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[113] 親愛なるムスカへ
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時44分

 
 ・長いです。どんだけ長いか、自分でも呆れるくらい長いですw
 ・再就職Ver.で、一人になった後の兄ちゃんの日記のようなものです。
 ・従って、大佐はほとんど登場しません。
 ・また兄ちゃん一人の視点が続くので、兄ちゃんのイメージとか、そもそもの世界観とか、こうではないと思われる方もきっとおられると思いますが、珍しい分岐の一つとして見てやって下さいませ。
 ・文中の一人称は僕になっていますが、これは慣れない書き言葉を使おうとしているからで、普段の話し言葉では俺になるんだろうなと思っています。
 ・階下の小説家氏が、ひそかに取材に暗躍している気配を感じますw

ーーーーーー


親愛なるムスカ

 君がとつぜんいなくなってから、4カ月になったね。
 そして僕はやっと今日から、君に手紙をかく準備ができたと思う。

 なにから書こうかな? そう、君がいなくなったあの日から半月くらい、僕はすごくカッコ悪い生活をしていたよ。
 カーテンを明けない閉め切った部屋で、朝になってもベッドから離れられなくて、一日中寝ているか、あとは座ってぼんやり壁か時計を見て過ごしていた。
 時々下の階の物書きさんが、パンとか食べ物をくれたから、お腹が空くとパンと冷えて固まったシチューとかを食べて、また何もしないで時計だけ見ていた。
 お酒もたくさん飲んだ気がするよ。酔って壁に物をぶつけたりもしたから、暖炉の側の壁を傷だらけにしてしまったんだ。

 誰かが憎らしくて眠れないなんてこと、本当にあると知ったのも初めてだった。
 あの朝。軍の迎えがきて君が出て行く時、ドアを開ける君の左右に立ちふさがるみたいにして僕を見ていたSとJの勝ち誇ったような目を思い出して、くやしくて毎晩眠れなかった。
 君はもう僕には会わせないで、彼らだけが独占すると、あの目は絶対そう言っていたんだ。
 僕がもう近寄れない世界に君を連れて行けるのが嬉しいのが、よくわかっていた。
 すごくくやしかったのに、繰り返し思い出すのが止められなくて、毎晩歯ぎしりしながら枕をたたいたりした。
 誰かを憎むのは、とても苦しいことだね。ムスカ。
 胸の中に重たいドロドロの塊が出来て、息をするのも苦しいのに、忘れることは出来ないんだ。
 思い出すのは君のこと、あの朝のこと、それからまた暗い気持ちがこみ上げてきて、お酒を飲んで何かにあたって…そんな風に過ごして何日くらい経っただろう。Sが訪ねてきたんだよ。
 前触れもなく部屋に入ってきたSは、僕を見て笑った。
「へーえ、やっぱこんな感じなんだ」
 新しい軍服を着ていたSは、冷たいイヤな笑顔で肩をすくめて、
「は、お決まり過ぎて笑うしかないね」
 Sを見た瞬間、僕は何か怒鳴りながらつかみかかったと思うんだけど、軽く投げ飛ばされてしまって、気がついたら床の上に這いつくばっていた。
 故郷に帰れと、頭の上でSの声が聞こえた。
「それだけ言いにきたんだよ。あんたに! こんな所でグズグズして、つまらないマネでもされたら大佐のいい迷惑なんだよな? 大佐にはあんたがとっくに故郷に帰って、幸せにやっているって伝えて置くからさ」
「ムスカを返せ!」
「お門違いだね。大佐は俺達がかどわかしたんじゃない、自分の意志でこの道を選んだんだ! あんた、わからないんだろう? どういうことだか? 教えておくけど、つまりは役不足ってこと。ここでベソをかいて待っていても、大佐は戻って来やしない。いいか、戻って来ないんだよ!」
「ムスカを返せ! 返せ! 返せ!! 返せ返せ返せ返せ返せ返せッッ」
 僕がわめくとSの軍靴がふってきた。
「まったく…あんたみたいな甘ちゃんに、なんで大佐が情をかけたのか…」
「ムスカは…どうしてるッ…」
「大佐は元気だよ。嘘なんか言っていない…たとえ、その先に何が待っていようと、あの人は承知で駒を進めるんだ。部屋に閉じこもって泣き言を言っているあんたじゃ、お話にならないんだよ。だから…」
 その先の言葉はよく聞かなかったから覚えていない。僕は暴れて…わめいて…Sに蹴り飛ばされて、またつかみかかって。Sは机の上に放り出してあった旅券と金貨を、僕に投げつけてこれが最後だと僕に言った。
「故郷へ帰れよ。帰って、早くぜんぶ忘れちまうことだな! 俺が次にここに来た時、まだあんたがグズグズしているようなら、その時は始末する。死体どころか、影も残らないように綺麗に消してやるよ」
 ドアから出ていったSを追って、僕も路上に飛び出した。
 見つけたら何をするか自分でもわからなかったけど、Sはとっくに人の中にまぎれ込んでわからなくなっていた。出てこいとか、卑怯者とか叫ぶ僕を、歩いている人が気味悪そうに見て通り過ぎていったけど、どうしても部屋には戻れなくて怒鳴りながらSを探して歩きまわった。
 海育ちの僕は力だってけっこう強いし、頑丈だし殴られたくらいじゃひるまないから、普段だったらSなんかに簡単に負けるはずはないんだ。ただあの時は、ずっと閉じこもって食事もあまりしていなかったから、力が出なかったんだと思う。歩いていてもすぐに息があがってきて、ほとんど寝間着のままで飛び出したから、歯もガタガタいいだして…1ブロック先でとうとうお腹が減って動けなくなってしまったんだ。
 街灯をつかんでへたりこんでいた僕に手を貸してくれたのは、肉屋のおじさんだったよ。
 通りかかったおじさんは、何も言わずに僕に肩をかして近くの食堂まで連れて行くと、パンとスープ付きの定食を注文すると僕の前に黙って置いたよ。
 暖かい湯気のたつスープを前にしたのは、そういえば久しぶりで、気がつくと僕はボロボロ泣きながらおじさんの勧めるスープを飲んでいた。
「くわしいことは知らないが、男はどんな時でも腹はいっぱいに出来なきゃ駄目だ」 
 僕はバカみたいにうなずきながら、空っぽになるまでスープを飲んだんだ。
「あんた、これからどうするんだい?」
 軍のこととかもちろん知らないけれど、おじさんは君がいなくなってしまったのはもう知っているみたいだった。
 みんな心配しているぞと、おじさんは言った。特に果物屋台の老夫婦がって。
 君も知っている通り、駅で果物を売っている屋台のおじいさんとおばあさんたちの仕事を、ずっと僕は手伝っていたからね。
 何も言わずにずっと仕事を休んでしまったことに気づいて、僕はすごく恥ずかしくなった。二人とも、もう年をとって重い荷箱を持つのは辛いから、僕は朝の市場で二人がリンゴとかオレンジをたくさん買えるよう、手伝って運ぶ約束をしていたのに。
「二人とも、またあんたが手伝いにくれば喜ぶぞ…どうする?」
 僕はうつむいたまま、まだ答えられなかった。頭の中がごちゃごちゃになった感じで…自分がどうするのかが浮かばなかった。
 Sを捕まえて殴って、君が無事かどうかを確かめたかったよ。
 君の手をもう一度掴んで、もう一度、軍なんか関係ない場所までつれ戻すことさえ出来れば…。
 それなのに言葉にしようとすると、口の中で空気のようになって消えていく。
 怖いわけじゃない、ただ冷たい風みたいに言葉が逃げていくんだ。
 僕はこまって…あたりをうろうろ見回した。そして、急に気づいたんだよ。

 いつの間に、街はこんなに灰色になってしまったんだろう?

