 新聞はまだ見出ししかわからない。難しい言葉が多いから、時々、見出しが全部わかると嬉しくなる。 でも毎日、下の小説家さんから読み終わった新聞をもらって見ることにしている。記事がみんな読めるようになるのは、いつかわからないけどね。 小説家さんは僕に、字の練習なら日記や手紙を書くのもいいと教えてくれた。 頭がいい人は、やっぱり良い事を思いつくんだね! すごくいい考えだと思ったから、僕はノートを買ってきて今日、書きはじめた。 これからは毎日、君に手紙を書こうと思う。 難しい言葉や字は、下の小説家さんに聞けば教えてくれると約束してもらった。毎日書くから、これは日記かも知れないけど、君へあてた手紙でもあるんだ。 毎日、きっと手紙を書くよ。君に見せられる日がいつかわからなけど…。 毎日、君のことを考えている。また会える日が、いつになるかわからないけど、僕はあきらめないよ。 おやすみ、ムスカ。ロウソクがもうなくなって来たから、今日はここでやめる。君は今なにをしているのだろう?
追伸 そういえばSはあれから来ない。次に会った時、本当に僕を「始末」とかする気なら、と思って、肉屋のおじさんからこん棒を借りていたんだけど、来ないから返してきちゃったよ。大丈夫、近頃はちゃんとご飯も食べているから、こん棒なんかなくてもSなんか返り討ちだ。
|
|