 冬の空のせいじゃない、灰色の軍の制服を着た男達が、食堂の中にもあたりまえのようにたくさんいた。向かいのお店の壁には、灰色の軍の旗が大きく広げて飾ってあった。こんな光景、前には無かったはずなんだ。僕はこの街で育ったわけじゃないけど、それでも…。たまたま、隣の席に置いてあった新聞の記事が目に飛び込んできた。広げたって読めるわけじゃないよ? だけど写真が…写真がついていれば何の記事かはわかる。軍の記事だよ。どこも戦車や勲章や地図の記事ばかりだった。
 夏の終わり頃、そんな記事は真ん中の…下の方とかにすこし載っているくらいだったのに、いつのまにかページが何枚にも増えて、今では大きな記事はみんな軍の写真がついている。
 毎日誰かが必ず軍隊の話をしていたっけ。この国の軍隊だけじゃない、隣の国や、同盟国や、もっと北や南の軍の話だ。
 今、どこの国も軍隊の用意をしている。
 この国だって前より大きな軍隊を作って、たくさんの武器を作って買って、国境のあたりではもう何回か銃撃戦もあったって話だった。
 誰かが言っていたけど、この国の軍は大きいけれどあまり強くなくて、国境とかもジリジリと押されてきそうだって。
 大きくて、大砲や戦車もたくさんあって、それでも強くない軍隊は勝つ為にどうすればいいのか…思いついて、僕は手の平が冷たくなるようだった。
 そうだ、彼らは君のような人を見つければいい!
 君は頭がすごく良くて、殺したり、戦争を指揮したりするのがすごく上手なんだよね。僕はおぼえているよ、SとJとまだ毎日逃げ続けていた頃。どうしても追いつめられると、SとJは君を起こしてどうすればいいか聞いていたよね。身体中傷だらけで、熱があってうなされている君を無理に目覚めさせて、明日、何をすればいいか指示を聞く。彼らだってやりたくてやっているんじゃなかった、そうしないと逃げ道が見つからないから仕方なくするんだ。
 途切れ途切れの息で、君がささやく作戦を聞き取って、メモをして…その通りにすると、追手を振り切れた。
 頭のいい人は他にもいると思うけど、君のような頭の良さを持つ人が世の中にあと何人いるだろう? 
 戦争に勝ちたい国なら、君のような人はきっと喉から手がでるほど手に入れたいだろうな。
 君のような人を…つまり…君を。

 ムスカ、僕にも灰色の世界が見えてきたんだ。

 それまで僕は、君が追われているのは君の国の軍隊からだと思っていた。ラピュタで君が死なせたたくさんの人の仇をとるために、それは仕方のないことだけど、でも…君はもうそれが間違ったことだとわかっているのだから、僕の願いは違う。君はもう誰も傷つけず、これからはきれいなものだけを見て、優しい人とだけ触れ合っていれば良いと思っていた。そうやって心を取り戻すのだって、つぐないになるはずだからと。
 でもこの灰色の世界で、それは可能なことなんだろうか?
 君を見つけたら、追ってくるのは君のいた軍隊ばかりじゃなかったんだろうか? 二度と殺したくない、戦争はしたくないからと言えば、彼らは君を家に帰してくれるだろうか?
 違うだろう。きっと違う。君が嫌だと言えば、嫌だって言えなくなるまで、彼らはまた爪を剥いで、火で焼いて、薬を使って…。
 ムスカ、もしかすると君は君だというだけで…それだけで誰かを殺さなければ身を守ることさえ出来ないのが、この世界なのかい?
 だったらそんな世界で、僕の願いなんて初めからかないっこない…かなうわけがない。目の前が、灰色に塗りつぶされていく感じにボウっとしていると、頭の中に切れ切れにSの声が入ってきた。

 『たとえその先に何が待っていようが、あの人は承知して駒を進める…』
 『…まともできれいな人達から見れば、大佐は完全な失敗作さ。だが世界はとっくに地獄なんだ…大佐は血まみれで冷血で最悪の淫売だけど、やってくる嵐を恐れたことは一度もない』

「違うっ…違うッ!」
 机をたたいて僕は叫んでいた。
「大丈夫かい、おい」
 心配するおじさんの声が耳に入ってきたよ。僕はうなずいて、それから初めて言葉がでてきた。
 僕には、やらなければいけないことが出来たからだ。
 握りつぶしてクシャクシャになった新聞を広げて、これを読めるようになりたいと、口に出して言った。
「字を読みたいっていうのかい?」
 僕はもう一度うなずいた。
 僕は字が読めない。故郷の村で子供の頃に教わったのは、名前の書き方くらいだった。この国の言葉は、僕の国とほとんど一緒だと前に君が言っていたけど、それでも新聞の字なんて、読めるはずないと思っていたよ。
 だけど、僕は読めなきゃいけない。
 今まで見たこともなかった、灰色で残酷な世界。
 君が戻って行こうとしている冷たい世界…だけどムスカ、そんな世界は間違っているよ。
 ムスカ、僕は君を取り戻したい!
 だけど、そのためには…知らなければ駄目だって気がするんだ。今まで僕が何も知らなかったことも全部!
 おじさんの知り合いで、街で子供たちに字を教えている教室があって、僕は頼んでそこに入れてもらえることになった。
 それから毎日、朝、夜明けに市場へ行って果物を運んでから、学校で字の勉強をして、午後から夕方までは駅にいって屋台の手伝いをして、家に帰って書き取りと読み方の練習を寝るまで続けた。4か月間、ずっとそれしかしなかった。教本はもう何百回もおさらいしておぼえてしまったよ。
 新聞はまだ見出ししかわからない。難しい言葉が多いから、時々、見出しが全部わかると嬉しくなる。
 でも毎日、下の小説家さんから読み終わった新聞をもらって見ることにしている。記事がみんな読めるようになるのは、いつかわからないけどね。
 小説家さんは僕に、字の練習なら日記や手紙を書くのもいいと教えてくれた。
 頭がいい人は、やっぱり良い事を思いつくんだね! すごくいい考えだと思ったから、僕はノートを買ってきて今日、書きはじめた。
 これからは毎日、君に手紙を書こうと思う。
 難しい言葉や字は、下の小説家さんに聞けば教えてくれると約束してもらった。毎日書くから、これは日記かも知れないけど、君へあてた手紙でもあるんだ。
 毎日、きっと手紙を書くよ。君に見せられる日がいつかわからなけど…。
 毎日、君のことを考えている。また会える日が、いつになるかわからないけど、僕はあきらめないよ。
 おやすみ、ムスカ。ロウソクがもうなくなって来たから、今日はここでやめる。君は今なにをしているのだろう? 

追伸
 そういえばSはあれから来ない。次に会った時、本当に僕を「始末」とかする気なら、と思って、肉屋のおじさんからこん棒を借りていたんだけど、来ないから返してきちゃったよ。大丈夫、近頃はちゃんとご飯も食べているから、こん棒なんかなくてもSなんか返り討ちだ。

[114]
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時45分





親愛なるムスカ

 今日は聖夜だね。
 君はどこで何をしているのかな?
 今日はなんていうか不思議な感じのする日だったんだよ。

 ここ数日、僕は気持ちがとてもふさいでしようがなかった。
 街がにぎやかになって、みんなが聖夜の準備をしていた。大切な家族と過ごす夜だよ。僕は今年は…。
 アパートにワインが一本あるんだ、ムスカ。お酒ばかり飲んでいた時にも開けなかった。
 故郷に帰る荷物に入れて、故郷で君と一緒に開けようと思っていたんだ…それまで隠しておかなきゃいけないから、君に見つからないように何度も場所を変えて隠したりしていた。
 故郷に帰ったら、あれもしようこれもしようと考えていたことを思い出すよ。まず住むところを見つけなきゃいけない。同じ村に戻るのはさすがに難しいけど、同じ海岸線の少し離れた街はどうだろう? 海にだって近いし、大学があるって聞いたから君が好きな本もきっとたくさんあるに違いない。故郷はここよりずっと南だから、春もはやく来る。君の身体が痛むようなこともきっと少ないだろう。そして春になったら…って、笑わないでくれよムスカ、僕はさ来年の春のことまで考えていたんだよ。
 いろいろな計画をたてて、荷造りをしていたっけ…そして、その同じ荷物を一人でほどくことになった時、僕は情けないけど一度泣いたよ。そして数日後、ふと気がついた。
 あれもこれも、いろいろなことを楽しみにしながらトランクを荷造りしてたけれど、その間中、君がどんな様子だったか少しも思い出せないんだよ、ムスカ。セーターを入れた時も、ワインの隠し場所を探していた時も、君はすぐ近くにいた筈なのに思い出せない。
 つまり、僕は君のことを何も見てはいなかったんだ。ムスカ。
 すぐ側にいたのに、どんな表情をしていたのか思い出せない。故郷に帰れる嬉しさに夢中になって、君を振り返った記憶がぜんぜんない。
 あの時、僕はすっかり君と一緒に故郷に戻るつもりでいたけれど、君はそうじゃないと初めから知っていた。別れ別れになると知っていて、荷造りを見ていた君の気持ちはどんなだったのだろう。
 もう一度、涙があふれて今度は止まらなかった。
 これは後悔の涙だよ。
 ごめん、本当にごめん、ムスカ。
 僕はなぜ一度も君を振り返らなかったんだろう! 故郷に帰れると聞いただけで舞いあがっていて、君のことさえ…ぜんぜんちゃんと見ていなかったんだ。
 たずねたら君はたぶんウソをついたと思う。だけど、もし僕が本当にしっかり君を見てたら、君の目の中に何か…見えていたに違いないんだ。どんな様子でいたんだろう、君は。その時の気持ちを思うと僕はたまらなくなる。帰ったらこうしようとか、ああしようとか、浮かれてしゃべる僕の背中を、君はたぶんずっと見ていたんだね。その時、たった一度、一度だけでも僕がちゃんと振り返っていたら! そうしたら、何もかも違っていたのかも知れない…!!
 涙がとめられなくて、僕はしばらく泣いて過ごした。
 君に会いたい。どうしても今すぐ会いたくて、おかしくなりそうだった。
 会いたかった。会いたかったよ。ムスカ。もし今すぐ一度でも会うことができれば、引き換えに命をなくしたっていいと本気で祈ったりした。神様にはきっと叱られそうな願いだけど、その時は真剣だったんだよ。
 ふさぎ込んでいた僕を、たぶん心配してくれたんだと思う。
 下の小説家さんが、僕を聖夜の教会に誘いに来てくれた。果物屋台のおばあさんは若い頃に歌を習っていたことがあって、髪なんかもう真っ白だけど、歌うと今でも天使のようなきれいな声で歌えるんだ。だから合唱隊の花形で、聞きにおいでと前から誘われていたりした。
 ただ僕はそんな訳で落ち込んでいたから…小説家さんが呼びに来てくれなければ、きっと家で一人で過ごしていたかも知れない。
 小説家さんはかなり強引で、僕に無理矢理コートを着せると横町の教会まで引っ張るような勢いだったんだ。もしかして一人で行くのがイヤだったのかな? よくわからないけど…でも、呼んでくれてたぶん良かったんだよ。
 教会の椅子に座って、澄んだ歌声を聞いている内に、ざらざらだった心が少しずつなおっていくように感じられた。
 そうだ、ムスカ。僕はまだあきらめたりはしない。
 神様に感謝できることも、まだたくさん…たくさんあることも思い出せた。
 だから、最後の合唱の時には僕も立ち上がってみんなと一緒に歌って、心から君のために祈ることが出来たよ。
 にぎやかな「新年おめでとう!」の挨拶を交わすのも、もう辛くもなんともなかった。
 そして人波に押し合いながら、教会を出る時。
 横町の角のところに、一台の車が停まっているのを見たんだよ。
 あまり見たことのない黒い大きな立派な車で、紋章って言うのかな…前のところに銀で飾りまでついていた。どうして、あんなところにいたのかな? 普段、もっと大きな通りでも滅多に見かけることがないようなすごく立派な車だった。合唱を聞きにきていたのかも知れないけど、誰も中に来ないで外に停まっているだけだから、それも違うよね。
 目にしたとたん不思議なことだけど、僕はその車からなぜか目が離せなかった。
 人波の中に突っ立って邪魔になっているのはわかっても、どうしても足が動かなくて、車が動き出していなくなるまでそこに立ち尽くしていたよ。
 そんな筈はないんだけど、車の中には…君がいたように感じたんだと思う。
 車の窓には青い布のカーテンが下がっていて、誰か乗っていたかどうかもわからない。それなのに僕はどうしてそんなことを思ったのだろう? 君を連れて行った灰色の軍の車が、頭のどこかに残っていたのかな。
 とにかく車はすぐに動きだして、いってしまった。
 僕は魔法がさめたように身震いして、みんなと家路についたんだ。
 うまく言えないけれど…とにかく、すごく不思議な感じの出来事だった。
 こうして書いていると、ますますあれは何かの夢だったようにしか思えないけれど、心がまだ暖かいよ。ムスカ。
 本当じゃないかも知れないけれど、神様が一瞬だけ君をそばに来させてくれたと思うことに決めた。今日は聖夜だから。すべての人が奇跡を望んでもいい夜だから。
 ムスカ、おやすみ。今日、僕は天なる人に君のことを祈った。
 君を今、かこむ世界が、少しでも君に優しいように。
 君にいつか会える日にむかって、僕は手を伸ばすことをやめないよ。

[115]
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時47分




ムスカへ

 昨日はたいへんな一日だったよ!
 とにかくすごくてたいへんな一日で、今日になってこの手紙を書いていても思い出すのはすごくたいへんなことだらけだった。

 どこから話せば良いのだろう? 昨日、僕はいつもの通り市場に行って、学校に行って、それからまた駅に行って…果物屋台の老夫婦は、昨日はちょうど娘さんが遠い街から家族で会いにくる日だったから、午後からは僕一人で店番をすることになっていて…思えば、それはとても運の良いことだったんだよ。ムスカ。
 昼、1時の鐘が鳴ったとたん、駅のあちこちで爆発が起きたんだ。
 一番最初は南の線路から入ってきた軍用列車のブレーキが突然効かなくなって、停まらないままホームの端に積んであった木箱の山に突っ込んでいった。その箱は爆弾か火薬が隠してあったらしくて、ぶつかった機関車と一緒に信じられないような大きな火をふきあげて爆発したんだ。
 南の線路は、軍用列車の専用なんだ。
 今朝になってから、いくつもの新聞を見た。拾い読みじゃなくて、辞書をひきながらぜんぶの記事を見たから、すごく時間がかかっちゃったよ。どの記事でも、軍の列車を目標にした爆発だと言っているみたいだった。他の国か…この国の中で軍に敵対しているグループかはわかっていないみたいだけどね。
 彼らは、その他にもまだ駅のいくつかの場所に別の爆弾を仕掛けてあったらしい。
 最初の爆発に続いて、離れた場所からも大きな爆発音がまた何度も聞こえてきた。
 ムスカ、僕はあんな光景は今でも信じられないよ!
 さっきまで到着の案内や、僕が果物を売る声とかがのんびり流れていただけの駅の中が、悲鳴や怪我をした人の声でいっぱいに変わった。
 爆風と熱で機関車の手すりがアメのようにねじれて、倒れた人の周りに散らばっているのを見たよ。
 きっと戦場っていうのは、こんな感じなんだろう。でもそれよりきっと、もっとひどい。
 乳母車をかばって泣きじゃくっている若い母親の声や、助けを呼ぶ人の声や…たった今まで側にいた友人や家族を探して呼び合う悲鳴のような叫び声…いま思い出しても手が冷たくなって震えてくるよ。
 爆発が続いている間は、誰も今いる場所から動けなかったけれど、最後の爆音が終わってしばらくすると、今度はみんな逃げ出そうと我先に出口に向かって走りだした。
 僕がいた中央ゲートは一番大きな出口だけど、重い樫の扉が折りたたみ式になっていて、いっぱいに開いてもまだ左右に扉が立ちふさがる。逃げてきた人たちが、ここで押し合ったり転んだりしたらきっと大変なことになってしまう…怖くなった僕は、壊れた鉄柵をひろって扉を壊そうとしたんだよ。
 頑丈な樫の扉は叩いたくらいじゃ、もちろんビクともしないから、扉の蝶番のところを狙って鉄の棒を叩きつけたんだけど、なかなかうまくいかないんだ。息をきらせて必死でガンガン叩いていたら、後ろから誰かに膝を蹴り飛ばされたんで、驚いて振り返るとナイフみたいに目の鋭い、顔に大きな傷のある老人が小型の斧を持っていて、僕に無言でアゴをしゃくった。
 そして、自分も別の斧を掴むと、反対の扉の蝶番を数回叩いて、きれいに扉をゲートから外してしまった。
 あわてて僕も老人のしたように斧を使って、なんとか扉をどけてしまうことが出来た。扉がなくなって、開けっ放しになったゲートをみんなが出て行けるようになってホッとしていたら、また後ろから膝を蹴られた。
「おい貴様、モタモタせずに儂の手斧を返さんか」
 急いで僕が斧を差し出すと、ちょうどその時、駅の外から何台かのトラックがきて女の人やケガをした人たちを荷台に乗せはじめた。
 それでやっと思い出したけど、この老人は車両部の親方だったんだよ。
 駅の裏手にある車庫で、貨車や機関車の点検とかしている車両部でみんなに『親方』と呼ばれている人だった。
 『親方』は騒ぎが始まってすぐにガレージからあるだけのトラックを出して、ケガ人を運ぶ手助けに、車両部の人達を指揮して中央ゲートまで運転してきたらしい。彼らは瞬く間にケガ人を乗せてくれて、安全な場所へ向けて次々とハンドルをきって駅舎を出ていったよ。
 そして最後になったトラックを見ていると、また親方の怒鳴り声が響いてきたんだ。
「ウスノロ、なんで貴様もさっさと来んか!」
 乗ります! 乗る!と叫んで僕が走り出そうとした時、背後から別の叫び声がした。
「待て! 俺達も乗せろ、ケガ人がいるんだ!」
 振り向くと軍の制服を来た兵隊たちが、支え合いながら何人もこっちへたどり着こうとしていた。
 みんなケガをして、たくさん血を流していた。
 南のホームは軍事列車の専用で、灰色の軍服の兵隊たちが出発や、逆に戻ってくる列車を待っているところだったから、一番近くで爆発にあったのもその人たちで、大きな傷や一人で歩けない程のケガをした人も多かったみたいだ。
「命令だ、おい、そこのトラック!」
 仲間を背負った隊長らしい人が、大声で叫んでいる。
 だけど親方は聞かないで車を出そうとしていた。
「バカヤロー、聞こえないのか、くそじじい!」
「儂のトラックに誰を乗せるか儂の勝手だ」
「じじい、軍をなめてるのかッ!」
「ふん、たいそうな訓練を受けて給料までもらっているくせに、駅も守りきれんような兵隊を乗せる義理なぞ無いわ!」
 言い捨てると、親方はさっさとハンドルを切ろうとした。
「待て! おい待ってくれっ、ケガ人がいるんだ!!」
「兵隊は死ぬのも給料のうちだ」
 エンジンの音が高くなり、隊長がまた何か怒鳴っていたけどもう聞き取れなかった。
 僕はもう夢中でトラックのドアに飛びつき、体当たりしながら親方の運転をとめさせようと大声で叫んでいた。
 片足を無くして、目を閉じて背負われている若い兵隊の顔が君に見えたんだ。ムスカ。
 乗せてくれ!! 乗せてくれなきゃ、ここから離れないぞ!と、何度も叫んで繰り返した気がする。後で言われたけど、その時僕は何か物凄い顔をしていたらしい。
「離さんか! うるさい奴だなッ、血だらけの兵隊を乗せたら荷台が汚れるだろうが!」
「あとで洗うよ! 後でぜんぶきれいに洗うからっ!」
 チッと舌打ちすると親方は、ケガ人だけ乗せろといって、一瞬だけハンドルから手を離してくれた。
「10秒待ってやる、それきりだぞ!」
 僕はうなずいて、トラックにぶらさがったままで後ろの隊長たちに向かって叫んだんだ。
「みんな乗れ! みんなッ…早くっっ!」
 運転席の親方が何か怒鳴ったけど、僕はぶらさがったまま離れなかったし、ケガ人をかついで走ってきた兵隊たちが全員、なんとか荷台に乗り込んでからトラックは走りだしたんだ。

 それから、2ブロック離れた市街で、僕らは親方のトラックから放り出された。親方は僕の頭に落ちていた靴を投げつけて、とっとと失せろと言ったよ。
 僕はそこから歩いてアパートにもどって、心配してくれた近所の人とかに無事を知らせてから、ベッドに倒れて死んだように寝ちゃったんだ。だって、何しろたいへんな一日だったからね。

追伸
 そういえば、翌日、朝の市場と学校が終わってから約束通り操車場の親方のところへ荷台を洗いに行ったら、親方にヘンな顔をされたよ。
「…貴様、本当に来たのか」
 昨日の隊長さんも、やっぱりあらためてお礼を言うために来ていたらしいんだけど、彼も僕を見てヘンな顔をした。
「まさかと思うが、洗いに来たのか!?」
 何がおかしいのかよくわからないよ、ムスカ。洗うと言った以上は洗うに決まっているよね?
 ともかく僕はデッキブラシで昨日乗せてもらったトラックの荷台を、きっちり洗って帰ったんだ。いや…本当を言うと、僕が乗った以外のトラックの荷台も洗わせられた。そんな一人前のでかい身体でふらふらヒマにしているなら、これからも掃除に来いと言われたからちょっと困ってしまったよ。

[116]
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時48分





親愛なるムスカ

 駅の事件から、そろそろ2週間たつ。
 壊されたホームや駅の構内の建物も、やっと元どおりに戻ってきたよ。
 と言っても、西側ホームの浮き彫り入り大理石の壁は割れてしまってヒビが入ったままだし、あと…中央ゲートの樫の扉なんだど、僕が外した方がきれいになおってくれないで、くさびみたいに裂けたところをあちこち鉄板で不格好にとめてあるのを見ると、時々すごい申し訳ない気持ちになる。
 僕はといえば、あれからほとんど毎日、操車場の親方のところに手伝いに行っている。手伝いっていうか…掃除や下働きとかばかりなんだけど。
 駅がなおってくれなければ、果物屋台はあがったりのままだし、車両部の工員はみんな修理や線路の補修にかかりきりだから、掃除や使い走りを誰かが手助けしないといけないわけだし…そんなわけで、僕も朝から晩まで親方の言う通りに鉄材を担いだり、昼ご飯を炊き出したりして働く毎日だったんだ。親方はなかなか気難しくて、最初はたいへんだったよ!
 例の隊長さんと、兵隊の人たちもなぜか一緒に手伝いに来ていた。
 話では、なんでも親方は昔、軍で隊長さんの先輩だった人の知り合いだったとかで、「手があるなら手伝いに来い」と、これまた親方に命令されたらしい。
 彼らも駅がなおるまで、行く先に出立することが出来ないから、ぼやきながらもあれこれ走り回っていたな。
 隊長はわりと気さくな話し好きの人みたいで、僕にもお酒はいけるかとか、恋人はいるかとか、けっこういろいろ聞かれたけど、答えにくい話題も多くてドキマギしたっけ。
「お前、恋人にするなら青い目と茶色の目とどっちが好みだ?」
 って言われたけど、僕には金色の目をした同性の恋人がいるからなんて、どう言えばいいか悩んでいる間に隊長はどんどん別の話にうつってしまう。まあ、いいんだけどね。
 あの日、ケガをしていた若い兵隊も命をとりとめたという話を聞いてホッとしたんだ。
 爆発で片足を膝から無くしてしまったから、もう軍は除隊になって故郷に帰るしかないと言うことだったけど、それがいいよと僕は心から言ったんだ。
 故郷には彼のお母さんがいて、彼に会いたがっているという話だったしね。
 鉄材を運びながら、そんな話をしていたら、驚いた事に隊長は僕に軍に入らないかと誘ってきたんだ。
 僕が外国人で南から来ていることは、肌の色とか話し方とかでもう知っていたけれど、いま軍は兵士をどんどん増やしている最中だし、身元を保証してくれるツテさえあれば入隊できると隊長さんは熱心に勧めてくれた。
「軍はお前みたいに頑丈で弱音を吐かない男なら、きっと出世もできるところだって! 男なら、果物屋台で終わるのはつまらないとか思わないか?」
 正直に言って、そう聞いた時、僕は心が真っ白になるくらい惹きつけられたよ。
 軍に入れば、ムスカ! 君の近くに行けるかも知れない!
 でも同じくらい、何かが僕の返事をふさいでいた。
 僕はたしかに頑丈だし、男だから弱音なんか言いたくないけれど、それでも僕に銃を撃つことが出来るだろうか? 人に銃を向けて、撃ち殺すことが?
 そうつぶやくと、隊長さんは少し困った顔で頭をかいた。
「あんたは強いし、度胸だってあるんだ。きっと大丈夫さ」
 僕は…ムスカ、僕もそう思ったんだよ。
 誰にだって出来るんだろう、兵士になれば僕にだってきっとやれる。迷うのはきっと最初の一回だけだ、その後は慣れて…平気になる。
 もし軍に入れば、君とまた会えるチャンスはきっともっと大きくなるだろう。もちろん軍と言ったって、君がいるような場所に近づける機会がそうあるわけじゃないのはわかっているけど、それでも今よりずっとずっと近いんだ。
 たくさん銃を撃てば、いつか君の近くに行けるかも知れない。
 JやSのように、君と同じ世界にいられるようになるんだ。
 だけど、そうしてもう一度君の前に僕が立った時、僕の手が血だらけだったら、君はそれをどう感じる…? 君の目は輝くのだろうか、いやそうじゃない、きっと…。

 黙り込んでしまった僕に、隊長さんは「急いで決めなくてもいいんだ」と言った。気持ちがかたまったら、いつでも声をかけてくれと言ってから、話題を変えて親方の若い頃の武勇伝を話しはじめた。
 おもしろそうな話だったから、僕も聞かせて欲しいと先をうながしたよ。
 車両部の親方は、実は昔、軍にいて…名高い将軍の運転手を勤めていた人だったんだそうだよ。
 運手者といっても親方はすごく特別で、将軍が軍を退いた時、軍のいろいろなところが親方を勧誘しようとやっきになったらしい。
「なにしろ戦車からオーソニプターまで自在に動かせてしまうんだから、誰にも真似は出来ないってわけさ」
 しかも勇敢で、将軍の信頼も誰よりあつかったから、いろいろな部隊が親方の腕を欲しがったけれど、親方はすっぱりと軍をやめてしまって、二度と誰の運転もしなかったそうだ。
 親方に言わせれば、いまの軍隊は腰抜けで話にもならないっていうところらしい。
 隊長さんはそう言ってからから笑ったけど、僕はそこでなぜか胸がドキドキしてとまらなくなっていた。

 何か素早く飛び去るものが、目の前に現れたような感じだったよ。
 ムスカ…もしかして、僕でもそうなれないだろうか!?

 砲弾が飛び交うどんな戦場でも、親方は将軍の一番間近な盾として立っていたんだ。
 自分の動かす機械のことなら何もかもわかっていたから、たとえ暗殺者とかが将軍の車に爆弾をしかけようとしても、苦もなく見破られてしまったという話も聞いたよ。嵐天の中ただ一人、伝令の代わりにオーソニプターで飛び立って行った話とかも…。
 決して裏切らない、勇敢な操縦者は歴戦の兵士と同じくらい必要だと、隊長は繰り返し言ったっけ。
 どんな遠い場所でも、危険な場所でも、君を守れる操縦者がいればどんなにいいだろうと僕は思ったよ!
 そして、それが僕自身だったらいいと思った。
 車と、列車と、空を飛べるオーソニプター。
 この世界にあるあらゆる乗り物を自由に動かせるようになったら、ムスカ、僕は銃より多くのことを君にしてあげられるようになるだろう。
 いつかまた君がどこか遠くて危険な所に行ってしまって、取り残されてしまった時にだって、かならず僕が迎えに行って、君を安全なところまで連れ戻す!
 身の程知らずな望みなのはわかっているよ。
 オンボロの漁船しか扱ったことのない僕が、難しい飛行機械なんてどうやっても無理だと笑われてもいい、それでも僕はこの夢が忘れられなくなった。
 車と、列車と、空を飛べるオーソニプター。そうだ、あと戦車もあったね。
「車と、列車と、オーソニプター…」
「はあ? おい、何を言っているんだ?」
 気がつくと、口に出してしゃべっていたらしい、隊長さんが心配して聞き返していたんだ。
 僕は彼に、ぼんやりしていたことをあやまってから、やはり軍には入らない、僕はこれからなんとしても親方の弟子にしてもらうつもりだと伝えたよ。
 理由は、僕は言わなかったけれど、ただ…今は会えないけど、一緒にこの国へ来た恋人がいるとだけ打ち明けた。
 事情があって、今は別の場所で生きるしかないけれど、恋人は僕がたどり着くのを待っているから…と言うと、そういう訳なら仕方ないと、隊長もわかってくれたようだった。
 そうだよ。その時はじめて、僕もそれが本当なのが胸の奥までわかったんだよ。
 僕の恋人は、僕がたどり着くのをきっと今も待っている。

[117]
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時49分





親しきムスカ殿へ

 上の書き方は、これでいいんだよね?
 アパートの小説家さんが教えてくれたんだけど、100年くらい昔には恋人への手紙はこういう宛名を書いたものなんだってさ。

 操車場の親方への頼み事は、毎日僕が親方に蹴りだされて終わっているけれど、だけどそんなことより昨日の晩、居酒屋で夜ご飯を食べていた時、隣のテーブルをかこんでいた人たちの話が耳に飛び込んできたんだ。
 仕事仲間らしい彼らは、どこかの大きな印刷工場で働いている人たちで、明日の朝刊のために、これから徹夜だと言いながらにぎやかに食事をとっていた。
 明日の朝刊は数をうんと増して刷るんだって、彼らは言っていた。
「景気がいいな、あんたら」
「そりゃそうだよ、大増刷して駅でも配らにゃならないしな!」
 なにがそんなに大ニュースなのかと、居酒屋の親父さんが聞くと、駅の事件のテロリストの一味が捕まったんだと大声で答えが返ってた。
 首謀者も仲間も一網打尽だと、彼らは言った。
 店中がワッと沸き立つような声でつつまれたよ。
 あの事件でケガをした人の身内はこの店のお客にも多かったし、何よりあんな恐ろしい事件を起こした犯人たちが、次は何を狙っているのか、心配しなくてよくなると知ってみんな喜んだんだ。
「本当なんだろうな!? 俺は娘とかみさんに事件以来ずっと駅には近づくなと言ってあるんだ」
「そいつはもう大丈夫だ! 一人残らず捕まって檻の中だ」
「人でなし共め、さっさと縛り首になるがいいさ」
「女房が、列車も危ないからと言って泣くもんで、行商へも行けずに商売あがったりだったんだ。やれやれ、これで助かったぜ!」
 あちこちで手を叩いたり、歓声をあげたりする人たちがいて、おまけに店のおやじさんがワインをひと樽出してきて、オゴリだと言ったもんだから、その後はもうすごく盛り上がったよ。
 くわしい話を、誰もが聞きたがった。
 オゴリのワインの効き目もあって、彼らはどんどんしゃべってくれたけど、結局あの場にいた人たちも、翌朝の新聞はぜんぶ買ったんじゃないかな? 持って帰って、家族に見せなきゃならないしね。
 駅の事件は、警察や軍や新聞社とかが競争して追いかけていたものだけど、お手柄は軍警察だったと彼らは教えてくれた。
「軍警察ー!? 奴ら、銃はでかいが頭の中身はポンコツしか詰まっちゃいない手合いじゃないか?」
「おまけに重たい腰をあげてから、まだ1週間しか経っていないぞ!?」
「だからさ、これからは、そうも言えないってことだろうなあ! 何しろ、あんた。犯人は国際手配の凄腕のテロリスト一味だったのを、たった1週間で電光石火さ!」
「Jーー国の内戦でさんざん人を死なせてきた一味だったんだと。去年のKーー市の夏祭りの時の大火も、こいつらの仕業だったそうだ」
「ああ、あれは非道かった!」
 とても冷酷でずる賢い奴らで、今までどの国でも捕まえられなかったそうだけど、
「今度はそうは行かなかったわけさ! とにかく、逃げても翌日には手配が廻っている。次のアジトに集まる連絡をとる隙もなく追い立てられるもんだから、当然、乱れが出るわけだ。だいたい、どんな暗号を送っても、まるで絵本を読むようにスラスラ解読されてしまって、どうしようもなかったと自供で言っているらしいぞ」
 うわ!
 その時、僕はあわてて両手で口をふさいだ。叫び出さないようにするのが、やっとだったよ。
 ムスカ、君だ…君がいるね!?
 『子供が絵本を読むみたいに暗号を解いてしまう男』
 そうだよ。そんなの、君しかないね!
 君はきっとつまらなさそうな顔で暗号をチラッと見て、すぐにペンでサラサラと文章を書いてしまうと、つまらなさそうな顔でポイッと放る。1分もかからないんだ。

 『どこへ逃げても、遊ばれているように手配が待っている』
 『仲間割れをすれば、それを見越していたように1人、また1人と網にかかる』
 いかにも君らしいじゃないか。ムスカ。

「実際、その気があれば3日でぜんぶ終わっていたかも知れないぞ。他にかかった時間は、なんて言うか…奴らに追われる恐怖を味わせる為、みたいな感じだったな!」

 『愚か者め。この私から逃げられると考えること自体、思い上がりだと知るべきだな』
 君があの悪い感じの笑みを浮かべて言うのが、見えるようだったよ。
 『なら、後悔が身にしみるまで遊んでやろう』とか、そんな風に言うよね!

 これまで、あまり賢くないという評判だった軍警察の大手柄に、見直したり不思議に思ったりする声が聞こえてたけど、僕はもうクスクス笑いが止められなくて困ったよ。さいわい、みんなにはお酒のせいだと思ってもらえたみたいだけどね。
 そこからの記憶は、途切れ途切れだ。
 居酒屋でみんなと歌を歌っていたのはおぼえている。それから帰り道の街灯にもたれて、故郷のお祭りの歌を思い切り歌っていたのもおぼえているけどね。
 僕がアパートの階段で踊っていたと言われたけど、それは本当なんだろうか?
 白状するけど、今日は頭が痛くてたいへんだよ。
 だけどおかしいくらい身体は軽い。
 ものすごく嬉しいんだ、ムスカ。ありがとう、それと今すごく君に会いたいよ!
 面とむかってありがとうとか言ったら、君はきっと横をむいて部屋を出ていってしまいそうだけどね。
 『別に善意ではない。私の目が届く範囲で野良犬がうろつくなど、気に障ってたまらないというだけだ』
 そんな風に言うのだろうね?
 それでも君は、たくさんの人の暮らしや家族を守ってくれたよ。
 だから、ありがとう。
 それと君がなんか元気そうで、とても安心したよ。

[118]
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時51分





大切なムスカへ

 久しぶりの自分の部屋だよ! 10日ぶりに帰って来られた!
 行って帰って4日の旅だとか考えていたけれど…とんでもなく甘かったってこと、よくわかったよ。でも終わりよければすべて良しとか言うし、とにかく戻って来られてすごくホッとしている。

 この10日間、僕はちょっとした冒険の旅に出ていたんだ。
 話はまず10と3日前に、いつもの通り操車場の親方のところに…つまり、その、蹴りだされに行ったところから始まるんだ。
 最近、親方には相変わらず相手にされていないけれど、車両部の他の工員たちが面白がって僕に機関車や車の扱い方を教えてくれるようになっていて…一回なんかオーソニプターのエンジンまでかけさせてもらって…それで、ちょっといい気になっていたところはあったかも知れない。
 いつもみたいにエンジンや車輪の音が響く操車場に行ってみると、例の隊長さんと部下の兵隊たちが何かすごく怒鳴りあっているところだった。
 いつもはうちとけた感じの彼らだったから、びっくりして思わず見てしまったよ。
 聞いていると、隊長さんが部下の人たちを何か一生懸命に止めようとしているみたいだった。
「二度とそんなバカな話を口にするな! ぶっ飛ばすぞ!」
 隊長は、すごく怖い顔でくりかえしそう怒鳴っていた。
 それはあの…駅の事件で片足を無くして、除隊になる筈の兵士のことだったんだ。
 ケガをして、軍隊をやめることになっていた彼には、故郷にお母さんがいて…少し身体が弱いって話は、前にも聞いたことがある。
 身体に障るから、故郷に帰って会えるまで、ケガのことは知らせないでおこうとしていたのに、何かの通知で先にお母さんはそれを知ってしまったらしい。
 一人暮らしだった彼女は、とてもショックを受けて…そのまま病気で寝付いてしまった。もともと身体が弱かったせいもあって、容態はとても悪くて、除隊になるまで待っていたらもう会えないかも知れない。お医者さんからの手紙でそう知った彼は、我慢出来ずに兵舎を脱走して故郷に帰るところを、すぐ逮捕されてしまったんだ。
「あと半月もすれば、大手をふって帰れたっていうのに、あの馬鹿ッ!」
 たとえどんな事情があっても、脱走は重い罪になるんだ。
 規則通りなら、刑務所か流刑地送りになってしまうという。部隊の仲間は、そんなことさせないと言って隊長さんに詰め寄って怒鳴りあっていた。
「何度言えばわかる!? いいか! 二度とそんな計画を口にするんじゃないッ、お前達全員、流刑地送りだぞ!?」
「じゃあ隊長は、このままあいつを見殺しにしろって言うんですかい!」
「そんなことは言っていない!! だが無理なものは無理なんだッ」
 仲間の兵士たちは、拘置所に捕まっている彼を連れ出して逃そうとしているらしい。
 隊長さんはそれを止めようと、懸命に説得を続けていた。
「いいか…拘置所から抜け出せたところで、その後はどうするつもりだ!? すぐに手配がまわって、次は本気で銃殺刑だぞ! それがあいつの為だと思うか!?」
「いちかばちか、やってみるまでわからないじゃないか!?」
「このままじゃ、どうせ流刑地送りなんだぞ!」
「やってみなくても無理に決まっているんだッ、バカが! 旅券もない…軍の通行証も取り上げられている奴が、まずどうやって市外に出るつもりだ!? 列車だって使えない…すぐ手配されたら逃げようもないんだぞ!?」
 彼も隣国から志願してきた兵隊だったって…その時に初めて聞いたんだ。
 旅券ならある! 僕は思わずそこで叫んでいたんだ。
 旅券だったらある、2冊も!
 僕のために君が残していった旅券は、2冊ともアパートの机の引き出しにしまってあった。
 目を丸くしている隊長に、僕は恋人が作ってくれた旅券だと説明したんだ。僕には軍に入った恋人がいて、彼が作ってくれた旅券だから絶対に使えるって話したんだ。
「ていうか、おい、なんで2冊!?」
「彼!?」
 ちょっと混乱させてしまったみたいだけど、先を急ぐ大事な話だから、僕はかまわずに進めることにした。
 必要な旅券はある。それに金貨も。
 なぜ2冊もあるのかといえば、それが君の性格だったからだと説明しておいたよ。君のあたりまえを想像すれば、旅券は別々の名前で2冊くらいあるのが、たぶん当然なんだろうしね。
 僕がこの国に居つづけるためには、1冊の旅券は必要なんだ。
 だけど、僕はもう故郷に戻るつもりはないのだから、もう1冊の旅券はあげてしまってもいい。
 目を白黒させていた隊長さんは、僕がはっきりそう言うと一度大きく喉を鳴らした。
「だが、お前…だが…そいつは…」
 隊長さんの言いたかったことはわかる。
 旅券があるからといって、使ってしまったら彼は一生お尋ね者になるんだ。簡単に、他人に返事できることじゃない。僕にもそれ以上言えなかったんだ。
 向かい合ったまま、僕と隊長はしばらく言葉が選べなかったけど、いきなり後ろから誰かに、僕は膝をものすごく蹴り飛ばされたんだ。
 ワァといってあわてて振り向くと、親方が工具を手にして立っていた。
「ヘボ隊長、どうせもう流刑地送りと決まっているのだから、迷うことはないだろうが?」
「し、しかしです!」
「足の不自由なひよっ子の兵隊が、流刑地で何年保つと思う。2年もたたずに墓場行きだぞ」
「……」
 たぶん、この時隊長はなんていうか心を決めたんだと思う。それから親方は僕を振り返った。
「この若造が! 毎日毎日押し掛けて来られて、儂がどれだけ迷惑だと思っているか、ああ!? 貴様のような輩はどうしたってまっとうな兵隊になどなれるものか…貴様がなりたがっているのは、要するに逃し屋だ! ふん、で、逃し屋ならちょうどここに客がいるようじゃないか?」
 えっ!? 突然の話で僕はびっくりして棒立ちになってしまったよ。
「車とオーソニプターを貸してやったら、貴様、自分の手でなんとかして、そいつを国境まで運んでみせられるかと聞いているんだぞ? もし生きてここへ帰ってこられたら、これから貴様に機械の扱いだけは教えてやってもいい…駄目なら、もう二度とここには出入りするんじゃない」
 それはつまり、親方以外の工員たちも相手にしてくれなくなるという意味だとわかったんだ。
 だからもう僕はうなずいて、絶対、やってみせると誓ったんだ。
「ちょっと待ってくれ、親方! そう言ったって、そんな適当なニセ旅券が使えるのかどうかッ?」
「金目の毒蛇の手配した代物だ。使えるに決まっとるわい」
「ど、毒蛇!?」
 隊長さんはまたなんか騒いでいたけど、僕もここでは驚いたっけ。
 弟子入りするつもりだったから、僕は親方には名前と故郷と、それから守ってあげなければならない恋人が軍にいるとだけ打ち明けてあったんだけど、それだけでそれ以上のことまで親方はもう知っているみたいだった。
 車両部の親方は、今でも軍に顔がすごく広いって噂は本当らしいね。もちろん僕の前で毒蛇とかいうのは、どうかと思うよ。
「亡命士官なぞと称して、あんな化け物紛いまで内に入れなけりゃ勝てない腰抜けが今の軍とは情けなくて泣けるわ。だがそれだけに手抜かりはない筈だ」
「いや、し、しかしそんなことより毒蛇って、こいつの…そ、その…!?」
「そっちはこのボンクラの都合だ、儂には理解したくもない!」

 そこから先の事は、少し端折ってしまうよ。
 親方の指示で僕たちは、それから3日間ですべての準備を進めたんだ。隊長さんと仲間達は、まず拘置所から彼を本当に連れ出す手だてを見つけること。
 僕の方は3日間でオーソニプターの飛ばし方をマスターしないといけなかった。
 そして3日後、僕たちはまた操車場に集まった。
 計画はこうだった。その日、日が暮れて夜警の交代とともに、隊長さんたちは彼を牢から連れ出して、街のはずれ…Sーー河沿いの古い船着き場まで集合する。僕はそこで合流して、ボートで少し下流に移動し、砂州の広くなったところからオーソニプターで飛び立ってSーー河をこえてしまい、対岸のF市から用意された車で国境を目指す。
 国境をこえる時は、F市から入ってきた旅行者のフリをするのがミソなんだ。
 国境をこえてしまったら、そこで隊長さんたちの古い仲間がまた待っていて、そこからは安全に故郷まで運んでもらえる。
 国境まで2日、戻って2日。地図を見て、そう思ったよ。
 月の出ない夜だったから、気をつけてやればオーソニプターが飛び立つのも着陸するのも、気づかれずにやれる。理屈では。
 夜を待って、船着き場にいく。
 隊長たちは少し遅れたけど、ちゃんと計画通りやってきた。
 彼ももちろん一緒だったよ。隊長が、僕を「国境まで連れて行く逃し屋」だと紹介すると、とても青ざめた強張った顔でうなずいた。
 あらためて見ると、やっぱりどこか君に似ていた。眉の感じかな、あと話した後でちょっと目を伏せるクセとか…僕が、かならずお母さんの居る故郷へ連れて行くと約束すると、目を伏せたままでもう一度うなずいたよ。
 小舟で下流へ動くのは楽な仕事だった。船なら慣れたものだったからね。
 だけど砂州でオーソニプターに乗り換えたとたん、それが起こった。飛び立ってすぐに機体が物凄く揺れだして、風もない夜だったからそれはおかしなことだったんだ。握っている操縦桿まで右左にグラグラ跳ねるように暴れだした。何が故障したのか、僕にもわからない。計器やメーターを見る余裕なんかなくて、ただ必死で操縦桿をおさえようとがんばったけれど、結局駄目だった。
 飛び立って10分もしない間に、オーソニプターは墜落してしまった。最後に必死で操縦桿をまわしたから、なんとか河の真ん中じゃなくてSーー河の対岸に近い浅瀬に落ちることが出来たけど、あれが真ん中だったら絶対、溺れていた。
 後ろの座席から彼を引きずり出すようにして、命からがら岸にあがったよ。
 二人とも全身ずぶ濡れで、ガチガチ震えていた。
 とりあえずトランクは無事で、旅券もしっかり僕の胸ポケットにあったけれど、これからどう動くか考えただけで、僕は頭が途方にくれてしまった。
 オーソニプターはもう駄目だ。でも、用意された車の場所まではまだまだすごく遠い道のりが残っていた。夜の間に着くことは、もう出来ない。
 旅券はまだあるけど、片足をなくした彼は一目で目立つ。予定では、僕たちは富裕な旅行者とその運転手の役割をして、僕が使用人として彼の分の旅券も差し出し、彼自身は立派な車を一度も出ないですむ段取りだったんだ。
 でも、もうその筋書きは使えない。このまま徒歩で国境を目指しても、予定の日付には間に合わないし、だいいち脱走者の手配は国境にも伝わっているから、ぼろぼろの姿で着いてもあっという間に見破られて捕まってしまうだろう。
 振り返ると、彼が声をだして泣いていた。
 青白い頬に涙が流れていて、しゃくりあげながら、もうあきらめると言ったんだ。
 もういいから、ここへ置いていって欲しい。これ以上、みなに迷惑をかけられないと言って彼は泣いた。このまま残してくれれば、捕まらないようにだけはちゃんとすると誓うって、真っ青な顔で河の水面を見つめていた。
 僕は気がついたら拳をふりあげていたんだ。 
「この意気地なし! お母さんはどうするんだ!?」
 怪我人だったのに、頬を殴って、おまけに肩をつかんで思い切り揺さぶってしまった。
「目を覚ませ、バカッ! まだあきらめるなんて言うな!」
 僕はまだあきらめない。だから、あきらめるなと怒鳴って彼の手をつかんで旅券と金貨を叩きつけた。
「これを持って! 国境まで行くんだッ、国境からは隊長の仲間が故郷までちゃんと運んでくれる。故郷についたらお母さんに会える! そうだろう!? それからは二人で別の町で暮らせばいい、この旅券の名前を使えば大丈夫なんだから!」
 君が残してくれた金貨は街でなら10年、僕の故郷のような田舎なら一生暮らせるほどの価値だと、今では知っているんだよ。ムスカ。
「この金貨を持っていって、お母さんを医者に見せたくないか!? 大きな街で病院に見せれば、お母さんはもっと…もっと生きられるかも知れないって思わないか!?」
 彼の目に、はじめて光がさしたように感じたよ。
「君が帰れば、お母さんはがんばれる! だから君もがんばれ、この程度でまだあきらめるとか言うな! 故郷に帰ってからだって…辛いことや大変なことは、たくさん待っているんだ。だから勇気はその時まで取っておけ、今はかならず国境まで連れて行くっ、君は黙ってついてくるだけでいいから!!」
 それから僕と彼は力をあわせて、トランクとかを岸辺の茂みの中に隠し、僕がわざと道に出て、街から遅く帰る荷馬車が通るのを待ったんだ。
 だって墜落したままのオーソニプターは、あまりにも目立つからね。
 これだけは何とか隠しておかなきゃならないと思ったんだ。
 通りかかった農家の荷馬車を見つけて、拝み倒してきてもらった。
 僕は工場で働く下っ端だと、ちょっとだけウソをついたんだ。
「社長の坊ちゃんに誘われて、お、親方のオーソニプターを勝手に持ち出したら…エ、エンジンがなんかおかしくなっちゃって…」
 このまま置いて帰ったら間違いなく殺される、助けて欲しいと頼んだ時の顔は、そうとうはまっていたと自分でも思うくらいだから、親切な農夫のおじさんは信じてくれたよ。
 彼にはその間、離れた暗いところで頭をかかえて泣いていてもらったんだ。
 おじさんの荷馬の力を借りて、オーソニプターを岸まで引き上げると「坊ちゃん」に金貨を出してもらって、そのまま荷馬車ごと貸してもらった。
「馬と荷馬車さえ戻してもらえりゃ、銅貨2枚でいいからな!」
 おじさんは本当にいい人で、街まで送ってくれるというのをなんとか断って…街道を少し離れたところまで進んで、とりあえず空き家になっている納屋にオーソニプターをもう一度隠すと、今度は空いた荷台に藁を山ほど積んで、彼を寝かせると上からまた藁を積んで隠して…夜明けの星が光る頃に、僕らは荷馬車で国境を目指すことになっていた。
 これからどっちへ進むのか、藁の中から不安そうな声で彼が聞くんだ。トランクから地図を出してもらって二人で見ながら僕も必死で考えた。
 このままF市の街道をまっすぐに行けば国境だけど、藁をつんだ荷馬車で越えるのはおかしいし、調べられるだろう。
 車かオーソニプターならまだしも、荷馬車ではつっ切る事も絶対出来ない。
 この藁の車のままで、一度僕の市内に戻ることも考えたけれど、手配がまわって調べられたらそこでお仕舞いだ。
 地図を前に、君と国境を越えたあの時の事を一生懸命思い出しそうとしたんだ。
 この国の東の砂漠を越えて、僕たちは国境を無断通行した。道筋はなんとなくおぼえているけど、厳しい危ない道だったね。あれは君の強い意志の力がなければ無理な道だった。
 今、仲間が待っているのは北の国境だ。だから僕らは北へ進まなきゃならない。ただ…国境といっても、人が守っている場所は実は少ないんだよね。街道や、便利な道はもちろん塞がれているけど、あまり誰も通らないところ…それでも通れるかも知れない道…。
 地図の上のSーー河が目に飛び込んできた。
 Sーー河は、国境沿いに北に向かって流れる河で、広くうねりながら最後には国境を越えて、隣の領土にも入っていく。
「街道を進めるだけ進んで、最後はSーー河を使おう」
 僕はそう決めて、彼にいった。
 桟橋も船着き場も使えないだろうけど、河の状態を見れば僕には漕ぎ出せる流れかどうかはわかる。ギリギリまで街道を進み、それから小舟か…最悪、いかだを作って国境を越えよう。
 結局、僕にはまだ舟しか使えないんだな…と思って、なんだか可笑しくなった。
 付け焼き刃の練習じゃ、親方のいう「逃し屋」にはなれそうにないね?
 ともかく、そうと決めたら急いですることは山のようにあったよ。借りられそうなボートがあるかどうか、いつも河沿いに目をくばっていなければならなかったし、河の水はまだ冷たい…凍えないで渡るには食料と身体に塗る油が必要だった。
 一つ、一つ、あやしまれないように、街道の途中で品物を手に入れたよ。
 バターとか油付けの干し魚とか、君は笑うかも知れないけど、こういうのが一番身体を暖めてくれていいんだよ!
 ただ、小舟だけはどうしても見つからなかった。
 最後は無断で借りることまで考えていたけど、国境に近づくほど岸に舟が少なくなっていた。たぶん、それも軍とかの規制なんだろうね。
 他に手だてがなかったので、荷馬車をバラバラにしていかだをこしらえた。
 舟のように自由には動かせないから、夜中を選んでそっと進まないといけない。
 人の気配がするところは、水の中に入って僕が押して進んだ。水は氷のように冷たかったし、油を塗っていても痺れるほどだったけど、少しでも早く進もうと必死だったから気にもならなかった。
 最後の数キロ、国境警備が巡回すると聞いた数キロは、彼まで河に入って押して進んだんだ。
 僕は止せと言ったんだけど、彼も必死の目をしていて、何をしても進まずにはいられなかったのがよくわかったよ。

 国境をようやく越えた時、約束の日付を2日も過ぎてしまっていたのに、隊長が頼んだ仲間たちはまだ僕らを待っていてくれたんだ。

 彼を引き渡して、お母さんによろしくと言って手を振って別れた。
 帰りは少し楽な河筋を選んで、荷馬車を壊した岸まで戻ってから預けておいた馬を引いてF市までよたよた帰ったよ。
 すごく緊張していたのが無くなったせいだと思うけど、なんだか一歩ごとに身体が重たくなる感じで、市内に入る時には本当に疲れはてた気がしたっけ。
 隠してあったオーソニプターも、ちゃんと持ち帰らなければならなかったし…あれは本当に大変だったよ。
 ただし「勝手に持ち出したオーソニプター」を引きずって帰る言い訳の方も、一段とみんなに信じてもらえたみたいだ。親方が怖くて死にそうだと、僕が涙目で言うと、まだ警戒中の兵隊たちも笑って通してくれたからね!
 馬とオーソニプターをひいて操車場に僕がよろめき込んだ時、みんなが幽霊を見るような目で振り返ったっけ。
 親方でさえ工具を取り落として何か叫んでいたいたけど、疲れでボーッとしていたから、何だったかおぼえていないんだ。
 親方が僕に何か言って、僕が親方に何か答えて…でも何を言っていたかは、ぜんぜんおぼえていない。
 僕はそのまま操車場の真ん中で、大の字になって寝てしまったんだ。
 親方が蹴っても叩いても起きないで、翌日の昼近くまで眠りっぱなしで…それからやっとここに、自分の部屋に戻ったんだ。
 見慣れたカーテンや壁の時計とかが、涙が出そうなくらいうれしくて、しばらく一人で壁をなでていたのは内緒だよ。
 とにかく今は帰ってきてホッとしている。
 おやすみ、今夜はゆっくり寝て、明日はまた果物屋台の手伝いに行かなきゃ。
 それから車両部の親方のところに、もう一度挨拶に行くんだ。
 今朝、操車場を出る時に、明日から来いと親方は言った。

[119]
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時52分




ムスカへ

 とてもいい月夜だね。
 僕は今日、オーソニプターで8回目の墜落をしてしまって、少し落ち込んでいたんだけど、明るい月を見ていたら、くよくよしているのがバカらしくなった。
 オーソニプターは離陸の時、はじめにすごく翼が左右に振動する。その時はとにかく操縦桿をしっかり上げて、耐えてなきゃ駄目なんだ。揺れてもエンジンを信じて、機体を上に向ける。ビクついて風圧に乗り切れないから落ちるんだと、親方が叱るけど今のところ僕の離陸は3度に1度は墜落で終わっている。
 安全に空を飛ばすことなんて、一生できないかも知れないと思うとやっぱり少し気が滅入るんだ。

 今夜はなんだか眠れなくて、明るい窓の側で引き出しから僕の旅券をだして眺めていた。
 いつか聞きたいと思っているんだけど、君はどうして僕の旅券にこの名前を選んでくれたんだい? この国の人は知らないけど、これって故郷では、みんなよく知っている童話の主人公の名前だろう?
 白い虎とものを言う竪琴を連れて旅をする王子の話。僕も子供の頃にお祖母さんに聞いたっけな。
 君はいったい何を思って、僕の旅券をこの名前にしたのかいつか聞きたいと思っているよ。
 僕は王子じゃないし、竪琴は聞いたこともないし…虎とか連れているのは、むしろ君の方だ。
 実は思いつきで決めただけなんだとは思うけど、いつか機会があったら君の旅券の名前を僕が決めさせてもらえたら楽しいと思うんだ。

 …旅券を見ていると、君が僕を守ろうとしてくれた気持ちがよくわかるよ。
 その頃、僕が守られなきゃならないほどの赤ん坊だったことも。
 だけどムスカ、君だってそうだ。
 君は放っておくと、すぐに人を殺したり、自分で戻って来られないほど遠い場所に何かを追いかけていってしまう困った赤ん坊なんだ。
 君みたいに頭のいい人が、どうしてわからないのか僕はいまも不思議でたまらない。
 でもこれは本当のことだ。たぶん人は誰も一人では、生きられないんだろう。
 どう思う? ムスカ、僕にはそれは何か素晴らしいことのように思えるんだ。
 僕らはみんな弱くて、赤ちゃんで…一人ではろくに生きていくことさえ出来ないんだ。
 それは、とても素晴らしいことだと僕は思う。

[120]
7℃ - 2008年03月10日 (月) 23時53分





親愛なるムスカへ

 今日は市場で、とても珍しい人に出会ったよ!
 誰だと思う? パズーだよ!
 すっかり大きくなって、背も少しだけ高くなっていてさ…あの年くらいの子供は、本当にすぐ変わるんだね。
 食堂にいって一緒に食事をしたけど、食べっぷりの方はあいかわらずだった。
 別れる時に冒険家になると言っていたけど、言葉通りにいろいろな国や遺跡を渡り歩いて暮らしているみたいだった。すごい子だよね!
 ここに来る前、彼も珍しい人に会ったらしい。
 空賊のドーラ…とかいう女の人だったそうだけど、君も知っているのかな?
 ラピュタの遺跡で、実は君のええっと…邪魔をしたとか。そして脱出する時、遺跡からかなり財宝を持ち出すことが出来たらしい。
「ラピュタ全体からすれば爪の先だけど、ドーラ一味にとってはお宝ってことさ」
 パズーは格好をつけてそんな風に言うから、笑いそうになって困ったよ。
 とにかく持ち出した財宝で、彼らは新しい飛行艇を作り、また空に乗り出しているのだそうだけど、一つだけ彼らが手放さずに、ずっと残してきた腕輪があったらしい。
「…ラピュタ王家の紋章が入っていたから、ドーラさんは売らないで取って置いたんだって」
 金で出来てはいるけど、そんなに大きなものじゃなくて、宝石も一つだけ…透明な石がはまっている。それをパズーとドーラは最初、リュシータという女の子に届けようとしたらしい。
 ゴンドアの山奥に住んでいて…可愛いおさげの子らしいんだけど、彼女はその腕輪をいらないと断ったそうだ。
「説得したけど…もう、そういうものは関係ないし、必要がないものだからってきっぱり言われてさ。シータはそうなるとすごく頑固だし…いい子なんだけど、あの年くらいの女の子って本当にすぐ変わるよなァ。なんかすっかり大人っていうか、別人みたいでさ…あーあ、別にいいんだけどさ!」
 久しぶりにあったその子に、パズーもなかなか複雑らしかったね。
「それで、仕方なくゴンドアから戻ってきたんだけど…僕も売りに出すのは、ちょっとあれだし…考えたくもないけど、シータが要らないなら、じゃあこれはつまりムスカのなんじゃないかって、つい思ってしまったんだ」
 すっごく悔しそうに机を叩きながら、パズーはうなっていたんだよ。
「…見せたら、絶対、ムスカに取り上げられるのはわかりきっているし! せっかくのお宝をムスカなんかにくれてやる義理だってないさ。自分でもまったく信じられないよ、人殺しのムスカなんかに! 何が亡命士官だって、ふざけるなよ! あの人殺しの悪党には、処刑台の縄の方がずっとお似合いだって」
 驚いたんだけど、パズーは君が今、この国の軍にいるのも知っていたんだ。
「あたりまえさ、そのくらいの情報は手にしていなきゃね」
 冒険家ってそういうものなのかな。
「ムスカは悪名付きの亡命者だから、当然、四六時中の監視がついている。一時はすごく厳しい状態だったみたいだけど、その程度じゃあいつの悪知恵はどうにも出来ないって!」
 今の監視者は若造で、ほとんど君の言うなりだとパズーは、なぜか拳を握っていた。
「飼い犬みたいについて歩いてさ、あれじゃ護衛だか監視だかわからないよ。監視だったら、もっと手酷くあいつを締め上げてやればいいのに!」
 なんて言うのかな、パズーは君のことがすごく気になっているみたいだったね。
 君は悪い奴で、100回死刑になって当然だと言いながら、腕輪を君に届けたくてどうしようもない気持ち…あの年頃の子って、そうかも知れないね。
 僕に、迷惑だったら自分が腕輪を届けるからと、何回くらい言ったかな? でも僕はお礼を言って、申し出を断った。その役は誰でもない、僕のものだと思うからだ。
 パズーは少し肩を落としていたけど…すぐに、いさぎよく笑いながら腕輪を投げてよこした。そう、彼はそういう子だったよね。
 腕輪を僕も見せてもらったよ。細いけど、やっぱり金だから立派なものに見えて、透明な輝く石が一つはめられている。
 よく調べたけれど、飛行石じゃないとパズーは言っていたっけ。
 ラピュタの紋章は石の隣に、とても小さく入っている。
 腕輪は細いけど輪は広くて、パズーの言葉によれば男の持ち物かも知れないといった。
「ドーラさんが言うには、この石は強い輝きがずっと変わらないから、恋人同士の贈り物に使われることが多いんだって」
 だから遠い昔のラピュタの誰かが、愛する人と腕輪を贈りあって持っていたのかも知れない。
 その誰かは、恋人と最後まで一緒にいられたのだろうか?
 強い想いをあらわす石を見ながら、僕はそんなことを考えたよ。

 ムスカ。僕たちが離ればなれになってから、二度目の春がきたね。
 僕は昨日、親方の指示した空図通りのルートでオーソニプターを飛ばして戻ってこられた。
 途中、わざと故障が起きるようにしてあると言った親方の言葉通り、計器がへんな風に動きだした時も、あわてないで修理することが出来た。
 僕はもうオーソニプターを、動かせるようになったんだ。
 君が今いる場所の地図と、監視役の名前をパズーが教えてくれた。
 会いにいくなら見張りの隙を教えると言ってくれたけど、その気になれば僕はもうオーソニプターでまっすぐに行って着陸することも出来るんだよ!
 こんなに時が経ってしまっているから、君の心がとっくに僕を忘れてしまっていることもあるのかも知れないけど…僕にはなぜだかそう思えない。パズーもそうは言わなかった。
 ムスカ、僕の心は今も君に近いよ。
 だからムスカ、僕は明日、君に会いにいこうと思うんだ。
 パズーがくれたラピュタの腕輪と、君に届けたかったたくさんの手紙を持っていくつもりだよ。
 迷わない、強い想いは今、たしかに僕の胸のなかにある。 




 シス・テアル・ロト・リーフェリン
 「失せしもの汝姿を現せ」



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